オスプレイ空中給油再開の暴挙は許されない。(1)-沖縄の2紙から-

 米軍は2017年1月6日、安倍晋三政権の後押しの基に、オスプレイ空中給油再開を平然と行った。
 2017年1月6日及び7日付けの社説や論説でこの問題に触れた新聞社は、地方紙だけであった。
 沖縄県の2紙以外では、中国新聞は「オスプレイ空中給油、再開容認、納得できない」、茨城新聞は「空中給油訓練 再開容認は撤回すべきだ」、河北新報「オスプレイ運用再開/最優先すべきは住民の安全」新潟日報は「空中給油再開 事故原因究明が先である」、とこの問題への政府の対応を批判的に論評した。
各紙の社説・論評から、「オスプレイ空中給油再開」を考える。
今回は、沖縄の二紙から見てみる。
 琉球新報は、「オスプレイ空中給油 訓練再開は言語道断 危険の押し付け許されぬ」、と断罪する。
 沖縄タイムスは、「[空中給油訓練再開]県民軽視は容認できぬ」(2017年1月6日)、[空中給油訓練強行]県民無視が常態化した」(2017年1月7日)、と徹底批判する。
 この二紙の論評は次のとおりである。


Ⅰ.主張
(琉球新報))
(1)「安全に空中給油を実施する準備が整ったものであると考えられる」との容認理由は到底受け入れられない。米側の事故調査は終わっていない。にもかかわらず、危険な訓練を再開するのである。これ以上、県民が日米同盟の犠牲になるのはごめんだ。空中給油訓練だけでなく、専門家が欠陥機と指摘するオスプレイ自体を撤去すべきだ。
(2)防衛省は、米側から「空中給油が日本の防衛とアジア・太平洋地域の平和と安定にとって欠くことのできない活動」などと説明を受け「飛行の安全が確保されることが大前提ではあるが、空中給油の重要性を理解する」とした。つまり、安全確保より「空中給油の重要性」を優先させたということである。
(3)防衛省のオスプレイ訓練優先姿勢は、防衛相の「対策は妥当」とのコメントと明らかに矛盾する。許し難いのは、日本やアジア・太平洋地域のために、沖縄が犠牲になるのは当然と読める点だ。県民を愚弄(ぐろう)するにも程がある。安倍晋三首相は空中給油訓練の再開容認を受けて「米軍機の飛行安全の確保は円滑な米軍駐留の大前提だ」と述べた。首相は自身の発言に反する防衛省の見解を否定し、空中給油訓練の再開容認を撤回させるべきである。
(4)防衛省の米軍優先姿勢はまだある。陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀配備で、同省は「陸自オスプレイの配備は安全の確保が大前提」とし、佐賀での空中給油訓練は実施しないとしている。米軍と陸自の違いはあれ、国民の安全を守るのは政府の責務である。政府が大前提とする「安全の確保」を沖縄に適用せず、危険を押し付けることは許されない。県民の安全を第一に考えるべきだ。
(沖縄タイムス)
(1)事故からわずか6日後の飛行再開に続く空中給油訓練の再開は、県民を愚弄(ぐろう)するものだ。到底受け入れられない。沖縄の怒りの声を無視して訓練を強行する米軍と、それを追認するだけの日本政府に強く抗議する。
(2)米軍は直後に空中給油中のトラブルによる事故だと発表している。機体構造自体に問題はなく、訓練中にオスプレイのプロペラと給油機の給油ホースが接触し、損壊して飛行が不安定になったという説明だ。空中給油訓練再開に当たり米軍は、搭乗員や整備員を対象に幅広い教育措置を講じ、シミュレーターによる空中給油訓練も十分に行ったことから準備は整った、と日本政府に説明している。菅義偉官房長官は「事故防止に有効と認められる対策を幅広く取っている」と理解を示した。だが、県民からすればとんでもない話である。そもそも、米軍は現在も事故の調査を継続中だ。最終的な結果を待たずに再開するのは、県民軽視に他ならない。
(3)沖縄側への報告もすべてが決まった後、前日になってアリバイ的に伝えただけだ。県の意見を聞く場も持たれなかった。翁長雄志知事が「怒りを禁じ得ず、強い憤りを感じる」と批判したのも当然である。
(4)事故が起きるたびに、米軍は再発防止策を講じたと一方的に宣言し、訓練が再開され、再び事故が起きる。その繰り返しだ。日本政府は常に追認するばかりで、米軍に従属しているとしか思えない。沖縄の住民の姿は見えているのだろうか。
(5)安倍晋三首相は2015年4月、米連邦議会の上下両院合同会議で演説し、安保法制を「夏までに必ず実現します」と米議会で約束し、「米国のリバランス(再均衡)を徹頭徹尾支持します」と明言した。リバランス政策とは外交・軍事の軸足をアジア・太平洋地域に移す政策のことである。
 首相演説は、米軍をこの地域にとめ置くため、負担の肩代わりや訓練環境の整備など、あらゆる協力を惜しまない、と宣言したのに等しい。従属的な姿勢を示しつつ、抱きついて米軍を離さない。そのようないびつな「抱きつき政策」のしわ寄せをもろに受けているのが沖縄である。米軍は、県民の生活や権利を守る義務を負っていない。その義務を負っているのは日本政府だ。だが、政府の基地政策は著しく公平・公正に欠ける。
(6)行政協定は現在の地位協定に引き継がれ、地位協定は復帰後、沖縄にも適用されたが、中身の基本は行政協定とほとんど変わっていない。地位協定や関連取り決めによって保障された基地特権、狭い島での海兵隊による激しい訓練、嘉手納基地という巨大な空軍基地の存在。世界の先進国の中で、沖縄ほど外国軍隊の駐留に伴う平時の「複合過重負担」を背負っている地域はない。一体、誰が沖縄の人々の尊厳を守り、権利を保障するのか。政府が守れなければ住民は抵抗権を行使して理不尽な政策にあらがうしかない。


