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各紙社説から2018年を。②-高知新聞・西日本新聞-

 2018年が始まりました。
 昨年度、度々参考にさせてもらった十社の新聞社の1月1日付け社説は、次のようになっています。


(1)沖縄タイムス社説-[2018 新年に]戦争起こさない努力を
(2)琉球新報社説-新年を迎えて 自己決定権が試される
(3)信濃毎日新聞社説-暮らしの中で 人と在ることの大切さ
(4)高知新聞社説-【岐路の年】世界 分断の深まりを超えて
(5)西日本新聞社説-「ポスト平成」へ 平和こそ次世代への遺産
(6)北海道新聞社説-激動を越えて 分断から寛容への転換を
(7)京都新聞社説-新しい年に  世界とヒトの秩序が揺れる
(8)朝日新聞社説-来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を
(9)毎日新聞社説-論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない
(10)東京新聞社説-年のはじめに考える 明治150年と民主主義


 これを並べてみただけで、2018年の日本が進まなければならない方向が見えてくるではしょうか。
今回は、高知新聞と西日本新聞から、2018年を考えます。
 この両紙に共通するのは、日本という国が困難な時代を迎えているという認識です。それは、「分断」という表現だったり「時代の変わり目」という表現に如実に表れています。
 ただ、これだけに留まらず、「市民レベルの国際組織が国家の分断を包囲し、人道主義へと導く時代といえる。下からつくり上げられた力は、しなやかで強い。これはそれぞれの国の分断解消」、「政治を監視するメディアは熟議・公論の輪を広げる役割を担わなければならない-。その使命も改めて、ここにつづります。」(西日本新聞)、といった決意が、心に刻むといった表現でつづられています。
 それぞれの社説をまとめると次のようになります。


Ⅰ.高知新聞

ⅰ.状況分析

(1)昨年の国際政治・経済の世界は、数年前から続くテロや内戦などによる排外主義や保護主義の流れを受けて、それらが一層進んだ年とみていいだろう。
(2)米国ではトランプ大統領が就任し、難航している政策はあるものの選挙公約通りの「米国第一主義」を推し進めている。欧州でもフランスやドイツなどの国政選挙で、辛うじて欧州統合の崩壊を食い止めたが、反・欧州連合(EU)を掲げる極右政党の台頭を許した。
(3)「私にとって大切なのは、物語が感情を伝えるということであり、国境や分断を超えて人間が共有するものに訴えかけるということだ」。昨年、ノーベル文学賞を受賞した日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロさんは、12月に行った講演でそう聴衆に語りかけた。
(4)国境とか分断の意識というものが、人間の共存を妨げる危機感をにじませた。分断の意識は人の心に憎しみを生み、争いへと向かわせる。数年前から引きずる分断の世界をどう克服するかが、ことしも課題になるだろう。
(5)年明け早々、昨年から持ち越した北朝鮮情勢から目の離せない1年になった。米中が危険な軍事の競争をエスカレートさせるのか。それとも分断から融和へと向かい、多国間の協調が図られるのか。
(6)ことしは米国の中間選挙の年でもある。国内外にかつてない分断を抱えるトランプ政権の2年間に、米議会はどんな審判を下すのだろう。


ⅱ.主張、分断政策へ向けて

(1)分断とは何か。富める者と貧しい者、エリートと非エリート、右翼的思想と左翼的思想、あるいは人種差別なども含まれよう。東西冷戦の終結以来、分断の世界は一定程度、解消され、融和と平和へと向かうかにみえた。だが、21世紀初頭の米中枢同時テロ以降の度重なる戦争や、世界規模の経済危機などで、さまざまな格差が広がっている。
(2)私たちは分断が危険なまでに深まるのか、ここで踏みとどまるのかという時代の岐路に立っている。試練を乗り越えたい。
(3)それには特効薬はなく、やはり互いの存在を認め合う寛容の精神に立ち、多様性のある社会や国々を取り返すしかあるまい。しかも国家というレベルではなく、市民社会という「下からの再構築」が求められているのではないか。国家という視点に立てば、どうしても自国の利害を優先し、対立の構図に陥りやすい。だが核兵器禁止条約の採択をけん引し、昨年ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は非政府組織(NGO)だ。
(4)いわば市民レベルの国際組織が国家の分断を包囲し、人道主義へと導く時代といえる。下からつくり上げられた力は、しなやかで強い。これはそれぞれの国の分断解消にもヒントになろう。


