2015年 06月 13日 ( 1 )

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第25回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
  今回の報告は、「政府と、政府と歩調を合わせ『強きを助け弱きをくじく』一部メディアの方だろう。私たちの知事が県民の負託を受けて踏ん張ってきた行動を“思い余って場違いな所に乗り込んだ南の島の酋長”風に揶揄し、事柄を矮小化しようという思惑のほうが、数段認識がずれているのではないか。」という指摘。

 次のことを私たちは忘れてはいけない。

「憲法と同時にこの地方自治法を獲得した日本国民には、地方自治法の崇高な理念がピンと来ていないかもしれない。沖縄ではアメリカ軍統治下の人権もない中で憲法の適用もされず、自分たちの小さな政府を持つことは許されなかった。県知事にあたる主席を県民が選ぶこともできなかった。沖縄にはそんな苦難の日々があるからこそ、自分たちの生活を守ってくれるリーダーを自分たちで選べること、大きな何かに嫌なものを押し付けられることを地域全体で我慢する必要がないこと、それを保障する地方自治法の理念は理想であり、渇望し、そして1972年にようやく沖縄県民が手にした権利であった。
 であるから、市町村長、都道府県知事は、地域の住民を不利益から守り、大きな政府の暴走を止める先頭に立つのが当たり前なのである。まさに今、翁長知事がやっていることだ。大きな政府がいま、戦争に向かって大きくコマを進めて、また国益を掲げて戦うために、沖縄県には犠牲と忍耐を強要しようとしている。それも、安保上の米国との約束だと逃げて聞く耳も持たぬのであれば、約束した相手のところに行って話をするしかないではないか。繰り返すが、都道府県は政府の下部組織ではない。政府を飛び越えたとか、僭越だとかいう批判はお門違いだ。地方自治法の理念にのっとって堂々と県民を守るために交渉に出ていく知事を拍手で送り出す沖縄県民のほうが数倍健全なのである。」

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-13 05:37 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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