沖縄の「負担軽減」を考える。(3)-SACO合意20年-

 沖縄県の米軍北部訓練場7824ヘクタールの約半分が、2016年12月22日に返還される。
 このことを、安倍晋三政権は、沖縄の「負担軽減」の実現と最大限利用することになる。その背後には、米軍基地機能強化と自衛隊の共同利用という新たな「沖縄の負担拡大」がすでに用意されているにもかかわらずである。
 ここで、沖縄の「負担軽減」を考える。
今回は、SACO合意20年と沖縄の「負担軽減」を考える。
2016年2月2日で、日米特別行動委員会(SACO)の最終報告から20年を迎えた。 問題の核心は、このSACO合意で沖縄の「負担軽減」はどの程度改善されたのかということである。いやむしろ、SACO合意とは何だったのかを明確にする必要がある。

沖縄タイムスは2016年12月2日、「きょうSACO合意20年 沖縄への基地集中変わらず」とSACO20年の実態を次のように掲載した。


(1)日米特別行動委員会(SACO)の最終報告から2日で、20年になった。22日には沖縄県米軍北部訓練場で建設している四つのヘリパッドが完成し、3987ヘクタールが返還される。最大の懸案だった普天間間飛行場は、名護市辺野古への移設を巡り国と沖縄県が法廷闘争中。沖縄県内では新型輸送機オスプレイが飛来するなど基地機能が強化されている。
(2)返還が盛り込まれた施設・区域のうち全面返還は読谷補助飛行場など4施設で、大部分返還は瀬名波通信施設の1施設、一部返還はキャンプ桑江など3施設。普天間飛行場と牧港補給地区の土地計7ヘクタールは2017年度中の返還を目指すことで日米両政府が合意。15年に約51ヘクタールが返還された西普天間住宅地区の利便性向上のため、キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドーの一部を日米で共同使用する。
(3) 1972年の沖縄返還後、日本政府は県内の83施設を在日米軍施設・区域として提供した。県民生活に影響を及ぼし振興に制約となっているとして、西銘順治元知事は2度訪米し、普天間飛行場など7施設・区域の返還リストを提出。県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)は13施設20事案の返還を求めた。
 日米両政府は、90年に日米合同委員会で知事要望の3事案と、日米安全保障協議委員会(安保協)で了承された整理統合計画のうち未実施の9事案、軍転協の8事案、米側が返還可能とした3事案を加え、いわゆる23事案(17施設・約千ヘクタール)について返還に向けた手続きを進めることで合意。そのうち、96年3月までに12事案が返還された。日米両政府は、23事案から引き続き検討とされ沖縄から返還要望の強かった普天間飛行場と那覇港湾施設が、96年に代替施設の完成後返還するなどの条件をつけることで合意しSACOに全面返還を含んだ。
(4)米軍再編では辺野古移設と嘉手納より南の基地返還がパッケージとされたが、2012年の民主党政権で見直された。13年には統合計画で大まかな返還時期が示されたが「22年度またはその後」とされた普天間をはじめ見通しは立っていない。


