水俣-水俣病、公式確認から60年。

 2016年5月1日、水俣病の公式確認から60年を迎えた。
 朝日新聞社と熊本学園大学水俣学研究センター(熊本市)は共同で、水俣病の患者・被害者らにアンケートを実施した。
朝日新聞は2016年5月1日、アンケート結果を、「水俣病の公式確認から5月1日で60年となるのを前に朝日新聞社と熊本学園大学水俣学研究センター(熊本市)は共同で、水俣病の患者・被害者らにアンケートを実施した。6割超が『水俣病問題は解決していない』と回答。多くは、救済されていない被害者や、患者への認定や損害賠償を求める人たちが今もいることを理由に挙げた。」、と報じた。
 このアンケートの結果について次のように伝えた。


①「この10年で水俣病の典型的な症状がひとつでも悪化したと答えた人は回答者の9割超に達した。差別や偏見を近年も受けたとする人が2割超いた。国は『最終解決』を掲げた救済策による救済の申請を2012年に締め切ったが、問題の根深さが改めて示された。


②「水俣病では、公害健康被害補償法で国の認定基準に基づき、熊本、鹿児島両県が認定した患者と、未認定だが症状が確認され、医療費などを受ける被害者がいる。ほかにも症状を訴え、患者認定を求めている人や裁判で損害賠償を求めている人らがおり、患者・被害者らを含め、複数の団体をつくっている。
 アンケートでは、こうした11の団体・施設を通じ、会員ら8948人にアンケート用紙を送付。2610人から回答を得た。回答者は40歳代~100歳代で平均年齢は70・3歳。回答者の6割が認定患者や過去2回の政治決着で救済を受けるなどした人で、3割は認定申請・訴訟中などの人だった。」


③「水俣病問題の現状について尋ねたところ、『解決していない』が65・8%、『解決した』3・1%だった。医療費などを受ける被害者でも5~6割が『解決していない』と答えた。未解決の理由(複数回答)では『まだ救済されていない被害者がいる』79・6%、『患者認定を求める人や、損害賠償を求めて裁判を起こしている人がいる』62・7%、『(原因企業の)チッソや国、熊本県がきちんと責任を認めていると思えない』44・9%――と続いた。


④「手足のしびれや感覚障害などが水俣病の典型症状とされ、この10年間でこうした症状がひとつでも『特に悪くなった』と回答した人は96・5%だった。水俣病だと気づいた時期には幅があり、40年以上前が18・5%だった一方、『10年前』と『最近』が計35・1%だった。」


⑤「患者・被害者の大半は外見は水俣病とわからない。水俣では雇用や商取引などでチッソが地域経済に大きな影響を持ち、補償を求める被害者らへの差別・偏見が長年指摘されてきた。アンケートでも、自分自身や家族の差別・偏見に関する経験があると30・5%の人が回答。この数年間に差別・偏見を経験した人も23・3%いた。」


 このアンケート結果について、朝日新聞は、「熊本学園大水俣学研究センター長の花田昌宣教授は『①患者・被害者団体の会員らを対象に幅広いテーマで意識を尋ねた調査は例がない。②補償や一時金を受けることを非難された経験が目立ち、子や孫など身内にも相談をしたことがない人が少なくなかった。③水俣病に負のイメージを抱き、団体の会員でも水俣病を隠す人が多いことがわかる。④行政は残された被害者が声を上げるのを待つのでなく、広く医療費などを給付する必要がある』と話している。」、と報じた。


 このアンケートが示した、「この10年で水俣病の典型的な症状がひとつでも悪化したと答えた人は回答者の9割超に達した。」、「水俣病問題の現状について尋ねたところ、『解決していない』が65・8%、『解決した』3・1%だった。」、という回答は、日本という国が水俣病に示した結果でしかない。
 つまり、終わらない水俣病にどのように向き合うのかが、政府だけでなく日本人一人ひとり問われている。


 さて、この問題について、幾つかの新聞社が2016年4月30日及び5月1日付けで社説等で採り上げた。 その見出しは次のとおりである。
(1)朝日新聞社説-水俣病60年 解決遠い「公害の原点」
(2)読売新聞社説-水俣病60年 「脱水銀」で世界に貢献したい
(3)西日本新聞社説-水俣病確認60年 苦難の歴史を胸に刻んで
(4)南日本新聞社説-[水俣病60年] 全容解明へ「あたう限り」健康調査を
(5)北海道新聞社説-水俣病60年 被害の全面救済を急げ
(6)神戸新聞社説-水俣病確認60年/被害の全容解明が急務だ
(7)熊本日日新聞社説- 水俣病60年 実態見据え“真の救済”を


