2015年 08月 02日 ( 2 )

水島朝穂の「緊急直言」を考える。

 水島朝穂早稲田大学教授の「平和憲法のメッセージ」に2015年7月30日、「『先制攻撃』と『先に攻撃』を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために」との緊急直言が掲載されました。
 これを考えてみました。

 最初に、「不用意に先制攻撃と言ってはならない。」ということについて

 安保関連法案に関連して、現在の状況を次のように捉え、「明らかに一変した」状況の中での参議院での緻密な審議の重要性を説いている。
 それは、「安保関連法案については、9割の憲法・行政法研究者が『違憲・違憲の疑い』を指摘し、8割の国民が政府の説明に納得せず、6割近くが法案の今国会での成立に反対している(各社世論調査)。」という現状である。
 この参議院の審議の中でまず押さえておかねばならないのは、「法律論と事実論を厳密に区別しなければならないということである。結論から先にいうと、この岸田答弁は、法律論としては一応筋が通っている。だが、法律論としては、集団的自衛権の行使は『先制攻撃』(これは法律用語である。)ではないが、軍事の事実論、現実論としては、集団的自衛権の行使は日本が武力攻撃を受けていないのに『敵国』を日本が『先に攻撃する』ものである。法律用語としての『先制攻撃』と区別するために、『先に攻撃する』と表現すべきである。」と、指摘する。
 このことについては、従来から、「北朝鮮から攻撃を受けた米国を『助けるため』、自衛隊が集団的自衛権を行使して北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮から見れば攻撃していない日本から『先に攻撃を受けた』ことになりますから、日本は国土を含め、北朝鮮の報復攻撃を受けることを覚悟しなければなりません」と指摘してきたものであるとする。
 結局、「日本に対する武力攻撃をしていない『敵国』からみれば、日本がその武力行使を集団的自衛権の行使と呼ぼうが、『「先制攻撃』と呼ぼうが、日本が先に攻撃をしてくることには変わりがないわけである。安倍首相は、日本に対する武力攻撃がない以上、日本の武力行使を国際法上正当化するためには集団的自衛権と整理せざるをえないだろうと言っているのであるが、いずれにせよ、日本が先に攻撃をすることには変わらないわけであり、図らずも安倍首相は日本が先に攻撃することになることを認めたわけである。」と。
 あくまでも、「国際法上その合法性が疑われている『先制攻撃』と国際法上合法な『集団的自衛権』は異なるので、不用意に『先制攻撃』と言ってはならない。」と、指摘し、「かみ合った審議をするためには、『先に攻撃』と言えばよいのである。」、「安倍内閣を追い詰めるため、必ず『先に攻撃』という言葉を使って質問をすべきである。」と、まとめる。

 水島は、「集団的自衛権の行使である以上、『敵国』に日本攻撃の意図があることを要しないのは当然である。だからこそ、集団的自衛権行使を認めることは極めて危険なのである。」と、集団的自衛権の行使の危険性を明確に指摘する。
 また、「日本を攻撃する意図のない『敵国』からすれば、いきなり日本から武力攻撃を仕掛けられるわけである。『先に攻撃』以外の何物でもない。『敵国』にしてみればたまったものではない。これが果たして『専守防衛』なのか。」と、専守防衛の否定にもつながるとあわせて指摘する。

 次に、「集団的自衛権を行使した結果である報復攻撃」ということについて。

 このことについて、次のように指摘している。

「日本が集団的自衛権を行使すると報復攻撃を受けるという展開は、1954年6月3日の衆議院外務委員会で下田外務省条約局長が次のように認めています。

『現憲法のもとにおいては、集団的自衛ということはなし得ない。国際法上、たとえば隣の国が攻撃された場合に自国が立つ、そうすると攻撃国側は、何だ、おれはお前の国を攻撃してわけじやない、なぜ立つて来るかといつて、これは国際法上、攻撃国側から抗議あるいは報復的の措置に出られてもいたし方のない問題でありまして・・・』

 しかし、安倍首相は集団的自衛権を行使した『後』のことについてまったく言及していません。彼はその『後』に起こる戦争について覚悟しているのでしょうか。日本が攻撃すれば、それこそ『子どもたち』が乗っている米艦もただではすみません。日本本土への報復攻撃も行われるでしょう。相手国の船にも被害が出る。いずれにしても、たくさんの人が死ぬのです。まっさきに攻撃の目標となり得るのは沖縄でしょう。北朝鮮の朝鮮労働党の新聞、『労働新聞』2013年3月31日は、『米帝侵略軍の前哨基地である横須賀、三沢、沖縄、グアム島はもちろん アメリカ本土もわが射程圏にある』として、米軍基地のある横須賀、三沢、沖縄を名指ししていました。」

