2014年 06月 23日 ( 1 )

「慰霊の日」から沖縄を考える

 沖縄は2014年6月23日、戦後69年目の「慰霊の日」を迎えました。
 最初に、この日を、個人として、改めて平和の意味についてかみしめたいと思っています。

 沖縄タイムスは、この日の様子を、「平和へ祈りの波、戦後69年、重ねる哀悼」として次のように報じています。
 以下、沖縄タイムス引用。


 戦後69年の「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園で執り行われた。20万人超の戦没者の名を刻んだ公園内の「平和の礎」や同市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」、各慰霊塔には早朝から多くの遺族らが訪れ、戦没者に追悼の祈りをささげ、恒久平和を誓った。

 平和の礎には、子どもからお年寄りまで幅広い年代の遺族が訪れた。刻まれた名前の前に花束を供え、涙を流して手を合わせる人の姿があった。

 追悼式では安倍晋三首相が、昨年に続いて来賓あいさつ。岸田文雄外相と小野寺五典防衛相も昨年に続き参列。キャロライン・ケネディ駐日米大使も出席した。仲井真弘多知事は平和宣言を読み上げた。正午の時報に合わせ戦没者に黙とうがささげられた。

 戦後69年たった今も、県内には日本の米軍専用施設の約74%が集中し、基地から派生する騒音や事件・事故が後を絶たない。米軍普天間飛行場へのオスプレイ強行配備など、今なお過重な基地負担に住民生活が脅かされている。日米両政府は県民の多くの意思に反して、普天間飛行場の辺野古移設を推進。海底ボーリング調査を7月にも着手する。

 沖縄戦では、住民、日米軍人などを含め20万人超が亡くなった。「平和の礎」には今年新たに54人が追加刻銘され、計24万1281人となった。

 最近、仲井間知事の平和宣言の内容についての動向が話題になっていました。
 次に、2014年、2013年、2012年の平和宣言を掲載します。
 注目された「県外移設」の表現は、少なくとも文字は残されています。誰に対してということが、これまでは日米政府に対してでしたが、抜けてはいます。


(1)仲井真沖縄県知事の「平和宣言」-2014年6月23日

 69年目のこの日を、厳粛な気持ちで迎えることになりました。戦後このかた、私たち県民は、この日に込められた平和への強い思いを胸に刻みつつ、歩いてきました。

 幾多の困難を乗り越え、郷土沖縄の発展にまい進することができたのは、あの戦争で失ったものの大きさを痛感し、その思いを原点に据えることができたからであります。

 しかし、私たちは、立ち止まるわけにはいきません。沖縄をめぐる課題はなお山積しており、その解決に向かって、県民の総力を掲げ、着実に前進しなければなりません。

 特に、沖縄の基地負担を大幅に削減し、県民の生活や財産を脅かすような事態を、早急に、確実に改善しなければなりません。普天間飛行場の機能を削減し、県外への移設をはじめとするあらゆる方策を講じて、喫緊の課題を解決するために、全力を注がなければなりません。そのために、私は普天間飛行場の5年以内の運用停止を求めているのです。

 慰霊の日に当たり、全戦没者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、恒久平和の実現を目指して、県民の強い思いと英知を結集し、まい進していくことを宣言します。

               平成26年6月23日  沖縄県知事 仲井真弘多

(2)知事平和宣言(2013年6月23日)


 私たちは、68年前の戦争で多くの尊い命とかけがえのない文化遺産や美しい自然を失い、生涯癒やすことのできない深い痛みを負いました。

 戦後、米軍の施政権下にあって、人権と自治の回復を渇望し、自らの運命を開拓する自覚と魂のもとに行動を続け、本土復帰を実現しました。

 私たちは、たゆまぬ努力と幾多の困難を乗り越えて、郷土に誇りを持ち、発展の歩みを続けています。

 しかし、沖縄は、今もなお、米軍基地の過重な負担を強いられています。

 日米両政府に対して、一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして、日米地位協定の抜本的な見直しなどを強く求めます。

 私たちは、沖縄戦の教訓を継承するとともに、わが国が築いてきた平和主義の堅持を強く望むものであります。

 慰霊の日に当たり、全戦没者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、恒久平和の実現を目指して、県民の強い思いと英知を結集してまい進していくことを宣言します。

                  平成25年6月23日 沖縄県知事 仲井眞弘多

(3)知事平和宣言(2012年6月23日}


 わたしたちは、先の大戦において、多くの尊い命や、かけがえのない文化遺産を失ったことを、片時も忘れたことはありません。

 その後の時代を生きるわたしたちは、沖縄戦とその痛ましい犠牲を教訓として肝に銘じ、平和を求め、県民が豊かに暮らすことのできる沖縄づくりに、真剣に取り組んできたのです。

