2017年1月1日、社説・論説を読む。(2)-南日本新聞から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 南日本新聞は、やさしく詩的に2017の行く末を著す。
 このように、南日本新聞社は語りかける。


 詩人の茨木のり子さんに「鶴」と題した作品があります。

<鶴が/ヒマラヤを越える/たった数日間だけの上昇気流を捉え/巻きあがり巻きあがりして/九千メートルに近い峨峨(がが)たるヒマラヤ山系を/越える/カウカウと鳴きかわしながら(以下略)>

 飛行しているのはアネハヅル。越冬地のインドへ渡るために、親鳥から若鳥まで編隊を組んでヒマラヤ越えに挑むのです。
 それはまさに命懸けの旅です。詩人は、その姿を捉えたテレビの映像に触発され、一気に作品を書き上げたのでしょう。

 新しい年が明けました。酉(とり)年のこの1年、どんな日々が待っているでしょうか。
 アネハヅルの旅に、人の姿を重ねるのは自然な感情です。私たちの一生もまた、山あり谷ありの旅に違いありません。
 内外を鳥瞰(ちょうかん)すれば、政治や経済をはじめ難題が山積しています。まるで絶壁がそそり立つヒマラヤのようです。

 それでも、アネハヅルのように力強く翼をはばたかせ、その頂を乗り越えなければと思います。


 この詩にのせて、南日本新聞は、このように主張します。


Ⅰ.主張
(1)人口が減り続け、高齢化が進む地域社会の疲弊が叫ばれています。南九州も例外ではありません。ただ、悲観しているだけでは何も始まらないのも事実。厳しい環境下でも、手探りして前に進もうとする人々がいます。足元を見直し、希望を見いだそうではありませんか。
(2)思想家鶴見俊輔さんの言葉を思い出します。月並みな言葉ですが、何事であれ「ひらめき」と「継続」が大事です。
(3)萬田(正治)さんたちの取り組みは、イタリアが発祥地のスローフードやスローライフにもつながるものがあると思います。それは普遍的価値といっていい。
(4)人口増と経済成長が前提の国家モデルはもはや通用しない。いつまでも高度成長期の発想に立っていては解は導き出せません。
(5)高齢化社会で一人暮らしが増えています。宗教学者の山折哲雄さんの最新刊「『ひとり』の哲学」を一読して、がつんと頭を殴られたような気持ちになりました。山折さんは、一人暮らしをおとしめる風潮が増えてきていると言います。「孤立死」とか「孤独死」といった言葉を持ち出して、ことさらに社会の暗部として読み解こうとしていないか。介護や医療を必要とする人は多い。認知症の広がりも無視できない。社会的な手当てが今まで以上に必要な時代です。
 それは認めつつも、「ひとりで事を処する」という心構えのようなものが今、希薄になっていないかと問うのです。山折さんは、鎌倉時代に生きた親鸞や道元、日蓮などの生き方や思想を探る旅に出ます。
(6)私たちは社会を冷たいと思いがちです。結局、人間はみな一人で生まれ、一人で死ぬ。寄る辺ないその原点を見つめ直すことが出発点ではないか。その問いと向き合い、人が生きるとはどういうことかを考える年でもありたいと思います。高齢化には、プラスとマイナスの両面があるでしょう。強調したいのは、多くの試練を乗り越えてきた人たちの経験や知恵から学ぶことが、次の時代を切り開く力になるはずだということです。


 本当の意味で、2017年が、「私たちは社会を冷たいと思いがちです。結局、人間はみな一人で生まれ、一人で死ぬ。寄る辺ないその原点を見つめ直すことが出発点ではないか。その問いと向き合い、人が生きるとはどういうことかを考える年でもありたいと思います。」、ということをじっくり考えることができる年になって欲しいと思います。


by asyagi-df-2014 | 2017-01-06 08:58 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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