 また、SACO合意の具体的項目について現状報告(沖縄タイムス-2016年12月2日)をしている。


(1)【辺野古】司法、国の主張追認
①「5~7年以内に十分な代替施設が完成し運用可能になった後、全面返還とされ目玉だった米軍普天間飛行場。移設先はキャンプ・シュワブ沖合で事実上合意されていたが、最終報告では『沖縄本島東海岸沖』へ海上施設を建設するとの方針を示すだけにとどまっていた。」
②「2006年、シュワブ沿岸部を埋め立てV字形滑走路を備える飛行場を造る現行計画に、日米両政府が合意した。13年12月に仲井真弘多知事(当時)が埋め立てを承認。条件として提案した『5年以内の運用停止』に政府は前向きに返答したが、14年12月に新基地建設に反対する翁長雄志知事が誕生し態度を硬化させた。翁長知事は15年10月に埋め立て承認を取り消し、国と県は法廷闘争に入った。ことし9月には辺野古違法確認訴訟で福岡高裁那覇支部が国の主張を全面的に認める判決を出した。県は上告している。」
③「3月の和解により、新基地建設を巡る工事は全て止まっていたが、11月25日の和解条項について協議する『政府・沖縄県協議会』の作業部会で、県はキャンプ・シュワブ陸上部分の隊舎2棟に限り工事の再開を容認。防衛省は月内にも工事を始めるよう調整している。」
(2)【北部訓練場】ヘリパッド移設を強行
①「北部訓練場は2002年度末をめどに、約7500ヘクタールのうち、海への出入りを確保した上で約4千ヘクタールを返還するとしていた。返還されない部分に七つのヘリパッドを移設することが条件。06年にヘリパッドは六つ、造成規模は直径75メートルから45メートルに変更された。」
②「07年に環境影響評価図書が公表され、工事が始まった。15年にN4地区の二つが米側に提供されたが、反対住民による抗議行動などで工事は2年近く止まっていた。沖縄防衛局は16年7月の参議院選が終わった翌朝から資機材を搬入するなど工事を再開させた。
③「日米両政府は過半を返還できることから、基地負担の軽減に取り組む姿勢をアピールする。全国から機動隊員約500人を動員し、資機材を空輸するために陸上自衛隊のヘリを投入し、12月22日の完成・提供・返還に向け工事を進める。一方、翁長雄志知事は新型輸送機オスプレイの配備撤去を求めており、07年の環境影響評価でもオスプレイによる低周波音や排ガスの風圧などの影響が勘案されていないことから、四つのヘリパッドの本格的な運用が開始される前に再評価を求めている。」
(3)【那覇軍港】浦添への移設 足踏み  
①「那覇軍港(56ヘクタール)は復帰直後の1974年に日米間で返還が合意されたが実現せず、96年のSACO合意で浦添埠頭(ふとう)地区への移設で再合意された。しかし移設は進まず、2006年の「再編実施のための日米のロードマップ」を経て、13年4月の嘉手納以南の返還時期を定めた「統合計画」に引き継がれた。」
②「現在、返還時期は28年度、またはその後とされているが、返還条件の浦添移設はめどが立っていない。軍港移設問題は、浦添市が進める西海岸開発計画と密接に関わり、歴代市長は市政の重要課題として取り組んできた。」
③「13年の市長選で移設反対を掲げて当選した現職の松本哲治浦添市長は15年2月に米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)沖を埋め立てて港湾施設やリゾート地を整備する西海岸開発計画を発表した。その2カ月後の4月、反対から受け入れに転じた。だが、移設位置を巡り、市と那覇港管理組合で意見が割れている。ことし4月には防衛省が複数の移設案を提示。夏ごろの合意形成を目指し断続的に県、那覇市、浦添市、那覇港管理組合の担当者らが協議を進めてきたが、議論は今もなお、平行線をたどっている。」
(4)【日米地位協定】米側の運用に左右
①「最終報告では、米軍施設・区域への立ち入り手続きや米軍航空機事故調査報告の日本政府への公表など日米地位協定の運用改善もまとめられた。米軍基地への立ち入りは、地域社会との友好関係を維持する必要性を認識して定められた。米軍の運用を妨げることがないことが前提。ヘリパッド建設が進む米軍北部訓練場内の現状確認のために国会議員らが申請して却下されるなど、米側の裁量に左右される。」
②「米軍機事故については、沖縄国際大学へのヘリ墜落時には原因調査や捜査をめぐって米軍側が県警の現場検証を拒否した。日本政府に報告書が公表されても、両政府間の協議は伏せられるなど県民が検証するためには十分でない。」               ③「米軍関係者が公務外で事故を起こした場合に、加害者に支払い能力がなく米国政府の支払いが裁判判決額に満たない場合は、日本側が差額を埋める見舞金制度ができた。請求者に対して提示する示談書には、米国政府や加害者、日本政府を免責するなどの文言が示されていた。2015年7月以降からは、被害者らに配慮して日本政府を免責するという文言は削除された。」