 水俣病の理解に向けて、要約する。


(1)事実
(朝日新聞)
①被害者らの多くが「問題は解決していない」と考えている。熊本学園大の水俣学研究センターと朝日新聞が行った認定患者や被害者への「60年アンケート」でも、回答者2610人の3分の2がそう答えた。救済から漏れた被害者の存在や不十分な国の制度、年を重ねるにつれ悪化する症状と、アンケートからは被害を受けた人々の不満や不安が伝わってくる。
②なぜ解決できないのか。認定患者をできるだけ増やさないようにしてきた政府の姿勢が、真っ先に問われる。
③1977年に認定基準を狭めて以降、感覚障害だけの患者がなかなか認定されなくなった。その結果、チッソが原因企業の熊本、鹿児島両県の認定患者は2280人にとどまる。被害の救済より、補償金を払うチッソの経営に配慮してきたと見られても仕方がない。
④認定されない人々は、損害賠償を求めて次々に提訴した。このため、政府は95年、2009年と2度にわたる政治決着で、「患者」と区別する「被害者」と位置づけ、一時金支給などの救済策を実施した。対象者は、最初の政治決着が約1万人、2度目は約3万6千人。その他、医療費などを受けた人も含めると、被害者は7万人超にまで膨れ上がった。
⑤一方で、2度目の救済からは約9600人が漏れた。対象地域や年齢の設定が狭すぎた、と専門家から批判が出ている。さらに、認定申請者はいまも2100人を超え、1300人が国や熊本県、チッソに損害賠償を求める裁判を続けている。
(読売新聞)
⑥被害者たちが患者認定や損害賠償を求める訴訟を相次いで提起した。公式確認からの60年は、争いの歴史だったとも言えよう。
⑦最高裁は、環境省よりも緩やかな基準で、被害者を水俣病と認めた。行政と司法の二重基準が事態を複雑にした。未認定の被害者に一時金などを支払う救済策も、2度にわたり実施されたが、あくまで認定を求める人は今も多い。
(西日本新聞)
⑧八代海(不知火海)沿岸の水俣市で1950年ごろ、多数のネコが奇病で死ぬ現象が頻発する。その後、住民の間でも手足のしびれや視野狭窄(しやきょうさく)、運動失調などを訴える原因不明の中枢神経疾患が相次ぐようになった。56年4月、水俣市の少女が重い症状でチッソ水俣工場付属病院に入院する。事態を重く見た当時の細川一院長(故人)が同年5月1日、地元の保健所に報告した。これが水俣病の公式確認である。
⑨「患者が確認された頃から行政が真剣に取り組んでいたら、こんなに多くの患者を出し、被害が何十年も続くことはなかった」。今年1月9日、水俣病問題の研究者や患者支援者などが参加して水俣市で開かれた交流集会で、胎児性患者坂本しのぶさんの母親フジエさんは、怒りをにじませながら、こう証言した。60年が経過しても、水俣病の患者や被害者が苦しめられる本質はここにある。
⑩チッソが水俣病の原因となるメチル水銀を生成するアセトアルデヒドの製造を中止したのは、公式確認から12年後の68年5月だ。国が公害認定したのは、それから4カ月後だった。なぜ、被害の拡大を防げなかったのか。
⑪当時の日本は戦後復興から高度経済成長期にあった。政府がチッソの経済活動を制限することで国全体の成長が鈍ることを恐れ、対策が遅れたとの指摘もある。
 早い段階で原因究明を徹底的に行っていれば、これほど被害は広がらなかったはずだ。最高裁判決が被害拡大防止を怠った行政の責任を厳しく指摘したのも、確認から50年近く過ぎてからである。
⑫公害認定の翌年に救済の特別措置法が公布され、法律に基づく認定制度が始まる。74年には公害健康被害補償法(公健法)が施行され、公健法に基づく認定審査が行われるようになった。当初、国は単独の症状でも患者と認める認定基準を示したが、他の病気との区別が困難として77年には複数の症状へと変更した。これ以降、患者認定されない人たちが急増することになる。新たな立法措置などで2度の政治決着が図られたが、その後も司法に救済を求める訴訟が相次いでいる。
⑬水俣病をめぐっては、地域社会で被害者と市民が分断される悲劇も起こった。水俣の再生を願い、船を岸壁につなぐロープの「もやい綱」に例えた「もやい直し」を掲げ、市民の絆を再び結び合わせる活動は今も行われている。
⑭公害問題の原則は汚染者負担(PPP)である。公害を発生させた側が被害補償の責任を負う。とはいえ、民間企業には財政面で限界がある。水俣病の認定患者を原因企業が補償する協定が73年に締結されて以降、チッソは経営危機に陥り、公的支援によって経営が維持されている。一方、化学メーカーとしての業績は順調で利益を生む体質が定着しつつある。チッソは救済法に基づいて収益事業を分社化したJNCの上場を目指す。何の落ち度もない被害者の苦しみは続き、原因企業は再生に向けて歩を進める。これほど不条理なことはない。
(南日本新聞)
⑮あれから明日で60年。水俣病問題は終息どころか、その兆しさえ見えない。2009年の特別措置法で「あたう(可能な)限り救う」とした国の責務はいったいどうなったのか。
⑯1日の犠牲者慰霊式は熊本地震の折から延期された。昨年までの名簿奉納は388人。すべて公害健康被害補償法(公健法)に基づく認定患者だ。総数は、鹿児島関係493人を含め2280人で8割以上が亡くなった。だがこの患者数は、チッソの近くの丘から望む不知火海の広がりに比べいかにも少ない。代わりに、2度の政治決着による被害者という名の「患者」が6万人以上に上る。このうち鹿児島関係は約1万8000人だ。さらに患者認定の審査待ちの人が両県で2000人以上、損害賠償訴訟の原告も千人を超える。行政などの場当たり的な救済が解決を長引かせたのは明らかである。
⑰被害を受けた側の要望に沿い、納得してもらうまで加害側が償うのが社会の道理ではないか。加害側の国が、法に定める沿岸住民らの健康調査を拒むことなど許されまい。
 国は水俣病問題の解決につながるよう、熊本県や被害者が求める健康調査に踏み出すべきである。
⑱水俣病問題の解決には患者認定の厳しい基準も立ちはだかる。公健法に基づく認定基準は、1971年に当時の環境庁通知で、「有機水銀の影響が否定できない場合は認定」と緩やかだった。ところが申請が増えるなどした77年に「複数の症状の組み合わせが必要」と厳格化した。一方、司法では国の71年基準に近い判決が相次いだ。
 福岡高裁は85年、77年の基準は「厳格に失する」と批判、2013年の最高裁判決も「感覚障害のみで水俣病」と認定した。だが環境省は複数症状を組み合わせる基準を続けた。その上で14年、「複数が原則だが感覚障害だけでも認定可能」という新指針を熊本、鹿児島両県へ通知した。しかし、内容は申請者の同居家族に認定患者がいたかどうかのほか、水銀摂取の明確な証明も求める厳しいものだった。これでは、被害者側が「申請者の個別の症状で判断してほしい」と反発するのは当然だ
(北海道新聞)
⑲被害者を長年苦しめてきたのが、患者認定の高いハードルだ。国は原則、手足の感覚障害と他の症状の組み合わせを認定の条件としている。救済の間口は狭い。政府は95年と2009年、未認定患者への一時金支払いを柱とする政治決着を図った。だが、受け取るための申請には期限が設けられ、多くの被害者が取り残された。
⑳熊本、鹿児島両県の認定患者は2月末現在2280人で、審査待ちの人も約2千人という。認定されず、国相手の訴訟に踏み切った原告は1千人以上に上る。差別や偏見を恐れて申請自体を諦める人もいる。高度経済成長という国策を支えた企業に体をむしばまれ、被害の声さえ上げられない現実は、あまりに理不尽だ。
(神戸新聞)
㉑法的な責任は明白だ。チッソの加害責任、損害賠償義務は確定し、最高裁判所は元社長と元工場長の有罪判決を出した。さらに国と熊本県が被害を拡大させた責任を認め、2013年には患者の認定基準を緩和し幅広く救済するよう命じた。
○22しかし、いったいどれぐらいの人が発症しているのかは今も分からない。これまで何度も政治決着が図られてきたが、国は今も被害調査に及び腰だ。そして幕引きばかりを急、ぎ、場当たり的な対応で被害者を翻弄(ほんろう)してきた。国の責任は大きい。
 国や熊本県、チッソに賠償を求める訴訟も続いている。認定の審査をめぐっては、最高裁の判決後も基準を変えようとしない環境省の姿勢に反発が広がる。加えて高齢化する被害者や胎児性、小児性患者の介護の問題など、被害は形を変えて人々を苦しめている。
(熊本日日新聞)
○23熊本、鹿児島両県が認定した患者数は2千人を超える。だが、今なお多くの人が救済を求めて行政に認定を申請し、訴訟も相次いでいる。全面解決には程遠い。
○24水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らが手足の感覚障害や視野狭窄[しやきょうさく]などを発症。チッソ付属病院の故細川一院長が、水俣保健所に「原因不明の疾患が発生」と届け出たのが1956年5月1日だった。
○25「日本人は豊かになったと言われるが、私たちはなぜこんな目に遭うのだろう。悪いことは何もしていないのに」。公式確認のきっかけとなった水俣市の患者田中実子さん(62)の姉下田綾子さん(72)はそう話す。言葉を発することのできない妹の介護を続け、自身も未認定患者救済策の対象者だ。被害者すべてが抱くであろうこのやり切れない思いは、年月が過ぎるほど一層深くなっている。
 国はその思いに誠実に応えてきただろうか。感覚障害に運動失調や視野狭窄など複数症状の組み合わせを求める認定基準は、大量の棄却処分を生んだ。被害を矮小[わいしょう]化しようとする姿勢は司法から何度も指摘されたが、変わることはなく、混乱を拡大させるという状況が繰り返されている。
○262013年に最高裁は感覚障害だけの水俣病を認定、幅広く患者を救済する判断を示した。環境省は翌年、認定基準の運用に関する新通知を示した。単一症状でも総合的な検討で認定するが、汚染魚多食の裏付けを求めるなど申請者に負担を強いる内容だ。最高裁判断とは裏腹に、かえって救済の門を狭めたと言わざるを得ない。
○27県は昨年7月、水俣病認定審査会を2年4カ月ぶりに開いた。従来の認定基準の大枠は維持したままで、これまで74人の審査で認定は2人、65人は棄却、7人の処分を保留した。認定者の症状や検討内容などは非公表。棄却が相次ぐ状況も変わらず、最高裁判断をどう生かして被害者を救済するのか、県の姿勢が見えてこない。認定審査を待つ申請者は、鹿児島も合わせると2千人を超える。その現実を直視すべきだ。


