2015年 08月 08日 ( 1 )

核兵器運搬が可能で非核三原則を捨てるという安倍晋三政権を考える。

 中谷元・防衛相が、安全保障関連法案に基づく他国軍への後方支援をめぐり「核兵器の運搬も法文上は排除していない」と述べたことと、安倍晋三首相が、広島市で開かれた平和記念式典で「あいさつに非核三原則の文言を盛り込まなかった」ことは、当然繋がっており、私たちはこのことが非常に大きな問題を抱えていると捉える必要がある。
 安倍晋三政権は、非核三原則を盛りこまなかった件については、このことに関する市民の反応が考えていたものよりまずいと思ったのか、「『長崎の式典ではこの文言は入っていると承知している』と述べ、9日に長崎で開かれる式典では三原則を明言することを明らかにした。」(毎日新聞2015年8月7日)と、すでに次の対応策を取った。もちろん、毎日新聞は「あいさつで三原則を盛り込まなかった直接の理由は説明しなかった。」と、伝えた。

 いずれにしろ、この二つの件は繋がっており、意図的に出されてきたものであるという把握が必要である。安倍晋三政権の政権運営の姑息さについては、用意周到さも含めて、高い能力を誇っているのだから。
 というのも、8月6日に「70年談話報告書」が準備されていたことにより、各紙の採り上げ型は少ないものになっている。
 この社説を基に、核兵器運搬が可能で非核三原則を捨てるという安倍晋三政権を考えてみる。
各社の社説まとめてみると次のようになる。


(1)「核兵器の運搬も法文上は排除していない」ことの問題点
・中谷防衛相は「非核三原則があるので(核兵器の運搬は)あり得ない。要請があっても拒否する」とも述べた。額面通りに受け取ることはできない。非核三原則を順守するならば「核兵器は運搬できない」と法案に明記すべきである。それをしないのは、核兵器を運搬できる余地を残しておきたいという考えが根底にあるということである。(琉球新報)
・安倍首相は集団的自衛権行使の基準について「総合的に判断する」との不誠実な答弁を繰り返し、基準を一切明らかにしていない。政府の裁量が際限なく拡大されるとみていい。独断専行に終始する安倍首相に行使の是非を判断させることは危険過ぎる。(琉球新報)
・中谷氏はこれまでにも法案が定義する「弾薬」に、ミサイル、クラスター弾、劣化ウラン弾も含まれるとの認識を示しており、5日の答弁は、核兵器も弾薬に入るとの見解だった。法案では他国軍に対する弾薬の提供が可能になる。しかし、「(核兵器は)保有していないので提供はできない」とした。ただ、一連の答弁から判明したのは、法案が通れば、理論上、自衛隊は核兵器の輸送も可能になるということだ。(沖縄タイムス)
・政府が説明するほど国民の不安は高まる。その典型的な例ではなかろうか。(南日本新聞)
・中谷氏は核ミサイルの運搬を問われ、「法律上、特定の物品の輸送を排除する規定はない」と述べている。さらに生物兵器や化学兵器などの輸送も禁じていない、と説明した。
 安倍晋三首相は安保法案を閣議決定したとき、「極めて限定的に集団的自衛権を行使できることにした」と国民に向けて語ったはずだ。だが、法案は何でもあり、ではないか。平和国家とはとても呼べなくなる。(南日本新聞)
・もっとも中谷氏は、非核三原則などを理由に「輸送に協力することはあり得ない」とも答弁した。政府も「現実的にあり得ない」と否定する。では、どうして法案に明記しなかったのだろう。政策判断次第となれば歯止めはないに等しい。(南日本新聞)
・岸田文雄外相は「法律の現状を今、承知した」と答弁し、自衛隊が核兵器を輸送できることを初めて知ったと明かした。(南日本新聞)


(2)「あいさつに非核三原則の文言を盛り込まなかった」ことの問題点
・歴代内閣が踏襲してきた方針を一内閣の判断で転換させることを、安倍政権は一切いとわないのである。非核三原則も堅持される保証はない。(琉球新報)
・安保法案によって危険にさらされるのは何も日本国民だけではない。自衛隊が核兵器を運搬することは核兵器使用容認につながる。世界を核の脅威にさらすことは唯一の被爆国として認めるわけにはいかない。(琉球新報)
・非核三原則は67年、当時の佐藤栄作首相が衆院予算委員会で核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と表明した「国是」だ。日本の核兵器不保持・不関与の根拠として歴代内閣も踏襲してきた。安倍首相も第1次政権を含め過去3回は非核三原則に言及した。それなのに、なぜ今回盛り込まなかったのか。戦後70年の節目に過去最多の100カ国が出席する式典で、首相あいさつから非核三原則が削除された事実を、国際社会はどのように受け止めるだろうか。(沖縄タイムス)


 これを要約すると次のものになる。
①一連の答弁から判明したのは、法案が通れば、理論上、自衛隊は核兵器の輸送も可能になるということだ。
②政府が説明するほど国民の不安は高まる。その典型的な例ではなかろうか。
③法案は何でもあり、ではないか。平和国家とはとても呼べなくなる。
④岸田文雄外相は「法律の現状を今、承知した」と答弁し、自衛隊が核兵器を輸送できることを初めて知ったと明かした。(つまり、法案の提案者の側も全員が戦略的であるわけではない。)
⑤非核三原則も堅持される保証はない。
⑥首相あいさつから非核三原則が削除された事実を、国際社会はどのように受け止めるだろうか。(反応を伺う姑息さがあらわれている。)



 こうした指摘からだけでも、安倍晋三政権の安保関連法案推進の理論は破綻している。 しかし、安倍晋三政権は、安保関連法案の成立に揺らぎのそぶりも見せない。
安倍晋三政権の周到な姑息さとは、こうしたことの揺らぎをも勘定に入れた上で、理論的な問題の破綻をあくまで強行突破していくことにある。
 安倍晋三政権の周到な姑息さを、常に把握しなければならない。
 それでも、やはり、安保関連法案は、廃案しかない。
 南日本新聞の「首相は『戦争に巻き込まれるようなことは絶対にない』「『び戦争をする国になることはあり得ない』と断言してきた。なぜ断定できるのか。国民が知りたいのは、その法的根拠だ。」ということを、安倍晋三政権に対して私たちは問い詰めていかなくてはならない。

 以下、琉球新報、沖縄タイムス、南日本新聞、毎日新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-08-08 05:47 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

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