本からのもの-「日本会議の正体」

著書名;「日本会議の正体」
著作者:青木理
出版社;平凡社


 まず、青木理さん(以下、青木とする)は、「私たちは、おのれの顔をおのれの眼で直接見ることはできない」、とするなかで、日本のメディアが「日本会議」を正確には扱ってこなかったと、このように指摘する。


「メディアにも、似たようなことが言える面がある。足下で起きている出来事であっても、メディアが伝えようとしなければ、私たちは出来事を認識することすらできない。その出来事が驚愕すべきようなことであったり、きわめて異常なことであったり、あるいは早急な対処が必要なほど深刻な事態であっても、メディアがきちんと伝えてくれなければ、私たちは判断や対処の前段階となる出来事自体の発生を認知できず、漫然と事態をやりすごすしかなくなってしまう。仮に伝えてくれたとしても、全体像がきちんと正確に伝えられなければ、やはり同じような陥穽にに落ち込んでしまう危険性が高い。
 つまり、社会の写し鏡であるメディアが曇ったり歪んだりしてしまうと、私たちはおのれの顔を正確につかみとれず、適切な対処や冷静な思考のための第一次素材を手に入れられなくなる。」


 そして、「日本会議」のことについて、その重大性に気づかされたのは、外国のメディアによるものだった、とし青木は、次のように指摘する。


「第二次安倍改造内閣が発足した2014年頃からの外部の鏡-外国メディアは日本会議と安倍政権の密接な関係と危険性をさかんに伝えてきた。その内容をまとめれば次のようになる。
 日本会議とは、『日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビ-団体』(豪ABC)である、『強力な超国家主義団体』(仏ル・モンド)であり、『安倍内閣を牛耳』(米CNN)っているにもかかわらず、『日本のメディアの注目をほとんど集めていない』(英エコノミスト)-。」


 こうした中で、青木はこの本の目的を、「日本会議とはいったいいかなる存在なのか。果たして、『日本の最も強力なロビ-団体』なのか、『極右』であり、『超国家主義団体』なのか。そして『安倍政権の中枢でますます影響力を強め』ていて、『内閣を牛耳』っているような組織なのか。」、について描き出すことだとする。
この青木の描き出した日本会議の実像は、次のものである。


(1)日本会議の実態
①「日本会議は市井の政治団体団ではなく、もちろん純粋な市民団体などでもなく、現実政治に影響力を持つロビ-団体であることを当初から宣言していたのである。」
②「日本会議の源流となったのが新興宗教・成長の家に出自を持つ右派の政治活動家だったとするならば、現在の日本会議を主体的に支えているのが、伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁を頂点とした神道の宗教集団である。いくら成長の家出身の活動家らが熱心かつ執拗だとはいっても、彼ら自身が巨大な動員力や資金力を持っているわけではない。
 この点において宗教団体としての神道と神社界には、けた外れの動員力と資金力と影響力がある。いまも日本全国には8万を超える神社があって各地に根づき、その大半を傘下におさめる神社本庁は、日本の宗教界でも比類のないほどのパワ-を持っている。」
③「明治の政治体制とイデオロギ-を復活させる-そう願っているとケネス・オルフが指摘する神社本庁は日本会議にも参加しており、繰り返すが、その巨大な主柱のひとつとなっている。また、神社神道の頂点に君臨する神社本庁は自らも神道政治連盟(神政連)を結成して保守政界を支援していて、神政連の訴えに呼応する国会議員懇談会も置かれている。」
④日本会議の"最も琴線に触れるテ-マ":「1.天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬、続いては、2.現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破、そして、これに付随するものとして3.『愛国的』な教育の推進、4.『伝統的』な家族観の固守、5.『自虐的』な歴史観の否定。ここから派生した別のテ-マに取り組むことはあっても、やはり核心的な運動対象は以上の5点に集約されるといっていいだろう。」


(2)日本会議の実態(宗教団体との関わり)


