2014年 11月 01日 ( 1 )

私信-人間ドックの合間に、素敵な本を見つけました。

恐らく最後の人間ドックでの訪問となる福岡市での経験です。

 その病院には、1階に患者と職員用の小さな図書コーナーが設けられていました。
 何分にも検査の間と間にかなりの時間がありましたので、持ち込みの本を一冊読み上げた後で、このコーナーに立ち寄ってみました。
 図書コーナーは、寄付された本で運営されているようで、どの本もかなり年期のはいった物でした。また、その背表紙の表題にも特段の傾向はありませんでした。
 時間つぶしの意味もありましたので、ゆっくり背表紙の文字を眺めていると、海鳥社の「キジバトの記」という本の名前が目につきました。
 上野春子さんの本でした。
 本は、福岡県の某図書館の廃棄図書で、本としてはかなりくたびれていました。
 何故目を引いたのかというと、あの上野英信の伴侶であった人の著作だと気づいたからでした。記録作家の雄としての上野英信については、「追われるゆく坑夫たち」といくつかの著作を読んだくらいでしかありませんでした。
 実は、松下竜一が生前上野春子さんを取材していたことから、松下竜一の著作ができあがることを楽しみにしていました。どちらかというと、上野春子というよりは松下竜一への関心から上野春子という名前を覚えていました。結局、この本は完成の時を迎えませんでした。

 還暦を迎えてから仕事と読書のために初めて購入した眼鏡を忘れてしまい、苦労しながら、「キジバトの記」の文字を追いました。
 この時は、短い文章の数編を読んだのですが、非常に驚いてしまいました。その明晰で痛烈な文章は、上野英信を自分自身と対称化し表現していました。上野春子の文章は、切り口鋭く読む物の魂を心底から揺さぶるものでした。
 これが、鬼神上野英信に書くことを止められていた人の文章なのかと。
 特に、次の記述は、この本のすごみを顕しています。
 「夫が亡くなって五年の間に、仕事が少なくなった私の手は、いつのまにかなおっていたのである。植物と同じようにこれも自然の営みのひとつであろう。このようにして、もし精神の回復をも期待できるものならば、残り少ない私の前途にも淡い希望が生まれてくる。」

 この場は、時間に制限がありましたので、図書コーナーを何となく中途半端な感じで退出しました。
午後四時過ぎには、自由時間となりましたので、かねてから準備していた用事を済ませ、ホテルへの帰りの道すがら、博多駅前の紀伊國屋書店で、これまたゆっくりと本を見て回りました。最近は、ネットでの購入を主としていましたので、こうした時間は少し刺激的でもありました。この本屋では、郷土出身の本のコーナーが設けられており、小さな出版社の本が面白く並べられていました。確かに最近、本屋で買う本はこうしたコーナーの本になっていました。

 「あっと」。
 ありました。新装版の「キジバトの記」です。後先考えずに購入してしまいました。
この本を読み終えて言えることは、確かに、上野春子は才能ある人でありました。

 最後に、海鳥社のこの本の帯には、「旧炭住を『筑豊文庫』として移り住み、筑豊に日本変革の夢をかけた記録作家上野英信と妻・春子の30年の日々。」と、記載されています。
 これを読んだ時から、ずっと引っかかっていたのは、上野英信の表記が先にあり、妻・春子となっていることでした。もしかしてこの本が意味を持つためには、上野英信が最重要な比重を占めるとしても、それでもこの本は、上野春子の作品であるはずではないかと。 私たちは、上野英信ではなく、上野春子の文章に感動しているのだからと。少なくとも、私自身はこの本に、上野春子の生きざまを読み取ることができたのだから。
 この本読みながら、才能小さき物の表現の道について考えている自分がいました。


by asyagi-df-2014 | 2014-11-01 05:50 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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