本からのもの-「日本会議の研究」

著書名;日本会議の研究
著作者:菅野完
出版社;扶桑社新書


菅野完さん(以下、菅野とする)は、日本会議のイメージをまず示す。


「日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば『全国に草の根のネットワークを持つ国民運動団体』だ。
 私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで『右翼』あるいは『保守』と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、『右翼であり保守だ』と自任する私の目から見ても奇異そのものであり、『保守』や『右翼』の基本的要素に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。
 そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。
  そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体『日本会議』なのだ。」


「日本会議周辺の保守論壇人は異質だ」
「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは、明らかに違う」
集めたサンプルを虚心坦懐に読み解くと、そう結論づける他なかった。


 次に、日本会議について、具体的に次のように整理する。


①閣僚の参加議連等をみていると、現在の安倍政権は、日本会議の影響を色濃く受けている様子がうかがえること。
②「緊急事態条項の創設」「憲法24条を改変し家族条項を追加すること」「憲法9条2項を改廃すること」という、最近にわかに活発化した改憲論議は、その内容と優先順位ともに、日本会議周辺、とりわけ「日本政策研究センター」の年来の主張と全く同じであること。
③日本会議が展開する広範な「国民運動」の推進役を担っているのは、神社本庁でも神道政治連盟でも、また、その他の日本会議に参加する宗教団体でもなく、「日本青年協議会」であること。
④「日本青年協議会」の会長であり日本会議事務総長である椛島有三も、”安倍総理の筆頭ブレーン”と呼ばれる「日本政策研究センター」を率いる伊藤哲夫も、「生長の家学生運動」の出身であること。
⑤現在の「生長の家」は、3代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をしており、目下、この路線変更に異を唱える人々が「成長の家原理主義」ともいうべき分派活動を行っていること。
⑥「谷口雅春先生を学ぶ会」(以下、「学ぶ会」)が「成長の家原理主義」の中心団体であり「学ぶ会」には、稲田朋美や衛藤晟一などの首相周辺の政治家をはじめ、百道章、高橋史明など「保守論壇人」「保守派言論人」が参加していること。
⑦「学ぶ会」周辺の人々は、主に関西において、"軍歌を歌う幼稚園”として有名な「塚本幼稚園」の運営や、いわゆる「行動する保守」界隈との繋がりが深いこと。


 その上で、菅野は、日本介護の特徴とその謎を明確にする。


①「これまで本書が追いかけてきた『日本会議』界隈は安倍政権への支援・協力という『上への工作』のみならず、言論界での行動や幼稚園経営などを通した市民社会への浸透という『下への工作』まで、実に手広くやっていることが浮き彫りになる。        ②「この『右傾化路線』が全て『70年代の成長の家学生運動』に行き着くこともわかる。と同時に、実に多数の人々が多種多様なチャンネルを通じて、数十年の長きにわたり、彼らの『悲願』ともいうべき『憲法改正』に向かって運動を続けてこられたことが、不思議に思えてくる。」
③「彼らの運動がスタートしたのは、70年安保の時代。あの頃からすでに50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らはいまだに当時の渋滞を維持し、党派としてはおろか人間活動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないとの好対照だ。なぜそんなことが可能なのか?彼らの一体感はどこから生まれるのか?なぜ彼らは同氏の紐滞を維持し続けられるのか?」」


 このことについて、「むすびにかえて」の中で、菅野は、日本会議をこう説明する。


「常に『なぜメディアはこれまで日本会議のことを書かなかったのだ』という憤りが取材や執筆のモチベ-ションだった。とりわけ、2015年度夏は、安保法制の審議を横目に見つつの作業であったため、その憤りは高まる一方だった。しかし、今ならわかる。これはメディアには書けない。何も、メディアに能力がないというのではない。速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また、学問の範疇でもないだろう。学問の対象にするには生々しすぎる。テレビ・新聞の報道がカバーするには歴史が長すぎ、学問の対象にするには歴史が短すぎる。そういう狭間に、『日本会議』は存在している。」


 また、菅野は、日本会議についてこう続ける。


①「『巨大組織・日本会議』というイメージを私も抱いていた。しかし、事実を積み重ねていけば、自ずと、日本会議の小ささ・弱さが目につくようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない。ほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」
②「この程度の団体は、80年代以前であれば、単なる『圧力団体の一つ』として扱われていただろう。往事の、農協・土建業組合・医師会・各種業界団体と比べると、今の日本会議は、その規模も少なく、統一性にも欠ける。」
③「だが、そうした諸団体は、高齢化と長引く不況のせいで、その力を失った。不況に影響されず、世代交代も自然と進む宗教団体だけが、その数は減少傾向だとはいうものの、かろうじて圧力団体としての規模を維持し得たのだ。日本会議が大きいわけでも強いわけでもない。他が小さく弱くなっただけのことだ。」


 このように菅野は日本会議を指摘しながら、「その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。」とし、その特徴を次のように示す。


①「70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌。椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった、『一群の人々』は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。」
②「この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。」
③「その地道な市民活動が今、『改憲』という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、『緊急事態条項』しかり『家族保護条項』しかり、おおよそ民主的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には、『明治憲法復元』を隠した、古色蒼然たるものだ。」


 その上で、菅野は、日本会議の運動手法について、「しかし、彼らの手法は間違いなく、民主的だ。」と評価する。
 菅野は、このことに関して日本会議をこのように描写する。


①「やったって意味がない。そんなのは子どものやることだ。学生じゃあるまいし・・・と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。」
②「そして大方の『民主的な市民運動』に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国権を改変するまでの勢力となった。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!」


 なお、菅野がこの日本会議の分析を通して、この本で言いたかったことは、次のことである。


「だが、もし、民主主義を殺すものが『民主的な市民運動』であるならば、民主主義を生かすものも『民主的な市民運動』であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」


 この指摘に異論はない。


 最後に、私は、どこか北欧の推理小説のように、この本を大変面白く一気に読ませてもらった。
 淵源に立つ男を追及する様は、まさしく謎解きものの装いであった気がする。


by asyagi-df-2014 | 2016-07-09 05:43 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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