2015年 07月 11日 ( 3 )

沖縄から-有識者の第三者委員会は沖縄防衛局が出した承認申請そのものに瑕疵(かし)との判断の見通し

沖縄タイムスは2015年月11日、名護市辺野古の新基地建設のための公有水面埋め立て承認手続きを検証している有識者の第三者委員会の報告の見通しについて、「名護市辺野古の新基地建設のための公有水面埋め立て承認手続きを検証している有識者の第三者委員会(大城浩委員長)が、沖縄防衛局が出した承認申請そのものに瑕疵(かし)があったと結論付ける方向で最終調整していることが10日、分かった。承認申請の環境保全対策の実効性を問題視した。今月中に翁長雄志知事に最終報告する。報告を受けて、翁長知事は承認の取り消しまたは撤回を早ければ8月中にも判断する見通し。」と、報じた。
この報告を受けた場合の動きについては、「翁長知事は、記者会見などで委員会の報告書を「最大限、尊重する」と明言してきており、瑕疵の存在を示した報告書を踏まえて、承認の取り消しや撤回の最終判断を示すとみられる。」と、伝えた。

 この場合、第三者委員会の考え方は、「承認までの過程で公有水面埋立法で定めた『事業合理性』『環境保全措置』『他計画との整合性』などの要件を満たしているか」がポイントとなる。」と、沖縄タイムスは報じた。

 辺野古新基地建設は、新たな段階に進むことになる。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-07-11 16:49 | 沖縄から | Comments(0)

原発問題-安全に自信があるなら、なぜ、説明に応じないのか。

東京新聞は2015年7月10日、その社説で「避難計画のあいまいさ、予知不能の火山…。多くの不安や疑問を置き去りにしたままで、九州電力川内原発(鹿児島県)は再稼働へ突き進む。安全に自信があるなら、なぜ、説明に応じないのか。」と、九州電力に疑問を投げかけた。
 この「安全に自信があるなら、なぜ、説明に応じないのか。」とは、次のことであった。

 「今年三月、鹿児島県内の百近い市民団体で組織した実行委員会が、約十万人の署名を携え、福岡市内の九州電力本店に、対話を求めて訪れた。
 住民側が要望したのは、次の三点だった。(1)3・11後に国の指針で避難計画の策定を義務付けられた川内原発三十キロ圏内の九自治体で、住民説明会を開催すること(2)再稼働について、九自治体の正式な議決を求めること(3)住民の要望があれば、三十キロ圏外でも、説明会を開催すること。」

 東京新聞は、この要求を、「不安に答えるに、無理な要求とは思えない。」と判断する。

 しかし、このことに対しての九州電力からの「返答」は、①これらは広報担当の段階でことごとく拒否された、②屋久島や種子島など県内六市町の議会が求める住民説明会の開催にも九電は応じていない、ということでしかなかった。
 むしろ、九州電力の返答は、「3・11後の新規制基準に適合したという原子力規制委員会の判断」に基づく再稼働ということであった。

 東京新聞は、川内原発再稼働について、①「あくまでも規制委の基準に沿って、再稼働を進めていく」と、人ごとのように繰り返すだけの政府が、後ろ盾になっている。ところが当の規制委は「安全を保証するものではない」とこちらも繰り返す。万一の責任は誰が取ってくれるのか、②福祉の現場や専門家などからも、避難計画の不備や周りに多い火山対策の甘さを指摘する声が引きも切らない、③ヨウ素剤配布や避難計画が必要になるものは、そもそも動かすべきではない、④遠くない口永良部島の突然の噴火で、住民の不安は増した、⑤火山対策について、巨大噴火の兆候がもしあれば、原子炉を停止して核燃料を運び出せるというが、川内原発1号機では核燃料の装填(そうてん)作業が完了した。二十四時間体制で三日がかりの作業になった、との多くの疑問を指摘した。
 東京新聞は、こうした疑問が解決できない以上、また、九州電力が十分な説明責任を果たさない中では、「素朴な疑問に十分な答えが出せない限り、再稼働は許されない。」と、結論づける。

 どう考えても、こうした結論が出てくることが、当たり前の帰結ではないか。

 以下、東京新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-07-11 13:43 | 書くことから-原発 | Comments(0)

本からのもの-「ヘイトスピーチ」

著書名;「ヘイトスピーチ」
著作者;エリック・ブライシュ
出版社;明石書


 著者は、「序文と謝辞」の中で、この本の基本的なことについて問題提起を行う。

 「自由民主主義諸国は、自国の市民のためにできるだけ多くの自由を確保しようと苦闘してきた。同時にこれらの国々は、自らの歴史を絶えず蝕んできたレイシズム(人種差別主義)と闘うことにも全力を尽くしてきた。この両方の目標を達成することは常に可能だったわけではない。なぜなら時に人々は。まさに自由民主主義が掲げている事由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである。最も大切に育まれてきた二つの価値が衝突してしまうとき、社会には何ができるのだろうか。」

