沖縄-辺野古・高江から-2016年11月3・4日

 沖縄の小学生が、絶滅危惧種のオキナワイシカワガエルを国頭村内で発見し、撮影した。
 あらためて、沖縄の自然の豊かさを知らされる。


 2016年11月3・4日、沖縄-辺野古・高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-絶滅危惧種、しかもまれな青い個体 オキナワイシカワガエルを小学4年生が発見-2016年11月3日 16:34


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


(1)那覇市立天久小学校4年生の松本向日葵(ひまり)さん(10)=那覇市=は10月31日、絶滅危惧種のオキナワイシカワガエルを国頭村内で発見し、撮影した。緑色が一般的だが、青色の個体が見つかるのはまれ。松本さんは「森の傾斜のコケの部分で見つけた。色がきれいですぐに撮影した」と振り返った。
(2)イシカワガエルは沖縄本島と奄美大島の固有種。県の天然記念物で、日本で最も美しいカエルとも呼ばれ体長10~12センチに成長する。松本さんは妹の葵さんや祖父らと初めて同村の比地大滝キャンプ場を訪れ、場内のつり橋付近を散策中にイシカワガエルを発見した。
(3)祖父の影響で昆虫好きで、頻繁に図鑑を眺めているという松本さん。青色のカエルを見つけた時は「毒を持つ危険なヤドクガエルだと思い、触らなかった」と語る。同行していたエコガイドの男性に「貴重なカエル。宝くじに当たるより珍しい」と教えてもらい、手持ちのゲーム機で写真に収めた。琉球大学教育学部の富永篤准教授(38)=両生類系統分類学=によると、イシカワガエルは青と黄が重なって緑色になるが、黄色のもとになる黄色素胞が欠如すると青色になると説明。「これまでにも見つかってはいるがまれ」と話した。


(2)琉球新報-県道規制 警察に批判 地元、観光へ悪影響懸念 ヘリ着陸帯建設-2016年11月4日 07:30


 琉球新報は、標題について次のように報じた。


(1)東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を巡り、工事車両の搬入時に警察が東村高江の県道70号を交通規制していることについて、観光客や県民から不満の声が上がっている。国頭、大宜味、東のやんばる3村の一部は9月に国立公園に指定されたばかり。観光客の受け入れ体制を整え地域の活性化を図ろうとする地元からは「悪影響だ」と懸念する声も出ている。
(2)3日、午前11時ごろから午後2時前までの約3時間、砂利を積んだダンプカーがN1地区ゲートとメインゲートを往復する間、警察は一般車両の交通を一部制限した。那覇からバードウオッチングに訪れた男性(55)は「警察は何の説明もしないし答えてくれない」と、2時間半車の中で待たされたことに憤慨していた。那覇から国頭村安波のビーチに行く予定だった40代女性は「規制が掛かっているとは思わなかったので通れずびっくりしている。一般からすると迷惑。迂回(うかい)すると言ってもこの辺に道もないのに…」と困惑した様子を見せた。現場の警察官は「待機するかUターンしてください」と繰り返した。交通規制で、引き返すレンタカーもあった。
(3)国頭村安波にある村環境教育センター「やんばる学びの森」の山川雄二センター長によると、利用者に対して交通規制のある県道70号ではなく国道58号から遠回りして来訪するように呼び掛けることもあるという。交通規制の場所や時間帯は、地元には一切知らされていない。山川センター長は「時間が決まっていれば対処しやすいが、今の状態だと利用者も予定が立てづらい。修学旅行生などの大型バスも一度交通規制に合うとバックもできないし身動きできない。利用者にとっては大変迷惑だ」と嘆いた。
(4)国頭村の宮城久和村長は「国立公園になったのに、国頭村の自然を見られずに帰すのは忍びない。そういうことがないよう、反対する人や警察双方に何とか考えてほしい」と話した。県警警備関係者によると、工事車両の搬入時、ヘリパッド工事の反対運動によく参加する人の車両は通行を制限している。一般車両の通行制限について県警は「本日対応できる責任者がいない」とし、コメントをしていない


