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「沖縄ヘイトを考える」を読む。

 安田浩一さん(以下、安田とする)は、沖縄タイムスに「沖縄ヘイトを考える(上・下)」を寄稿した。
 安田は、ヘイトクライム・ヘイトスピーチを行う集団を、「ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別集団者だ。」、と喝破し、その構造を、「世の中に存在する納得しがたい不可解なもの、いわばブラックボックスを紐解くカギとして、在日コリアンなど外国籍住民の存在が都合よく利用されているだけだ。」、と見抜く。
 そして、「人々は差別を“学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく。」、と日本社会の病巣をえぐる。
 この寄稿をもとに、「外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄バッシングは地続きだった。」との意味を、「沖縄ヘイトクライム」を考える。


 「死ね、殺せ」「首を吊(つ)れ」「日本から出て(いけ」
から
「日本から出ていけ」「ふざけんじゃねえよ」



 ユーチューブの画面に映し出される「ヘイトスピーチ」のこうした「像」は、基本的人権が国の成り立ちの重要な要素だと考えてきた者にとっては、実に、耐えがたいものであった。
 でも、私自身も含めて、どれほどの人たちがこれに立ち向かうことができたのか。
だから、安田は、「ヘイトスピーチ対策法」の成立について、「今年6月、ヘイトスピーチ対策法が施行された。罰則なしの理念法である。保護対象が『適正に居住する本邦外出身者』とされるなど問題点も少なくない。とはいえ、わずか数年前まで『我が国には深刻な差別は存在しない』というのが政府の公式見解であったことを考えれば、差別の存在を認め、それが不当であると断じたのだから、一歩前進であると私は考えている。恐怖によって沈黙を強いられているヘイトスピーチの被害当事者のためにも、そして社会への分断を食い止めるためにも、法的整備は必要だった。」、と評価する。
安田は、日本におけるヘイトクライム・ヘイトスピーチの実態を次のように描き出す。


(1)「憎悪の矛先を向けられるのは、在日コリアンをはじめとする外国籍住民だ。こうした“ヘイトデモ”は10年ほど前から外国籍住民の集住地域を中心に、各地で見られるようになった。」
(2)「へらへら笑いながら『おーい、売春婦』などと沿道の女性をからかう姿からは、右翼や保守といった文脈は浮かんでこない。古参の民族派活動家は私の取材に対し『あれは日本の面汚し』だと吐き捨てるように言ったが、当然だろう。ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別集団者だ。」
(3)「『本当に殺されるかもしれない』。在日コリアンの女性は、脅(おび)えた表情で私にそう訴えた。デモ隊から『朝鮮半島に帰れ』と罵声を浴びせられながら、じっと耐えている男性もいた。彼はデモ隊が通り過ぎた後、こぶしを地面に叩(たた)きつけながら泣きじゃくった。」
(4)「ヘイトデモの隊列は、地域に、人々の心に、大きな傷跡を残していく。参加者たちはデモを終えれば居酒屋で乾杯し、差別ネタで笑い転げ、『来週もがんばろう』と気勢を上げて、それぞれの生活圏に帰っていく。まるで週末の草野球にでも参加しているような感覚なのだろう。社会にとって大事なものを壊しているのだという自覚などない。多くはネット掲示板などで外国人排斥の書き込みに忙しい者たちだ。それだけでは飽き足らず、いつしか街頭に飛び出してきた。高校生から年金生活者まで世代もさまざま、女性の数も少なくない。」
(5)「なぜ、そんな醜悪なデモを繰り返すのか。半ばケンカ腰で取材する私に対し、ヘイトデモ常連の男性は吐き捨てるように答えた。
 『日本は日本人のための国じゃないか。奪われたものを取り返したいと思っているだけだ』
 彼だけじゃない。私が取材した多くの者が、この『奪われた感』を訴えた。外国人に土地を奪われ、福祉も奪われ、正しい歴史認識も奪われ、治安を乱され、揚げ句に領土も奪われ、そのうえメディアや行政をコントロールされている-つまり、世の中に存在する納得しがたい不可解なもの、いわばブラックボックスを紐解(ひもと)くカギとして、在日コリアンなど外国籍住民の存在が都合よく利用されているだけだ。」
(6)「彼ら彼女らに憎悪を植え付けるのは、ネットで流布される怪しげな情報だけではない。執拗(しつよう)に近隣国の脅威を煽(あお)るメディアがあり、特定の民族を貶(おとし)める書籍が流通する。テレビのバラエティー番組で、ヘイトデモに理解を示す“識者”もいた。憎悪の種が社会にばらまかれる。そして人々は差別を“学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく。」


