2014年 06月 16日 ( 2 )

安部晋三総理大臣


安部晋三総理大臣

 安部晋三総理大臣を考える上で、東京新聞の2014年6月16日も「首相『業代ゼロ』に重ねて意欲、将来的に年収要件下げも」という記事が、安部晋三を象徴的に示している。


以下、東京新聞引用。
安倍晋三首相は16日の衆院決算行政監視委員会で、残業代支払いなどの労働時間規制の適用を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入に重ねて意欲を示すとともに、対象者の年収要件を、検討中の「少なくとも1千万円以上」から将来的に引き下げる可能性に含みを残した。

 民主党の山井和則氏が「残業代ゼロだ」と批判したのに対し、首相は「日本人の創造性を解き放って付加価値を高めるには、残業代の概念がないような時間で働く人々が成果を挙げることが大切だ」と導入の狙いを説明した。年収要件については「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準は分からない」と述べた。

 この「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準はわからない」という発言こそが、安倍本人の有り様を示している。

 例えば、ここで、大飯委原発の差し止め判決と比べてみる。


「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。」


 この二つの差は歴然としている。判決の言う「人格権」などについての基本手的概念ががあるかないかということに尽きる。
 安部晋三総理大臣には、根本的にこうした基本的概念が欠けている。
立憲主義が何かを知らない。
 働く権利が何かを知らない。
 貧困からの解放が人類の長い懸案であることを知らない。
 基本的人権が何かを知らない。
 
 だからこそ、「集団的自衛権」、「残業代ゼロ」、「原発の再稼働」等々でなのである。
「3.11」を受けた政策の結論が「成長戦略」であるとしたら、あまりにも救いがない。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-16 21:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

あしゃぎから、「持続可能な社会」とは


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        (決して便利そうには見えない土地での田植え後の様子)



あしゃぎから、「持続可能な社会」とは

 この段々の田植えを終えている田を見て、重い思いに落ちる。一方では、意外にも感嘆の声に近いものまで挙げている自分自身がいる。
 決してまともであるとは言えない、日本の農業政策のなかで、この努力された田んぼの様子は、何を物語っているのか。限界集落に今にもなってしまいそうな九州の片田舎の山間の地区。こうして稲作をすることが、それほど生活の足しにはならないだろう、いやむしろ大変なことの方が多いことが思いやられる。
 では、なぜ。人はどうしてこうしてがんばれるのか。
 第三者的発言として、「農業は、環境保全だけでなく、景観保全という意味でも大きな意味を持つ」と言ってみても、説明にはなっていない。
 わかっていることは、現在のTPP問題を始め、日本の農業政策等の方向性は、こうした現状を破壊してしまうということである。
 現政権が行おうとしている「成長戦略」は、実は、あるべき「規制緩和」という重しをはずし、一握りの収奪者だけに利潤を集中させる構造変換政策に過ぎない。
 だとすると、すでに「持続可能な社会」とは言えない日本の中で、地方の人々や地域に、これからもたらされるものは、「成長戦略」のなかでの、疲弊、荒廃でしかないのではないか


by asyagi-df-2014 | 2014-06-16 06:00 | あしゃぎ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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