Ⅱ.問題点
(琉球新報)
(1)防衛省によると、米側は人的要因と乱気流などの環境要因に、夜間の空中給油の複雑さが重なり、ホースとプロペラが接触した可能性があると説明している。人的要因、環境要因、それと空中給油の難しさが重なった末の墜落である。その一つ一つの危険要因を、墜落から1カ月もたたずに除去することは不可能だろう。
(2)米側が実施した対策は、抜本的対策には程遠い。オスプレイの全搭乗員に対して、天候や飛行条件を事故発生時と同じに設定し、空中給油の手順を確認し、陸上でのシミュレーションなどを完了したとする。だが、その具体的な成果については言及がない。「平時および緊急時において搭乗員の安全と効率性を最大化することを確認」「詳細な教育が行われた」などと自画自賛に終始している。安全が担保されたとはとても認められない。
(3)防衛省の訓練再開容認も理解できない。米側の説明をうのみにし「搭乗員同士および航空機同士の連携を向上させた」「緊急事態への対応を改善した」ことなどを理由に挙げたが、その根拠は米側の説明以外に見当たらない。最終的には「米側は接触を引き起こした可能性があるとして指摘された要因に対し、有効であると思われる対策を幅広くとっているものと考えられる」と結論付けた。だが、安全が保証されたと言い切ってはいない。「思われる」「考えられる」との表現は、安全面への不安の表れである。
(4)稲田朋美防衛相は「防衛省・自衛隊の専門的知見や経験に照らしても(対策は)妥当だ」とのコメントを発表した。だがこれも、空中給油訓練の安全を宣言してはいない。
(沖縄タイムス)
(1)米軍はこれまでも、オスプレイの機体構造には問題がないと安全性をアピールしてきた。しかし、飛行中にプロペラの向きを転換する際の機体の不安定さや、構造の複雑さに伴う操縦の難しさ、空中給油時の危険性は、かねて専門家から指摘されてきた。今回の事故について米軍は、夜間の運用に加え、搭乗員間の意思疎通などの人的要因と、風や乱気流などの環境要因が複合的に重なり、発生した可能性があるとみている。ということは、搭乗員の技量や気象条件によって、事故は今後も起こり得るということだ。
(2)リスクの高い条件下で実戦に備えるという軍事訓練の性格上、この程度の対策で「安全は確保された」と言われても、納得できるはずがない。住民が求める安心・安全と、軍隊の論理に基づく「安全」は、あまりにも乖離(かいり)している。
(3)県のまとめでは、1972年の本土復帰後、県内で発生した米軍機墜落事故は47件に上る。単純に計算すると年1回を超えるペースだ。狭い沖縄で生活圏と基地が隣り合わせの状況が続く限り、どこに落ちても不思議ではない。


