2017年1月1日、社説・論説を読む。(7)-日本国憲法から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 神戸新聞、朝日新聞で、日本国憲法から2017を俯瞰する。
 神戸新聞は、「憲法が誕生して70年。その精神は戦後日本の繁栄と安定を支えてきた。だが、人間でいえば古希を迎え、新しい憲法を目指す動きは急だ。改正に賛同する勢力は衆参両院で国会発議に必要な3分の2を超え、機能停止状態だった両院の憲法審査会も再開された。議論が新しい段階に入った憲法について考えたい。」、とする。
 朝日新聞は、「世界は、日本は、どこへ向かうのか。トランプ氏の米国をはじめ、幾多の波乱が予感され、大いなる心もとなさとともに年が明けた。保守主義者として知られる20世紀英国の政治哲学者、マイケル・オークショットは、政治という営みを人々の航海に見立てている。海原は底知れず、果てしない。停泊できる港もなければ、出航地も目的地もない。その企ては、ただ船を水平に保って浮かび続けることである――。今年の世界情勢の寄る辺なさを、予見したかのような言葉として読むこともできるだろう。と同時にそれは本来、政治にできることはその程度なのだという、きわめて控えめな思想の表現でもある。」、と端緒を開く。
 二紙の主張を要約する。


Ⅰ.事実、問題点の指摘
(神戸新聞)
(1)兵庫過労死を考える家族の会共同代表の西垣迪世(みちよ)さん(72)は、11年前に亡くなった息子のことを思い浮かべながら、その死に胸を痛めた。
 広告大手電通の新入社員だった高橋まつりさん=当時(24)=が過労自殺していたことが昨秋に明らかになった。高橋さんは「もう体も心もズタズタだ」と会員制交流サイト(SNS)などに記していた。
 西垣さんの長男和哉(かずや)さん=当時(27)=は大手IT企業でシステムエンジニアとして働き、長時間労働からうつ病を発症、大量の薬を服用して死亡した。
 2人には、ネットでSOSを発信していた点、母子家庭で育った点など共通する部分が少なくない。高橋さんらに違法な残業をさせていたとして労働局は年末、労働基準法違反の疑いで電通と幹部を書類送検した。社長は辞任を表明した。和哉さんも37時間連続など過酷な勤務だった。「もっと楽しいことがしたい。もっと健康的に生きたい」。ブログの言葉が痛々しい。
(2)悲劇を繰り返さないため、西垣さんは全国の遺族らとともに署名集めなどの運動を続け、2014年に過労死等防止対策推進法が成立した。それから2年余り。法施行後も過労死は絶えない。「日本人って何でこんなに働くのでしょうかね」と和哉さんが書いていたのを思い出し、西垣さんはむなしさを募らせる。中学校で習った憲法には「国民の命は守られるべき」とうたわれていたはずだ。
(3)13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は公共の福祉に反しない限り「最大の尊重を必要とする」とある。25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、国に「生存権」の実現に努力する義務を課していた。人間らしく働く権利を保障する27条もある。
(4)こうした条文が守られていれば過労死など起こらないだろう。人間らしく生きることを国に求める権利は社会権と呼ばれる。中でも生存権を保障する25条は重要だ。
(5)憲法は空気のようなものだという。生きていく上で欠かせないのに、普段は存在を意識することは少ない。だが、個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番であろう。
 過労死で息子を亡くした西垣さんは2009年、労災認定を求めて国を相手に訴訟を起こした。死者の尊厳を求めた裁判で、立ちはだかったのは国だ。勝訴したが、西垣さんには納得しがたい気持ちが残った。「国民を守ってくれるはずの国がなぜ壁になるのか」
 命を守る国になってほしいとの思いで過労死根絶の活動を続ける。それは憲法が保障する権利を守るための運動ともいえる。