 こうした現状を受けて、沖縄タイムスは、柳沢協二氏(元内閣官房副長官補)の「20年たっても返還が進んでいない背景には計画に根本的な矛盾があるからだ」、とする次のような談話を掲載した。


「20年たっても返還が進んでいない背景には計画に根本的な矛盾があるからだ。
 20年前に普天間飛行場の返還を決めたのは米軍の戦略だ。冷戦終結後、ヨーロッパと東アジアの10万人の米軍駐留兵力を維持する方針があり、沖縄は一番大きな拠点地だった。沖縄の基地を安定的に維持するには過重な負担を軽減する必要があり、問題が多かった普天間が対象となった。その戦略の前提が今、崩れている。米軍は前方展開のプレゼンスを減らす方向にかじを切った。だが、日本政府は20年前と同じ発想で政策を維持している。
 20年前と比べ中国が海洋進出を強めているが、あくまでも海洋秩序を巡る対立で、基本的なプレーヤーは海、空軍だ。海兵隊の出番はない。つまり中国の海洋進出を止める抑止力は、海兵隊にはない。
 日米ガイドラインでも離島防衛は自衛隊の任務と明記している。2018年度には陸上自衛隊に水陸機動団をつくり、海兵隊機能を持つ。九州北部から尖閣をにらむ部隊ができる。ますます米海兵隊が沖縄にいる理由はなくなる。
 このように前提が変わったにもかかわらず日本政府が名護市辺野古への新基地建設計画を維持するのは、歴代政権の流れをいまさら変えられないというのが本音だ。計画を変更するには政治のリードが必要だが相当なエネルギーが必要で、米側から発信しない限り日本から変わることはない。その意味で沖縄が直接米側に訴えかける意味はある。
 米大統領選で勝利したトランプ氏が言う世界の警察をやめるという意味は、軍事紛争に介入しないということだ。仮に日中間で尖閣諸島を巡り衝突が起きても巻き込まれたくないというのが米国の本音だ。基地反対の意見が多い沖縄で基地を存続させることは米国にとっても合理的ではない。基地への怨念がアジア政策の要の嘉手納飛行場まで波及すれば、日米同盟の危機につながる。トランプ氏の当選で、これまでの計画などを変える条件が出てきたのは事実だ。だが、明るい展望が開けるという期待を持ってはいけない。今まで以上に冷淡で沖縄に目を向けない可能性がある。沖縄から声を上げ続けることが重要だ。」


 あわせて、沖縄タイムスは、「SACO20年」を「『日米同盟強化』が進んだ20年」と、次のように解説した。


(1)SACO最終報告は、米軍普天間飛行場など11施設の返還が明記され「負担軽減」が強調された。実態は県内移設が条件でスムーズな返還とはいかなかった。新型輸送機オスプレイの運用など機能強化も明らかになり、もう一つの側面だった「日米同盟の強化」が進んだ20年だった。
(2)最終報告に示された返還総面積5002ヘクタールのうち、米軍北部訓練場の3987ヘクタールは約8割を占める。返還条件のヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、上陸訓練を実施する。辺野古も全長271・8メートルで大型艦船の接岸できる「係船機能付き護岸」や「弾薬搭載エリア」など、普天間飛行場にはない新たな機能を加える。
(3)米兵暴行事件や大田昌秀元知事による代理署名拒否、県民大会などを受け、日米両政府は基地の整理・統合・縮小と日米地位協定の運用改善をせざるを得なくなった。県道104号越え実弾砲兵射撃訓練は県外で実施。「移駐完了」後も普天間に再飛来する空中給油機は岩国飛行場へ移った。
(4)計画全てが実施されても、在日米軍専用施設・区域の約7割が残る。沖縄に集中する構図は変わらず、当時からの願いである「国民全体での負担」にはほど遠い。

 【SACO合意とは】 1995年に沖縄で起きた暴行事件を機に、日米両政府が沖縄に関する特別行動委員会(SACO)を設置。96年12月の最終報告には、「請求に対する支払い」など日米地位協定の運用改善が盛り込まれた。


