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県民投票への不参加の決定は、住民の自己決定権を奪うもの。民主主義の火を消してはいけない。

 私たちの『県民投票』についてのイメ-ジは、間違った方向に向かう流れを何とか変えようとする少数者の必死の取り組みとしてありました。
また、そこには、最近のスラップ訴訟と同様に、権力のあるものからの妨害が常にあるものでもありました。
しかし、地方自治の本旨を実現することが地方自治体の本来の任務であるにもかかわらず、沖縄県内の自治体で見られる現在の様子は、地方自治体そのものが住民の自己決定権をないがしろにしているように見えています。

 このことについて、沖縄タイムスと琉球新報は2018年12月27日、「[県民投票不参加]住民の権利は奪えない」「県民投票不参加 政治的思惑排して判断を」、と社説で論評しました。
 この両社の社説から、沖縄の県民投票を考えます。


1.沖縄の県民投票をめぐる状況

(「タイムス」)
(1)米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市の松川正則市長は、来年2月24日に予定されている県民投票への不参加を表明した。議会の判断に従って首長が不参加を表明したのは、下地敏彦・宮古島市長に続き2人目となる。投票事務に必要な補正予算案を26日までに可決したのは、34市町村。賛成少数で否決したのは宜野湾、宮古島両市を含め7市町。ここにきて県民投票の実施に暗雲が漂い始めているのは確かだ。

(「新報」)
(1)米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票について、宜野湾市の松川正則市長が投票事務を行わない意向を明らかにした。市議会が関連予算を否決したことなどを理由に挙げている。不参加を表明した首長は下地敏彦宮古島市長に続いて2人目だ。


2.沖縄県の県民投票の目的の確認

(「タイムス」)
(1)否定派の中には「県民の意思は多様で、複雑だ。賛成と反対の2択に集約することはできない」という声が多い。「県民投票条例には普天間飛行場問題の原点である危険性除去の明記がない」との指摘もある。分かってほしいのは、県民投票は、意識調査や世論調査とはそもそも性格が異なる、という点だ。
(2)辺野古・大浦湾を埋め立て普天間飛行場の代替施設を建設することは、将来世代をも拘束する極めて重大な政策である。同時に、普天間飛行場の危険性除去も先延ばしが許されない急を要する課題である。この二つの側面について議論を深め、異なる意見にも耳を傾け、さまざまな情報を冷静に吟味し、討議や学習を重ね、主体的な判断で1票を投じる-そうやって県民の意思を確認するのが、県民投票の目的である。

(「新報」)
(1)投票したくてもできない人が出てくると公平性が損なわれる。有権者は、自らの投票権を放棄することまで首長や議員に判断を委ねてはいないはずだ。
(2)新基地建設は沖縄の将来を左右する重大案件である。埋め立ての賛否を問う意義は、いくら強調してもしすぎることはない。一方で、県民投票が一部地域を除く形で実施されれば、その意義が薄れるのも事実だ。県は全市町村で漏れなく実施できるようあらゆる手だてを講じるべきだ。


3.沖縄県の県民投票の自治体の不参加の場合の問題点

(「タイムス」)
(1)首長が県民投票への不参加を決めた場合、憲法や地方自治法に照らして重大な疑問が生じる。
(2)県民投票条例は、地方自治法に基づく住民の直接請求を受け、県が条例案を県議会に提出し、県議会の賛成多数で成立した。県民投票に必要な経費は県が負担、市町村は関連予算を「義務的な経費」として市町村に計上し、市町村が実際の投票事務を担う。議会が否決した予算案を長が再議に付すのは、議会の議決に異議がある場合だ。再議が県民向けの単なるポーズであってはならない。
(3)選挙権と、さまざまな参政権は、民主主義や地方自治を維持するのに欠かせない最も基本的な権利である。現職の議会議員は、県民投票を争点にした選挙で当選したわけではない。議員の反対でその地域の全有権者の投票権が行使できないという事態は、地方自治の基礎を土台から破壊するのに等しい。