Ⅲ.疑問
(沖縄タイムス)
(1)事故原因にかかわる最終調査も終わっていないのに防衛省は、6日以降、垂直離着陸機MV22オスプレイの空中給油訓練を再開する、と発表した。ところが、米軍はその日、実際に実施したかどうかさえ明らかにしなかった。
 米軍と政府は住民の不安解消と再発防止に責任を持たなければならない。にもかかわらず県に対し、再開したかどうかの連絡すらなかったという。政府サイドから訓練再開の情報が漏れ伝わったのは夜も遅くなってからである。なぜ米軍はこれほどまでにかたくななのか。なぜ政府は住民には向き合わず米軍の意向ばかり優先するのか。
(2)住民の主張と米軍の論理が対立する場面では、政府の基地政策はおおむね、米軍寄りの対応に終始してきた。なぜ、政府は米軍に対して従属的な対応を取り続けるのか。
 その理由の一つが「抱きつき政策」にあることは、先に触れた。さらに、もっと根の深い事情もある。国際問題研究家の新原昭治さんが米解禁文書をもとに明らかにしたところによると、今からちょうど60年前の1957年2月、東京のアメリカ大使館から国務省あてに、在日米軍基地に関する次のような報告がもたらされた。「日本での米国の軍事活動の規模の大きさに加えて、きわだつもう一つの特徴は、米国に与えられた基地権の寛大さにある」。「行政協定のもとでは、新しい基地についての要件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている」


 「地位協定」が根本的な問題を孕んでいるにもかかわらず、日本政府から米国への働きかけがなんら行われていない。
 実は、戦後の米国と日本の間の関係を規定したのが、「行政協定」である。この「行政協定」は、「行政協定のもとでは、新しい基地についての要件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている」(国際問題研究家の新原昭治)という性格を持つものであるが、この行政協定は現在の地位協定に引き継がれ、「地位協定は復帰後、沖縄にも適用されたが、中身の基本は行政協定とほとんど変わっていない。」(沖縄タイムス)、というのが実態である。
 このことが、沖縄タイムスの「住民の主張と米軍の論理が対立する場面では、政府の基地政策はおおむね、米軍寄りの対応に終始してきた。なぜ、政府は米軍に対して従属的な対応を取り続けるのか。その理由の一つが『抱きつき政策』にあることは、先に触れた。さらに、もっと根の深い事情もある。国際問題研究家の新原昭治さんが米解禁文書をもとに明らかにしたところによると、今からちょうど60年前の1957年2月、東京のアメリカ大使館から国務省あてに、在日米軍基地に関する次のような報告がもたらされた。『日本での米国の軍事活動の規模の大きさに加えて、きわだつもう一つの特徴は、米国に与えられた基地権の寛大さにある』。『行政協定のもとでは、新しい基地についての要件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている』」、という根本的な指摘に結びつくのである。
 さて、沖縄タイムスは、沖縄と安倍晋三政権の位置関係を「米軍をこの地域にとめ置くため、負担の肩代わりや訓練環境の整備など、あらゆる協力を惜しまない、と宣言したのに等しい。従属的な姿勢を示しつつ、抱きついて米軍を離さない。そのようないびつな『抱きつき政策』のしわ寄せをもろに受けているのが沖縄」、と鋭く指摘する。
 今回のオスプレイの空中給油再会は、「安全確保より『空中給油の重要性』を優先させた」(琉球新報)、ことでしかない。結局、日本国民の命の重さを軽んじたのである。
 一方、このことは、沖縄県民にとって、「 許し難いのは、日本やアジア・太平洋地域のために、沖縄が犠牲になるのは当然と読める点だ。県民を愚弄するにも程がある。」(琉球新報)、というものでしかない。
 このことに加えて、「陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀配備で、同省は『陸自オスプレイの配備は安全の確保が大前提』とし、佐賀での空中給油訓練は実施しないとしている。」(琉球新報)、との二重基準は、到底許されるものではない。
 安倍晋三政権は、「事故が起きるたびに、米軍は再発防止策を講じたと一方的に宣言し、訓練が再開され、再び事故が起きる。その繰り返しだ。日本政府は常に追認するばかりで、米軍に従属しているとしか思えない。沖縄の住民の姿は見えているのだろうか。」(沖縄タイムス)、との「声」を真摯に受けとめなくてはならない。





by asyagi-df-2014 | 2017-01-13 08:43 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