(3)琉球新報-北部ヘリパッド・訓練道 森林管理署が伐採同意-2016年11月3日 10:45


 琉球新報は、「米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設予定地の「G地区」と国頭村の宇嘉川河口部を結ぶ訓練道の建設を巡り、沖縄森林管理署は2日、立木(りゅうぼく)伐採に同意する文書を沖縄防衛局に出した。ヘリパッド建設工事の年内完了を目指す政府の方針に沿い、防衛局は全長約2キロの訓練道路のうち約半分以上を手作業による伐採から重機を使う方法に変更した。これに伴い、樹木の伐採規模が大きく増えるとみられる。」、と報じた。
 また、「『G地区』で2日、抗議行動をした市民らによると、訓練道では竹などの伐採がすでに行われていた。さらに今後、重機で樹木を伐採するとみられる範囲がテープで示されていたが、その通り伐採されると道幅は約4メートルになるとみられるという。市民からは『歩行訓練用の道路と言うには広すぎる。いずれ水陸両用車などが利用するようになるのではないか』と懸念する声も上がっている。」、「森林管理署の清水俊二署長は2日、取材に『最小限の伐採で、森林保全に支障がないと判断し現状変更に対する協議に同意した』などと説明した。」、と伝えた。


(4)琉球新報-嘉陽宗義さん死去 辺野古反対訴え続け 94歳-2016年11月4日 07:30


 琉球新報は、訃報を報じた。


(1)米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古で座り込みを続けてきた「命を守る会」の嘉陽宗義さんが3日午前8時45分ごろ、肺炎のため宜野座村の病院で死去した。94歳。名護市辺野古出身。告別式は未定。出棺日は5日午前10時45分を予定している。
(2)米軍普天間飛行場の移設先に辺野古案が浮上した1996年当時から、辺野古への基地建設反対の意志を示してきた。太平洋戦争で徴兵された嘉陽さんは、後輩が上官に理不尽に怒られた際、かばって自らが体罰を受けた。戦場で足を負傷し、戦争の理不尽さやむごさを体験した思いから、反戦平和を呼び掛けてきた。妻の芳子さん(88)は「正義感の強い人だった。戦争は二度とやってはいけないと言っていた。死ぬまでずっと、辺野古に基地が造られるか造られないかを心配していた。それが唯一の心残りかもしれない」と声を落とした。嘉陽さんは98年、命を守る会の中に高齢者でつくるグループ「ジュゴンの会」を設立し、その代表を務めた。高齢で体が不自由ながらも、車椅子で辺野古の浜のテントを何度も訪れた。稲嶺進名護市長は「辺野古の闘いの象徴の人だった。オジーの遺志をしっかりと受け継いでいく」と悼んだ。
(3)ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「オジーは辺野古に絶対に基地を造らせないという意志の固まりだった。最後まで闘いたいという思いが強かった」としのんだ。
「命を守る会」で嘉陽さんと行動を共にしてきた辺野古の西川征夫さん(72)は「20年前の決起集会や(会を)立ち上げた時の状況が頭の中に浮かぶ。最初から最後まで頑張ってくれたオジー、ご苦労さま」と声を掛けた。


(5)沖縄タイムス-<米軍ヘリパッド>ダンプ60台が進入 座り込み抗議を排除-2016年11月4日 14:39


 沖縄タイムスは、「米軍北部訓練場へのヘリパッド建設に向け、4日午前9時20分ごろから東村高江のN1ゲート内に土砂を積んだ大型ダンプカー延べ60台が土砂や資材を搬入した。車両は警察車両に先導され、午後0時10分までに次々と進入。市民らによると、この日で累計2020台のダンプカーが建設現場に入っている。建設に反対する市民ら約30人は座り込み、「違法なダンプを通すな」「弾圧やめろ」と抗議したが、ダンプ搬入前までに機動隊員によってゲート前から排除された。