 しかしながら、沖縄には今なお広大な米軍基地が集中しており、県民の負担は続いています。

 わたしたちは日米両政府に対し、過重な基地負担の軽減と、一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして、日米地位協定の抜本的な見直しを強く求めます。

 昨年3月に発生した東日本大震災により、被災者の皆さまは、今もなお、多くの課題に直面されております。沖縄は今年、日本への復帰40年の大きな節目を迎えました。

 この間、県民のたゆまぬ努力と、多くの方々のご尽力により、わたしたちの沖縄県は、目覚ましい発展を遂げ、自らの郷土に対して、誇りと自信を持つことができるようになりました。

 わたしたちは、沖縄の未来のビジョンを描き、新生沖縄の創造に向け、県民一丸となって取り組んでまいります。沖縄戦終焉(しゅうえん)の地である、ここ糸満市摩文仁の「平和の礎」には、戦争で亡くなられた24万人余の使命が刻まれています。

 慰霊の日に当たり、わたしたちを見守って下さるすべての戦没者の御霊に謹んで哀悼の誠をささげますとともに、悲惨な戦争の教訓を次の世代へ正しく伝え、恒久平和の実現を目指して、全力でまい進していくことを宣言します。
平成24年6月23日 沖縄県知事 仲井真弘多


 この「慰霊の日」に何を感じ取ることができるのか。
 やはり、沖縄タイムスの社説「『慰霊の日』に平和の先導役果たそう」を引用する。

 沖縄戦から69年。巡りくる鎮魂の季節の中で、かけがえのない人を失った悲しみの記憶がよみがえる。

 「慰霊の日」の23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で県主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれるほか、各地で慰霊祭が行われる。

 沖縄戦は勝ち目のない戦(いくさ)だった。日本軍(第32軍)は1945年5月末、首里城地下の司令部壕を放棄し、南部に撤退した。本土決戦に備えた時間稼ぎのためである。その判断が一般住民の犠牲を大きくした。

 軍隊と避難民が混在する南部での戦闘は酸鼻を極めた。足手まといになるとの理由で重症患者は壕の中で処理、あるいは放置され、日本兵による壕追い出しや食料強奪、住民殺害、学徒隊の自決などが相次いだ。

 県援護課の資料によると、沖縄戦の全戦没者は約20万人。このうち一般住民の戦没者は約9万4千人。これは人口統計などから推計したもので、実際にはもっと多いとみられている。

 戦争が終わっても、敗戦という現実は、沖縄に新たな戦争への加担を強いることになった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争。米軍が投入された戦後の大規模な戦争で沖縄の米軍がかかわらなかった戦争はない。

 「沖縄に戦後はあったのだろうか」。そう思わざるを得ない現実が今もなお、私たちを取り巻いている。

 沖縄戦を体験した高齢者の4割が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えている可能性が高いという調査結果が2013年に公表された。PTSDの可能性の高い人と沖縄戦を思い出す頻度の間には高い関係性があり、思い出すきっかけは「基地や軍用機を見たり、騒音を聞いたりしたとき」などだった。

 1959年6月30日、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落し、児童ら17人(後に後遺症で1人死亡)が犠牲になった。

 事故を語り継ぐ活動を行っているNPO法人「石川・宮森630会」の会長・豊濱光輝さん(78)は、当時巡回教師だった。学校は戦場のような修羅場と化し、子どもたちは「戦争がきた」と叫び逃げまどっていた。豊濱さんは言う。「宮森の事故は沖縄戦の延長線上にある。沖縄戦の後、米軍基地が存在し続けた。基地がある限り、沖縄戦は終わっていない」

 私たちは今、「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない」(中井久夫『樹を見つめて』)という曲がり角の時代を生きている。復帰後、今ほど戦争が現実味を帯びて語られるようになったことはない。

 安倍政権の一連の外交・安全保障政策は、憲法9条の「無力化」によって「戦争のできる国」をつくろうとしている、ようにしか見えない。その影響を最も強く受けるのは沖縄である。

 安倍政権の下で沖縄の基地再編が進み、仲井真弘多知事の埋め立て承認に基づいて名護市辺野古に巨大な米軍飛行場が建設されようとしている。辺野古埋め立てを承認した仲井真知事は、ことし一体どのような内容の平和宣言を発するのだろうか。

 戦後一貫して沖縄に過大な基地負担を強いてきた日米両政府は、一刻も早く理不尽な政策を転換すべきである。

 地域の緊張を高める「軍事要塞(ようさい)化」の道ではなく、「平和の懸け橋」としての役割を積極的に担っていくことが今、切実に県民に求められている。

 だから、「ちゃーすが」。
 「『平和の懸け橋』としての役割を積極的に担っていくことが今、切実に県民に求められている。」と、言われたら、どうして行くか。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-23 22:00 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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