「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」

 西日本新聞は2016年1月3日、標題について次のように報じた。


(1)日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

 「際限ない」米側不快感示す
(2)文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日本の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日本大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史学者の調査で判明していたが内容は不明だった。
(3)文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。
(4)日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府は裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。一方、(3)(4)(5)については事実上、要請を拒否する方針が記されていた。
(5)文書によると、アンバック氏は「われわれは広範囲にわたる際限のない非公開要請には同意できない」と強調。外交史料集刊行などに「深刻な問題を引き起こす」と警告し、全て受け入れれば関係する二つの巻のうち1巻は全体の約3分の1、残る1巻は60%以上の分量が影響を受けると懸念。「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」と強い不快感を示していた。


 また、松永勝利さんのFBでこのことが次のように紹介されています。


 西日本新聞が新年早々の1月3日、調査報道による特ダネ記事を掲載しました。
 日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非開示を要請していたことを西日本新聞が米情報自由法(FOIA)に基づいて入手した米公文書で明らかにしました。
 日本側の要請に対して、米側は核持ち込みの密約など一部については同意したものの、そのほかの公文書については要請を拒否する方針を示したようです。
 その理由について米公文書の機密解除審査部門責任者の一人故ドワイト・アンバック氏はこう説明しています。
「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」
 米海兵隊のオスプレイ沖縄配備についても日本側が情報隠しをしていたことが分かっています。米側は1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告の草案で、オスプレイの沖縄配備を明記していたにも関わらず、当時の防衛庁の高見沢将林運用課長が文言の削除を求めたため記述が消されました。沖縄県民に知らせないためです。
 その後、日本政府は沖縄側からオスプレイ配備の可能性を問われても、一貫して「知らぬ」としらを切り続け、配備を公に認めたのは、それから15年後の2011年12月のことでした。配備10カ月前のことです。
 西日本新聞が突き止めた事実は、日本政府が米国との交渉で、米国にとっては自国民に公表しても構わないと判断できる事柄についてさえ、日本国民に伝えてもらっては困ると考えるような外交を繰り返してきたことを白日の下にさらしました。
 この事実を突きつけられた外務省は西日本新聞の取材に対して
 「外交上のやりとりにつき、お答えは差し控えさせていただきます」と答えています。
 この姿勢について西日本新聞は関連記事でこう締めくくりました。「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」
 琉球新報としてもすぐに追いかけ取材するべきですが、公文書を入手する作業などが必要です。さらに報道まで日数を要するでしょう。
 3日夕のデスク会議で「すぐにでも沖縄の読者に伝える必要がある記事だ」と判断し、友好関係にある西日本新聞に記事の転載をお願いし、快諾していただきました。
 琉球新報の4日朝刊1面に本記、3面に関連記事を掲載させていただきました。記事冒頭に「西日本新聞提供」と断り書きを入れさせていただきました。感謝申し上げます。
 下記で西日本新聞の記事を読むことができます。
 今後も新聞連携を深めていきたいと思います。

外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け 介入実態が判明したのは初(西日本新聞)


 松永勝利さんは、「西日本新聞が突き止めた事実は、日本政府が米国との交渉で、米国にとっては自国民に公表しても構わないと判断できる事柄についてさえ、日本国民に伝えてもらっては困ると考えるような外交を繰り返してきたことを白日の下にさらしました。」、と指摘します。
 確かに、「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」、との西日本新聞の結論は、まさに今を言い当てている。


 以下、西日本新聞の引用。








西日本新聞-外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け-2017年01月03日 06時00分



 【ワシントン山崎健】日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

 「際限ない」米側不快感示す

 文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日本の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日本大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史学者の調査で判明していたが内容は不明だった。

 文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。

 日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府は裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。

 一方、(3)(4)(5)については事実上、要請を拒否する方針が記されていた。

 文書によると、アンバック氏は「われわれは広範囲にわたる際限のない非公開要請には同意できない」と強調。外交史料集刊行などに「深刻な問題を引き起こす」と警告し、全て受け入れれば関係する二つの巻のうち1巻は全体の約3分の1、残る1巻は60%以上の分量が影響を受けると懸念。「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」と強い不快感を示していた。

 米政府への非公開要請について、外務省は「外交上のやりとりにつき、お答えは差し控えさせていただきます」とコメントした。


 ◆米公文書公開への他国の関与 情報公開への社会の意識が高い米国では、米政府は1970年代まで、自国で作成した公文書については、関連する他国から非公開要請があっても拒否してきた。しかし複数の国からの懸念を受け、80年以降、公開の是非について当該国と協議するようになった。2015年12月、国務省は西日本新聞の取材に、そうした協議は「折に触れて行っている」としており、なお継続しているとみられる。


by asyagi-df-2014 | 2017-01-12 09:30 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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