(2)主張
(朝日新聞)
①被害の広がりの全容をつかむには、発生地域周辺で、広く住民の健康調査をするしかない。それなのに政府はこれまで、時間の経過などを理由に調査を拒んできた。だが、どんな症状がどの範囲で発生しているかは今でも十分把握が可能だ。
②60年を経てなお、不知火海周辺に水俣病の「深い闇」が広がる。政府は徹底的に潜在する被害を掘り起こすべきだ。その結果をもとに、現行の認定制度や救済策を総合的に見直すことこそ、水俣病問題の根本解決には欠かせない。
(読売新聞)
③公害の原点である水俣病の公式確認から、1日で60年を迎えた。悲惨な被害を繰り返さぬよう、環境保全の重要性を再認識する機会としたい。
④環境省は、高齢化する被害者の介護体制の整備など、可能な限りの支援に努めねばならない。
⑤水俣病を教訓に、国内では「脱水銀」の取り組みが進んできた。水銀を使わない化学製品の合成方法が開発された。体温計や乾電池からも、水銀が姿を消した。蛍光灯などでも、出来るだけ早く水銀ゼロを達成したい。
⑥日本は、汚染状況の監視や水質、大気の浄化などの面で優れた技術を持つ。これらを途上国に提供することは有意義な国際貢献だ。
(西日本新聞)
⑦政府はこれまで、被害の実態調査をすることなく真の被害者救済を怠ってきた。水俣病への根強い差別と偏見を恐れて、患者認定をためらう被害者も少なくない。
⑧国が果たすべき責任は、患者や被害者の苦しみと真摯(しんし)に向き合って全面解決を図ることである。それが実現するまで、水俣病に終わりはないはずだ。
⑨報道する私たちも、今まで国を動かすことができなかった力不足を改めて反省したい。
 水俣病が地域と住民にもたらした底知れぬ苦難の歴史を胸に刻み、あたう限りの被害者が救済されるまで、私たちは水俣病を問い続けていきたいと思う。
(南日本新聞)
⑩チッソと国、熊本県は司法が断罪した責任をいま一度深く自覚すべきだ。有毒のメチル水銀を垂れ流した過失と、その規制を怠った加害の「罪」である。
⑪行政やチッソのその場しのぎの対応が続くのは、被害の全容がいまだ不明だからだ。60年を前に、被害者らが不知火海沿岸の健康調査や環境調査を求めるのはもっともである。
 熊本県の蒲島郁夫知事も3月の臨時会見で「健康調査は特措法に明記されている。国と県が一緒にやることが現実的なので、早く国に求めていきたい」と語った。知事は「法律に書いてあることをお願いするわけだから、当然のこと」と念押しした。その通りであろう。国へ早急に働きかけ、あたう限りの住民の健康調査をすべきである。
⑫水俣病発病が疑われる不知火海沿岸をくまなく調べるのはもちろん、長年放置されたままの行商の魚による汚染の解明も必要だ。被害者団体が、鹿児島県内の山間部などでの集団検診で得たデータも重ねながら、被害の全容に迫ってもらいたい。
⑬は新指針の内容はもとより、厳格すぎる認定基準そのものを見直すべきである。
「水俣病事件は私たちの生きているこの時代に衆人環視の中で起きた」「力の強い者が都合のよいように操作することで終始した」。水俣病問題を追及したNHK職員、故宮澤信雄さんは著書「水俣病事件四十年」でそう訴えた。
 チッソや国、熊本県、そして衆人である私たちはどこで過ちを犯したのか。幕引きを急げば、産業優先の水俣の惨劇を、またどこかで繰り返すことになりかねない。
(北海道新聞)
⑭厳しい認定基準は抜本的に見直すべきだ。確認60年の節目に、全面救済への道筋をきちんとつける必要がある。最高裁は13年、「複数の症状の組み合わせがない患者も、認定される余地がある」との判断を示している。幅広い救済が司法の流れといえよう。国はこれを踏まえて、機械的で画一的な認定行政を改めるべきだ。
⑮胎児性・小児性水俣病の問題も、忘れてはならない。汚染された魚介類を母親が摂取したり、幼少期に直接食べたりして発症した。加齢とともに歩行が困難になるなど重症化する人が目立つが、全体像は分かっていない。国には、早急に現地の健康調査を行い、医学的な原因解明を進めるよう求めたい。
(神戸新聞)
⑯なぜ、水俣病の問題は解決しないのか。根本的な原因は被害の全容が明らかになっていないことにある。
⑰症状が出ても原因が分からず被害に苦しんでいる人や、さまざまな事情で名乗り出ていない人がいる。被害者団体は不知火海(しらぬいかい)沿岸の住民健康調査を求めている。国は今こそ、その要求に応えるべきだ。
⑱社会全体で水俣病の問題は「終わらない」と受け止める必要がある。
 患者の早期救済を訴え続け、4年前に亡くなった原田正純(まさずみ)医師は「水俣病は鏡である」との言葉を残した。そして「水俣病を起こした真の原因は人を人と思わない差別であり、それが被害を拡大させ、救済を怠らせている」と語った。
 「水俣病は鏡である」。社会のしくみや政治のありようを映す鏡に、どんな姿が映し出されているのか。被害者は問うている。
(熊本日日新聞)
⑲水俣病問題に幕を引きたい国は09年、水俣病特別措置法を施行し未認定患者救済で政治決着を図った。一定の感覚障害が認められれば一時金210万円を支給、約3万6千人が対象となった。しかしそのことによって、あらためて被害が広範囲にわたっている現実が浮き彫りになった。患者側は不知火海沿岸の広い地域での住民健康調査を求めているが、行政は応じていない。これでは患者の切り捨てにつながりかねない。行政は幕引きを急ぐことなく、真摯[しんし]に実態を見据えてほしい。
⑳被害者の高齢化が進む中、救済は待ったなしである。国も県もこの60年の歩みから学び、“真の救済”の道へ踏み出すべきだ。