 一方、琉球新報は2016年12月2日、「SACO合意」について、「SACO20年 県民不在の合意破綻した 政府は対米交渉やり直せ」、と社説で出張した。
 琉球新報は、このように結論を切り出している。


「県民不在の日米合意に固執し続ける限り、沖縄は米軍基地の呪縛から逃れることはできない。代替施設を県内に求める「負担軽減策」はしょせん虚妄にすぎない。
 日米特別行動委員会(SACO)最終報告の合意から20年になる。その本質は負担軽減に名を借りた米軍基地の固定化・機能強化にほかならない。
 その合意が完全に破綻したことは辺野古新基地建設や米軍北部訓練場におけるヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を巡る混乱を見ても明らかだ。
 県民不在の合意に拘泥してはならない。日米両政府は抜本的な負担軽減策に向け再交渉すべきだ。」


 琉球新報は、この結論の理由を二点にわたって次のように指摘する。


Ⅰ.沖縄の意思反映されず
(1)そもそも1996年12月のSACO最終報告に向けた日米両政府の交渉に沖縄側が参画する場面はなかった。基地の重圧に苦しむ当の沖縄が自らの意思を交渉に反映させる道は閉ざされていた。その帰結が「移設条件付き」という県民意思とは懸け離れた合意内容であった。「基地たらい回し」「頭越し合意」という批判が上がったのも当然だ。
(2)SACO合意で返還が決まった11施設5075ヘクタールのうち、現時点で実際に返還されたのは454ヘクタールにとどまる。面積でいえば約9%だ。県内移設という条件が進ちょくを妨げてきた。仮に合意に基づく返還が全て実現した場合でも、在日米軍専用施設面積に占める在沖米軍基地の割合は5ポイント程度下がるだけだ。
(3)米軍再編に伴う嘉手納より南の米軍施設の返還・統合を実施したとしても、最終的には在日米軍専用施設面積の68・6%が沖縄に集中し続ける。到底、沖縄が基地の重圧から脱するとは言えない。
(4)逆に代替施設の建設によって新たな基地負担を強いるSACO合意に県民は翻弄(ほんろう)されてきた。辺野古新基地建設を巡る県と国の係争や海上における過剰警備、ヘリパッド建設に反対する市民運動の弾圧など、さまざまな混乱によって、多くの県民が苦悩し、傷付いてきた。その元凶がSACO合意なのだ。
(5)これまで県民が県内移設を拒んできたのは、本質的な基地負担軽減にはならないという事実と、自らの痛みを他に押し付けることはできないという心情からであった。その沖縄で基地の県外移設を訴え、受け入れを日本本土に求める動きが顕在化している。背景には沖縄の現状を直視しない日本政府の無策とそれを半ば黙認する国民全体に対する不信と憤りがある。日本政府、本土国民は県外移設を訴える県民が抱える危機感を軽視してはならない。
Ⅱ.オスプレイ配備隠ぺい
(1)SACO合意に基づき、104号超え砲撃訓練の分散移転、楚辺通信所やギンバル演習場の返還などの返還が実現した。読谷補助飛行場の返還で、村おこしの施策が進むなど一定の成果もあった。しかし、大半の県民は負担軽減を肌で実感しているわけではない。
(2)今月末、北部訓練場の過半部分が返還される。しかし、ヘリパッド完成後の訓練激化によって、住環境やノグチゲラなど貴重な動植物に重大な悪影響を与えることが懸念されている。既にMV22オスプレイの夜間訓練によって睡眠不足に陥った児童が学校を欠席する事例が報告されている。
(3)ヘリパッド建設を明記したSACO最終報告の草案段階で米側はオスプレイ配備を記載したのに、沖縄の反発を恐れた日本側が削除させたことが判明している。負担軽減策を隠れみのにして、基地機能強化を進めたのだ。沖縄に混乱をもたらし続ける政府の隠ぺい体質を許すわけにはいかない。
(4)ヘリパッド建設に対する姿勢を明確にしてこなかった翁長雄志知事もSACO合意の虚構と不条理を厳しく問い続けなければならない。在沖米軍の抑止力に固執する政府の頑迷を打破しない限り、沖縄の抜本的な基地負担の軽減はあり得ない。


