2015年 06月 24日 ( 1 )

沖縄から-「慰霊の日」を感じ取るために(2)

 2015年6月23日、「慰霊の日」を、沖縄タイムスは、「戦後70年を迎えた『慰霊の日』の23日、沖縄県内は20万人超の戦没者を追悼する鎮魂の祈りに包まれた。糸満市摩文仁の平和祈念公園内の『平和の礎(いしじ)』や、糸満市米須の『魂魄(こんぱく)の塔』には、早朝から多くの戦争体験者や遺族が訪れた。激しい戦場の記憶や亡き家族の思い出を呼び覚まして目を潤ます高齢者ら。子や孫らは花束を供え、手を合わせた。』、また、「沖縄戦では住民、日米軍人ら20万人超が亡くなった。『平和の礎』は今年新たに87人(県内33人、県外54人)が加わり、刻銘総数は24万1336人となった。」と、報じた。
 さらに、「不戦を誓った戦後70年の日本の歩みを覆すように国会では安全保障関連法案が審議され、戦争につながると危機感を抱く県民は少なくない。平和国家が岐路に立たされる政治状況の中、住民を巻き込んだ地上戦である沖縄戦の実相を風化させずに継承したいとする体験者の思いは切実だ。
 一方で、今なお県内には米軍専用施設の73・8%が集中し、過重な基地負担は県民生活や振興開発に影響を及ぼしている。
 米軍普天間飛行場の移設問題では、知事選など昨年の選挙で相次いで示された民意を無視する形で、政府は名護市辺野古移設を強行する姿勢を崩していない。翁長雄志知事は就任後初の平和宣言で、移設作業の中止を決断するよう政府に求めた。」と、伝えた。

 翁長雄志沖縄県知事は、その平和宣言の中で、「政府においては、固定観念に縛られず、普天間飛行場を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。」と、辺野古新基地建設の見直しを求めた。
 また、「戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの『万国津梁』の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。」と、宣言した。

 さらに、「追悼式では、翁長雄志知事が就任後初の平和宣言をしたほか、県議会の喜納昌春議長は式辞で『二度と戦争を起こさないために悲惨な沖縄戦の実相を子々孫々に語り継ぐ』と不戦を宣言。県民に寄り添い県民の自己決定権を尊重する決意を語った。
 県遺族連合会の照屋苗子会長は『忌まわしい地獄のような戦争体験が昨日のように脳裏に浮かび胸が張り裂ける』と遺族や体験者の気持ちを代弁し、み霊に哀悼の意をささげた。米軍普天間飛行場問題にも言及し『早急なる県外移設を熱望すると同時に戦争につながる基地建設には遺族として断固反対する』と語った。
 与勝高校3年の知念捷(まさる)君が『平和の詩』に選ばれた『みるく世がやゆら」を朗読した。
 戦争体験者の高齢化が進む中、県は戦後70年となることしの追悼式を、沖縄戦の歴史的教訓を正しく伝え、次世代に平和の尊さを継承する場と位置付けた。」と、伝えた。

 2015年6月23日の「慰霊の日」は、翁長雄志沖縄県知事の平和宣言も含めて、この「慰霊の日」を、「戦後70年となることしの追悼式を、沖縄戦の歴史的教訓を正しく伝え、次世代に平和の尊さを継承する場と位置づけた。」ことが、際立っている。
 
 後は、日本人として、このことにどのように答えていくかである。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-24 16:27 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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