 これまでも、水俣病の根本解決を阻んできたのは、一つには、「広く住民の健康調査をするしかない。それなのに政府はこれまで、時間の経過などを理由に調査を拒んできた。」(朝日新聞)、という日本政府の姿勢にあった。
 朝日新聞は、今の状況を、「60年を経てなお、不知火海周辺に水俣病の『深い闇』が広がる」、と指摘する。したがって、日本政府は、「“真の救済”の道」(熊本日日新聞)へ踏み出さなければならない。そのためには、早急に、広く住民の健康調査を行なう必要がある。
 気になるのは、「日本は、汚染状況の監視や水質、大気の浄化などの面で優れた技術を持つ。これらを途上国に提供することは有意義な国際貢献だ。」との読売新聞の主張である。
 これまでも、世界の水銀汚染の公害基準が不充分で歪んだ日本の水準に均されてしまっている、という批判が行われてきた。これまでの日本政府の水俣病に対する取り組みへの真摯な反省がないままに、国際貢献が行われることは、不充分で歪んだ日本の水準を広めることにしかならない。
「水俣病事件は私たちの生きているこの時代に衆人環視の中で起きた」、「力の強い者が都合のよいように操作することで終始した」、と指摘した故宮澤信雄さんの訴えを肝に命じたい。
 南日本新聞は、「チッソや国、熊本県、そして衆人である私たちはどこで過ちを犯したのか。幕引きを急げば、産業優先の水俣の惨劇を、またどこかで繰り返すことになりかねない。」、と訴える。
 確かに、私たちは、この訴えとともにある。
 立ち止まる大地には、「日本人は豊かになったと言われるが、私たちはなぜこんな目に遭うのだろう。悪いことは何もしていないのに」、との悲痛な声が溢れている。