①「日本会議という存在の背後には」、神社本庁を軸とする神道宗教団体と成長の家の影が組織的にも、人脈的にも、そしておそらくは資金的にも、べったりと張り付いている。」
②「改憲を訴え、安倍政権のコアな支持層となっている日本会議。その中枢や周辺に漂う市長の家などの宗教団体の人脈と影。決してそれがすべてではないにせよ。現代日本で最大の右派団体と評される組織の、それもひとつの深層を映し出しているのは間違いない。」
③「成長の家と明治神宮の二本柱で支えられたと村上がいう『日本を守る会』の運営。この『守る会』が『日本を守る国民会議』と合流して日本会議が結成されたことを考えれば、日本会議は人脈的にも、組織運営面でも、成長の家という新興宗教団体と明治神宮をす軸とする神道会こそが源流であり、本質であると評して構わないだろ。」
④「戦後、日本国内の国家主義的団体がほとんど壊滅する中、神社本庁だとか成長の家といった宗教団体がその肩代わりみたいな役割を果たしたわけです。」
⑤【日本会議という右派組織の実相】-「まず、日本会議の源流が新興宗教団体・成長の家にあるのはもはや疑いない。いや、正確に言うなら、成長の家に出自を持つ者たちによる政治活動が日本会議へと連なる戦後日本の右派運動の源流になった、と記すべきだろう。あらためて強調しておかねばならないが、現在の宗教団体・成長の家は一切の政治活動を行っておらず、日本会議とは組織的な関係を全く有していない。ただ、日本会議という巨大な右派団体をつくり、育て上げた者たちの中枢や周辺に、全共闘運動華やかなりしころに右派の学生運動を組織した成長の家の信徒たちがいることは、消せない事実として厳然と存在する。
 そうした者たちは、成長の家を創唱した快人物・谷口雅春の教えを熱心に信奉し、成長の家が現実政治らの決別を宣言した後も谷口雅春の政治的な教え-それはごく普通に見れば極右的で超復古主義的としか言いようのない政治思想であり、時にエスノセントリズム=自民族中心主義に陥りかねない危険なものであるのだが、-を信奉しつづけ、右派の政治活動と右派の組織作りに全精力を傾けつづけてきた。」
⑥「何よりもそうした者たちの根っこには『宗教心』がある。一般の感覚ではなかなかはかりしれないが、幼いころから植え付けられた『宗教心』は容易に揺るがず、容易に変わることがない。変えることもできない。人からどう見られようと気にせず。あきらめず、信ずるところに向かってひたすらまっすぐ歩を進めていく。(略)同時にその運動の根底には抜きがたいほどのカルト性が内包されているようにも私には思えて仕方ないのである。」


(3)日本会議の実態(資金)
「日本会議はあくまでも任意団体の政治団体にすぎず、当の日本会議が自ら資金状況などを明かさない以上、内実はまったく不明である。ただ、こうした証言からすれば、資金豊富な神社本庁や明治神宮などの宗教団体がそれなりの形で日本会議を支えているという構図が浮かび上がってくる。」