 安田は、日本という国の現在の病巣を次のようにえぐり出すのである。


「憎悪と不寛容の空気は、さらに新たな『敵』を生み出していった。国への補償を求める公害病患者や、震災被害で家を失い、仮設住宅で暮らす人々、生活保護受給者などに、『反日』『売国奴』といったレッテルが貼られる。私はこの数年間、そうした現場ばかりを見てきた。」


 しかし、安田は、「そればかりではない。差別主義者、排外主義者にとって、沖縄もまた『敵』として認知されるようになった。」、とあらためて指摘する。
 安田は、沖縄を「敵」として扱う日本人の姿を次のように描き出す。


(1)「私の網膜には、あの日の光景が焼き付いている。2013年1月、沖縄の市町村長や県議たちが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進を行ったときのことだ。日章旗を手にして沿道に陣取った集団が、沖縄のデモ隊に向けて『非国民』『売国奴』『中国のスパイ』『日本から出ていけ』、あらん限りの罵声をぶつけた。彼ら彼女らは、日ごろから外国人排斥運動に参加している者たちだった。」
(2)「沖縄の人間を小ばかにしたように打ち振られる日章旗を見ながら、沖縄もまた、差別と排他の気分に満ちた醜悪な攻撃にさらされている現実に愕然(がくぜん)とした。
『戦後70年近くにして沖縄がたどり着いた地平がこれなのか』。デモ参加者の1人は悔しさをにじませた表情で話した。」
(3)外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄バッシングは地続きだった。
(4)「実は、銀座の沿道から罵声を飛ばしていた者たちの一部は、その前年、辺野古にも出向いている。新基地建設反対派のテントに踏み込み、『日本から出ていけ」「ふざけんじゃねえよ」などと拡声器を使って悪罵の限りを叩きつけた。しかもこれを『愛国運動』などと称しているのだから呆(あき)れるばかりだ。地域を破壊し、分断し、人々の心を傷つけているだけじゃないか。」


 安田は、「このような“沖縄ヘイト”は、いま、社会の中でさらに勢いを増している。」、と指摘する。
安田はそそ危惧感を次のように説明する。


(1)「ところで、同法が国会で審議されているときから、ネットを中心に奇妙な言説が目立つようになった。
 『米軍出ていけ』はヘイトスピーチ-。
 実際、ヘイトスピーチ問題を取材している私のもとへもどう喝めいた“問い合わせ”が相次いだ。『沖縄の米軍差別をどう考えるのか』『辺野古の基地反対運動もヘイト認定でいいんだな?』。それ以前から『首相を呼び捨てで批判するのもヘイトスピーチ』といった的外れな物言いも存在したが(そのような書き方をした全国紙もある)、同法成立が必至となるや、ネット上では新基地建設反対運動も『取り締まりの対象』といった書き込みが急増したのである。」
(2)「無知と無理解というよりは、ヘイトスピーチの発信者たちによる、恣意(しい)的な曲解と勝手な解釈であろう。これに煽(あお)られたのか、それともさらに煽りたかったのか、同法が『米国軍人に対する排除的発言が対象』と自身のSNSに書き込んだ自民党衆院議員もいた。」
(3)「そもそもヘイトスピーチとは、乱暴な言葉、不快な言葉を意味するものではない。人種、民族、国籍、性などのマイノリティーに対して向けられる差別的言動、それを用いた扇動や攻撃を指すものだ。ヘイトスピーチを構成するうえで重要なファクトは言葉遣いではなく、抗弁不可能な属性、そして不均衡・不平等な社会的力関係である。」
(4)「これに関しては、同法の国会審議において、幾度も確認されたことだった。法案の発議者である参院法務委員会委員の西田昌司議員(自民党)は私の取材に対し、『米軍基地への抗議は憲法で認められた政治的言論の一つ。同法の対象であるわけがない』と明確に答えた。結局、基地反対運動とヘイトスピーチを無理やりに結び付けようとする動きには、基地問題で政府を手こずらせる『わがままな沖縄』を叩(たた)きたい-といった意図が見え隠れする。基地反対派住民を『基地外』と揶揄(やゆ)した神奈川県議も同様だ。」


