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「軍事的安全保障研究に関する声明」(日本学術会議)を読む。(2)-朝日と読売の社説を通して-

 日本学術会議は、2017年3月24日、「軍事的安全保障に関する声明」を発表した。
 このことに関して、朝日新聞と読売新聞が対称的な社説を掲載した。
 今回の「声明」の意味を、読売新聞の主張に朝日新聞の主張によって、がどれぐらい答えることができるか、という視点で考えてみた。
 

Ⅰ.読売新聞-研究者の自由な発想を縛り、日本の科学を一層低迷させかねない。


 このことに対しては、朝日新聞は、まず、「50年と67年の声明は、科学技術の牙を人類に向けてしまった歴史に対する痛切な反省に基づく。」、と結論づける。何故なら、「軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。」からだと。
 むしろ、これまでの日本の学術研究の経過そのものが、「学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。」、と指摘する。


 よって、朝日新聞は、今回の「声明」で、①「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られるなか、科学者たちが集い、学問の原点を再確認したこと」及び②「 軍事研究が学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを確認したこと」を、評価する。


Ⅱ.読売新聞-学術会議が念頭に置いてきたのは、防衛省が2015年に開始した「安全保障技術研究推進制度」だ。声明は、「政府による研究者の活動への介入が強まる」との認識を示している。他省庁の研究資金を受ける場合と同様、年に1回、防衛装備庁の担当者が訪れて、研究の進捗しんちょく状況を確認するだけだ。「介入」には当たるまい。制度自体も、基礎研究が対象で、成果の公表、製品等への応用は制約されない。


 このことに対して、朝日新聞は、「学術会議が議論を進めているさなかに、米軍の資金が大学の研究者に渡っている実態が判明した。」と指摘し、すでに日本の学術研究の分野が、「50年と67年の声明」が宣言した領域をすでに踏み出してしまっている状況を指摘する。


 だから、日本学術会議に対して、「学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。」、と「50年と67年の声明」の徹底を逆に要求する。


Ⅲ.読売新聞-日本の研究界の現状は厳しい。論文数が伸び悩み、世界から取り残されている、と指摘される。新たな制約を設けることで、研究現場を萎い縮しゅくさせてはならない。


 このことに対して、朝日新聞は、日本の研究会の現状が「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られる」、「筑波大での学生アンケートでは、軍事転用を見すえた技術研究に賛成する意見が、反対を上回った。「転用を恐れたら民生用の研究も自由にできない」との理由が多かったという。」、との認識を示す。
 また、「たしかに同じ技術が軍民両用に使われることは多い。研究開発した技術の使い道に、最後まで責任を負うよう科学者に求めるのは、現実的ではない。」、とも。
 しかし、「だが、民生用に開発した技術が軍事転用されることと、最初から軍事目的で研究することとの間には大きな違いがある。」、と押さえたうえで、「軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。」と、「声明」の意味を捉える。


 だから、読売新聞が問題点とする 「大学は、研究資金が軍事機関からかどうかをチェックする。軍事的と見なされる可能性があれば、技術的・倫理的に審査する。研究に新たな制約を課すことになる。」という「システム」こそが必要である、と朝日新聞は説く。


 さて、この「声明」を考えるうえで、「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られる」という状況の背景をきちっと押さえる必要があるのではないか。
 安部晋三政権の「戦争する国づくり」が収奪構造の世界的新構築を意図する財界の意向をあからさまに反映させたものであることは言うまでもない。この「予算削減」も同じ目的を持って作られたものでしかない。
 例えば、それは、 一般社団法人日本経済団体連合会が2015年9月15日に、「防衛衛産業政策の実行に向けた提言」を発表し、安部晋三政権の戦争法を下支えしたことにも現れている。
 最後に、読売新聞は、「50年と67年の声明が日本の科学を低迷させた」とい主張をきちっと説明しなければならない。




