2014年 09月 18日 ( 1 )

水島朝補の「沖縄の現場から(その1~3」を読む

水島朝補のホームページ(平和憲法のメーセージ)の直言「沖縄の現場から」を読む。

 「沖縄の現場から」から大きなイメージとして迫っててくるのは、水島の二つの体験からのレポートであった。
 一つは、「冒頭の写真をご覧いただきたい。これは米海兵隊キャンプ・シュワブの砂浜を全速で疾走する水陸両用装甲兵員輸送車(AAV7)である。Mk.19 自動擲弾銃を搭載している。数百メートルを疾走し、私たちの目の前で急旋回し、もとの位置まで走って、また同じコースでこちらに向かってくる。海兵隊の日常的な走行訓練だが、奥に見えるオレンジ色の線は、8月14日に突然設置された、新基地建設のための施工区域を示すブイ(浮標)である。その設置経過と反対運動の状況は次回以降の「直言」で詳しく報告するが、たまたま海上でカヌーを使った抗議行動をする人々を撮影しようとして海側から基地内をのぞいていたとき、この訓練が始まったものである。海保と市民の対峙などまったく意に介さず、日常的な訓練を行う米兵たち。この風景は沖縄のいまを象徴しているように思う。」というそれこそ沖縄の迫り来る現実の体験である。
 もう一つは、小林武に関わる体験であった。それは「愛知大学教授で定年を迎えられると、2011年4月から沖縄大学特任教授となって宜野湾市に居を移された。その間、わざわざ普天間飛行場に近づくため、3回も引っ越しをしたという。生活の便利さ、静けさなどの環境のよさを求める一般人の感覚とはかなり異なり、ことさらに基地の近くに住もうとする。『危険への接近』の法理よろしく、自らを米軍基地の騒音と墜落の危険にさらして、『平和的生存権』の論文を書く。まるで修行僧の境地ではないか、と思った。改めて小林さんの覚悟を知った。」と、人としての生き方そのものが訴える体験であった。
 この二つの体験は、沖縄の地に自らの意思で立った者に、与えられるもののような気がしてならない。

 この中で水島は、「『抑止力』というのがやっかいなマジックワードになっている」と日本の状況を指摘する。特に、その1で紹介しているフリージャーナリストの屋良朝博の「抑止がユクシ(沖縄方言で『嘘』の意)であるのは明らかだ。・・・そういうことの本質を隠しているのが『抑止力』や『(沖縄の)地理的優位性』というマジックワードである」という言葉が、いろんな問題を解き明かしている。
 水島も、「沖縄問題の本質をごまかす時に使う『5つの言葉』に注意を喚起した。この『抑止力』に加えて、『日米同盟』、『負担軽減』、『経済効果』、そして『専管事項』である。このうち、基地の「経済効果」論も「抑止力」と同様、すでに破綻している」と、説明する。

また、安部晋三政権について、「だが、安倍政権は8月14日、辺野古の美しい海でボーリング調査を始めた。なぜ、この日なのか。お盆の時期、沖縄ではとりわけ家族・親族が集まって先祖を思うこの日に、地元出身者が圧倒的に多い沖縄防衛局職員、第11管区海上保安本部職員、沖縄県警の警察官からも、家族との大切な時間を奪った。その張本人こそ、安倍首相にほかならない。本人が『早くやれ』と机をたたいたとか、たたかなかったとか言われているが、いずれにしても政権中枢が非常に急がせたことだけは確かだろう。こうして、お盆休みの14日に強権的な行為が始まったのである。」と、沖縄のこころにこそ気づくべきではないかと、国のあり方を提起する。
 さらに、「日米地位協定2条4項 (a)に基づき、地元自治体や住民の意向を無視して制限区域は拡大され、米軍が望む場所に、日本国民の税金を使って、新基地が建設される。完成すれば、米軍に排他的管理権が付与され、基地の自由使用が認められる。半世紀以上続く、日米安保条約6条に基づく『全土基地方式』の理不尽、不条理がここに集中的に表現されている。この国は、国家主権の深部が侵害されていることに、そろそろ気づくべきであろう。」と、その本質を鋭く言い当てる。
 あわせて、現在の辺野古新基地建設の異常な状況については、海上保安庁の過剰警備と警察(公権力)は控えに回り民間警備会社が前面に出てきていることが際だった特徴となっていることを警告する。
 辺野古の新基地建設そのものについて水島は、「そもそも辺野古移設があり得ないことは、17年前に決着が着いていることを改めて確認したいと思う。」と、押さえる。
つまり、現在の状況こそが、民主主義の理念からするとおかしい状況なのであり、安部晋三政権の間違いの上に乗った政策には、正当性がない。

 最後に、小林武に関わって、「安倍政権が、今後、国民の人権を侵害し、文字通り『国民の命とくらし』に強権的に踏み込んできたとき、それに対する抵抗として、平和的生存権の主張を裁判所で展開し、それを側面から支える法的主張をさらに磨いて、違憲判決を勝ち取っていく必要性と可能性が生まれているように思う。そして、辺野古において理不尽な強攻策に打って出た安倍政権に対して沖縄が抵抗していく際、司法的救済の可能性が今後いろいろと工夫されていくことになるだろう。地方自治に対する中央政府の介入や強権的な政策と向き合うには、『切り札としての地方自治』にあたる憲法95条(地方自治特別法の住民投票)の再稼働も必要だろう。小林さんが『平和的生存権の弁証』(日本評論社、2006年)で展開した沖縄の訴訟をめぐる議論の重要性が増している。」と、まとめる。

 この「沖縄の現場から」を読んで、「平和的生存権」について、改めてきちっと理解をする必要があることを学んだ。


by asyagi-df-2014 | 2014-09-18 05:41 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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