 安田は、「そう、問題とすべきはむしろ沖縄へ向けられたヘイトである。」、と続ける。


(1)「うるま市在住の女性が米軍属に殺害された事件でも、ネット上には被害者を愚弄(ぐろう)し、沖縄を嘲笑するかのような書き込みがあふれた。『事件を基地問題に絡めるな』『人権派が喜んでいる』。ナチスのカギ十字旗を掲げて『外国人追放』のデモを行うことで知られる極右団体の代表も、この事件では、あたかも女性の側に非があるかのような持論をブログに掲載した。ツイッターで『「米軍基地絡みだと大騒ぎになる』『米軍が撤退したら何が起きるか自明だ』などと発信した元国会議員もいる。これら自称『愛国者』たちは、簡単に沖縄を見捨てる。外国の軍隊を守るべきロジックを必死で探す。なんと薄っぺらで底の浅い『愛国』か。」


 また、安田は、沖縄への「誤解」が次々と生みだされていく日本の状況を指摘する。


(1)「1年前には人気作家の沖縄蔑視発言が話題となったが、この手の話を拾い上げればきりがない。『沖縄は基地で食っている』『沖縄の新聞が県民を洗脳している』『沖縄は自分勝手』『ゆすりの名人』-。」
(2)「不均衡で不平等な本土との力関係の中で『弾よけ』の役割を強いられてきた沖縄は、まだ足りないとばかりに、理不尽を押し付けられている。差別と偏見の弾を撃ち込まれている。しかも、そうした状況を肯定する素材としてのデマが次々と生み出されていく。」
(3)「歴史を振り返ってみれば、外国籍住民へのヘイトスピーチ同様、沖縄差別も決して目新しいものではない。日本社会は沖縄を蔑み、時代に合わせて差別のリニューアルを重ねてきた。アパートの家主が掲げた『朝鮮人、琉球人お断り』の貼り紙が、いま、『日本から出ていけ』といった罵声や横断幕に取って代わっただけだ。」
(4)「『沖縄は甘えるな』といった声もあるが、冗談じゃない。倒錯している。沖縄に甘えてきたのは本土の側だ。見下しているからこそ、力で押し切ればなんとかなるのだと思い込んでいる。実際、そうやって強引に歯車を動かすことで、沖縄の時間を支配してきた。辺野古で、高江で、沖縄の民意はことごとく無視されている。」


 安田は、この寄稿の最後をこのようにまとめる。


「私はこれまで、ヘイトスピーチの“主体”を取材することが多かった。だが、被害の実情を見続けているうちに、加害者分析に時間をかける必要を感じなくなった。差別する側のカタルシスや娯楽のためにマイノリティーや沖縄が存在するわけではない。
 これ以上、社会を壊すな。そう言い続けていくしかない。差別や偏見の向こう側にあるのは戦争と殺りくだ。歴史がそれを証明しているではないか。」


 沖縄の高江・辺野古の状況は、安田の「差別や偏見の向こう側にあるのは戦争と殺りくだ。歴史がそれを証明しているではないか。」、との指摘が示すものを、まさしく証明している。
 「社会を壊すな。」
 確かに、今は、そう言い続けなければならない。
 ともに。


 以下、沖縄タイムスの引用。







沖縄タイムス-沖縄ヘイトを考える(上)差別主義者のはけ口に 勢い増す地域分断の動き-2016年8月3日



 旭日(きょくじつ)旗や日章旗を手にしたデモ隊が街頭を練り歩く。聞くに堪えない罵声が飛び交う。

「日本から出て(いけ」 「死ね、殺せ」「首を吊つ)れ」

 憎悪の矛先を向けられるのは、在日コリアンをはじめとする外国籍住民だ。

 こうした“ヘイトデモ”は10年ほど前から外国籍住民の集住地域を中心に、各地で見られるようになった。

 へらへら笑いながら「おーい、売春婦」などと沿道の女性をからかう姿からは、右翼や保守といった文脈は浮かんでこない。古参の民族派活動家は私の取材に対し「あれは日本の面汚し」だと吐き捨てるように言ったが、当然だろう。ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別者集団だ。

 「本当に殺されるかもしれない」。在日コリアンの女性は、脅(おび)えた表情で私にそう訴えた。デモ隊から「朝鮮半島に帰れ」と罵声を浴びせられながら、じっと耐えている男性もいた。彼はデモ隊が通り過ぎた後、こぶしを地面に叩(たた)きつけながら泣きじゃくった。

