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各紙社説から2018年を。③-朝日新聞・毎日新聞-

 2018年が始まりました。
 昨年度、度々参考にさせてもらった十社の新聞社の1月1日付け社説は、次のようになっています。


(1)沖縄タイムス社説-[2018 新年に]戦争起こさない努力を
(2)琉球新報社説-新年を迎えて 自己決定権が試される
(3)信濃毎日新聞社説-暮らしの中で 人と在ることの大切さ
(4)高知新聞社説-【岐路の年】世界 分断の深まりを超えて
(5)西日本新聞社説-「ポスト平成」へ 平和こそ次世代への遺産
(6)北海道新聞社説-激動を越えて 分断から寛容への転換を
(7)京都新聞社説-新しい年に  世界とヒトの秩序が揺れる
(8)朝日新聞社説-来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を
(9)毎日新聞社説-論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない
(10)東京新聞社説-年のはじめに考える 明治150年と民主主義


 これを並べてみただけで、2018年の日本が進まなければならない方向が見えてきます。
今回は、朝日新聞及び毎日新聞から、2018年を考えます。
 この二紙に共通するのは、現政権をどのように捉えるのかということと2018年が明治維新から150年を迎える時間軸についてです。ただ、各紙とも緊迫感ということで言えば、欠ける気がします。どうしてなのでしょうか。
 どこからも、政権への批判はあったとしても、政権否定の声はきこえてこない。
 それぞれの社説をまとめると次のようになります。


Ⅰ.状況分析

(朝日新聞)
(1)現在の安倍政権になって6回目の新年を迎えた。近年まれな長期政権である。しかし、与えられた豊富な時間を大切に使い、政策を着実に積み上げてきただろうか。正味5年の在任で、例えば、社会保障と税という痛みを伴う難題に正面から取り組んだとはいえまい。持論の憲法改正も、狙いを定める条項が次々変わり、迷走してきた感が深い。原因の一つは、国政選挙を実に頻繁に行ったことにある。
(2)政権を奪還した2012年12月の衆院選まで含めて数えると合計5回。ほぼ年に1回の勘定だ。3年に一度の参院選が2回あり、14年と昨年はいずれも強引な衆院解散に打って出た。選挙に向け、政策の看板も次から次へと掛け替えてきた。誠に慌ただしい。長期政権にもかかわらず、なのか、長期政権を狙ったがゆえに、なのか。皮肉なことに、安倍政権がよって立つ「時間軸」は、極めて短いのである。それは日本政治の多年の弊ともいえるが、度が過ぎれば民主主義の健全さが失われる。
(3)短期志向になりがちな政治の一つの側面を表現するのが、「シルバー民主主義」という言葉だろう。日本では有権者に占める高齢者の割合が高く、しかも、若い世代に比べて投票率が高い。その大きな影響力を、政治の側は気にせざるをえない。結果として、社会保障が高齢者優遇に傾けば、世代間の格差は広がる。長期的には財政を圧迫し、将来世代に禍根を残す。
(4)ところが、興味深いデータがある。亀田達也・東京大教授(実験社会科学)と同大大学院生の齋藤美松(よしまつ)さんが昨年夏、東京都文京区の有権者2千人を対象にアンケートをした。日本の財政赤字や地球温暖化といった「持続可能性」に関わる問題への関心は、高齢層の方が高かった。生まれていない「将来世代の代弁者」の役割を積極的に担う意欲についても、同じ傾向だった。
(5)老人は子どもや大学生に比べ、近視眼的な判断をしにくいという先行研究にも触れつつ、亀田教授は「今の世代と将来世代との間の公平を実現する上で、高齢者の果たしうる役割はありそうだ」と話す。だとすれば、政治がシルバー民主主義化するとしても、それはお年寄りのわがままというより、政治の側がいい顔をした結果にすぎない可能性がある。
(6)目先の利益にかまける政治、時間軸の短い政治の弊害だろうか。


