2014年 10月 09日 ( 2 )

沖縄から-辺野古阻止「人間の鎖」 県庁を包囲

沖縄では、「シュワブ内で建物解体工事が始まった7月1日以降、実行委は8月23日と9月20日にも辺野古で県民集会を開催。今回はその第3弾という位置付け」の県庁包囲の集会が行われた。
 「 正午現在、少なくとも参加者千人」が参加と、琉球新報は報じた。

 以下、琉球新報の引用。


琉球新報-辺野古阻止「人間の鎖」 県庁を包囲-2014年10月9日

 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う、名護市辺野古の新基地建設に反対の意思を示そうと、県内の市民団体などは9日正午、人間の鎖で県庁周辺を囲む「止めよう新基地建設!10・9県庁包囲県民大行動」を行った。正午現在、少なくとも参加者千人が集まり、海をイメージした青色を基調とした、「辺野古新基地 NO(ノー)」「屈しない!」と記された紙を掲げた。沖縄防衛局が提出した埋め立て工法の変更申請について、県が不承認にすることも求めた。
 シュワブ内で建物解体工事が始まった7月1日以降、実行委は8月23日と9月20日にも辺野古で県民集会を開催。今回はその第3弾という位置付け。知事の承認取り消し、新基地反対などを訴えた県庁包囲行動は今年2月にも実施された。
 包囲行動には名護市や宜野湾市から駆け付けたり、昼食時間などに訪れたりした参加者が「埋め立て承認の取り消しを」「工法変更申請を認めるな」と声を上げた。
 実行委は「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」、沖縄平和運動センター、県選出・出身野党国会議員でつくる「うりずんの会」と県議会野党4会派、県統一連、平和市民連絡会、ヘリ基地反対協議会で構成する。


by asyagi-df-2014 | 2014-10-09 22:16 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-新崎盛暉が説く構造的沖縄差別

著書名;新崎盛暉が説く構造的沖縄差別
著作者;新崎盛暉
出版社;高文研


 新崎盛暉の説く沖縄現代史は、これまでも、沖縄の問題だけにとどまらず、当然であるが日本のあり方まで鋭く問うてきた。
 「構造的沖縄差別」という表現が、今を写す沖縄問題の本質であるとするなら、正しく現況を言い当てていると言える。
 それは、「いまや『(構造的)差別』という言葉を使うことなくして、基地が集中する沖縄の現実を説明するのは難しい」ということになる。
 だから、「『構造的沖縄差別』に即していえば、日本、米国、沖縄、基地など様々な要素が織りなす構造において、沖縄への基地押しつけを中心とする差別的仕組みは、日米安保体制維持のための不可欠の要素とされてきた。そしてそれは、時の経過とともに、『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』という思考停止を生んだ。」という現状認識を伴う。
 結局、ヤマトの側の「この数十年にわたる思考停止状態の中での『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』こそ、構造的沖縄差別に他ならない」と、断じる。

 この本は、「Ⅰ 戦後の日米関係と沖縄」、「Ⅱ 東西冷戦終演後の沖縄の位置と民衆の闘い」、「Ⅲ 中国の大国化・日米同盟の空洞化・東日本大震災」、「Ⅳ 構造的沖縄差別克服の可能性をどこに見出すか」の四つの章に分けられている。
 ここでは、Ⅰ章を中心に、新崎盛暉の説く沖縄の現代史を「戦後の日米関係と沖縄」として考えてみる。

 新崎は、日本の戦後の出発を、「象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の(分離)軍事支配は、占領政策の上で、三位一体の関係になったのである。構造的沖縄差別の上に立つ対米従属的日米関係は、ここから始まる。一九四七年の、『沖縄を二五年ないし五〇年、米軍統治に委ねることに異存はない』といういわゆる天皇メッセージや、講和後も米軍の駐留を希望するという天皇のGHQへの積極的働きかけなどは、天皇がこの仕組みの中で自らに与えられた役割を果たしたものと言えるだろう。」と規定し、このことにより、「日本の非武装化は、日本国憲法にも明記され、それは平和憲法と呼ばれるようになったと説明する。 
 つまり、日本国憲法は、「沖縄を除外することによって成立した」ものであり、このことこそが、構造的沖縄差別を端的に顕していると。
 また、米国の「日本非武装化」という考え方は東西冷戦が顕在化すると、米国は「敵対者として覇権を争った日本を『目下の同盟者』として保護育成利用する方針」に転換し、「米国内市場を開放して経済的復興を支援するとともに、日本の再軍備を促すことになった。」と指摘する。

 新崎は、一九七二年の沖縄返還についても、日本政府にとって「沖縄返還は、あくまで『戦争によって失われた領土の回復』であって、『異民族軍政下からの同胞の解放』ではなかった」と説明し、その結果、「日本政府は、沖縄返還によって在沖米軍基地の維持責任を引き受けると同時に、在日米軍基地機能をさらに沖縄に集約化した。沖縄返還を前に挟む数年間で本土の米軍基地は、約三分の一に減少した。一方、沖縄の基地はほとんど減らなかった。その結果、日本の国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍基地の約七五%が集中するという状況が生じた」ことになったのであるとする。
このことは、「復帰後四十年経っても、在沖米軍基地は、十数%しか減らず、その一部は自衛隊基地に転用された。自衛隊が沖縄防衛の盾の部分を担い、米軍が矛の分を担うという役割分担の構図の完成である。現在の在日米軍専用基地の比率でいえば、その約七四%は沖縄に集中している」という状況を生み出してきた。
また、「ヤマトにも、三沢、横田、横須賀、岩国、佐世保などの米軍基地は存在しているにもかかわらず、基地問題は局地化し、全国的には、安保は米軍基地と共存することである、ということが実感できなくなっていった」と、ヤマトの側の構造的差別者としての有り様を映し出してみせる。

 ヤマトにとって、「基地問題は、沖縄の問題となった」と。

 構造的沖縄差別としての、辺野古米軍新基地建設が、安部晋三政権によっ強硬な手段の基に、新たなかたちで持ち込まれている。
 だからこそ、今、構造的沖縄差別を断ち切るために、新崎の言う「この数十年にわたる思考停止状態の中での『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』こそ、構造的沖縄差別に他ならない」という状況を打ち破る必要がある。


by asyagi-df-2014 | 2014-10-09 05:30 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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