(「新報」)
(1)民主主義の手続きによって選ばれた首長が、何故に民主主義の根幹である投票権を奪うのか。住民の口封じを図るのは、民主主義の自殺行為にほかならない。ぜひとも再考してほしい。
(2)首長と議会は車の両輪であり、一方が誤った判断をした場合、他方が正すというのが望ましい在り方だ。やみくもに議会に同調する姿勢は住民本位とは言えない。
(3)松川市長は、条例案などに普天間飛行場の危険性の除去についての対処法が盛り込まれていないとして「投票結果によっては同飛行場の固定化につながる懸念が極めて強い」とも述べた。果たしてそうだろうか。市街地の真ん中にある普天間飛行場が危険であることは日米両政府の共通認識だ。2003年に同飛行場を視察した当時のラムズフェルド米国防長官が強い懸念を示したほどである。固定化させることは、協議の前提条件を土台から崩壊させる愚挙であり、断じてあってはならない。
(4)むしろ、「辺野古移設か、普天間固定化か」という乱暴な二者択一を受け入れることが、結果的に危険性の放置につながる。新基地建設の進捗(しんちょく)次第で普天間の返還が際限なく先送りされることを認めるに等しいからだ。


4.主張

(「タイムス」)
(1)賛成反対だけでなく、白票も棄権も意思表示の一種である。そのような意思表示さえ不可能な「県民投票実施せず」の事態は避けるべきである。
(2)県民投票に法的な拘束力はない。どのような結果になっても辺野古埋め立ての方針は変わらない、と政府はけん制する。「基地はもともと沖縄にあったんだから、本土が嫌と言っている以上、沖縄が引き受けるべきだ。その代償としてカネをもらえばいい」。本土側に目立つそのような発想をどう考えるか。県民投票はそうした問題を真剣に考え、望ましい沖縄の将来像を考える機会でもある。

(「新報」)
(1)投票したくてもできない人が出てくると公平性が損なわれる。有権者は、自らの投票権を放棄することまで首長や議員に判断を委ねてはいないはずだ。
(2)戦後、米統治下にあった沖縄では1968年に現在の知事に当たる主席の公選が実施されるまで、全住民の代表を直接選ぶことさえ認められなかった。主席公選は自治権拡大闘争の最大の成果だ。当時、沖縄以上に民主主義のありがたさを知っている地域はなかっただろう。50年たって一部の首長、議会が住民の投票権を奪おうとしている。先人はどう見るか。事は民主主義の根本に関わる問題だ。政治的な思惑を排し、手続きを進めてほしい。


 どう考えても、首長、議会が住民の投票権を奪うことは間違っています。
確かに、県民投票には、「県民投票はそうした問題を真剣に考え、望ましい沖縄の将来像を考える機会でもある。」(「新報」)、との意義づけがあります。
 まさに、沖縄県の県民投票にきちっと向き合うことこそ、地方自治の本旨の実現であると言えます。
 だとしたら、今回の件に関しては、「民主主義の根本に関わる問題だ。政治的な思惑を排し、手続きを進めてほしい。」(琉球新報)、ということに尽きます。
 せめて、「県民投票に法的な拘束力はない。どのような結果になっても辺野古埋め立ての方針は変わらない、と政府はけん制する。」(「タイムス」)、と薄ら笑いを浮かべる者たちに真実の刃を突きつけるべきではないか。



Commented by namsan01 at 2019-01-05 11:26
意外と驚く方も多いかも知れませんが、宜野湾市民は辺野古への移設は反対なのです。
恐らく日本史上初の『住民が望むから造って上げた基地』は建設を止める事が出来ないでしょう。
その時になって、名護辺野古住民は反対したならば、一体どこの住民が基地移設を要望したのかとの生贄に宜野湾市民を仕立てるため、不都合な結果の出そうな住民投票から外すという政治的操作なのかも知れません。
by asyagi-df-2014 | 2019-01-04 07:15 | 書くことから-憲法 | Comments(1)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人