(朝日新聞)
(1)不穏な世界にあって、日本は今年5月、憲法施行70年を迎える。憲法もまた、政治の失調に対する防波堤として、大切な役割を担ってきた。その貢献の重みを改めて銘記したい。
(2)「立憲主義」という言葉の数年来の広がりぶりはめざましい。政治の世界で憲法が論じられる際の最大のキーワードだ。中学の公民の教科書でも近年、この言葉を取り上げるのが普通のことになった。公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方――。教科書は、おおむねこのように立憲主義を説明する。それは人々の暮らしの中で具体的にどう働くのか。例えば、政党機関紙を配った国家公務員が政治的な中立を損なったとして起訴されたが、裁判で無罪になった例がある。判断の背景には、表現の自由を保障した憲法の存在があった。
(3)立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる。
(4)根っこにあるのは個人の尊重だ。公権力は、人々の「私」の領域、思想や良心に踏み込んではならないとする。それにより、多様な価値観、世界観を持つ人々の共存をはかる。ただ、こうした理念が、日本の政界にあまねく浸透しているとは到底いえない。自民党は立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で「天賦人権」の全面的な見直しを試みている。例えば、人権が永久不可侵であることを宣言し、憲法が最高法規であることの実質的な根拠を示すとされる現行の97条を、草案は丸ごと削った。立憲主義に対する真意を疑われても仕方あるまい。
(5)立憲主義にかかわる議論は、欧米諸国でも続く。一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、結果的に頓挫した。治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。同じくフランスの自治体が、イスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を禁止したことに対し、行政裁判の最高裁に当たる国務院は「信教と個人の自由を明確に侵害する」という判断を示した。


Ⅱ.主張
(神戸新聞)
(1)憲法の制定過程を振り返ってみたい。25条1項は当初の連合軍総司令部(GHQ)案にはなく、戦後、国会での修正協議で加えられた。1946年8月、衆議院の憲法改正の小委員会で社会党だった森戸辰男氏らが発案した。森戸氏は民間の憲法研究会のメンバーでもあった。戦前、ドイツ留学でワイマール憲法を学び、その生存権思想を採り入れたとされる。だが、何より森戸氏を動かしたのは、故郷の広島で原爆の災禍に苦しむ人々の姿、各地で生活に困窮する国民の姿だった。
(2)憲法は「米国の押しつけ」の側面が強調されがちだ。しかし、9条と並ぶ重要な支柱ともいわれる25条は、論議を重ねた末に日本が独自に加えたことを記憶しておきたい。
25条に基づき生活保護法などの法律があり、年金や医療などの社会保障制度が整備されている。
(3)憲法学者の故奥平康弘さんはこんなふうに述べていた。「憲法というものは世代を超えた国民が、絶えず未完成の部分を残しつつその実現を図っていくコンセプト(概念)である」。
(4)国民が自らの権利を保障するために国家という仕組みの運用のありようを定めたものが憲法だ。条文は抽象的な文言もあるが、国民が憲法に向き合い、活用していく中で、その精神が力を発揮する。今、憲法は暮らしにどう生かされているのだろうか。改憲の機運が高まる中、兵庫の現場から見つめ直してみたい。より幅広く、より深い議論につなげるために。


(朝日新聞)
(1)昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか。オークショットのように抑制的で人気取りとは縁遠い政治観は、熱狂や激情に傾きがちな風潮に対する防波堤の役割を果たす。
(3)衆参両院の憲法審査会は昨年、立憲主義などをテーマに討議を再開したが、議論の土台の共有には遠い。どんな立場を取るにせよ、憲法を論じるのなら、立憲主義についての真っ当な理解をより一層深めることが前提でなければならない。
(4)個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。
(5)目をさらに広げると、世界は立憲主義を奉じる国家ばかりではない。むしろ少ないだろう。憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授は「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」と書いている。であればこそ、立憲主義の理念を、揺らぎのままに沈めてしまうようなことがあってはならない。
(6)世界という巨大な船が今後も、水平を保って浮かび続けられるように。


 「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」(長谷部恭男・早稲田大教授)であるとするなら、それでもやはり、「立憲主義の社会に生きる」という高い理念に向けて、世界の人たちとともに進んで行く、こんな2017年にしなければならない。
また、「憲法12条の不断の努力」を常に自分の側に置いておかなけねばならない。
 神戸新聞は、「13条は『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』は公共の福祉に反しない限り『最大の尊重を必要とする』とある。25条1項は『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とし、国に『生存権』の実現に努力する義務を課していた。人間らしく働く権利を保障する27条もある。こうした条文が守られていれば過労死など起こらないだろう。人間らしく生きることを国に求める権利は社会権と呼ばれる。中でも生存権を保障する25条は重要だ。憲法は空気のようなものだという。生きていく上で欠かせないのに、普段は存在を意識することは少ない。だが、個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番であろう。」、と説いている。


「個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番」。




by asyagi-df-2014 | 2017-01-11 08:05 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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