Ⅱ.西日本新聞


ⅰ.状況分析


(1)国家の礎として平和憲法が定着し、戦争の過ちを一度も犯すことなく推移してきた時代-。それこそが「平成」であり、この崇高な営みを決して途絶えさせてはならない、という視座です。
(2)天皇陛下の退位に伴い、平成は来年4月末で幕を閉じます。その節目を前に、安倍晋三政権下では憲法改正の動きが本格化しています。北朝鮮の脅威を背景に防衛費は膨らみ、十分な議論がないまま自衛隊の装備の見直しなどが進んでいることも気掛かりです。
(3)平成の終わりが、ともすれば平和の終わりになりはしないか。時代は新たな正念場に差し掛かっている、と考えます。
(4)「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ」-。安倍政権は昨年来、こんなキャッチフレーズを掲げ、官民が連携した関連施策の推進を呼び掛けています。今年は明治維新から150年に当たります。立憲政治の導入や産業技術の革新など近代国家建設に貢献した人々の姿を振り返り、関連資料の保存、整理などを進めようという取り組みです。為政者が歴史と向き合うことは重要です。ただし、一時代の精神に特化した姿勢には危うさも覚えます。明治を起点に昭和前期まで日本が富国強兵の道を歩み、国内外に未曽有の惨禍をもたらした事実も忘れてはならないからです。
(5)戦後生まれが1億人を超えた今日、平成が「特別な時代」であることを広く認識してもらうためには、歴史の光と影の両面を真摯(しんし)に語り継ぐ姿勢が求められます。
(6)平成が始まった1989年は、世界史上も大きな分岐点でした。「ベルリンの壁崩壊」による東西冷戦の終結です。以来、国際社会はイデオロギー対立から脱却して協調を模索する時代に入ります。89年当時、バブル経済にあった日本も90年代に一転、成長神話が揺らぎ、国政の軌道修正を迫られます。自民の一党支配は崩れ、政治は従来の保革の枠組みを超えた「連立政治」へと移行します。そんな歴史の歯車が今、後戻りしていないか。国際社会ではグローバリズム(地球主義)とナショナリズム(国家主義)がせめぎ合い、「自国第一」を掲げたトランプ米政権の動きが波紋を広げています。国内では自民の一党支配が再来し、独善的な国政運営が続いている印象が否めません。


ⅱ.九州という状況

(1)九州に目を転じると、平成はどんな時代なのか。年々深刻化する少子高齢化や人口の減少、災害の多発など、さまざまな苦難が続いています。熊本地震や福岡・大分両県に及んだ豪雨の被災地は今なお復興の途上にあります。それでも、先人たちが「九州は一つ」と唱えた理念は脈々と受け継がれ、この地域が輝きを増してきたことも事実です。
(2)官民挙げた誘致運動によって平成以降、高速道路網が整備され、新幹線のレールも鹿児島まで延びました。七つの県が一体となって地域戦略や観光振興を図る組織体が形成され、アジアとの経済交流も着実に広がっています。
(3)九州への外国人入国者はここ数年で飛躍的に増加し、昨年は中国や韓国の人々を中心に400万人規模に達しました。東アジア交流の最前線は九州であり、東アジアの平和と安定は九州の活力源でもあります。それを踏まえ、08年には福岡で日中韓首脳会談が開かれたことも想起されます。
(4)そうした郷土の歩みや役割を次世代に伝え、この地から平和の尊さを発信していく営みも絶やしてはならない、と思います。内政では少子高齢化、外交では北朝鮮や中国の脅威が懸案であることは確かです。安倍首相はこれらを「国難」と強調し、諸施策の「革命」を叫んでいます。


ⅱ.主張

(1)私たちは今、どんな時代を生きているか。次世代への遺産として何を守り抜くべきか。
(2)しかし、改憲も含めて先を急ぐことが果たして「維新」なのか。歴史の教訓に照らせば、そこに落とし穴がありはしないか。時代の変わり目こそ、政治を監視するメディアは熟議・公論の輪を広げる役割を担わなければならない-。その使命も改めて、ここにつづります。


 確かに、「国家の礎として平和憲法が定着し、戦争の過ちを一度も犯すことなく推移してきた時代-。それこそが『平成』であり、この崇高な営みを決して途絶えさせてはならない、という視座です。』、との西日本新聞の視点は、果たして日本は「戦争の過ちを一度も犯すことない国だったのかという疑問が残るとしても、やはり、私たちにとって重要なものです。




by asyagi-df-2014 | 2018-01-05 06:58 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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