水俣-水俣病救済のあり方が問われている。-対象地域外から訴え-。

 朝日新聞は2016年10月3日、「救済線引きに疑問符 1万人検診記録、医師団と朝日新聞分析 水俣病」、「水俣病救済『症状で判断を』 対象地域外から訴え」、と水俣病救済のあり方について報じた。
このことについて朝日新聞の記事を基に考える。
朝日新聞〈以下、朝日とする〉は、まず、水俣病救済のあり方の問題について始める。


 水俣病は政府が定めた地域や年代の線引きの外に広がっている――。今も続く民間医師団による検診の分析結果は、その可能性を強く示す。政府や自治体は不知火(しらぬい)海周辺の被害実態を解明しないまま、救済策の対象を限った。それが、公式確認から60年を経ても問題が解決しない要因になっている。


 朝日は、民間医師団の検診の様子を伝える。


(1)熊本県水俣市の南隣、鹿児島県出水(いずみ)市。9月25日に民間医師団の検診があった。不知火海に浮かぶ長島(鹿児島県長島町)で暮らす男性会社員(58)は、幼い頃からの手の震えや頻発する足のこむら返りが気になり、友人の勧めで受診した。
(2)男性が生まれ育った島の西側の地域には県が認定した水俣病患者はおらず、被害者救済策の対象地域外。男性も「自分には関係ないと思っていた」。ただ、高校時代には漁のアルバイトをした。卒業して上京するまで食卓には豊富な魚が上っていた。医師団はこの日、男性を含む40~80代の受診者11人を、1人当たり40分~2時間かけて検診。全員に水俣病の症状を確認した。
(3)医師団が、潜在被害の調査を続けて40年余り。検診記録は今春までの10年余で1万人超になり、その後も検診の度に症状のある人が見つかる。過去の居住歴が確認できた人は3千人を超え、検診結果を分析した結果、被害者救済策の対象地域内外の集団で症状の現れ方がよく似ていた。
(4)水俣病を研究する岡山大大学院の頼藤貴志准教授(疫学)は、結果の詳細な評価には、対象地域内外の住民に占める受診者の割合や、比較対象とした非汚染地域の住民の情報が必要とした上で「(救済策の)対象地域・年齢でない人でも、症状の見られた割合の傾向が似ている。水俣病特有の神経症状や関係の疑われる症状があるということではないか」と指摘する。


 朝日は、水俣病の現状について、次のように報告する。


(1)水俣病は国の基準に基づいて熊本、鹿児島両県が認定し、原因企業のチッソが補償する患者と、県は患者と認定していないが症状のある被害者がいる。
(2)国の水俣病患者認定基準は、感覚障害を中心とする複数の症状の組み合わせを要件とし、厳格過ぎると指摘されてきた。典型症状の感覚障害がありながら認定されない人々は、訴訟で補償を求めた。和解を迫られた国は1995年、患者が受ける補償より低額の一時金などを1万人余に払う政治解決策で収束を図った。
(3)2004年には、不知火海沿岸地域から関西地方に移った人々が起こした訴訟で、最高裁が国の基準より幅広く被害を認めた。それでも国は基準を見直さず、09年に成立した水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済策をとり、3万6千人余を対象とした。2度の政治解決策で、患者が出た地域かどうかで救済対象を線引きした。
(4)国の基準によって認定されない人がいただけでなく、認定患者が差別や偏見にさらされるなか、症状の出た身内を隠し、認定の申請自体をためらう人々も少なくなかった。こうして、患者と認定される人が抑えられ、被害実態に合わない線引きができ、救済対象地域が狭まった可能性がある。救済策の締め切り後も、認定申請や訴訟が相次いでいる。
(5)医師団や複数の患者・被害者団体は、不知火海沿岸に居住歴のある人の網羅的な健康調査と被害の実態解明を国に求めているが、実現していない。
(6)チッソは水俣病の公式確認後も12年にわたりメチル水銀を含む廃水を不知火海に流し続け、行政は規制しなかった。04年の最高裁判決では、被害の拡大を放置した国と熊本県の責任が確定した。民間医師団の団長を務める藤野糺(ただし)医師は「(国などの)加害者が調査もせずに線引きすることは許されない」と話す。