 以下、朝日新聞の引用。







朝日新聞-水俣病「未解決」6割超 患者・被害者らアンケート-2016年5月1日05時33分

 水俣病の公式確認から5月1日で60年となるのを前に朝日新聞社と熊本学園大学水俣学研究センター(熊本市)は共同で、水俣病の患者・被害者らにアンケートを実施した。6割超が「水俣病問題は解決していない」と回答。多くは、救済されていない被害者や、患者への認定や損害賠償を求める人たちが今もいることを理由に挙げた。

 この10年で水俣病の典型的な症状がひとつでも悪化したと答えた人は回答者の9割超に達した。差別や偏見を近年も受けたとする人が2割超いた。国は「最終解決」を掲げた救済策による救済の申請を2012年に締め切ったが、問題の根深さが改めて示された。

 水俣病では、公害健康被害補償法で国の認定基準に基づき、熊本、鹿児島両県が認定した患者と、未認定だが症状が確認され、医療費などを受ける被害者がいる。ほかにも症状を訴え、患者認定を求めている人や裁判で損害賠償を求めている人らがおり、患者・被害者らを含め、複数の団体をつくっている。

 アンケートでは、こうした11の団体・施設を通じ、会員ら8948人にアンケート用紙を送付。2610人から回答を得た。回答者は40歳代~100歳代で平均年齢は70・3歳。回答者の6割が認定患者や過去2回の政治決着で救済を受けるなどした人で、3割は認定申請・訴訟中などの人だった。

 水俣病問題の現状について尋ねたところ、「解決していない」が65・8%、「解決した」3・1%だった。医療費などを受ける被害者でも5~6割が「解決していない」と答えた。未解決の理由(複数回答)では「まだ救済されていない被害者がいる」79・6%、「患者認定を求める人や、損害賠償を求めて裁判を起こしている人がいる」62・7%、「(原因企業の)チッソや国、熊本県がきちんと責任を認めていると思えない」44・9%――と続いた。

 手足のしびれや感覚障害などが水俣病の典型症状とされ、この10年間でこうした症状がひとつでも「特に悪くなった」と回答した人は96・5%だった。水俣病だと気づいた時期には幅があり、40年以上前が18・5%だった一方、「10年前」と「最近」が計35・1%だった。

 患者・被害者の大半は外見は水俣病とわからない。水俣では雇用や商取引などでチッソが地域経済に大きな影響を持ち、補償を求める被害者らへの差別・偏見が長年指摘されてきた。アンケートでも、自分自身や家族の差別・偏見に関する経験があると30・5%の人が回答。この数年間に差別・偏見を経験した人も23・3%いた。

 アンケート結果について、熊本学園大水俣学研究センター長の花田昌宣教授は「患者・被害者団体の会員らを対象に幅広いテーマで意識を尋ねた調査は例がない。補償や一時金を受けることを非難された経験が目立ち、子や孫など身内にも相談をしたことがない人が少なくなかった。水俣病に負のイメージを抱き、団体の会員でも水俣病を隠す人が多いことがわかる。行政は残された被害者が声を上げるのを待つのでなく、広く医療費などを給付する必要がある」と話している。
     ◇
 《水俣病》 熊本県水俣市にあるチッソの工場が廃水と一緒に海に流したメチル水銀が原因の公害病。熱さや痛さなどの感覚が鈍くなる(感覚障害)、見える範囲が狭くなるなど様々な症状がある。症状の表れ方や加齢に伴う変化などが十分解明されておらず、被害の広がり方についても論議が続く。認定患者2280人(うち1879人が死亡)、救済策などで医療費などを受けた人が約7万人。一方で、今も2100人余りが患者認定を求め、約1300人が裁判で損害賠償などを求めている。患者・被害者団体はチッソや行政との交渉や提言、訴訟支援などを通じ、患者らの福祉や補償・救済に取り組んでいる。