(6)沖縄タイムス-米軍実弾砲撃演習「移転遅れは日本に要因」 元米総領事が証言-2016年11月4日 08:03


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


(1)米国務省が元外交官らを対象に実施している米外交史口述記録で、アロイシャス・オニール元在沖米総領事が、1990年代に大田昌秀知事(当時)が求めていた米海兵隊による県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について、海兵隊が前向きだったにもかかわらず、日本政府の消極姿勢で実現が遅れたなどと指摘していたことが3日までに分かった。オニール氏は当時、大田知事が求めていた「三事案」の一つである県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について「海兵隊は、すでに訓練を実施していた本州の富士にある大砲射撃場への移転に前向きだった」と回顧。一方で、「東京(日本政府)は単にやりたがらなかった。95年に起きた残酷な事件の結果、ようやく実行に移した」と述べ、実現に大幅な遅れが生じた要因は日本政府の後ろ向きな姿勢にあったとの見解を示した。
(2)オニール氏は、80年代から90年代に行われた在日米軍基地の返還や整理統合について、「日本国内の政治的圧力」で、東京や横浜、横須賀などで米軍基地の返還や整理統合などが実施される一方、「沖縄でも部分的な米軍基地の整理統合はあったが、規模は同じではなかった」と述べ、日本本土への対応を優先し、沖縄を後回しにする傾向が続いていたなどと証言している。
(3)米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設については、海兵隊の地上部隊と航空部隊の配置は切り離されるべきではないとし、「沖縄本島中部から北部へ飛んで海兵隊を迎えて北部訓練場まで運ぶ代わりに、(辺野古移設で航空部隊が)地上部隊と訓練場のすぐそばにいることが可能となる。実現すれば改善につながる」と述べ、利便性が向上する同計画は海兵隊側に利点が大きいと強調している。
(4)オニール氏は、94年から97年まで在沖米総領事を務めた。インタビューは2008年8月、退役外交官らを対象に口述記録を編さんする国務省系研究機関「外交研究育成協会」が実施した。日米両政府は95年の暴行事件後、日米安全保障協議委員会(SCC)で、104号越え実弾砲撃訓練の本土演習場への分散移転の検討に合意。96年12月に公表したSACO(日米特別行動委員会)最終報告の中で、97年度中の本土移転を明記。96年8月の日米合同委員会で、移転先を本土の5カ所、訓練は年間35日以内との内容を正式決定した。


 以下、琉球新報及び沖縄タイムスの引用。







(1)沖縄タイムス-絶滅危惧種、しかもまれな青い個体 オキナワイシカワガエルを小学4年生が発見-2016年11月3日 16:34


 那覇市立天久小学校4年生の松本向日葵(ひまり)さん(10)=那覇市=は10月31日、絶滅危惧種のオキナワイシカワガエルを国頭村内で発見し、撮影した。緑色が一般的だが、青色の個体が見つかるのはまれ。松本さんは「森の傾斜のコケの部分で見つけた。色がきれいですぐに撮影した」と振り返った。

 イシカワガエルは沖縄本島と奄美大島の固有種。県の天然記念物で、日本で最も美しいカエルとも呼ばれ体長10~12センチに成長する。松本さんは妹の葵さんや祖父らと初めて同村の比地大滝キャンプ場を訪れ、場内のつり橋付近を散策中にイシカワガエルを発見した。

 祖父の影響で昆虫好きで、頻繁に図鑑を眺めているという松本さん。青色のカエルを見つけた時は「毒を持つ危険なヤドクガエルだと思い、触らなかった」と語る。

 同行していたエコガイドの男性に「貴重なカエル。宝くじに当たるより珍しい」と教えてもらい、手持ちのゲーム機で写真に収めた。

 琉球大学教育学部の富永篤准教授(38)=両生類系統分類学=によると、イシカワガエルは青と黄が重なって緑色になるが、黄色のもとになる黄色素胞が欠如すると青色になると説明。「これまでにも見つかってはいるがまれ」と話した。


(2)琉球新報-県道規制 警察に批判 地元、観光へ悪影響懸念 ヘリ着陸帯建設-2016年11月4日 07:30


 【ヘリパッド取材班】東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を巡り、工事車両の搬入時に警察が東村高江の県道70号を交通規制していることについて、観光客や県民から不満の声が上がっている。国頭、大宜味、東のやんばる3村の一部は9月に国立公園に指定されたばかり。観光客の受け入れ体制を整え地域の活性化を図ろうとする地元からは「悪影響だ」と懸念する声も出ている。