 ヘイトデモの隊列は、地域に、人々の心に、大きな傷跡を残していく。参加者たちはデモを終えれば居酒屋で乾杯し、差別ネタで笑い転げ、「来週もがんばろう」と気勢を上げて、それぞれの生活圏に帰っていく。まるで週末の草野球にでも参加しているような感覚なのだろう。社会にとって大事なものを壊しているのだという自覚などない。

 多くはネット掲示板などで外国人排斥の書き込みに忙しい者たちだ。それだけでは飽き足らず、いつしか街頭に飛び出してきた。高校生から年金生活者まで世代もさまざま、女性の数も少なくない。

 なぜ、そんな醜悪なデモを繰り返すのか。半ばケンカ腰で取材する私に対し、ヘイトデモ常連の男性は吐き捨てるように答えた。

 「日本は日本人のための国じゃないか。奪われたものを取り返したいと思っているだけだ」

 彼だけじゃない。私が取材した多くの者が、この「奪われた感」を訴えた。外国人に土地を奪われ、福祉も奪われ、正しい歴史認識も奪われ、治安を乱され、揚げ句に領土も奪われ、そのうえメディアや行政をコントロールされている-つまり、世の中に存在する納得しがたい不可解なもの、いわばブラックボックスを紐解(ひもと)くカギとして、在日コリアンなど外国籍住民の存在が都合よく利用されているだけだ。

 彼ら彼女らに憎悪を植え付けるのは、ネットで流布される怪しげな情報だけではない。執拗(しつよう)に近隣国の脅威を煽(あお)るメディアがあり、特定の民族を貶(おとし)める書籍が流通する。テレビのバラエティー番組で、ヘイトデモに理解を示す“識者”もいた。憎悪の種が社会にばらまかれる。そして人々は差別を“学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく。

 憎悪と不寛容の空気は、さらに新たな「敵」を生み出していった。国への補償を求める公害病患者や、震災被害で家を失い、仮設住宅で暮らす人々、生活保護受給者などに、「反日」「売国奴」といったレッテルが貼られる。私はこの数年間、そうした現場ばかりを見てきた。

 そればかりではない。差別主義者、排外主義者にとって、沖縄もまた「敵」として認知されるようになった。

 私の網膜には、あの日の光景が焼き付いている。2013年1月、沖縄の市町村長や県議たちが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進を行ったときのことだ。日章旗を手にして沿道に陣取った集団が、沖縄のデモ隊に向けて「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」と、あらん限りの罵声をぶつけた。彼ら彼女らは、日ごろから外国人排斥運動に参加している者たちだった。

 沖縄の人間を小ばかにしたように打ち振られる日章旗を見ながら、沖縄もまた、差別と排他の気分に満ちた醜悪な攻撃にさらされている現実に愕然(がくぜん)とした。

 「戦後70年近くにして沖縄がたどり着いた地平がこれなのか」

 デモ参加者の1人は悔しさをにじませた表情で話した。

 外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄バッシングは地続きだった。

 実は、銀座の沿道から罵声を飛ばしていた者たちの一部は、その前年、辺野古にも出向いている。新基地建設反対派のテントに踏み込み、「日本から出ていけ」「ふざけんじゃねえよ」などと拡声器を使って悪罵の限りを叩きつけた。しかもこれを「愛国運動」などと称しているのだから呆(あき)れるばかりだ。地域を破壊し、分断し、人々の心を傷つけているだけじゃないか。

 このような“沖縄ヘイト”は、いま、社会の中でさらに勢いを増している。


沖縄タイムス-沖縄ヘイトを考える(下)偏見生むデマ次々と 事件被害者も攻撃対象に-2016年8月3日



 今年6月、ヘイトスピーチ対策法が施行された。罰則なしの理念法である。保護対象が「適正に居住する本邦外出身者」とされるなど問題点も少なくない。とはいえ、わずか数年前まで「我が国には深刻な差別は存在しない」というのが政府の公式見解であったことを考えれば、差別の存在を認め、それが不当であると断じたのだから、一歩前進であると私は考えている。恐怖によって沈黙を強いられているヘイトスピーチの被害当事者のためにも、そして社会への分断を食い止めるためにも、法的整備は必要だった。