 朝日は、この問題について、「症状で判断を」「海はつながっている」、今も被害を訴える人々がいる、とその声を伝える。


Ⅰ.伊佐市に住む税所(さいしょ)秀孝さん(78)の場合。
(1)山あいの農村地帯の公園に「やまの」と書かれた看板や線路の一部が残る。鹿児島県伊佐市(旧山野町など)の山野駅跡だ。1988年に山野線が廃止されるまで、約20キロ離れた熊本県水俣市と結ばれていた。
(2)伊佐市に住む税所(さいしょ)秀孝さん(78)は高校時代を鮮明に思い出す。毎朝8時ごろ、山野駅から水俣と逆方面の汽車に乗ると、てんびん棒や籠で魚を運ぶ行商人が大勢、車内にいた。雨の日はひときわ生臭い。行商人は沿線で物々交換をし、夕方には空いた籠に米などを入れて水俣方面行きの列車に乗った。税所さんの家は、なじみの3人の行商の女性から魚を買っていた。
(3)地元の金鉱山で働いたが、30歳ごろから手足のこむら返りが起き、50歳を超えて悪化。しびれもあって溶接やボルト締めがうまくできなくなった。こたつの熱に気づかず低温やけどもした。病院で受診しても原因はわからなかった。
(4)新聞や自宅に投函(とうかん)された患者団体のチラシで、水俣病被害者への政府の救済策を見て、自分もそうかもしれないと初めて疑った。ただ、自分が「不治の病」の水俣病と認められたくないとの思いもあり、ためらった末に申請期限間際の2012年7月に申請した。だが伊佐市は救済の対象地域外。魚を日常的に食べたと証明できず、症状があるかどうかの検診すら受けられなかった。「魚の領収証なんか、残っていない」
(5)水俣病じゃないと確認したい。その一心で14年に医師団の検診を受けると「水俣病の症状がある」と告げられた。「ショックだった」。積年の苦しみに怒りも湧き、15年1月、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求める訴訟の原告になった。裁判で体がよくなるわけではないが、せめて医療費給付をと願う。


Ⅱ.中村利博さん(66)の場合。
(1)不知火海を挟んで水俣の対岸の熊本県天草市で漁業を営む中村利博さん(66)も、救済策から外された。住んでいる宮野河内地区は対象地域外だが、12年1月の医師団による検診で症状が確認された。
(2)65年ごろから手足にこむら返りが起きるようになったが、水俣病と結びつけて考えなかった。水俣病といえば、全身がけいれんするような劇症患者のイメージだったためだ。十数年前から手がしびれて力が入らず、30分ほどでできた網の修理に40~50分かかるようになった。船上でふらつき、口からよだれが出ても気づかない。風呂場で裸になってケガに気づくこともあった。
(3)昔から三度の食卓に刺し身や煮付けが並んだ。小学校高学年から父の漁を手伝い、中学卒業後は父や兄と一緒に本格的に海へ出た。天草の目の前に浮かぶ、水俣病の認定患者の出ている獅子島(鹿児島県長島町)沿岸でタイを取り、水俣沖で操業する巻き網漁船にも乗った。救済策の申請に合わせて漁協組合員証を県に提出したが「水俣湾または周辺海域の魚介類を入手したことが確認できなかった」として非該当を通知された。悔しくて涙がこみ上げ、訴訟に加わった。
(4)年を重ねるに連れて思い起こすのは、20年ほど前に70代で亡くなった母の姿。両手の指が曲がり、こむら返りやしびれでいつも痛みを訴えていた。母も水俣病だったのだろうと思う。「自分もそうなるのでは」。不安がよぎる。



 今、私たちは、この声をきちっと聞くことである。


「魚の流通ルートを調べればわかるはずなのに……。症状を見て判断してほしい」
「海はつながっとっとやけんな。不公平やっかな」
「早く被害を認めてほしい。平等にもれなく救済をしてもらいたい」


 その上で、次のことの実現に向けて、早急に動き出さなければならない。


 国などの加害者が調査もせずに線引きすることは許されない。
 したがって、国は、水俣病の救済に向けて、不知火海沿岸に居住歴のある人の網羅的な健康調査と被害の実態解明を、行わなければならない。


 以下、朝日新聞の引用。








朝日新聞-救済線引きに疑問符 1万人検診記録、医師団と朝日新聞分析 水俣病-2016年10月3日05時00分


 水俣病は政府が定めた地域や年代の線引きの外に広がっている――。今も続く民間医師団による検診の分析結果は、その可能性を強く示す。政府や自治体は不知火(しらぬい)海周辺の被害実態を解明しないまま、救済策の対象を限った。それが、公式確認から60年を経ても問題が解決しない要因になっている。
 ■検診の度に症状確認
 熊本県水俣市の南隣、鹿児島県出水(いずみ)市。9月25日に民間医師団の検診があった。不知火海に浮かぶ長島(鹿児島県長島町)で暮らす男性会社員(58)は、幼い頃からの手の震えや頻発する足のこむら返りが気になり、友人の勧めで受診した。