このことについて、著者は、「個人や社会はレイシストに対してどれだけの自由を認めるべきなのかという、規範的議論に踏み込んでいる」ものであり、「私が本書で探求の対象としたのは、個人が社会が自由とレイシズムの間のトレードオフをいかにして調停するかという問題である。」と、説明する。
 また、「この議論の中心にあるのは、自由民主主義にとっての基本的なジレンマである。自由を守ることとレイシズムの悪影響を押さえ込むこと、この二つの重要な価値のバランスをとるには、どうすればよいのか。」ということでもあるとする。
 そして、「どの程度の自由をレイシストに与えるべきなのか」の章で、この二つの重要な価値のバランスの問題について、こう結論づけている。

 「公的、私的含めて、あらゆる性質のレイシズムを根絶することはできないだろう。実際、そうしようとする社会に住みたがる者などいようか。しかし、最も劣悪な種類のものについては、個人や集団、社会に対するレイシズムの危害を制限する方向でなら、それを特定し、集中的に抑制し、処罰することは実行可能だろう。確かにそうすることには、自由に対する対価を伴う。しかし、もし危害の程度が著しく甚大であるのであれば、その対価は支払う価値のあるものである。」

 特に、この著書の中で興味深いのは「ホロコーストの否定」である。
「ホロコーストにまつわるレイシズム」の章で、「ホロコーストの否定」を、①ホロコーストを露骨に是認したり、賛美したり、正当化したりする、②ホロコーストを過小化ないし極小化する、③露骨にホロコーストを否定する、という三類型に分類する。
 また、「ホロコースト否定」の近年の法規制成立についての背景について、「直接のホロコースト目撃者が個人的に否定論者に反論できなくなる時代が視界に入るにつれ、この問題に対する人々の危機感も拡大していった。」と、する。
 「ホロコーストの否定」にとっては、「二つの重要な価値のバランス」が重要にになる。
 著者は、このことについて、「レイシストでいる自由と折衝してきた自由民主主義の奮闘歴史から、我々は四つの中心的な結論を導くことができる。」として、①第二次世界大戦以降はレイシズムを処罰する傾向があり、自由民主主義の中核にある自由は制限されてきた、②この傾向は、多くの人が恐れるような「すべり坂」の影響をとるものでなく、よりゆっくりした歩みであった、③アメリカは人種差別表現と結社の自由を拡張することによって、他の国々での支配的な傾向と根本的に食い違う動きをしてきた、④アメリカは行動の動機として使われる場合には、人種差別的な意見の自由を縮小する最前線にも立ってきた、とまとめる。
 そして、「どの程度の自由をレイシストに与えるべきなのか」について、次のように指摘する。

「自由とレイシズムの関係は、ヘイトスピーチや人種差別団体を規制することは、必ずしもレイシズムを抑止することにはならない。むしろ、地下に潜って広がってしまう恐れすらある。人種差別を法的に禁止することは、レイシズムの自由を制限することになる。しかしそれは、人種差別が禁止されていないときには、職の安全を確保することも他者との交わりの中で自律的に振る舞うこともできなかったマイノリティの自由を、確保することにもつながるだろう。しかし、その他の多くの点においては、自由を保護することとレイシズムを抑制することの間にあるトレードオフは、より直接的なものである。そのような状況では、両方の価値を最大限に保つことは不可能である。人種差別集団を禁止すれば、一国内における結社の自由を制限することになる。逆に、もしそうした集団が存在を公に示すことを許すのならば、そうでなければ引き込まれることはない人まで、信奉者として勧誘してしまうことになりかねない。主要な目標を調和させようとする限り、自由を支持しレイシズムと闘うことを同時に達成することが不可能になるようなときは、必ずやってくる。直感的にか、あるいは注意深く考え抜いた結果か、多くの市民は基本的な諸価値を天秤にかけることによって、こうした道徳的なジレンマに対処している。」
 
 本書は、「ヘイトスピーチ(差別言論)」や「ヘイトクライム(差別犯罪)」、あるいは「レイシズム(人種差別主義)」について、詳細な分析をするとともに、それに対しての「法規制」の必要性について解説する。
 現在の日本の状況での、ヘイト・スピーチ等の法規制の必要性について考える時、大きな示唆となるものである。