 確かに、SACO合意は、「20年たっても返還が進んでいない背景には計画に根本的な矛盾があるからだ」、という構造的矛盾を孕んでいた。
それは、「オスプレイ配備隠蔽」を含めて、「沖縄の意思が反映されない」ということにある。
 したがって、SACO合意によっては、沖縄の「負担軽減」は達成でない。


 以下、沖縄タイムス及び琉球新報の引用。








(1)琉球新報社説-SACO20年 県民不在の合意破綻した 政府は対米交渉やり直せ-2016年12月2日 06:01


 県民不在の日米合意に固執し続ける限り、沖縄は米軍基地の呪縛から逃れることはできない。代替施設を県内に求める「負担軽減策」はしょせん虚妄にすぎない。
 日米特別行動委員会(SACO)最終報告の合意から20年になる。その本質は負担軽減に名を借りた米軍基地の固定化・機能強化にほかならない。
 その合意が完全に破綻したことは辺野古新基地建設や米軍北部訓練場におけるヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を巡る混乱を見ても明らかだ。
 県民不在の合意に拘泥してはならない。日米両政府は抜本的な負担軽減策に向け再交渉すべきだ。

沖縄の意思反映されず

 そもそも1996年12月のSACO最終報告に向けた日米両政府の交渉に沖縄側が参画する場面はなかった。基地の重圧に苦しむ当の沖縄が自らの意思を交渉に反映させる道は閉ざされていた。
 その帰結が「移設条件付き」という県民意思とは懸け離れた合意内容であった。「基地たらい回し」「頭越し合意」という批判が上がったのも当然だ。
 SACO合意で返還が決まった11施設5075ヘクタールのうち、現時点で実際に返還されたのは454ヘクタールにとどまる。面積でいえば約9%だ。県内移設という条件が進ちょくを妨げてきた。
 仮に合意に基づく返還が全て実現した場合でも、在日米軍専用施設面積に占める在沖米軍基地の割合は5ポイント程度下がるだけだ。
 米軍再編に伴う嘉手納より南の米軍施設の返還・統合を実施したとしても、最終的には在日米軍専用施設面積の68・6%が沖縄に集中し続ける。到底、沖縄が基地の重圧から脱するとは言えない。
 逆に代替施設の建設によって新たな基地負担を強いるSACO合意に県民は翻弄(ほんろう)されてきた。
 辺野古新基地建設を巡る県と国の係争や海上における過剰警備、ヘリパッド建設に反対する市民運動の弾圧など、さまざまな混乱によって、多くの県民が苦悩し、傷付いてきた。その元凶がSACO合意なのだ。
 これまで県民が県内移設を拒んできたのは、本質的な基地負担軽減にはならないという事実と、自らの痛みを他に押し付けることはできないという心情からであった。
 その沖縄で基地の県外移設を訴え、受け入れを日本本土に求める動きが顕在化している。背景には沖縄の現状を直視しない日本政府の無策とそれを半ば黙認する国民全体に対する不信と憤りがある。
 日本政府、本土国民は県外移設を訴える県民が抱える危機感を軽視してはならない。