 ところで、同法が国会で審議されているときから、ネットを中心に奇妙な言説が目立つようになった。

 「米軍出ていけ」はヘイトスピーチ-。

 実際、ヘイトスピーチ問題を取材している私のもとへもどう喝めいた“問い合わせ”が相次いだ。「沖縄の米軍差別をどう考えるのか」「辺野古の基地反対運動もヘイト認定でいいんだな?」。それ以前から「首相を呼び捨てで批判するのもヘイトスピーチ」といった的外れな物言いも存在したが(そのような書き方をした全国紙もある)、同法成立が必至となるや、ネット上では新基地建設反対運動も「取り締まりの対象」といった書き込みが急増したのである。

 無知と無理解というよりは、ヘイトスピーチの発信者たちによる、恣意(しい)的な曲解と勝手な解釈であろう。これに煽(あお)られたのか、それともさらに煽りたかったのか、同法が「米国軍人に対する排除的発言が対象」と自身のSNSに書き込んだ自民党衆院議員もいた。

 そもそもヘイトスピーチとは、乱暴な言葉、不快な言葉を意味するものではない。人種、民族、国籍、性などのマイノリティーに対して向けられる差別的言動、それを用いた扇動や攻撃を指すものだ。ヘイトスピーチを構成するうえで重要なファクトは言葉遣いではなく、抗弁不可能な属性、そして不均衡・不平等な社会的力関係である。

 これに関しては、同法の国会審議において、幾度も確認されたことだった。法案の発議者である参院法務委員会委員の西田昌司議員(自民党)は私の取材に対し、「米軍基地への抗議は憲法で認められた政治的言論の一つ。同法の対象であるわけがない」と明確に答えた。

 結局、基地反対運動とヘイトスピーチを無理やりに結び付けようとする動きには、基地問題で政府を手こずらせる「わがままな沖縄」を叩(たた)きたい-といった意図が見え隠れする。基地反対派住民を「基地外」と揶揄(やゆ)した神奈川県議も同様だ。

 そう、問題とすべきはむしろ沖縄へ向けられたヘイトである。

 うるま市在住の女性が米軍属に殺害された事件でも、ネット上には被害者を愚弄(ぐろう)し、沖縄を嘲笑するかのような書き込みがあふれた。

 「事件を基地問題に絡めるな」「人権派が喜んでいる」。ナチスのカギ十字旗を掲げて「外国人追放」のデモを行うことで知られる極右団体の代表も、この事件では、あたかも女性の側に非があるかのような持論をブログに掲載した。ツイッターで「米軍基地絡みだと大騒ぎになる」「米軍が撤退したら何が起きるか自明だ」などと発信した元国会議員もいる。これら自称「愛国者」たちは、簡単に沖縄を見捨てる。外国の軍隊を守るべきロジックを必死で探す。なんと薄っぺらで底の浅い「愛国」か。

 1年前には人気作家の沖縄蔑視発言が話題となったが、この手の話を拾い上げればきりがない。「沖縄は基地で食っている」「沖縄の新聞が県民を洗脳している」「沖縄は自分勝手」「ゆすりの名人」-。

 不均衡で不平等な本土との力関係の中で「弾よけ」の役割を強いられてきた沖縄は、まだ足りないとばかりに、理不尽を押し付けられている。差別と偏見の弾を撃ち込まれている。しかも、そうした状況を肯定する素材としてのデマが次々と生み出されていく。

 歴史を振り返ってみれば、外国籍住民へのヘイトスピーチ同様、沖縄差別も決して目新しいものではない。日本社会は沖縄を蔑み、時代に合わせて差別のリニューアルを重ねてきた。アパートの家主が掲げた「朝鮮人、琉球人お断り」の貼り紙が、いま、「日本から出ていけ」といった罵声や横断幕に取って代わっただけだ。

 「沖縄は甘えるな」といった声もあるが、冗談じゃない。倒錯している。沖縄に甘えてきたのは本土の側だ。見下しているからこそ、力で押し切ればなんとかなるのだと思い込んでいる。実際、そうやって強引に歯車を動かすことで、沖縄の時間を支配してきた。辺野古で、高江で、沖縄の民意はことごとく無視されている。

 私はこれまで、ヘイトスピーチの“主体”を取材することが多かった。だが、被害の実情を見続けているうちに、加害者分析に時間をかける必要を感じなくなった。差別する側のカタルシスや娯楽のためにマイノリティーや沖縄が存在するわけではない。

 これ以上、社会を壊すな。そう言い続けていくしかない。差別や偏見の向こう側にあるのは戦争と殺りくだ。歴史がそれを証明しているではないか。


by asyagi-df-2014 | 2016-08-10 05:41 | 書くことから-ヘイトクライム | Comments(0)

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