 本書のもう一つの大きな特徴は、最後に、「訳者解説」が、日本の状況の分析も含めて詳細に行われているということである。
 私も、気がついた時点で、この「訳者解説」を読んだ後で本文に進むことになった。  確かに、「訳者解説」を読めば、ここで私が触れることもないぐらいである。
 以下は、この「訳者解説」からの抜粋である。

日本で、「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」、あるいは「レイシズム」が、一般化したのは、「2013年に入り、彼らと路上で直接対峙する反レイシズム運動(いわゆ『「カウンター』が活発になり、国会の議員会館でこうした問題を扱った集会が行われ、新聞やテレビなどの大手メディアが揃ってこの問題を取りあげるようになって以降のことである。ヘイトスピーチ、ヘイトクライム、あるいはレイシズムといった言葉は、、そうした文脈の中でようやく実感を伴った形で一般的に流通することになったのだ。」と。

本書の特徴を次のように説明する。

「『ヘイトスピーチ』に『差別言論』、『ヘイトクライム』に『差別犯罪』という訳語を当てている。ここでえ『差別』という言葉を用いたのは、この言葉が個人ではなくその人が属する集団に関わる形で、相手を貶めたり不利益を与えたりすることを指す言葉として、長く使われてきたからである。またもう一つ重要なことは、この『差別』という言葉が、こうした問題にかかわる最も基本的な校区再訪記である国連人種差別撤廃条約において、本署で扱われている問題全体を射程に含む包括的な用語となっているということだ。こうした観点からは、本書で扱われている問題(およびそれに対する法的対応)は、すでに述べた『ヘイトスピーチ(差別言論)』『ヘイトクライム(差別犯罪)』に、『差別行為』(入学や就職・昇進、賃貸契約物品の購入、あるいは公共機関の利用など、雇用や商取引における差別)を加えた三の『差別』にかかわるものとして整理する。」
 もう一つ、「レイシズム」という言葉については、「基本的には『人種主義』とか、『人種差別主義』といった訳語が当てられる。実際、著者は、レイシズムを、「皮膚の色、エスニシティ、国籍、あるいは宗教といった特性に基づいた排除や中傷」と定義している。

 こうした定義に基づき、各国の法制度については、「そのまま法制度についての分類にも対応しており、それはそれぞれ①ヘイトスピーチ規制、②ヘイトクライム法、③人種差別禁止法、となる。」と。
 この「訳者解説」は、上記の①②③にかかる込み入った論点について補足的な説明をする。
 第一の論点は、「ヘイトスピーチの定義にある要素のうち、『侮辱・中傷』と『扇動』の間の線引きについて」であり、このことについては、「ヘイトスピーチということを考えるにあたっては、『侮辱・中傷』と『扇動・脅迫』の間の線引きが、極めて重要な論点となる。そしてそれを踏まえた一つの結果が、前者に対する規制には慎重な姿勢を示す一方で、後者については規制を容認しようとするブライシュのような立場ということになる。」。
 第二の論点は、「「ホロコースト否定」」の位置づけについて」であり、それは、「『ホロコースト』という歴史上最もおぞましいジェノサイドだけでなく、人道に対する犯罪や戦争犯罪など、ジェノサイドに準ずるものにも拡張可能だということである。」。
 特に、「差別の否定」という論点について、「言い換えれば、ヘイトスピーチには、そのかなり重要な部分として、それ以前に告発された差別を正当化したり、極小化したり、否定したりする言論が含まれる。こうした点で、『差別の否定』という論点は、本書のの射程を拡げる上でも重要な意味をもつ」とまとめている。

 最後に、都朝鮮第一初級学校(京都市、現・京都朝鮮初級学校)周辺で「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の会員らによるヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)を許してしまったことを、どのように捉えなければならないかが問われている。
「訳者解説」では、「日本という文脈」のなかで、ヘイトスピーチとしての「在日特権」について、次のように指摘する。

「こうした『在日特権』批判が、ホロコースト否定に関連して指摘したような『歴史修正主義』あるいは『差別の否定』でもあるということだ。たとえば『特別永住資格』が『特権』として批判されるとき、そこでは在日コリアンが1952年に一方的に日本国籍から外されたという歴史は忘却されている。また、『通名』が『特権』だと批判されるとき、そこでは植民地時代に在日コリアンに対して『創氏改名』を迫ったという歴史は切り離されている。ここに示されているのは、歴史修正主義を援用することで、『特権』を偽装し、それによって侮辱・扇動を行う、ある意味で非常に巧妙なヘイトスピーチの一事例である。」


by asyagi-df-2014 | 2015-07-11 06:01 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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