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本からのもの-沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか

著書名;「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」
著作者:安田浩一
出版社;朝日新聞出版


 安田浩一さん(以下、安田とする)は、「湧田は何の気負いもなく、『沖縄に寄り添い続ける』と話した。20年前に漠然と記者を目指した少女は、地域の鼓動を感じながら沖縄を書き続けている。その姿を、こころざしを、熱と足音を、私は伝えたい。湧田の話を聞きながら、あらためて、切実に、そう思った。”変更攻撃”の渦中にある記者たちを訪ねてまわるようになったのは、その時からである。」、とこの本を始める。
(注;ここでは、新聞記者等の名字を標記のままに使用している。〉

 私自身は、この本から、ジャーナリズムとは、新聞とは何のためにあるのかを真剣に考えさせられた。
 あらためて一つわかったことは、沖縄のこころと言われるものが、人の営みで形作られるものであるということである。だから、そのことに向き合うためには、「決意」、「使命」といった言葉が自然と出されてくることになるということを。
 今回は、安田の記述を追うことにする。私自身がこの本から受け取ろうとしたものを、見つめなおしてみるために。


(1)
 1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸した。上江州が10歳の時である。戦火を逃れるため北部の今帰仁村に疎開した。終戦を迎え、その後数カ月は同地の米軍収容所で暮らした。冬になってようやく故郷の宜野湾に戻ってきたが、生家に近寄ることができなかった。米軍によって、張り巡らされた鉄条網が行く手を阻んだのである。
 地域一帯を米軍が接収し、飛行場が作られていた。仕方なく生家に近い鉄条網の外側で暮らすようになり、現在に至った。帰るべき故郷を米軍に奪われ、基地にへばりつくような生活を余儀なくされている。
 先祖代々の墓は、いまも基地の中にある。だが自由に墓参りすることもできない。
 「いちいち米軍の許可をもらわないとならないんですよ」
 そう言って上江州は一枚の書面を私に手渡した。
 「Request for permission to enter United State Forses facilities and areess」と題されたこの書面、米軍基地内への「入場許可申請書」である。

(2)
「辺野古の新基地建設も同じことです。要するに、強権的につくろうとしている点では70年前と変わりません。そりゃあ、土地を返してほしい。切実にそう思います。しかし、たとえば普天間の飛行場が辺野古に移設したところで気持ちが晴れるわけではない。沖縄の人間が鉄条網に囲まれて生きていくという状況が続くのですから」

(3)
 「本土」に存在する米軍基地は、そのほとんどが旧日本軍の基地だった。だが沖縄の米軍基地は民間地を強奪してできたものだ。もしも辺野古を埋め立て、そこに基地ができたならば、新たな国有地が生まれることになる。沖縄は国の持ち物に干渉することはできない。それは沖縄の主体的な意志が剥奪されると同時に、基地の固定化をも意味する。

(4)
 もうひとつの鉄条網が「本土」と沖縄を分断している。基地と隣り合わせで暮らしてきた上江州の視界には、それがしっかりと映り込んでいる。

(5)
 燦然と輝く太陽の下に、深くて暗いぬかるみがある。民主主義も国家主義も人権も、米軍基地の門前で立ち止まる。それが沖縄だ。

(6)
「米本土では安全基準に満たず、運用停止になってもおかしくない普天間基地が存在し、やはり本国ではできない訓練が沖縄で実施されている。しかもそれを日本政府も追認しているのですから、”命の二重基準”がまかり通っているわけですよ。つまり、沖縄県民の命は軽視されている。これが差別でなければなんというのか」

(7)
「では、なにをすべきか。一方的に奪われた者たち、発言の回路を持たない者たちの側に立って、あるべき均衡を取り戻すことではないでしょうか」
 それは普段、ヘイトスピーチの取材をしている私が感じていることでもあった。差別は常に不均衡、不平等な状況のなかで起きる。そのとき、非対称な関係を無視したうえでの「公正・中立」などありえない。マイノリティーが人権や人格すら侵されているときに、まるで天井からジャッジを下すかのごとく「双方の意見を対等に」などと呑気な記事など書いていられないのだ。こうした際に両論併記などでお茶を濁すのは、何も考えていないことを示しているに過ぎない。竹富が言う「均衡を取り戻す」とは、公正さを守ろうとする新聞記者たちの矜恃なのだ。いや、竹富にとっては理念というよりも決意だ。新聞との約束である。

(8)
「どうしたって領土問題はナショナリズムを喚起してしまう。しかし我々がつくりたかったのは国家間の対立を煽ることではなく、国境近くに住む人々の視線を通して、ともに生きる道はないかと問いかけるものでした。特に沖縄は戦争の過酷な体験を有している。我々としては二度と戦火を見たくない、尖閣の海を火の海にしたくない、尖閣を戦争の発火点にしたくない、という思いがあります。国境は対立の場ではなく、人が生きて行く場所であり、相互理解の最前線だという認識で、とにかく取材しようと」

