「少女像」の設置と撤去の問題を考える。

 朝日新聞は2017年1月6日、釜山市の「少女像」の設置についての日本政府の対応について、「韓国・釜山の日本領事館前に設置された慰安婦像をめぐり、菅義偉官房長官は1月6日午前の記者会見で対抗措置を発表した。菅官房長官は、慰安婦問題を象徴する『少女像』の設置について、『日韓関係に好ましくない影響を与える』と発言。外交関係に関するウィーン条約に規定する領事機関の威厳等を侵害するもので、『極めて遺憾』と述べ、日本政府の立場を明確に示す当面の措置として下記4点を実施する旨を発表した。
・在釜山総領事館職員による、釜山関連行事への参加見合わせ、・長嶺駐韓国大使および森本在釜山総領事の一時帰国、・日韓通貨スワップ取り決めについての協議の中断、・日韓ハイレベル経済協議の延期」、と安倍晋三政権の対応について報じた。
 一方、ハンギョレは2017年1月7日、その社説で、「市民の『少女像』に報復した日本の居直り」、と反論した。
ハンギョレの主張の主旨は次のものである。


Ⅰ.主張
(1)日本の今回の措置は不適切であることを越えて、居直りに近い。
(2)日本政府は問題の根本原因が合意自体にあることを直視しなければならない。
(3)日本政府が報復措置の根拠にしている一昨年末の合意は、正義の原則を損ねたものであるだけに根本的に誤っている。日本は報復措置を直ちに止めるのが当り前である。おりしも韓国の裁判所は合意に関連した交渉文書を公開せよとの判決を下した。政府は今からでも合意内容を全て明らかにし、国民の意思に沿った選択をせねばならない。


Ⅱ.経過の問題
(1)釜山に設置された少女像はろうそく集会の市民たちが一昨年末の慰安婦問題合意1周年を迎えて自発的に立てたものだ。民間次元で行われたことに反発して大使を本国に召還し、経済協力活動を中断する措置までしたことは理解し難い。
(2)日本のこうした強硬措置は、韓国で早期大統領選挙の可能性が高まるにつれ次の政権で合意の再協議の動きが起きることに備えてあらかじめ釘を刺そうとする計算に基づいていると見られる。


Ⅲ.合意自体の問題


(1)合意当時、日本政府は元慰安婦被害者に対する法的責任認定をはじめとして絶対的に必要な措置をほとんど取らなかった。
(2)そのうえ元慰安婦支援として10億円を出すことでこの問題が不可逆的・最終的に解決されたと宣言した。少女像の設置が日本の責任回避と歴史無視に対する韓国市民の抗議であることを日本政府が分からないはずはないだろう。それなのに根本問題には目を瞑り少女像を撤去しろと言って超強硬報復行為をするのは懺悔と正義を求める声を力で押さえ付けようとすることに他ならない。
(3)日本に強硬措置の糸口を与えてしまった韓国政府の無責任かつ外交力欠落も指摘せざるをえない。
(4)当初、韓国政府が10億円の義援金で事実上すべての責任を免除する合意をしたことからして誤りだった。しかも合意直後から韓国政府が10億円を受ける代価として少女像を撤去するという裏取引をしたという議論が起きた。日本政府は今回も少女像の問題に関連して「約束したことは必ず守らねばならない」と求めている。朴槿恵(パク・クネ)政権が自ら招いた外交屈辱である。


 この問題の本質が、「問題の根本原因が合意自体にあることを直視しなければならない。」、というハンギョレの指摘にあることを基本に置かなくてはならない。
 その上で、このことを考えるうえで手助けになるのが、2016年10月26日のハンギョレの「韓国のハンセン病訴訟手伝った日本の弁護士たち、加害国の良心的勢力の役割が重要」、との記事である。
 これを紹介する。ハンギョレはこのように紹介する。


Ⅰ.事実の経過


(1)この訴訟をはじめ、6件のハンセン病患者集団訴訟が政府の度重なる上訴により遅れているが、2000年代以前には訴訟すらも考えられなかった。ハンセン病患者に加えられた国家暴力は、真っ暗な法の死角地帯に置かれており、法曹人もこの問題に対する認識が全くなかった。
(2)2001年、一筋の光が差し込んだ。同年5月、熊本地方裁判所では「(日本)国のハンセン病患者隔離政策は違憲」という判決が下された。これによって「らい予防法」が廃止され、日本政府は「ハンセン病補償法」(「ハンセン病療養所入所者等 に対する補償金の支給等に関する法律」)を制定した。この訴訟を主導した徳田靖之護士は、韓国のハンセン病患者たちも日帝強制占領期(日本の植民地時代)に強制的に隔離・収容されたことを知り、韓国の弁護士と接触して被害者を捜した。国家暴力の被害者を自国民と非自国民に分けてはならないだけでなく、特に非自国民に対しては自分も加害者の位置に立つしかないと思ったからだ。彼に刺激を受けて韓国でも50人を超える弁護人団が構成された。
(3)小鹿島ハンセン病患者訴訟助けた徳田弁護士ら、自国民・非自国民に分けられないと判断、韓日政府に対する訴訟を積極的に支援。
(4)2003年、ついに小鹿島の病院の患者117人が日本政府に補償を申請したが、拒否されると、再び東京地方裁判所に訴訟を起こした。訴訟の費用はすべて日本の弁護士たちが負担した。2005年10月に判決が言い渡された1審訴訟では敗訴したが、2006年2月、日本の国会で補償法の改正案が可決され、日帝強制占領期韓国のハンセン病患者の被害者たちも、結局、補償を受けられるようになった。


 ハンギョレは、「現在韓国で行われている訴訟は、解放以後の韓国政府に責任を問うものだ。ところが、徳田弁護士が韓国を訪れてから、日本政府に補償を申請するまでに、2年という時間がかかった事情は何だろうか。」、と問う。
 その答えは、次のものであった。


「『初めて徳田弁護士が小鹿島を訪れた時、そこのハンセン病患者はみんな(彼を)あざ笑いました。一度も法の保護を受けたことがない一方、日帝強制占領期に日本人から受けた苦痛をはっきりと憶えていたからです。心を開き、心を尽くして話し合い、連帯感を育んで、一人またひとりと原告を集めて行きました』。ハンセン病患者の訴訟に主導的に参加しているチョ・ヨンソン弁護士は『加害国の法曹人が先に頭を下げて、粘り強く待ち続けたからこそ、韓国のハンセン病患者たちが法と向き合うことができた』と振り返った。」


 この姿にこそ、今回の問題を解く鍵があるのではないか。
 徳田弁護士達が示した方法こそが、「加害国の法曹人が先に頭を下げて、粘り強く待ち続けたからこそ、韓国のハンセン病患者たちが法と向き合うことができた」、という状況を開くことができる唯一の行動であったのだ。
 逆に言えば、安倍晋三政権の方法は、これと真逆の道を進んでいるのである。




by asyagi-df-2014 | 2017-01-16 08:28 | 侵略戦争・戦後処理 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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