(1)朝日新聞社説-水俣病60年 解決遠い「公害の原点」-2016年5月1日05時00分

 「公害の原点」とも言われる水俣病が公式確認されてから、きょうで60年になる。だが、被害者らの多くが「問題は解決していない」と考えている。

 熊本学園大の水俣学研究センターと朝日新聞が行った認定患者や被害者への「60年アンケート」でも、回答者2610人の3分の2がそう答えた。

 救済から漏れた被害者ログイン前の続きの存在や不十分な国の制度、年を重ねるにつれ悪化する症状と、アンケートからは被害を受けた人々の不満や不安が伝わってくる。

 なぜ解決できないのか。認定患者をできるだけ増やさないようにしてきた政府の姿勢が、真っ先に問われる。

 1977年に認定基準を狭めて以降、感覚障害だけの患者がなかなか認定されなくなった。

 その結果、チッソが原因企業の熊本、鹿児島両県の認定患者は2280人にとどまる。被害の救済より、補償金を払うチッソの経営に配慮してきたと見られても仕方がない。

 認定されない人々は、損害賠償を求めて次々に提訴した。このため、政府は95年、2009年と2度にわたる政治決着で、「患者」と区別する「被害者」と位置づけ、一時金支給などの救済策を実施した。

 対象者は、最初の政治決着が約1万人、2度目は約3万6千人。その他、医療費などを受けた人も含めると、被害者は7万人超にまで膨れ上がった。

 一方で、2度目の救済からは約9600人が漏れた。対象地域や年齢の設定が狭すぎた、と専門家から批判が出ている。

 さらに、認定申請者はいまも2100人を超え、1300人が国や熊本県、チッソに損害賠償を求める裁判を続けている。

 被害の広がりの全容をつかむには、発生地域周辺で、広く住民の健康調査をするしかない。

 それなのに政府はこれまで、時間の経過などを理由に調査を拒んできた。だが、どんな症状がどの範囲で発生しているかは今でも十分把握が可能だ。

 アンケートでは「『今さら金をもらおうとしている』と陰口を浴びせられた」など、本人や家族が差別や偏見を体験した人が3割に上った。差別が残るのも、政府が実態を直視せず、事実を住民に周知してこなかったことが一因ではないか。

 60年を経てなお、不知火海周辺に水俣病の「深い闇」が広がる。政府は徹底的に潜在する被害を掘り起こすべきだ。

 その結果をもとに、現行の認定制度や救済策を総合的に見直すことこそ、水俣病問題の根本解決には欠かせない。


(2)読売新聞社説-水俣病60年 「脱水銀」で世界に貢献したい-2016年05月01日


 公害の原点である水俣病の公式確認から、1日で60年を迎えた。悲惨な被害を繰り返さぬよう、環境保全の重要性を再認識する機会としたい。

 水俣病は、有機水銀による神経系の中毒症状だ。熊本県水俣市にあるチッソの工場からの排水により、八代海の魚介類が汚染され、それを食べた住民が発症した。

 水俣病患者の苦悩を描いた石牟礼道子さんの代表作「苦海浄土」や米国人写真家ユージン・スミス氏の作品などによって、国内外に被害の実態が知れ渡った。

 1977年に環境庁(当時)が認定基準を示した。手足の感覚障害や視野狭窄きょうさくなど、特徴的な症状が組み合わさっていることが認定の条件とされた。

 チッソから補償金などが支払われる認定患者は約2300人だ。それよりはるかに多くの人たちが認定申請を退けられてきた。

 被害者たちが患者認定や損害賠償を求める訴訟を相次いで提起した。公式確認からの60年は、争いの歴史だったとも言えよう。

 最高裁は、環境省よりも緩やかな基準で、被害者を水俣病と認めた。行政と司法の二重基準が事態を複雑にした。未認定の被害者に一時金などを支払う救済策も、2度にわたり実施されたが、あくまで認定を求める人は今も多い。

 環境省は、高齢化する被害者の介護体制の整備など、可能な限りの支援に努めねばならない。

 水俣病を教訓に、国内では「脱水銀」の取り組みが進んできた。水銀を使わない化学製品の合成方法が開発された。体温計や乾電池からも、水銀が姿を消した。蛍光灯などでも、出来るだけ早く水銀ゼロを達成したい。

 途上国では、今も水銀被害が発生している。深刻なのは、小規模な金採掘現場だ。鉱石から金を抽出する際に水銀が使われている。子供を含む作業員が、熱して蒸気になった水銀を大量に吸うことで、中毒症状が多発している。

 「水銀に関する水俣条約」が、日本政府の主導で2013年に採択された。年内にも発効する。水銀含有製品の製造や輸出入を20年までに原則禁止し、水銀鉱山の新規開発も禁じることが柱だ。

 水銀被害を世界的に根絶するためには、条約を有効に機能させることが重要である。先進国が、資金・技術面で途上国を支援していく必要もあるだろう。

 日本は、汚染状況の監視や水質、大気の浄化などの面で優れた技術を持つ。これらを途上国に提供することは有意義な国際貢献だ。


(3)西日本新聞社説-水俣病確認60年 苦難の歴史を胸に刻んで-2016年04月30日


 水俣病は、チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水に含まれていたメチル水銀によって引き起こされた公害病だ。メチル水銀に汚染された魚介類を食べた住民らが感覚障害などを訴えた。

 食物連鎖による人類最初の病気とされる。「公害の原点」といわれるのは、このためだ。

 水俣病の公式確認から、あすで60年になる。長い歳月を経た今でも、患者や被害者の全面救済に至っていないのが現実である。

 ▼事態を放置した国の責任

 八代海(不知火海)沿岸の水俣市で1950年ごろ、多数のネコが奇病で死ぬ現象が頻発する。

 その後、住民の間でも手足のしびれや視野狭窄(しやきょうさく)、運動失調などを訴える原因不明の中枢神経疾患が相次ぐようになった。56年4月、水俣市の少女が重い症状でチッソ水俣工場付属病院に入院する。