オスプレイ配備隠ぺい

 SACO合意に基づき、104号超え砲撃訓練の分散移転、楚辺通信所やギンバル演習場の返還などの返還が実現した。読谷補助飛行場の返還で、村おこしの施策が進むなど一定の成果もあった。しかし、大半の県民は負担軽減を肌で実感しているわけではない。
 今月末、北部訓練場の過半部分が返還される。しかし、ヘリパッド完成後の訓練激化によって、住環境やノグチゲラなど貴重な動植物に重大な悪影響を与えることが懸念されている。既にMV22オスプレイの夜間訓練によって睡眠不足に陥った児童が学校を欠席する事例が報告されている。
 ヘリパッド建設を明記したSACO最終報告の草案段階で米側はオスプレイ配備を記載したのに、沖縄の反発を恐れた日本側が削除させたことが判明している。負担軽減策を隠れみのにして、基地機能強化を進めたのだ。沖縄に混乱をもたらし続ける政府の隠ぺい体質を許すわけにはいかない。
 ヘリパッド建設に対する姿勢を明確にしてこなかった翁長雄志知事もSACO合意の虚構と不条理を厳しく問い続けなければならない。在沖米軍の抑止力に固執する政府の頑迷を打破しない限り、沖縄の抜本的な基地負担の軽減はあり得ない。


(2)沖縄タイムス-きょうSACO合意20年 沖縄への基地集中変わらず-2016年12月2日 07:11


 日米特別行動委員会(SACO)の最終報告から2日で、20年になった。22日には沖縄県米軍北部訓練場で建設している四つのヘリパッドが完成し、3987ヘクタールが返還される。最大の懸案だった普天間間飛行場は、名護市辺野古への移設を巡り国と沖縄県が法廷闘争中。沖縄県内では新型輸送機オスプレイが飛来するなど基地機能が強化されている。

 返還が盛り込まれた施設・区域のうち全面返還は読谷補助飛行場など4施設で、大部分返還は瀬名波通信施設の1施設、一部返還はキャンプ桑江など3施設。普天間飛行場と牧港補給地区の土地計7ヘクタールは2017年度中の返還を目指すことで日米両政府が合意。15年に約51ヘクタールが返還された西普天間住宅地区の利便性向上のため、キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドーの一部を日米で共同使用する。

■嘉手納以南めど立たず

 1972年の沖縄返還後、日本政府は県内の83施設を在日米軍施設・区域として提供した。県民生活に影響を及ぼし振興に制約となっているとして、西銘順治元知事は2度訪米し、普天間飛行場など7施設・区域の返還リストを提出。県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)は13施設20事案の返還を求めた。

 日米両政府は、90年に日米合同委員会で知事要望の3事案と、日米安全保障協議委員会(安保協)で了承された整理統合計画のうち未実施の9事案、軍転協の8事案、米側が返還可能とした3事案を加え、いわゆる23事案(17施設・約千ヘクタール)について返還に向けた手続きを進めることで合意。そのうち、96年3月までに12事案が返還された。

 日米両政府は、23事案から引き続き検討とされ沖縄から返還要望の強かった普天間飛行場と那覇港湾施設が、96年に代替施設の完成後返還するなどの条件をつけることで合意しSACOに全面返還を含んだ。

 米軍再編では辺野古移設と嘉手納より南の基地返還がパッケージとされたが、2012年の民主党政権で見直された。13年には統合計画で大まかな返還時期が示されたが「22年度またはその後」とされた普天間をはじめ見通しは立っていない。

【解説】「日米同盟強化」が進んだ20年

 SACO最終報告は、米軍普天間飛行場など11施設の返還が明記され「負担軽減」が強調された。実態は県内移設が条件でスムーズな返還とはいかなかった。新型輸送機オスプレイの運用など機能強化も明らかになり、もう一つの側面だった「日米同盟の強化」が進んだ20年だった。

 最終報告に示された返還総面積5002ヘクタールのうち、米軍北部訓練場の3987ヘクタールは約8割を占める。返還条件のヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、上陸訓練を実施する。辺野古も全長271・8メートルで大型艦船の接岸できる「係船機能付き護岸」や「弾薬搭載エリア」など、普天間飛行場にはない新たな機能を加える。

 米兵暴行事件や大田昌秀元知事による代理署名拒否、県民大会などを受け、日米両政府は基地の整理・統合・縮小と日米地位協定の運用改善をせざるを得なくなった。県道104号越え実弾砲兵射撃訓練は県外で実施。「移駐完了」後も普天間に再飛来する空中給油機は岩国飛行場へ移った。

