2015年 06月 29日 ( 2 )

百田氏、再度の「今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と発言。

沖縄タイムスは2015年6月28日、「作家の百田尚樹氏は28日、大阪府泉大津市で講演し、自民党勉強会での『沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない』との自らの発言に触れ、『その時は冗談口調だったが、今はもう本気でつぶれたらいいと思う』と話した。」と、百田尚樹氏の発言の続報を伝えた。

 このことに関連して、沖縄タイムスは、2015年6月29日、「県議会与党5会派は29日に代表者会議を開き、県内2紙の批判や米軍普天間飛行場の成り立ちについて発言した作家の百田尚樹氏と自民党若手国会議員に対する抗議決議を提案する方針を決定した。」と、沖縄の動きを報じた。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-29 15:02 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

本からのもの-「沖縄の『岐路』」

著書名;「沖縄の『岐路』」
著作者;沖縄タイムス
出版社;沖縄タイムス


沖縄の今を考え、これからの沖縄を展望する時、そこには過去をどのように捉え、整理をするのか、何をくみ取るのかということが、問われることになる。
沖縄の「岐路」は、その意味で、未来書なのである。

 「本土の人に分かってくれという時期ではなくなった。沖縄が変わるしかない。知的な行動か、実力行使か、その両方か、今だからできるような気がする」(オスプレイ強行配備より)という意思表示をするようになった沖縄がある。
 「結成アピールでは辺野古への基地建設強行が『民意と尊厳を踏みにじり、社会正義と民主主義の基本を否定するもの』と日本製を批判する」(建白書と新基地建設より)と、アピールでの訴えを確立させた沖縄がいる。
 「沖縄がこれだけ新しい基地を造らせないと団結したことは、これまでの時代を振り返ってもなかったこと」(深まる溝より)や「多くの人びとが戦争への不安を口にする。現在の閉塞状況が、命と暮らしを守るため、これまでかってなかった辺野古の大衆運動へと広がった」(深まる溝より)という状況を造り出した沖縄の毅然とした姿がある。

もちろん、この「沖縄の『岐路』」は、沖縄の未来を捉えながら、実は、日本のこれからを考えさせている。

 特にこの中では、「沖縄国際海洋博覧会」と「金武湾CTS阻止闘争」の章を考えてみる。

 沖縄国際海洋博覧会は、「沖縄の日本『復帰』から3年たった1975年、植樹祭(72年)、若夏国体(73年)とともに復帰記念事業」であった。
 その意味を、「全国的には、『オイルショック』による世界的な混乱の波が押し寄せ、戦後最大の不況、県内では、米軍雇用員の大量解雇が吹き荒れる中、『起爆剤』としての期待」を背負わされたもの」と、分析する。
 ただし、実際は、「問題は、デメリットをいかにメリットに切り替えうるかにかかっていた。だが、現実は“切り替え”が実を結ばず、デメットのレールを突っ走った感じ」ということでしかなかったと捉えるしかないもであった。
 結局、沖縄にもたらされたものは、「海洋博を見込んで本土企業による土地の買い占めが起こったが、投機的なものであり、日常の生産活動や雇用を生み出すものではなかった」し、「道路や水族館などのインフラは整備されたが『具体的なビジネスは育たず、成長のエンジンにはなり得なかった』」と見る。
 そして、沖縄国際海洋博覧会を次のようにまとめる。
「大きな工事は本土のゼネコンが受注し、県内企業はその下請、孫請けという構造は、沖縄の経済的自立を阻害する要因とも見られているが、その構造は海洋博に端を発し、深く根を張っているとも言える。富川教授は、『辺野古で新基地が着工すると、海洋博のような建設ラッシュになり、特需になるのは間違いない。しかし、一過性のもので決して沖縄の自立経済を支えるものではない』と指摘する。
 海洋博を利用して経済的自立への道を歩むには、復帰間もない沖縄の力は脆弱だった。そしてその力を鍛える構造や自然は、失ったままになっている。
 海洋博が残した課題は、これからの沖縄の『望ましい未来』を描くときの大きなカギになると言えるだろう。」

 金武湾CTS阻止闘争は、「73年9月に、地域住民により、『金武湾を守る会』が結成され、CTS建設に反対する大衆的な反対運動 」であった。
 当時は、「国家の成長戦略の一環として資源エネルギ-の長期備蓄の必要性が議論された時期と重なり、計画には原子力発電施設の整備も検討されていた」という背景があった。 この運動の結果、「建設反対を訴えた2度の提訴や関係機関への訴えの末、当初計画で1千万坪とされた金武湾の埋め立て面積は、約64万坪に留まり、沖縄には原発も建設されていない。」という状況を作り出した。
 結局、この闘争は、「金武湾闘争は単に建設反対ではなく地域自治の運動でもあった。同時期は復帰を境に各島で開発や土地の買い占めが起こり、Uターンで戻った青年たちを中心に各地がつながって、社会運動が起こった」(安里英子)と、評価されるものであった。
 さらに、この闘争は、「県内で辺野古以外にもさまざまな課題が存在する今日、あらためて金武湾闘争を学び直す意義がある」ものであると評価する。

 この二つの章には、「過去をどのように捉え、整理をするのか、何をくみ取るのかということ」から、「沖縄の今を考え、これからの沖縄を展望する」ことが書き込まれている。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-29 05:55 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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