 3日、午前11時ごろから午後2時前までの約3時間、砂利を積んだダンプカーがN1地区ゲートとメインゲートを往復する間、警察は一般車両の交通を一部制限した。那覇からバードウオッチングに訪れた男性(55)は「警察は何の説明もしないし答えてくれない」と、2時間半車の中で待たされたことに憤慨していた。那覇から国頭村安波のビーチに行く予定だった40代女性は「規制が掛かっているとは思わなかったので通れずびっくりしている。一般からすると迷惑。迂回(うかい)すると言ってもこの辺に道もないのに…」と困惑した様子を見せた。現場の警察官は「待機するかUターンしてください」と繰り返した。交通規制で、引き返すレンタカーもあった。
 国頭村安波にある村環境教育センター「やんばる学びの森」の山川雄二センター長によると、利用者に対して交通規制のある県道70号ではなく国道58号から遠回りして来訪するように呼び掛けることもあるという。
 交通規制の場所や時間帯は、地元には一切知らされていない。山川センター長は「時間が決まっていれば対処しやすいが、今の状態だと利用者も予定が立てづらい。修学旅行生などの大型バスも一度交通規制に合うとバックもできないし身動きできない。利用者にとっては大変迷惑だ」と嘆いた。
 国頭村の宮城久和村長は「国立公園になったのに、国頭村の自然を見られずに帰すのは忍びない。そういうことがないよう、反対する人や警察双方に何とか考えてほしい」と話した。
 県警警備関係者によると、工事車両の搬入時、ヘリパッド工事の反対運動によく参加する人の車両は通行を制限している。
 一般車両の通行制限について県警は「本日対応できる責任者がいない」とし、コメントをしていない


(3)琉球新報-北部ヘリパッド・訓練道 森林管理署が伐採同意-2016年11月3日 10:45


 【ヘリパッド取材班】米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設予定地の「G地区」と国頭村の宇嘉川河口部を結ぶ訓練道の建設を巡り、沖縄森林管理署は2日、立木(りゅうぼく)伐採に同意する文書を沖縄防衛局に出した。ヘリパッド建設工事の年内完了を目指す政府の方針に沿い、防衛局は全長約2キロの訓練道路のうち約半分以上を手作業による伐採から重機を使う方法に変更した。これに伴い、樹木の伐採規模が大きく増えるとみられる。

 「G地区」で2日、抗議行動をした市民らによると、訓練道では竹などの伐採がすでに行われていた。さらに今後、重機で樹木を伐採するとみられる範囲がテープで示されていたが、その通り伐採されると道幅は約4メートルになるとみられるという。市民からは「歩行訓練用の道路と言うには広すぎる。いずれ水陸両用車などが利用するようになるのではないか」と懸念する声も上がっている。

 森林管理署の清水俊二署長は2日、取材に「最小限の伐採で、森林保全に支障がないと判断し現状変更に対する協議に同意した」などと説明した。


(4)琉球新報-嘉陽宗義さん死去 辺野古反対訴え続け 94歳-2016年11月4日 07:30


 【名護】米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古で座り込みを続けてきた「命を守る会」の嘉陽宗義さんが3日午前8時45分ごろ、肺炎のため宜野座村の病院で死去した。94歳。名護市辺野古出身。告別式は未定。出棺日は5日午前10時45分を予定している。

 米軍普天間飛行場の移設先に辺野古案が浮上した1996年当時から、辺野古への基地建設反対の意志を示してきた。太平洋戦争で徴兵された嘉陽さんは、後輩が上官に理不尽に怒られた際、かばって自らが体罰を受けた。戦場で足を負傷し、戦争の理不尽さやむごさを体験した思いから、反戦平和を呼び掛けてきた。妻の芳子さん(88)は「正義感の強い人だった。戦争は二度とやってはいけないと言っていた。死ぬまでずっと、辺野古に基地が造られるか造られないかを心配していた。それが唯一の心残りかもしれない」と声を落とした。