 事態を重く見た当時の細川一院長(故人)が同年5月1日、地元の保健所に報告した。これが水俣病の公式確認である。

 「患者が確認された頃から行政が真剣に取り組んでいたら、こんなに多くの患者を出し、被害が何十年も続くことはなかった」

 今年1月9日、水俣病問題の研究者や患者支援者などが参加して水俣市で開かれた交流集会で、胎児性患者坂本しのぶさんの母親フジエさんは、怒りをにじませながら、こう証言した。60年が経過しても、水俣病の患者や被害者が苦しめられる本質はここにある。

 チッソが水俣病の原因となるメチル水銀を生成するアセトアルデヒドの製造を中止したのは、公式確認から12年後の68年5月だ。

 国が公害認定したのは、それから4カ月後だった。なぜ、被害の拡大を防げなかったのか。

 当時の日本は戦後復興から高度経済成長期にあった。政府がチッソの経済活動を制限することで国全体の成長が鈍ることを恐れ、対策が遅れたとの指摘もある。

 早い段階で原因究明を徹底的に行っていれば、これほど被害は広がらなかったはずだ。最高裁判決が被害拡大防止を怠った行政の責任を厳しく指摘したのも、確認から50年近く過ぎてからである。

 ▼底知れぬ痛みと不条理

 公害認定の翌年に救済の特別措置法が公布され、法律に基づく認定制度が始まる。74年には公害健康被害補償法(公健法)が施行され、公健法に基づく認定審査が行われるようになった。

 当初、国は単独の症状でも患者と認める認定基準を示したが、他の病気との区別が困難として77年には複数の症状へと変更した。

 これ以降、患者認定されない人たちが急増することになる。新たな立法措置などで2度の政治決着が図られたが、その後も司法に救済を求める訴訟が相次いでいる。

 水俣病をめぐっては、地域社会で被害者と市民が分断される悲劇も起こった。水俣の再生を願い、船を岸壁につなぐロープの「もやい綱」に例えた「もやい直し」を掲げ、市民の絆を再び結び合わせる活動は今も行われている。

 公害問題の原則は汚染者負担(PPP)である。公害を発生させた側が被害補償の責任を負う。

 とはいえ、民間企業には財政面で限界がある。水俣病の認定患者を原因企業が補償する協定が73年に締結されて以降、チッソは経営危機に陥り、公的支援によって経営が維持されている。

 一方、化学メーカーとしての業績は順調で利益を生む体質が定着しつつある。チッソは救済法に基づいて収益事業を分社化したJNCの上場を目指す。何の落ち度もない被害者の苦しみは続き、原因企業は再生に向けて歩を進める。これほど不条理なことはない。

 政府はこれまで、被害の実態調査をすることなく真の被害者救済を怠ってきた。水俣病への根強い差別と偏見を恐れて、患者認定をためらう被害者も少なくない。

 国が果たすべき責任は、患者や被害者の苦しみと真摯(しんし)に向き合って全面解決を図ることである。

 それが実現するまで、水俣病に終わりはないはずだ。

 報道する私たちも、今まで国を動かすことができなかった力不足を改めて反省したい。

 水俣病が地域と住民にもたらした底知れぬ苦難の歴史を胸に刻み、あたう限りの被害者が救済されるまで、私たちは水俣病を問い続けていきたいと思う。


(4)南日本新聞社説-[水俣病60年] 全容解明へ「あたう限り」健康調査を-2016年4月30日


 1956(昭和31)年5月1日、熊本県水俣市の保健所に漁師の幼い娘2人が原因不明の神経症にかかったと届けられた。

 「公害の原点」、水俣病が公式に確認された日である。

 被害者や家族には、原因企業チッソや国、県を相手に今に至る不条理な闘いの号砲にもなった。

 あれから明日で60年。水俣病問題は終息どころか、その兆しさえ見えない。2009年の特別措置法で「あたう(可能な)限り救う」とした国の責務はいったいどうなったのか。

 1日の犠牲者慰霊式は熊本地震の折から延期された。昨年までの名簿奉納は388人。すべて公害健康被害補償法(公健法)に基づく認定患者だ。総数は、鹿児島関係493人を含め2280人で8割以上が亡くなった。

 だがこの患者数は、チッソの近くの丘から望む不知火海の広がりに比べいかにも少ない。

 代わりに、2度の政治決着による被害者という名の「患者」が6万人以上に上る。このうち鹿児島関係は約1万8000人だ。

 さらに患者認定の審査待ちの人が両県で2000人以上、損害賠償訴訟の原告も千人を超える。行政などの場当たり的な救済が解決を長引かせたのは明らかである。

 チッソと国、熊本県は司法が断罪した責任をいま一度深く自覚すべきだ。有毒のメチル水銀を垂れ流した過失と、その規制を怠った加害の「罪」である。
■熊本県の提案
 行政やチッソのその場しのぎの対応が続くのは、被害の全容がいまだ不明だからだ。