 水島は、この問題について、次のように押さえます。
「政府は次のように答弁しました。『集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利として現在確立されている。国際法上、一般に、違法な武力攻撃を行っている主体が、適法な集団的自衛権を行使する主体に対し、集団的自衛権を行使されたことを理由として武力を行使することを正当化することはできない。』(2014年6月27日答弁271号 対辻元清美衆議院議員)とされていますが、政府は答弁をはぐらかしています。これは、国際法上『武力を行使することを正当化することはできない』という評価で答えているだけなのであって、それでも現実には国際法を無視、あるいは独自の主張を組み立てて、集団的自衛権を行使された相手方が反撃・報復攻撃をしてくるという問題は別問題です。日本国が攻撃される危険性が高まるのではと問うた質問に対して、『問題ない、安全』とは答えていません。・・・」

 結局、水島は、「『「万一日本が攻めてしまったら』のリアリティ」を持つことが、集団的自衛権を考える上で、大事なのだと、次のように提起します。

「北朝鮮や中国との関係では、『もし万一攻められたらどうする…』ということばかりが語られますが、いま重要なことは『もし万一日本が攻めてしまったら』ということのリアリティでしょう。安全保障の中心は、『攻められない』ようにする条件をどう作るかにあります。安倍首相は集団的自衛権の行使が限定的だといいますが、『日本が北朝鮮を攻めてしまった結果、日本が北朝鮮に攻められてしまう』のが集団的自衛権行使の帰結です。『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』」(新3要件、2限51頁)といっても、北朝鮮がアメリカに武力攻撃をしているのであって、北朝鮮が日本に武力攻撃をしているわけではありません。・・・」

 水島の「不用意に先制攻撃と言ってはならない」「集団的自衛権を行使した結果である報復攻撃」との緊急直言での重要な提起を、私たちは、次のように受け取ることができる。

 今、私たちが集団的自衛権として捉えなくてないらないのは、「安倍首相は集団的自衛権の行使が限定的だといいますが、『日本が北朝鮮を攻めてしまった結果、日本が北朝鮮に攻められてしまう』のが集団的自衛権行使の帰結」と、いうことである。

 以下、水島朝穂「平和憲法のメッセージ」の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-02 12:27 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 今回の報告は、7月11日の沖縄・那覇市の桜坂劇場でのアフタートークの様子。
ゲストは、全県民的人気の稲嶺進名護市長と、初代ネーネーズのメンバーで、ソロになってから世界を舞台に活躍する歌姫、古謝美佐子さんとのこと。会場は、300名の満員。 
この時の様子を、「上映が終わりトークで舞台に上がったとき、闘病中のゲート前のリーダー、ヒロジさんと、武清さん一家という主人公の皆さんから大きな花束を戴いて、私は幸せな気持ちで席についた。そしてまずは市長に感想を聞いた。ところが…。『ハイサイ! ぐすーよう(こんにちは、みなさん)』と言った後、絶句してしまわれた。『苦しくて、息ができなかった』とやっと話した後も、唇を振るわせている姿を間近に見て、私も喉が詰まってしまった。次に、古謝さんに感想を尋ねると、こちらも大きな目に涙を一杯ためて、一言も発することなくおもむろに三線を鳴らし始めた。
 そのときに歌って下さった内容に、会場ではすすり泣く人もいた。すべて破壊され、すべて奪われた、あの時代のこと。映画は1945年を基点に描かれているので、その時代を知る方々は、見終わってもまだ過去に魂を置いてきた感じがしていたのかも知れない。その歌というのは、「懐かしき故郷」である。本土で終戦を迎え、占領された故郷になかなか帰ることができなかった作者が沖縄を思って歌ったものだ。」
 実は、準備されたVTRを観る前に、報告文章を読む度に、いつもぐっときてしまう。

 三上さんはこう綴る。
 「観光客が700万人を突破し、人気俳優や歌手、プロゴルファーも輩出して、沖縄のイメージはかつてなく明るく、太陽のように輝いている。そんな中で『三上さんは〈標的〉とか〈戦場〉とか、どんな暗いイメージを沖縄に植え付けたいの?』と怒られることもある。でも、今沖縄に押しつけられようとしている出撃基地やミサイル部隊を許し、戦争をする国ニッポンの最前線になってしまえば、それから観光産業が壊滅したと嘆いても、もう元に戻ることはないのだ。
 あの沖縄戦から必死に離れようと、復興の道を70年ひた走ってきたはずの沖縄だけれど、民主主義は機能せず、平和的生存権も財産権も回復していない。日本と米国の軍事戦略の拠点としてあらゆる制約を課されたままのこの島は、復帰しても占領状態と変わらないという人も多い。果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」

 「果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」
 この問いを、自らのものにしようとうる沖縄。
 最後には自分の判断で、PWと書かれた服をきせるのも厭わないと広言する輩達。
 どちらかの道を選ばされる時が来ている以上、自分の道を選ぶ意志を自覚しなければならない。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-02 05:39 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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