 嘉陽さんは98年、命を守る会の中に高齢者でつくるグループ「ジュゴンの会」を設立し、その代表を務めた。高齢で体が不自由ながらも、車椅子で辺野古の浜のテントを何度も訪れた。稲嶺進名護市長は「辺野古の闘いの象徴の人だった。オジーの遺志をしっかりと受け継いでいく」と悼んだ。

 ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「オジーは辺野古に絶対に基地を造らせないという意志の固まりだった。最後まで闘いたいという思いが強かった」としのんだ。

 「命を守る会」で嘉陽さんと行動を共にしてきた辺野古の西川征夫さん(72)は「20年前の決起集会や(会を)立ち上げた時の状況が頭の中に浮かぶ。最初から最後まで頑張ってくれたオジー、ご苦労さま」と声を掛けた。


(5)沖縄タイムス-<米軍ヘリパッド>ダンプ60台が進入 座り込み抗議を排除-2016年11月4日 14:39


 米軍北部訓練場へのヘリパッド建設に向け、4日午前9時20分ごろから東村高江のN1ゲート内に土砂を積んだ大型ダンプカー延べ60台が土砂や資材を搬入した。車両は警察車両に先導され、午後0時10分までに次々と進入。市民らによると、この日で累計2020台のダンプカーが建設現場に入っている。

 建設に反対する市民ら約30人は座り込み、「違法なダンプを通すな」「弾圧やめろ」と抗議したが、ダンプ搬入前までに機動隊員によってゲート前から排除された。


(6)沖縄タイムス-米軍実弾砲撃演習「移転遅れは日本に要因」 元米総領事が証言-2016年11月4日 08:03


 【平安名純代・米国特約記者】米国務省が元外交官らを対象に実施している米外交史口述記録で、アロイシャス・オニール元在沖米総領事が、1990年代に大田昌秀知事(当時)が求めていた米海兵隊による県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について、海兵隊が前向きだったにもかかわらず、日本政府の消極姿勢で実現が遅れたなどと指摘していたことが3日までに分かった。

 オニール氏は当時、大田知事が求めていた「三事案」の一つである県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について「海兵隊は、すでに訓練を実施していた本州の富士にある大砲射撃場への移転に前向きだった」と回顧。一方で、「東京(日本政府)は単にやりたがらなかった。95年に起きた残酷な事件の結果、ようやく実行に移した」と述べ、実現に大幅な遅れが生じた要因は日本政府の後ろ向きな姿勢にあったとの見解を示した。

 オニール氏は、80年代から90年代に行われた在日米軍基地の返還や整理統合について、「日本国内の政治的圧力」で、東京や横浜、横須賀などで米軍基地の返還や整理統合などが実施される一方、「沖縄でも部分的な米軍基地の整理統合はあったが、規模は同じではなかった」と述べ、日本本土への対応を優先し、沖縄を後回しにする傾向が続いていたなどと証言している。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設については、海兵隊の地上部隊と航空部隊の配置は切り離されるべきではないとし、「沖縄本島中部から北部へ飛んで海兵隊を迎えて北部訓練場まで運ぶ代わりに、(辺野古移設で航空部隊が)地上部隊と訓練場のすぐそばにいることが可能となる。実現すれば改善につながる」と述べ、利便性が向上する同計画は海兵隊側に利点が大きいと強調している。

 オニール氏は、94年から97年まで在沖米総領事を務めた。インタビューは2008年8月、退役外交官らを対象に口述記録を編さんする国務省系研究機関「外交研究育成協会」が実施した。

 日米両政府は95年の暴行事件後、日米安全保障協議委員会(SCC)で、104号越え実弾砲撃訓練の本土演習場への分散移転の検討に合意。96年12月に公表したSACO(日米特別行動委員会)最終報告の中で、97年度中の本土移転を明記。96年8月の日米合同委員会で、移転先を本土の5カ所、訓練は年間35日以内との内容を正式決定した。


by asyagi-df-2014 | 2016-11-04 17:12 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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