(毎日新聞)
(1)北朝鮮の核・ミサイル危機は越年し、トランプ米政権の振りかざす大国エゴも収まりそうにない。国家が人間の集合体以上の特別な意思を持って摩擦を生み続けている。
(2)日本にとって今年は1868年の明治維新から150年にあたる。その歩みにも、日本の国家意思と国際社会との衝突が刻まれている。
(3)あるべき国家像とは。自らを顧みて問いかけが必要な節目である。明治を特徴づけるのは、身分制を廃して国民国家を目指したことだ。ただ、人びとが自動的に「国民」になったわけではない。明治政府は国民の「まとまり」を必要とした。井上ひさしがテレビドラマ用に書いた戯曲「國語元年」は、国民誕生の物語でもある。舞台は明治7年ごろの東京。文部省に勤める長州出身の主人公はこんなセリフを吐く。「この日(ひ)の本(もと)の国に、全国統一話し言葉がノーては、軍隊が、ヘーカラ(それから)御国がひとつにまとまらんチューわけでアリマスヨ」。
(4)明治憲法を起草した伊藤博文は、「国家の機軸」を天皇に求めた。欧州のキリスト教に相応するのは「皇室のみ」と考えたからだ。こうして憲法の施行直前に発せられた教育勅語は天皇を精神的支配者にした。
(5)三谷太一郎・東京大名誉教授は「一般国民に圧倒的な影響力があったのは憲法ではなく教育勅語だ」と指摘する。昭和期の軍部はそこにつけ込み、日本を破滅に導いた。国民国家は、言葉や習俗を共有する人びとで国家を形作る考え方だ。ファシズムを招かないよう、戦後の日本やドイツは民主主義の国民国家として再スタートを切った。民主主義は、一定の区域内の住人が「自分たちのことは自分たちで決める」ことを目的とする。その意味で民主的な国民国家は、今でも有効な統治モデルだろう。
(6)ところが、このところ私たちが世界各地で目にするのは、国民国家の揺らぎやほころびである。筆頭は米国だ。トランプ大統領が打ち出す移民制限や白人重視策は、建国以来の理念を根底から揺さぶっている。「米国ファースト」に名を借りた多国間合意の軽視も、国論を分裂させたまま進められている。現代の国家は、国家主権、民主主義、グローバル化のうち、どれか一つを犠牲にせざるを得ないと言われる。相互に矛盾が生じるためだ。国際政治のトリレンマという。だが、グローバル化に背を向けて国家主権に固執するトランプ政権下の米国は、自国の民主主義をも傷つけているように見える。
(7)欧州に目を向けると、スペイン・カタルーニャの独立宣言が国家論に一石を投じた。英国はスコットランドの、ベルギーはフランデレンの独立問題をそれぞれ抱える。そこから浮き出るのは、近代化の過程で国民国家の枠内に押し込まれていた民族や地域の違和感だ。
(8)日本も例外ではない。沖縄は明治初期の琉球処分で日本に統合された歴史を持つ。今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮は、本土との一体感をむしばむ。


Ⅱ.主張


(朝日新聞)
(1)それは日本政治の多年の弊ともいえるが、度が過ぎれば民主主義の健全さが失われる。学界、経済界、労働界の有志の集まり「日本アカデメイア」などは昨年12月、「先進民主政はどこへ向かうのか?」と題するシンポジウムを催した。ポピュリズムの広がりや既成政党の退潮といった欧米各国の現状が論じられる中、日本について指摘されたのは、やはり場当たり的な政権運営のあり方だった。
(2)「政権維持が自己目的化し、長期的見通しや政権担当期間を通じてのプログラムがない」(飯尾潤・政策研究大学院大学教授)。その結果、何が起こるか。シンポでは、財政再建や地球温暖化対策といった政策課題を解決する難しさが挙げられた。長い時間軸の中で取り組まなければならないテーマである。今さえよければという姿勢では、まだ生まれていない将来世代に大きなツケが回る。
(3)民意の「変化」を敏感に追う政治家に対し、政策の「継続」と一貫性にこだわる官僚。そんな役割分担は、官邸主導が進む中であやふやになった。民主主義の時間軸を長くする方策を新たに考えなければならない。様々なアイデアが既に出ている。
(4)財政再建でいえば、独立した第三者機関を置き、党派性のない客観的な専門家に財政規律を厳しくチェックさせる、といった提案がある。若い人の声をもっと国会に届けるため、世代別の代表を送り込める選挙制度を取り入れてみては、という意見もある。国政選挙が年中行事化しないよう、内閣の解散権を制限すべしという主張は、最近の憲法論議の中で高まりつつある。
(5)「来たるべき世代に対する」国の責任を明記するのは、ドイツの憲法に当たる基本法だ。1994年の改正で、環境保護を国家の目標として掲げた。こうした条項を日本国憲法は持たないが、将来への関心を欠いているわけではない。前文には「われらとわれらの子孫のために……自由のもたらす恵沢を確保し」とある。11条は「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とうたう。
(6)先を見据えよ。憲法は、そう語っているように思われる。


(毎日新聞)
(1)世界の民族数は2000から3000に及ぶという。国家の数は200弱だから、国民=単一民族ということはあり得ない。1民族1国家を目指すのも現実的ではなかろう。経済のグローバル化に伴う所得格差の拡大や、欧州での移民の流入などが、国民国家の枠組みにマイナスの影響を与えているのは確かだ。
(2)しかし、ここで私たちが再認識すべきなのは、民主主義の持つ統合機能ではないだろうか。人間の考え方は一様ではない。階層や生い立ち、地域、年代、性差によって意見は異なる。そして違いがあるからこそ、民主主義が必要とされる。互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある。トランプ流で民主主義の参加者に過剰な同質性を求めていけば、国の土台は揺らぐ一方だろう。
(3)今年は平成の幕切れに向けたカウントダウンも本格化する。「国民統合の象徴」であり続ける道を天皇陛下が熟慮された結果として、来年4月末の退位が決まった。
(4)初めから同質の国家はない。だから政府も国民も努力が要る。違いがあっても共同体のメンバーとして手をつなぐことの大切さを、昨今の国際情勢が教えている。


 どうやら、2018は、1868年の明治維新から150年にあたるということで、このことが政治利用されるということらしい。
 確かに、日本会議の主唱する復古主義は、この期間、特に1930年代を重要視する。
この意味で、注視しなければならない。
 それにしても、朝日新聞よ。
「先を見据えよ。憲法は、そう語っているように『思われる。』」、とはあまりにも情けない表現ではないか。




by asyagi-df-2014 | 2018-01-06 06:49 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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