「沖縄でよかった。」から「声なんて届かなくていい。」までを痛切に考えます。

 安部晋三首相による5月3日のメッセ-ジをどのように真摯に対峙できたのか。
 実は、このところ、安部晋三が引き起こすことから、煽られるだけでどこか正面から向き合うことをら避けている気がします。安部晋三の顔の画像が流れるだけで嫌なおもいをするからという理屈をつけて。このままではそれだけでは済まされない状況になるとわかっているのにです。
 どうやら、トランプや「北朝鮮」問題についても、同じように処しがちです。

 今回、「沖縄でよかった。」と「声なんて届かなくていい。」の記事に、心を揺すぶられました。
 あらためて、「これから」を考えます。安部晋三政権に真摯に対峙していくために。


Ⅰ.沖縄タイムスは2017年5月4日、【金平茂紀の新・ワジワジー通信(25)】として、「辺野古唯一=『沖縄でよかった』 持続する差別の構造」を掲載しました。
 金平は、次のように今を描き出しています。


(1)よりによって東日本大震災と福島第1原発過酷事故からの復旧・復興を担当する今村雅弘復興大臣兼福島原発事故再生総括担当が、東日本大震災の被害に関して「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」などと発言したことが引き金となって、発言当日の4月25日に大臣辞任の意向を表明した。翌日付で辞表は受理されたが、辞任と言うよりは事実上の更迭だった。政権の反応はすばやかった。これ以上は守りきれないとでも言うかのように。今村大臣の場合、この失言に先立つ「前科」があった。今回の失言の3週間前にも記者会見で、原発事故の自主避難者への住宅無償支援打ち切りをめぐって、記者との間で激しいやりとりがあり「(自主避難者)本人の責任でしょう」「裁判でも何でもやればいいじゃない」「(記者に対して)二度と来ないでください」などと発言し批判を浴びていた。
(2)〈東北で良かった〉はいくら何でもひどい。メディアは今村復興大臣の辞任に至る言動を大々的に報じた。

(3)まさにその4月25日のことだった。午前9時20分、沖縄防衛局が名護市辺野古で、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手した。埋め立て工事は環境を激変させる決定的な動きだ。大量のコンクリートブロックや土砂などが大量に海に投下されれば、原状回復はほとんど絶望的となる。本紙は〈1996年の普天間飛行場返還合意から21年、重大な局面を迎えた〉と報じていた。
(4)翁長雄志知事は「暴挙」という言葉を5回も使ってこの護岸工事着工を強く批判していた。一方、菅義偉官房長官は記者会見で「埋め立て本体の工事開始は、多くの人々が望んできた普天間飛行場の全面返還を実現する確かな一歩だ」と普段よりも語気を強めて用意されたステートメントを読み上げていた。冷徹な事実がある。4月26日付の東京の新聞各紙の1面トップ記事は、横並びで〈今村復興相、辞任〉だった。沖縄の県紙2紙は当然ながら〈辺野古の護岸工事着工〉がトップ記事だった。
(5)東京と沖縄の新聞を並べて読みながら、僕には心の中に抑えがたい憤りが湧いてくるのを感じた。「この政権はこれまでずっと〈辺野古が唯一の選択肢〉と言い続けてきた。これは結局、今村前復興相ふうに言えば、〈辺野古でよかった〉と言っているのと同じじゃないのか」と。その根元には、米軍基地は、本土ではなく沖縄でよかった、という本音があるのではないか、と。
(6)やがて沖縄慰霊の日が今年もやって来る。歴史家たちの詳細な研究が述べるところによれば、太平洋戦争全体の中で沖縄戦の占める位置づけは、はるかにむごい。沖縄は本土をまもるための「捨て石」にされたのではなかったか。〈沖縄でよかった。本土ではなくて〉。あまりにもむごい。仮に、その考え方が今現在に至るまで脈々と生き続けているとしたら、僕らは誰に向かって何を言えばいいのだろうか。すでに沖縄県民は国政選挙や知事選挙を通じて、これ以上の基地建設はノーだと意思表示してきているのだから。
(7)司法に救済を求めたいわゆる辺野古訴訟は最高裁で沖縄県側の敗訴が確定した。政府は「決着がついたと思っている」との姿勢だ。つまりもはや聴く耳を持たないと言っているのだ。1月の宮古島市長選、2月の浦添市長選、4月のうるま市長選と、このところ政府与党の推す候補が連勝してきている。翁長知事を支える「オール沖縄」が苦境に陥っていることは否定できない。沖縄は一体どこへ向かっていくのだろうか。


金平は、日本という国の、「本土」と言われる日本人の心象風景を、「『この政権はこれまでずっと〈辺野古が唯一の選択肢〉と言い続けてきた。これは結局、今村前復興相ふうに言えば、〈辺野古でよかった〉と言っているのと同じじゃないのか』と。その根元には、米軍基地は、本土ではなく沖縄でよかった、という本音があるのではないか、と。」、と言い当てます。
 だから、金平は、こんな寓話を示して見せます。


 (以降の記述はフィクションです。念のため-金平)
 20××年×月×日午前9時23分。沖縄の在日米軍××××基地に、巡航ミサイル59発が撃ち込まれた。寝耳に水のことだった。一体なぜなんだ? 被害は基地のみならず、近隣の住宅地も甚大な被害を受けた。基地内の死傷者に加え、沖縄県民に多数の死傷者が出てしまった。政府はただちに非常事態宣言を発令し、国家安全保障会議が緊急招集された。

