2015年 06月 18日 ( 2 )

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第24回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 個人的理由で、ようやく今、三上さんの沖縄撮影日記を振り返っています。
 この第24回の報告にあらためて、大きく頷いています。
沖縄から見えるもの、いや見らされているものが、余りにももわかっていない本土に向けて、「どこから怒っていいのかわからないよ」と言わざるを得ないと。
「繰り返すが、集団的自衛権を行使するなら、この国を戦場にする覚悟が必要だ。そんな話には全く聞こえてこない安保法制の議論に、それこそどこから怒っていいのかわからない。」ということなんだよと。
 それは、1996年に「異論」を突きつけられたはずであったのにとも聞こえてくる。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-18 10:22 | 沖縄から | Comments(0)

学問の自由とは。

 朝日新聞は、2015年6月17日、「下村博文・文部科学相は16日、全86の国立大学長らに、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように要請した。東京都内であった国立大学長会議で、『取り扱いについて、適切にご判断いただけるようお願いする』と述べた。」と、報じた。

 このことに関しては、、「学問の自由を考える会」が、次の視点を明確にするなかで、反対していた。

(1)大学が国家権力から距離を置き、独立を保つことは、学問が進展・開花する必要条件である。
(2)政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。

 また、文部科学省の要請の撤回を求める理由についても、その根拠を次のように明確にしている。

①そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。
②そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。
③文部科学省は今回のはたらきかけは要請にすぎないと説明しているが、国立大学法人が運営費交付金に依存する以上、「要請」が圧力となることは明白である。
④伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。
⑤教育基本法第七条が『大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない』とするゆえんである。

 こうした動きは、安倍晋三政権による現在の立憲主義を否定した安保関連法案成立への強行施策と非常に密接に結びついた策動である。
 大事なのは、一人ひとりの「否」の姿勢と、それをいかに組織していくかということになる。

 以下、学問の自由を考える会の声明及び朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-18 09:01 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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