(資料)朝日新聞、読売新聞の社説での主張等


Ⅰ.朝日新聞


(主張・評価)
(1)大学などの研究機関は軍事研究に携わるべきではないとする声明案を、日本学術会議の委員会がまとめた。あすの幹事会を経て4月の総会で採択される見通しで、その意義は大きい。
(2)今回の声明案は、軍事研究が学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを確認したうえで、過去の二つの声明を「継承する」としている。自衛のための研究を容認する声もあったため、いまの言葉で正面から宣言する方式でなく、「継承」という間接的な表現になった。物足りなさは残るが、予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られるなか、科学者たちが集い、学問の原点を再確認したことを評価したい。
(3)今回の声明案は、資金の出所がどこか慎重に判断するのとあわせ、軍事研究と見なされる可能性があるものについて、大学などには技術・倫理的な審査制度を、学会には指針を、それぞれ設けるべきだとしている。若手研究者もぜひこうした場に参加して、多角的な議論に触れ、科学者の責任とは何か、考えを深めていってもらいたい。
(検討課題・意見)
(1)もちろん、これで問題がすべて解決するという話ではない。筑波大での学生アンケートでは、軍事転用を見すえた技術研究に賛成する意見が、反対を上回った。「転用を恐れたら民生用の研究も自由にできない」との理由が多かったという。
(2)たしかに同じ技術が軍民両用に使われることは多い。研究開発した技術の使い道に、最後まで責任を負うよう科学者に求めるのは、現実的ではない。だが、民生用に開発した技術が軍事転用されることと、最初から軍事目的で研究することとの間には大きな違いがある。
(3)軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。
(4)50年と67年の声明は、科学技術の牙を人類に向けてしまった歴史に対する痛切な反省に基づく。学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。
(5)学術会議が議論を進めているさなかに、米軍の資金が大学の研究者に渡っている実態が判明した。これも「伝承」の弱さを裏づける証左の一つだろう。


Ⅱ.読売新聞


(主張)
(1)研究者の自由な発想を縛り、日本の科学を一層低迷させかねない。
(2)学術会議が念頭に置いてきたのは、防衛省が2015年に開始した「安全保障技術研究推進制度」だ。声明は、「政府による研究者の活動への介入が強まる」との認識を示している。他省庁の研究資金を受ける場合と同様、年に1回、防衛装備庁の担当者が訪れて、研究の進捗しんちょく状況を確認するだけだ。「介入」には当たるまい。制度自体も、基礎研究が対象で、成果の公表、製品等への応用は制約されない。
(3)日本の研究界の現状は厳しい。論文数が伸び悩み、世界から取り残されている、と指摘される。新たな制約を設けることで、研究現場を萎い縮しゅくさせてはならない。
(問題点)
(1)大学は、研究資金が軍事機関からかどうかをチェックする。軍事的と見なされる可能性があれば、技術的・倫理的に審査する。研究に新たな制約を課すことになる。それがなぜ「自由な研究」につながるのか。かえって、学問の自由を阻害する。学術会議の総会で、「社会の声とかけ離れている」「判断の基準がない」などと疑問の声が上がったのも当然だ。
(2)声明・報告書の決定過程にも問題がある。異論があるのに、既に幹事会で決定済みとして、修正などは検討されなかった。多様な意見を踏まえて、丁寧に議論することは、
(3)研究現場で、制度の注目度は高い。今年度の公募説明会には、前年の4倍を超える200人以上が参加した。学術会議と現場の認識には、大きなずれがある。そもそも、声明・報告書が求める「技術的・倫理的な審査」には無理がある。科学技術は本来、軍事と民生の両面で応用し得る「デュアルユース」である。米軍の軍事技術の中核である全地球測位システム(GPS)は、カーナビに加え、地震火山の観測や自動運転にまで広範に用いられている。軍事に関連するとして、排除するのは、非現実的だ。



by asyagi-df-2014 | 2017-05-03 05:40 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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