 男性が生まれ育った島の西側の地域には県が認定した水俣病患者はおらず、被害者救済策の対象地域外。男性も「自分には関係ないと思っていた」。ただ、高校時代には漁のアルバイトをした。卒業して上京するまで食卓には豊富な魚が上っていた。医師団はこの日、男性を含む40~80代の受診者11人を、1人当たり40分~2時間かけて検診。全員に水俣病の症状を確認した。

 医師団が、潜在被害の調査を続けて40年余り。検診記録は今春までの10年余で1万人超になり、その後も検診の度に症状のある人が見つかる。過去の居住歴が確認できた人は3千人を超え、検診結果を分析した結果、被害者救済策の対象地域内外の集団で症状の現れ方がよく似ていた。

 水俣病を研究する岡山大大学院の頼藤貴志准教授(疫学)は、結果の詳細な評価には、対象地域内外の住民に占める受診者の割合や、比較対象とした非汚染地域の住民の情報が必要とした上で「(救済策の)対象地域・年齢でない人でも、症状の見られた割合の傾向が似ている。水俣病特有の神経症状や関係の疑われる症状があるということではないか」と指摘する。
 ■申請締め切り後も訴訟
 水俣病は国の基準に基づいて熊本、鹿児島両県が認定し、原因企業のチッソが補償する患者と、県は患者と認定していないが症状のある被害者がいる。

 国の水俣病患者認定基準は、感覚障害を中心とする複数の症状の組み合わせを要件とし、厳格過ぎると指摘されてきた。典型症状の感覚障害がありながら認定されない人々は、訴訟で補償を求めた。和解を迫られた国は1995年、患者が受ける補償より低額の一時金などを1万人余に払う政治解決策で収束を図った。

 2004年には、不知火海沿岸地域から関西地方に移った人々が起こした訴訟で、最高裁が国の基準より幅広く被害を認めた。それでも国は基準を見直さず、09年に成立した水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済策をとり、3万6千人余を対象とした。2度の政治解決策で、患者が出た地域かどうかで救済対象を線引きした。

 国の基準によって認定されない人がいただけでなく、認定患者が差別や偏見にさらされるなか、症状の出た身内を隠し、認定の申請自体をためらう人々も少なくなかった。こうして、患者と認定される人が抑えられ、被害実態に合わない線引きができ、救済対象地域が狭まった可能性がある。救済策の締め切り後も、認定申請や訴訟が相次いでいる。

 医師団や複数の患者・被害者団体は、不知火海沿岸に居住歴のある人の網羅的な健康調査と被害の実態解明を国に求めているが、実現していない。

 チッソは水俣病の公式確認後も12年にわたりメチル水銀を含む廃水を不知火海に流し続け、行政は規制しなかった。04年の最高裁判決では、被害の拡大を放置した国と熊本県の責任が確定した。民間医師団の団長を務める藤野糺(ただし)医師は「(国などの)加害者が調査もせずに線引きすることは許されない」と話す。
 (田中久稔)
 ■<視点>政府は網羅的な調査を
 地元の医師たちが蓄積してきた膨大な検診データを、政府は素直に受け止めてほしい。そして、検診に携わった医師や多くの被害者が望むように、不知火海沿岸全域、行商などで魚が流通した内陸部を含めて網羅的に住民の健康調査を実行すべきだ。政府主導なら、差別や偏見におびえて症状を隠す被害者の実態がさらに見える期待もある。

 政府は健康調査を拒み続けてきた。だが、長い時を経てなお多くの住民が感覚障害などに苦しんでいること自体が、水俣病の発生地域以外には考えられない異常事態だ。チッソによる過去のメチル水銀汚染としか原因を説明できない。

 政府は2004年の最高裁判決で被害の拡大を放置した責任を認定され、被害者の救済策を定めた09年の特措法では「あたう限り救済する」と宣言した。政府には被害の全容を自ら把握する義務がある。
 (編集委員・野上隆生)
 ◆水俣病検診記録の共同分析 04年11月以降、今年3月までに熊本県水俣市などで水俣病検診を受けた1万325人のうち、年齢や居住地のわかる1万196人の記録が対象。受診時の居住地は熊本、鹿児島両県のほか東日本、西日本の各地で、平均年齢62・7歳。検診した「水俣病訴訟支援・公害をなくする県民会議医師団」と、朝日新聞社が共同で集計・分析した。データは受診者の個人情報にあたるため、情報管理や報道の責任などについて文書を交わし確認した。