(9)
 領土問題は、この先、何百年もあり続けるかもしれない。だからこそ、敵と味方を安易につくり出す『思考停止』に陥らず、武力衝突を避ける努力を続ける-竹島と尖閣を『地元』として生きる私たちが踏み出す一歩ずつの積み重ねが、歴史をつくると信じて〉
 
(10)
 それこそ「新報」編集局次長の松本剛が話したように「沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言ってよいほど同じような言説が流布される。つまり、自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで、民意を矮小化する」ということではないのか。 
 「偏向キャンペーン」の、どす黒い背景が見え隠れする。

(11)
「偏向していると指摘されることなど、なんとも思わない。新聞をつくっているのは血の通った人間ですし、紙面には軸足というものがあります。それをどこに置くべきか-当然ながら沖縄ですよ。偏っているのではなく、常にそこから発信していくことが地方紙の使命だと思うんです」
 沖縄への偏見に沈黙で応じたかっての明ではない、支えているのは自信というよりもある種の覚悟のようにも感じるのだ。

(12)
 繰り返す。米軍こそが沖縄に依存してきた。そして安全保障を名目に、日本もまた、沖縄に頼り切って、いや、無理強いを続けてきたのである。
 
(13)
 このように、”本土”が経済成長を謳歌した20年は、沖縄にとって屈辱の20年でもあった。主権も何もあったものではない。
 まさに「明暗」の歴史だ。正史と叛史の20年である。
 「この連載にかかわったからこそ、確信をもって言えるんです」
 宮城がそう前置きしたうえで口から飛び出したのが、「憲法や言論の自由が天から降ってきた本土とは決定的に違う」という言葉だった。
 「沖縄では、人々が虫けらのように扱われてきた時代がある。だから、一歩、一歩、権利を勝ち取ってきた。戦争で肉親を奪われた人々が、血の染み込んだ土地で、人権のための闘いを繰り返してきたんです」
 念仏のように唱えていれば何かが保障されているような気になる、甘ったれた民主主義とはわけが違うのだ。
それは新聞も同じだ。
 「沖縄の新聞も、その歴史に寄り添って、これまで続いてきたと思うんです。新聞がいつも正しかったなんて言うつもりはありません。権力との関係の中で揺れてきたし、翻弄されてきた。そのなかから論調を鍛えてきた。やっぱり読者です。沖縄の民意ですよ」
 戦争で捨て石にされ、主権を奪われて米軍に差し出されてきた沖縄に、そもそも「落としどころ」を求めるほうが間違っているのだ。
 だからこそ沖縄の新聞は簡単にはつぶされない。

(14)
〈いま日本政府は権力とカネで沖縄の世論をどうにでも操作できると勘違いしている。こんな手法は米軍統治下ですでに私たちは学んでいる。米軍はその政策を貫徹するために権力とカネを使って世論を分断させ、統治してきた。日本政府がいまやっていることはその二番煎じである。〉

(15)
 「沖縄は戦っていくんですよ。武器とするのは二つ。ひとつは、米国からもらった民主主義。もうひとつは、日本国憲法。この二つを高く掲げて沖縄は生きていく」
 米国に蹂躙され、日本に裏切られ、差別されてきた。それが沖縄だ。しかし、山根は民主主義と日本国憲法を信じている。それこそが沖縄の、そして新聞記者の教典じゃないかと、吠えるように訴えるのであった。

(16)
 「弾除け」の役割を強いる側と強いられる側、その不均衡で不平等な力関係は、脚の欠けた不安定な椅子と同じく理不尽そのものだ。

(17)     
 〈誤解を恐れずに言えば、沖縄の自己決定権回復の主張を『独立志向』などと揶揄するのではなく、自らの自己決定権やその政府との関係性を問い直し、この国と地域の来し方を行く末を、中央集権型か地方分権型かといった視点から、ともに考えられないだろうか〉 〈民主主義は万能ではない。だからこそ、未完の民主主義を沖縄で、全国で、再生・強化する意義は大きく、今を生きる私たちの責任も重たい。そのためにも自己決定権回復・獲得の声を各地から上げたい〉

(18)
 潮平が危惧するのは単純な沖縄攻撃というよりも、人間としての尊厳すら奪う排外主義的な言説の広がりである。差別と偏見で武装した排外主義は「敵」を必要とすることでようやく成り立つものだ。蔑むことで「敵」は生まれる。そして排外主義の向こう岸には殺戮と戦争が控えている。これは歴史の必然だ。 

(19)
 「排外主義は軍事的な膨張主義とリンクする。人間の営みを無視した差別や優越意識が、戦争への扉を開くような気がする。だからこそ、いや、排外的な気分に満ちているいまだからこそ、メディアは警戒感を働かせないといけないと思うのです」

(20)
 その風景を目にしながら、あらためて確信した。ヘイトスピーチと沖縄バッシングは地下茎で結ばれている。
 不均衡で不平等な本土との力関係のなかで「弾除け」の役割だけを強いられてきたのが沖縄だった。いまや一部の日本人からは「売国奴」扱いされるばかりか、「同胞」とさえ思われていない。