 参加者の間で冒頭から激しい口論となった。「だから言わんこっちゃないんだ。沖縄に基地が集中しすぎていることに何の手も打たなかったことの報いだ」「何を言っとる。貴君だって基地反対運動を潰(つぶ)してきた張本人じゃないか」「そうだ、そうだ、あんたは共謀罪を適用して沖縄基地反対運動を壊滅させたことを忘れたようだな」「いや、少なくとも同盟国内からこんな攻撃が起きてしまうなんて想像もできなかった」「現場の軍人は常に極度の緊張にさらされているんだ。何があってもおかしくはないさ」「それにしてもどうする。国民に対してどう説明するんだ」「沖縄勤務経験のある米軍兵士が錯乱してミサイルを誤射したなんて何の説明にもならんぞ」「でも事実だ」。

 その時、普段から寡黙でほとんど会議でも発言したことがない閣僚の一人がこうつぶやいた。「ミサイルが沖縄でよかった。本土や原発立地県ならもっと甚大な被害になっていたな。本土でなくてよかった」。すると突然、部屋中に鋭い金属質の警報音が鳴りだした。ピピピピピピピピ。閣議決定で導入が決まった「失言探知アラート・システム」が作動したのだ。


 この寓話をじっくり考えてみると、なんと真実実のある話であるかに気づかされます。
 金平は、この話の最後に後にこう綴っています。


 「以上は、もちろん架空のフィクションである。けれども、『「本土でなくてよかった』という台詞は何だか異様なリアリティーを帯びていないか? 悲しみと憤りがミックスされたカクテルをこれ以上飲み続けるのは、僕はもうごめんこうむりたい。」


 確かに、「辺野古が唯一」の背景には、「沖縄でよかった」という構造的沖縄差別が横たわっています。
 だとしたら、やはり、「辺野古が唯一」には「否」しかありません。
さらに、それは、日米両政府及び本土の日本人の「植民地主義」に対して、「否」を突きつけることにも。


Ⅱ.琉球新報は2017年5月5日、白充弁護士による「<南風>声は届かない」との記事を掲載しました。
 白充弁護士からの「声なんて届かなくていい。」との「声」は、「朝鮮半島はいつまで、『中心』に消費されなければならないのでしょうか。」という「声」として、沖縄から日本本土への「声」と重なります。
 だから、白充弁護士の「どうせ殺し合うのは半島人」は、「沖縄でよかった。」と聞こえてきます。
 この白充弁護士の「声」を琉球新報は次のように伝えています。


(1)朝鮮半島はいつまで、「中心」に消費されなければならないのでしょうか。
(2)日本では毎日のように「北朝鮮危機」が報道されていますが、韓国は、大統領選挙が近いくらいで、全くもって平穏とのことです。
(3)そもそも、広島や長崎に原爆を投下し、今なお何千発もの核兵器を持つ米国は危険ではないのに、なぜ「北朝鮮は危険」なのでしょうか。なぜ、韓国では地下鉄が止まることは無いのに、日本では止まるのでしょうか。なぜ、米国からわざわざ空母が来るのでしょうか。朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。
(4)しかし、それもそのはずかもしれません。もし戦争が始まっても、「どうせ殺し合うのは半島人」です。自分さえ死ななければ、必死に止める必要はありません。最近70歳になった日本国憲法が、どのように定めているかなんて、考えない方が楽です。
(5)沖縄に来て分かったんです。「朝鮮人の声なんて届かない」ということ。同じ日本人、しかも選挙権がある沖縄の声ですら届かない。若い女性が殺されても、心ともいうべき海が潰(つぶ)されても、その苦しみは届かない。中心にとって都合の良いことだけを「真実」と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。
(6)「問題は本土の無関心だ」。そうだとも思います。でもこのままで、「本土」が関心を持ってくれる日は来ますか? このままで、日本の世論が「朝鮮半島での戦争は終わらせるべきだ」と盛り上がる日は来ますか?
(7)もう待てないんです。誰一人として、殺されたくないんです。人としての誇りを、踏みにじられたくないんです。
 だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。


 白充弁護士の次の言葉の向こう側にあるももを感じ取ることが、重要になってくると言えます。


・「朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。」
・「どうせ殺し合うのは半島人」
・「中心にとって都合の良いことだけを『真実』と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。」


 それは、こんな姿なのかもしれません。


 本土防衛のための、また、天皇制維持のためのしずめ石としての役割が、再び米国のエア-シ-バトル構想に寄り添う日本政府の防衛政策として強行される島。そこで強いられるのは、日本国の大義のためには、日本政府の寄り添うということが、実は、一方的に我慢するということであることの理解。それを支えるのは、暴力と恫喝。


 でも、こんな状況の中でも、白充弁護士は、「だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。」、と結びます。
 白充弁護士からの「だから、声なんて届かなくていい。」は、良心「宣言」とも聞こえてきます。


 私たちが、「沖縄でよかった。」と「声なんて届かなくていい。」を真摯に受け取るということは、ひとり一人が 良心「宣言」を発信するということなのかもしれません。




by asyagi-df-2014 | 2017-05-11 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