朝日新聞-水俣病救済「症状で判断を」 対象地域外から訴え-2016年10月3日05時25分


 行商で。漁で。不知火(しらぬい)海の魚は、熊本や鹿児島の山間部の集落、沿岸の島々へ届いた。民間医師団の水俣病検診記録の分析では、行政が救済策の対象に枠をはめた内外で症状の現れ方に大きな差がなかった。「症状で判断を」「海はつながっている」。今も被害を訴える人々がいる。

 山あいの農村地帯の公園に「やまの」と書かれた看板や線路の一部が残る。鹿児島県伊佐市(旧山野町など)の山野駅跡だ。1988年に山野線が廃止されるまで、約20キロ離れた熊本県水俣市と結ばれていた。

 伊佐市に住む税所(さいしょ)秀孝さん(78)は高校時代を鮮明に思い出す。毎朝8時ごろ、山野駅から水俣と逆方面の汽車に乗ると、てんびん棒や籠で魚を運ぶ行商人が大勢、車内にいた。雨の日はひときわ生臭い。行商人は沿線で物々交換をし、夕方には空いた籠に米などを入れて水俣方面行きの列車に乗った。税所さんの家は、なじみの3人の行商の女性から魚を買っていた。

 地元の金鉱山で働いたが、30歳ごろから手足のこむら返りが起き、50歳を超えて悪化。しびれもあって溶接やボルト締めがうまくできなくなった。こたつの熱に気づかず低温やけどもした。病院で受診しても原因はわからなかった。

 新聞や自宅に投函(とうかん)された患者団体のチラシで、水俣病被害者への政府の救済策を見て、自分もそうかもしれないと初めて疑った。ただ、自分が「不治の病」の水俣病と認められたくないとの思いもあり、ためらった末に申請期限間際の2012年7月に申請した。だが伊佐市は救済の対象地域外。魚を日常的に食べたと証明できず、症状があるかどうかの検診すら受けられなかった。「魚の領収証なんか、残っていない」

 水俣病じゃないと確認したい。その一心で14年に医師団の検診を受けると「水俣病の症状がある」と告げられた。「ショックだった」。積年の苦しみに怒りも湧き、15年1月、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求める訴訟の原告になった。裁判で体がよくなるわけではないが、せめて医療費給付をと願う。

 「魚の流通ルートを調べればわかるはずなのに……。症状を見て判断してほしい」
     ◇
 「海はつながっとっとやけんな。不公平やっかな」

 不知火海を挟んで水俣の対岸の熊本県天草市で漁業を営む中村利博さん(66)も、救済策から外された。住んでいる宮野河内地区は対象地域外だが、12年1月の医師団による検診で症状が確認された。

 65年ごろから手足にこむら返りが起きるようになったが、水俣病と結びつけて考えなかった。水俣病といえば、全身がけいれんするような劇症患者のイメージだったためだ。十数年前から手がしびれて力が入らず、30分ほどでできた網の修理に40~50分かかるようになった。船上でふらつき、口からよだれが出ても気づかない。風呂場で裸になってケガに気づくこともあった。

 昔から三度の食卓に刺し身や煮付けが並んだ。小学校高学年から父の漁を手伝い、中学卒業後は父や兄と一緒に本格的に海へ出た。天草の目の前に浮かぶ、水俣病の認定患者の出ている獅子島(鹿児島県長島町)沿岸でタイを取り、水俣沖で操業する巻き網漁船にも乗った。救済策の申請に合わせて漁協組合員証を県に提出したが「水俣湾または周辺海域の魚介類を入手したことが確認できなかった」として非該当を通知された。悔しくて涙がこみ上げ、訴訟に加わった。

 年を重ねるに連れて思い起こすのは、20年ほど前に70代で亡くなった母の姿。両手の指が曲がり、こむら返りやしびれでいつも痛みを訴えていた。母も水俣病だったのだろうと思う。「自分もそうなるのでは」。不安がよぎる。

 「早く被害を認めてほしい。平等にもれなく救済をしてもらいたい」(岡田将平)


by asyagi-df-2014 | 2016-10-07 05:55 | 水俣から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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