(21)
 政府の立ち位置というものが、嫌というほど伝わってきた。要するに、沖縄の置かれた不均衡で不平等な状態を、政府は「人権」の問題として捉えることができないのだ。これは温度差でも見解の相違でもなんでもない。沖縄を安全保障の観点でしか見ることのできない、まさに、「支配者」の視点ではないのか。私にはそれが、基地に反対する人々を「非国民」となじる差別者の視点と重なる。

(22)
 「東京の人は基地の存在を国防や安保の問題として語るんですよね」
 やや強張った表情のままに、さらに続ける。
 「沖縄にとって基地問題とは、生活と命の問題でもあるんですよ」
 意志の強うそうな目が、しっかりと私を見据えている。「そうやって沖縄は捨て石にされてきたんだ」と咎められているような気がした。
 その通りだ。私も含め、基地問題を「国防や安保」の文脈に載せようとする者は多いそこに、基地を強いられる側の苦痛や恐怖は無視されている。年頭にあるのは中国脅威論を背景とした沖縄の「地理的優位性」だけだ。

(23)
 「国の存立に関わる国防外交上の問題」という国側の言葉は、沖縄の苦渋も歴史も無効化させるものである。人の営みも人権も無視されている。」

(24)
 沖縄の基地の7割は海兵隊の専用施設だ。これら海兵隊の移動に必要な海軍艦船は、実は沖縄ではなく長崎県の佐世保にある。万が一の有事であっても、海兵隊は佐世保から来る艦船を、沖縄で待っているしかない。スピードに優れた空軍の大型輸送機も、沖縄ではなく米本土に配備されている。『中国に近い』ことだけをもって機動性を担保するものでないことは軍事専門家の多くも指摘している。
 「何がなんでも沖縄に海兵隊基地を置かなければならない理由など、実はそれほどないのだということは米側だって当然理解しているはずです」

(25)
 犯す前に、これから犯しますよと言いますか-要するに、大事なことを事前に伝えることはないという意味で用いたのだろうが、県内の反発が強い評価書提出を性的暴行に例えた、県民の尊厳を踏みにじる暴言であることは明らかだ。女性への陵辱を肯定するかのような、下品で下劣で、そして沖縄を見下したかのような差別発言でもあった。

(26)
 「地元の警察も消防も一切、現場に立ち入ることができなかった。そこがまぎれもなく日本の領土であるにもかかわらず、支配権は米軍にあった。いまだ沖縄は米国の植民地に置かれているのだという事実をあらためて突きつけられ、脳天に一撃を食らったようなきもちになった。これでリゾート気分は吹き飛びましたね」
 このとき敷地内に唯一入ることが許された日本人は、ピザ店のデリバリースタッフだけだったといわれている。

(27)
 それはつまり、いま、日本の新聞記者が「当たり前」を放棄し、輝きを失っているからではないか、と思わずにはいられない。
 常に何かを忖度し、公平性の呪縛を疑問視することもなく両論併記で仕事をしたつもりになり、志も主張もどこかに置き忘れた新聞記者に、あるいはそこに染まってしまいかねない自分自身にも、どこかで飽き飽きしていた。
 そんな私に、沖縄の記者たちは、むせかえるような熱さをともなって、「当たり前の記者」である生身の姿をさらしてくれたのだ。

(28)
 沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。そして、その場所から沖縄を発信していく。
 それは「偏向」なんかじゃない。
 記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。

(29)
 何度でも繰り返す。凶悪事件がなくならない原因は、沖縄に米軍基地が集中しているからだ。米軍の持つ沖縄への「植民地感覚」はもちろんのこと、その状態を放置、容認してきた、わが「日本」の責任も問われている。

(30)
 沖縄をめぐって、日本社会全体が問われているのだ。どのような立場であれ、安保や国防にどのような考え方を抱いていようが、この社会で生きていく以上、和たちは沖縄と無縁でいられることはない。


さて、私が安田から受け取ったもの
「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」ということに関しては、はっきりしている。
 つまり、「『沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言ってよいほど同じような言説が流布される。つまり、自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで、民意を矮小化する』ということではないのか。『偏向キャンペーン』」の、どす黒い背景が見え隠れする。」、ということである。
 そして、沖縄タイムスと琉球新報の二紙が、日本の状況の中で毅然としていられるのかも、はっきりしている。
 安田は、このように説いてみせる。


「『憲法や言論の自由が天から降ってきた本土とは決定的に違う』という言葉だった。『沖縄では、人々が虫けらのように扱われてきた時代がある。だから、一歩、一歩、権利を勝ち取ってきた。戦争で肉親を奪われた人々が、血の染み込んだ土地で、人権のための闘いを繰り返してきたんです』。念仏のように唱えていれば何かが保障されているような気になる、甘ったれた民主主義とはわけが違うのだ。それは新聞も同じだ。」


 安田は、こうもまとめる。
 そして、このことの意味を日本人全体に問いかけている。


「沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。そして、その場所から沖縄を発信していく。それは『偏向』なんかじゃない。記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。」


by asyagi-df-2014 | 2016-10-02 06:02 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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