2015年 06月 23日 ( 2 )

沖縄から-「慰霊の日」を感じ取るために

2015年6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。
 手もとに、沖縄タイムスの「慰霊の日」特集号が届いた。
 8ページの特集である。

 最初に、静かに深く語りかけるのは、伊江島のニィヤティヤガマの「千人ガマ」の写真である。
そこに、浮かび上がるのは、日本語と英文の次の文字である。

                 鉄の暴風 忘れまい
                  We Wont’Forget
                      "tyhoon of Streels”
戦後 70年
戦禍の涙 今も
70Years After WWⅡ
        Tears Over Ravages of War Never Dry

 沖縄タイムスは、「慰霊の日」をこのように綴る。

 沖縄は、23日、戦後70年の「慰霊の日」を迎える。20万人余りの命が奪われ、「ありったけの地獄を集めた」と表現された沖縄戦。苛烈な戦火を乗り越えてきた70年の歩みには、心を奮い立たせ、怒りを分かち合う言葉、悲しみを癒し、勇気づける歌があった。 今なお、不発弾が地中に埋まり、数多くの遺骨が人知れず眠る。沖縄の「戦後」は終わっていない。住民の土地を強制収用して造られた米軍基地の問題は、重い課題として横たわり続けている。沖縄の来し方と行く末に、鎮魂の祈りとともに思いをはせる。

 沖縄の戦後は終わっていない。

 この日に、このことの思いを感じ取る必要がある。
せめて、「戦世からぬ」の「名言・優言」を魂に刻もう。

命どう宝
艦砲ぬ喰ぇ-残さ-
ヒヤミカチ ウキリ
沖縄を返せ
ひるまさ変わたる くぬ沖縄


by asyagi-df-2014 | 2015-06-23 18:14 | 沖縄から | Comments(0)

砂川事件最高裁大法廷判決を考える。

 「週刊金曜日6/19/20151044号」(以下、「金曜日」とする。)と、「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aを参考に、砂川事件最高裁大法廷判決を考える。

 安倍晋三政権は、この間、砂川事件の最高裁大法廷判決(1959年)を理論の支柱として錦の旗のごとくふりかざしてきた。
 もうすでに、どこに真実があるのかは、決着がついているはずなのだが、安倍晋三政権は、立ち止まって熟考をしようとはいない。
 改めてこのことを押さえてみる。
 「金曜日」は、安倍晋三政権の側の考え方のポイントを次のように指摘する。
(1)集団的自衛権行使を容認する47年見解にある「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」という論理は、砂川判決(昭和34年12月16日)の「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」という論理と同一の「基本的な論理」である。
(2)自国防衛を目的とする「限定的な集団的自衛権行使」は、これらの「自衛の(ための)措置」は、これらの「自衛の(ための)措置」と適合する。つまり、47年見解だけでなく、砂川判決も「限定的な集団的自衛権行使」を容認している。
(3)最高裁判決が容認しているのだから7.1閣議決定と安保法制は、違憲ではない。

  次に、「金曜日」は、この安倍晋三政権の論理については、①47年見解と砂川判決の「基本的な論理のズレ、②そもそも砂川判決から集団的自衛権行使を読み取ることは論理として不可能、という二点を立証すれば論破できるとしている。
 具体的に、上記の①はについては、政権側が「47年見解の読み替え」により「限定的な集団自衛権行使」を解禁した法理としているのは、砂川判決の「基本的な論理」の一部であり、政権側の勝手な解釈に過ぎないこと。
 ②については、砂川判決は、旧安保条約に基づく刑事特別法の合憲性が争われた事案であり集団的自衛権は争点にすらなっていないこと。
 特に、②については、第一に、判決文の論理的読み方から無理がある、第二に、ハンケチ以前にも歴代政府は一貫して集団的自衛権行使を違憲としてきた、第三に、判決間もない昭和35年4月28日の国会答弁から2015年月1日までも、「集団的自衛権行使は違憲」としてきた、と指摘する。

 最終的に、「金曜日」は、「安倍首相と高村副総裁は、『高度の政治性を有するものについてては、一件極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う』という砂川判決の統治行為論の法理を引用し、解釈変更は最高裁から委ねられた裁量の範囲内という主張を行っています。しかし、47年見解の読み替えの暴挙が『一見極めて明白に違憲』であることは明々白々であり、最高裁が解釈改憲を合憲とすることは、司法権が法の支配と日本語を崩壊させる暴挙を侵すことになる」と、主張する。

 「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aでも、次のように指摘している。

 「砂川大法廷判決は、集団的自衛権行使を容認しているのでしょうか?」という質問に対しては、「とんでもありません。砂川大法廷判決で問題とされたのは、『在日米軍』が憲法第9条2項によって保持を禁じられた『戦力』に該当するかどうかということで、集団的自衛権など全く問題にされていませんでした。」。

 砂川判決そのものについては、「①まず、わが国の防衛は『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する』ことによって行うというものです。これは具体的には国際連合のことです。
砂川事件一審の東京地裁伊達判決は、国際連合の軍隊は憲法の禁じる『戦力』に該当しないが、米軍は該当するとして、日米安保条約は憲法違反としました。ところが最高裁大法廷判決は、国連軍だけと狭く考えるのでなく、米軍も認めていいのではないかとし、
①『憲法9条の趣旨に則して同条2項の法意を考えて見るに、同条項において戦力の不保持をも規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解する』として、米軍は日本政府の指揮下にないから、そのような虞(おそれ)はないとして在日米軍は憲法が保持を禁じる『戦力』には該当しないと結論付けたのです。」。

 砂川判決は、「日本の自衛隊が合憲か違憲かについての判断」についても、「判決は、日本が個別的自衛権を有するのは当然としていますが、そのために軍隊を持つことができるかどうかについては『同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として』と述べ、判断を回避しています。このように砂川大法廷判決は、自衛隊の合憲・違憲すら判断していないのですから、集団的自衛権行使容認か否かなど全く論じていないのです。当時の15人の裁判官たちには、合憲か違憲かすら判断されていない自衛隊が、日本の防衛でなく、海外に出て行って米軍と一体となって活動することが起こりうるなどとは全く想定できないことであったでしょう。」。

 このように、この間の論理には、決着がついている。

 以下、「戦争をさせない1000人委員会」の砂川事件最高裁大法廷判決Q&Aの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-23 06:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

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