 計画全てが実施されても、在日米軍専用施設・区域の約7割が残る。沖縄に集中する構図は変わらず、当時からの願いである「国民全体での負担」にはほど遠い。(東京報道部・上地一姫)

 【SACO合意とは】 1995年に沖縄で起きた暴行事件を機に、日米両政府が沖縄に関する特別行動委員会(SACO)を設置。96年12月の最終報告には、「請求に対する支払い」など日米地位協定の運用改善が盛り込まれた。


(3)沖縄タイムス-「海兵隊が沖縄にいる理由ますます無くなる」 SACO合意20年、専門家に聞く-2016年12月2日 08:06


■柳沢協二氏(元内閣官房副長官補)

 20年たっても返還が進んでいない背景には計画に根本的な矛盾があるからだ。

 20年前に普天間飛行場の返還を決めたのは米軍の戦略だ。冷戦終結後、ヨーロッパと東アジアの10万人の米軍駐留兵力を維持する方針があり、沖縄は一番大きな拠点地だった。沖縄の基地を安定的に維持するには過重な負担を軽減する必要があり、問題が多かった普天間が対象となった。

 その戦略の前提が今、崩れている。米軍は前方展開のプレゼンスを減らす方向にかじを切った。だが、日本政府は20年前と同じ発想で政策を維持している。

 20年前と比べ中国が海洋進出を強めているが、あくまでも海洋秩序を巡る対立で、基本的なプレーヤーは海、空軍だ。海兵隊の出番はない。つまり中国の海洋進出を止める抑止力は、海兵隊にはない。

 日米ガイドラインでも離島防衛は自衛隊の任務と明記している。2018年度には陸上自衛隊に水陸機動団をつくり、海兵隊機能を持つ。九州北部から尖閣をにらむ部隊ができる。ますます米海兵隊が沖縄にいる理由はなくなる。

 このように前提が変わったにもかかわらず日本政府が名護市辺野古への新基地建設計画を維持するのは、歴代政権の流れをいまさら変えられないというのが本音だ。計画を変更するには政治のリードが必要だが相当なエネルギーが必要で、米側から発信しない限り日本から変わることはない。その意味で沖縄が直接米側に訴えかける意味はある。

 米大統領選で勝利したトランプ氏が言う世界の警察をやめるという意味は、軍事紛争に介入しないということだ。仮に日中間で尖閣諸島を巡り衝突が起きても巻き込まれたくないというのが米国の本音だ。

 基地反対の意見が多い沖縄で基地を存続させることは米国にとっても合理的ではない。基地への怨念がアジア政策の要の嘉手納飛行場まで波及すれば、日米同盟の危機につながる。トランプ氏の当選で、これまでの計画などを変える条件が出てきたのは事実だ。だが、明るい展望が開けるという期待を持ってはいけない。

 今まで以上に冷淡で沖縄に目を向けない可能性がある。沖縄から声を上げ続けることが重要だ。(聞き手=政経部・大野亨恭)



(4)沖縄タイムス-SACOから20年 返還合意された沖縄基地の現状は…-2016年12月2日 07:42


【辺野古】司法、国の主張追認

 5~7年以内に十分な代替施設が完成し運用可能になった後、全面返還とされ目玉だった米軍普天間飛行場。移設先はキャンプ・シュワブ沖合で事実上合意されていたが、最終報告では「沖縄本島東海岸沖」へ海上施設を建設するとの方針を示すだけにとどまっていた。

 2006年、シュワブ沿岸部を埋め立てV字形滑走路を備える飛行場を造る現行計画に、日米両政府が合意した。13年12月に仲井真弘多知事(当時)が埋め立てを承認。条件として提案した「5年以内の運用停止」に政府は前向きに返答したが、14年12月に新基地建設に反対する翁長雄志知事が誕生し態度を硬化させた。

 翁長知事は15年10月に埋め立て承認を取り消し、国と県は法廷闘争に入った。ことし9月には辺野古違法確認訴訟で福岡高裁那覇支部が国の主張を全面的に認める判決を出した。県は上告している。