(4)日本会議の実態(戦略)
①「日本会議が特に力を入れているのが、地方組織の充実化である。まるで毛沢東の「農村から都市を包囲する」という戦略のようであり、左派運動に倣って運動を構築したことがうかがわれるのだが、日本会議はあらゆる政策運動についても『地方から都市へ』といった戦略を重視しており、全国各地での支部づくりとその充実に力を注いでいる。その地方組織は、1016年1月18日現在で全国に243(海外ではブラジルに1)。」
②「左派は既存体制に対する自分たちの抗議と関連させて、民主主義を『異議もうしたて、ないし参加型の社会運動』ととらえる傾向があるのだが、右派グル-プもまた社会運動を通して現状に挑戦した。紀元節復活と元号法制化を目指して国会に圧力をかけるために、右派の団体はこれまで左翼運動につきものだったさまざまな草の根運動のテクニックを取り入れた。こした右派の組織は自体の多様な『世間』、つまり『市民社会』の一部を構成しており、政治的影響力は無視できない。」
③「日本会議につながる右派の大規模な運動形態は、この時期(注:元号法制化運動))までにできあがったといっていい。資金面や組織動員面などでは神社本庁や神社界、新興宗教などの手厚いバックアップを受け、『国民運動』と称して全国レベルで組織づくりや署名集めといった"草の根活動"を繰り広げる。同時に、中央では、運動に応じた『国民会議』のような組織を立ち上げ、大規模集会を開いては運動を運動を盛り上げていく。また、これに呼応する形で国会議員や地方議員の組織を結成し、意を通じた国会議員や地方議員を通じて政府や国会を突き上げ、そして突き動かしていく-。」
④「日本会議が安倍政権を牛耳っているとか支配しているというよりむしろ、両者が共鳴し、『戦後体制の打破』という共通目標へと突き進み、結果として日本会議の存在が巨大化したように見えていると考えた方が適切なように思える。つまり、『上から』の権力行使で『戦後体制を打破』しようと呼号する安倍政権と、『下から』の"草の根運動”で『戦後体制を打破』しようと執拗な運動を繰り広げてきた日本会議に集う人々が、戦後初めて両輪として揃い、互いに作用し合いながら悲願の実現へと突き進みはじめている-と。」
⑤「元号法制化運動などでの、"成功体験"に学んだ手法、それをひたすら反復し、深化・発展させてきたともいえる。大がかりなテーマになると、神社本庁や神社界、新興宗教団体といった動員力、資金力のある組織のバックアップを受けつつ、全国各地に”キャラバン隊”などと称するオルグ斑を次々に送り込み、”草の根の運動”で大量の署名集めや地方組織づくり、または地方議会での決議や意見書の採択を推し進めて、“世論”を醸成していく。
 と同時に、中央でも日本会議やその関連団体、宗教団体などが連携して『国民会議』といった名称の組織を立ち上げ、大規模な集会などを波状的に開催して耳目を集めつつ、全国でかき集めた署名や地方議会の決議、意見書を積み上げて中央政界を突き上げていく。
 一方、意を同じくする国会議員らもこれに呼応して議員連盟や議員の会を結成し、与党や政策決定者に働くかけて運動目標の実現を迫っていく。そのための土台として日本会議はこれまで国会議員懇談会や地方議員連盟の充実を目指し、加盟議員数を着実に増やし続けてきた。
 そうして日本会議とその前進の右派組織はこの数十年間、主に5のテーマに集約される『国民運動』を一貫して繰り広げ、時には執拗なほど反復し、彼らが目指す国家像、社会像を実現しようと試みてきた。結果、相当な成果をあげてきたといってもいい。」


 青木は、こうした分析を通じて、「日本会議」を次のようにまとめる。


「日本会議とは、表面的な"顔"としては右派系の著名文化人、財界人、学者らを押し立ててはいるものの、実態は『宗教右派団体』に近い政治集団だと断ずるべきなのだろう。そこに通奏低音のように流れているのは戦前体制-すなわち天皇中心の国家体制への回帰願望である。
 だとするなら、日本会議の活動伸張は、かってこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性をと同時に『政教分離』といった近代民主主義社会の大原則を根本かつ侵す危険性まで孕んだ政治活動だともいえる。しかし、その『宗教集団』が扇動する政治活動は、確かにいま、勢いを増し、現実政治への影響力を高めている。」


 そして、青木は、「日本会議」の正体を次のように言い当てる。


「私なりの結論を一言で言えば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪性であっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がりはじめると重大な病を発症して死に至る。
 しかも、現在は日本社会全体に亜種のウィルスや類似のウィルス、あるいは低質なウィルスが拡散し、蔓延し、ついには脳髄=政権までが悪性ウィルスにむしばまれてしまった。このままいけば、近代民主主義の原則すら死滅してしまいかねない。警戒にあたるべきメディアもひどく鈍感で、ととえば2016年5月のG7サミットが伊勢志摩で開かれ、安倍が各国首脳を伊勢神宮へと誘ったことを批判的に捉える報道すら皆無だった。神社本庁が本宗と仰ぐ伊勢神宮にスポットライトが当てられたことは、日本会議と神社本庁にとっては悲願ともいうべき出来事であったにもかかわらず-。」


 最後に、青木は、このように締めくくる。


「当面は日本会議と安倍政権が総力を傾注する憲法改正に向けた動きの成否がすべての鍵を握っているのは間違いない。それはまた戦後民主主義を-いや、近代民主主義の根本原則そのものを守れるか否か、最後の砦をめぐるせめぎ合いでもある。」


また、こうも。


「天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権や政教分離などという思想は国柄に合わない-そんな主張を、たとえば日本会議の実務を取り仕切る椛島は、平気の平左で口にしてきた。それは同時に、日本会議の運動と同質性、連関性を有する安倍政権の危うさも浮き彫りにする。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-27 05:52 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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