 3月の和解により、新基地建設を巡る工事は全て止まっていたが、11月25日の和解条項について協議する「政府・沖縄県協議会」の作業部会で、県はキャンプ・シュワブ陸上部分の隊舎2棟に限り工事の再開を容認。防衛省は月内にも工事を始めるよう調整している。

【北部訓練場】ヘリパッド移設を強行

 北部訓練場は2002年度末をめどに、約7500ヘクタールのうち、海への出入りを確保した上で約4千ヘクタールを返還するとしていた。返還されない部分に七つのヘリパッドを移設することが条件。06年にヘリパッドは六つ、造成規模は直径75メートルから45メートルに変更された。

 07年に環境影響評価図書が公表され、工事が始まった。15年にN4地区の二つが米側に提供されたが、反対住民による抗議行動などで工事は2年近く止まっていた。沖縄防衛局は16年7月の参議院選が終わった翌朝から資機材を搬入するなど工事を再開させた。

 日米両政府は過半を返還できることから、基地負担の軽減に取り組む姿勢をアピールする。全国から機動隊員約500人を動員し、資機材を空輸するために陸上自衛隊のヘリを投入し、12月22日の完成・提供・返還に向け工事を進める。

 一方、翁長雄志知事は新型輸送機オスプレイの配備撤去を求めており、07年の環境影響評価でもオスプレイによる低周波音や排ガスの風圧などの影響が勘案されていないことから、四つのヘリパッドの本格的な運用が開始される前に再評価を求めている。

【那覇軍港】浦添への移設 足踏み  

 那覇軍港(56ヘクタール)は復帰直後の1974年に日米間で返還が合意されたが実現せず、96年のSACO合意で浦添埠頭(ふとう)地区への移設で再合意された。しかし移設は進まず、2006年の「再編実施のための日米のロードマップ」を経て、13年4月の嘉手納以南の返還時期を定めた「統合計画」に引き継がれた。

 現在、返還時期は28年度、またはその後とされているが、返還条件の浦添移設はめどが立っていない。軍港移設問題は、浦添市が進める西海岸開発計画と密接に関わり、歴代市長は市政の重要課題として取り組んできた。

 13年の市長選で移設反対を掲げて当選した現職の松本哲治浦添市長は15年2月に米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)沖を埋め立てて港湾施設やリゾート地を整備する西海岸開発計画を発表した。その2カ月後の4月、反対から受け入れに転じた。

 だが、移設位置を巡り、市と那覇港管理組合で意見が割れている。ことし4月には防衛省が複数の移設案を提示。夏ごろの合意形成を目指し断続的に県、那覇市、浦添市、那覇港管理組合の担当者らが協議を進めてきたが、議論は今もなお、平行線をたどっている。

【日米地位協定】米側の運用に左右

 最終報告では、米軍施設・区域への立ち入り手続きや米軍航空機事故調査報告の日本政府への公表など日米地位協定の運用改善もまとめられた。

 米軍基地への立ち入りは、地域社会との友好関係を維持する必要性を認識して定められた。米軍の運用を妨げることがないことが前提。ヘリパッド建設が進む米軍北部訓練場内の現状確認のために国会議員らが申請して却下されるなど、米側の裁量に左右される。

 米軍機事故については、沖縄国際大学へのヘリ墜落時には原因調査や捜査をめぐって米軍側が県警の現場検証を拒否した。日本政府に報告書が公表されても、両政府間の協議は伏せられるなど県民が検証するためには十分でない。

 米軍関係者が公務外で事故を起こした場合に、加害者に支払い能力がなく米国政府の支払いが裁判判決額に満たない場合は、日本側が差額を埋める見舞金制度ができた。

 請求者に対して提示する示談書には、米国政府や加害者、日本政府を免責するなどの文言が示されていた。2015年7月以降からは、被害者らに配慮して日本政府を免責するという文言は削除された。


by asyagi-df-2014 | 2016-12-16 11:21 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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