 60年を前に、被害者らが不知火海沿岸の健康調査や環境調査を求めるのはもっともである。

 熊本県の蒲島郁夫知事も3月の臨時会見で「健康調査は特措法に明記されている。国と県が一緒にやることが現実的なので、早く国に求めていきたい」と語った。

 知事は「法律に書いてあることをお願いするわけだから、当然のこと」と念押しした。

 その通りであろう。国へ早急に働きかけ、あたう限りの住民の健康調査をすべきである。

 水俣病発病が疑われる不知火海沿岸をくまなく調べるのはもちろん、長年放置されたままの行商の魚による汚染の解明も必要だ。

 被害者団体が、鹿児島県内の山間部などでの集団検診で得たデータも重ねながら、被害の全容に迫ってもらいたい。

 心配なのは国の出方だ。国は、熊本県が04年に望んだ健康と環境の調査を袖にした経緯がある。

 健康調査は沿岸に居住歴がある約47万人(熊本20市町・37万3000人、鹿児島6市町・9万7000人、いずれも当時)を対象に国と県がアンケートと検診を行う。経費は約8億7000万円と見込んだ。

 だが翌年、環境省が公表した新たな対策に二つの調査は採用されなかった。

 なんとか形にしたのが特措法だった。「メチル水銀が健康に与える影響を把握するための調査、効果的な疫学調査などの手法の開発を図る」と盛り込まれた。

 それでも環境省からは「健康調査をしても、結果を生かす手法が確立されていない」との声が漏れる。水俣病被害の矮小化(わいしょうか)や患者掘り起こしの否定に聞こえる。

 被害を受けた側の要望に沿い、納得してもらうまで加害側が償うのが社会の道理ではないか。

 加害側の国が、法に定める沿岸住民らの健康調査を拒むことなど許されまい。

 国は水俣病問題の解決につながるよう、熊本県や被害者が求める健康調査に踏み出すべきである。
■衆人環視の事件
 水俣病問題の解決には患者認定の厳しい基準も立ちはだかる。

 公健法に基づく認定基準は、1971年に当時の環境庁通知で、「有機水銀の影響が否定できない場合は認定」と緩やかだった。

 ところが申請が増えるなどした77年に「複数の症状の組み合わせが必要」と厳格化した。

 一方、司法では国の71年基準に近い判決が相次いだ。

 福岡高裁は85年、77年の基準は「厳格に失する」と批判、2013年の最高裁判決も「感覚障害のみで水俣病」と認定した。

 だが環境省は複数症状を組み合わせる基準を続けた。その上で14年、「複数が原則だが感覚障害だけでも認定可能」という新指針を熊本、鹿児島両県へ通知した。

 しかし、内容は申請者の同居家族に認定患者がいたかどうかのほか、水銀摂取の明確な証明も求める厳しいものだった。

 これでは、被害者側が「申請者の個別の症状で判断してほしい」と反発するのは当然だ。

 国は新指針の内容はもとより、厳格すぎる認定基準そのものを見直すべきである。

 「水俣病事件は私たちの生きているこの時代に衆人環視の中で起きた」「力の強い者が都合のよいように操作することで終始した」

 水俣病問題を追及したNHK職員、故宮澤信雄さんは著書「水俣病事件四十年」でそう訴えた。

 公式確認から60年。

 チッソや国、熊本県、そして衆人である私たちはどこで過ちを犯したのか。幕引きを急げば、産業優先の水俣の惨劇を、またどこかで繰り返すことになりかねない。


(5)北海道新聞社説-水俣病60年 被害の全面救済を急げ-2016年5月1日


 「公害病の原点」といわれる水俣病の公式確認から、1日で60年を迎えた。

 政府はこれまでに2度、被害者救済の政治決着を図ってきたが、全面的な解決には至っていない。

 被害者の高齢化は進み、認定患者としての補償を受けられずに亡くなる人も少なくない。

 厳しい認定基準は抜本的に見直すべきだ。確認60年の節目に、全面救済への道筋をきちんとつける必要がある。

 最初に水俣病が見つかった熊本県の場合は、チッソ水俣工場が排出したメチル水銀が原因だった。汚染された魚介類を食べた住民が手足の感覚障害や視野狭窄(きょうさく)などを訴え、死者も出た。

 国は1956年に被害を確認したが、68年まで公害病と認定されず、対策は遅れた。

 行政の不作為が被害を広げただけに、国の責任は重い。65年には新潟水俣病も確認されている。

 被害者を長年苦しめてきたのが、患者認定の高いハードルだ。

 国は原則、手足の感覚障害と他の症状の組み合わせを認定の条件としている。救済の間口は狭い。

 政府は95年と2009年、未認定患者への一時金支払いを柱とする政治決着を図った。

 だが、受け取るための申請には期限が設けられ、多くの被害者が取り残された。

 最高裁は13年、「複数の症状の組み合わせがない患者も、認定される余地がある」との判断を示している。

 幅広い救済が司法の流れといえよう。国はこれを踏まえて、機械的で画一的な認定行政を改めるべきだ。

 熊本、鹿児島両県の認定患者は2月末現在2280人で、審査待ちの人も約2千人という。認定されず、国相手の訴訟に踏み切った原告は1千人以上に上る。

 差別や偏見を恐れて申請自体を諦める人もいる。

 高度経済成長という国策を支えた企業に体をむしばまれ、被害の声さえ上げられない現実は、あまりに理不尽だ。

 胎児性・小児性水俣病の問題も、忘れてはならない。

 汚染された魚介類を母親が摂取したり、幼少期に直接食べたりして発症した。

 加齢とともに歩行が困難になるなど重症化する人が目立つが、全体像は分かっていない。

 国には、早急に現地の健康調査を行い、医学的な原因解明を進めるよう求めたい。


(6)神戸新聞社説-水俣病確認60年/被害の全容解明が急務だ-2016年5月1日


 1956年5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)付属病院が保健所に原因不明の病気を届け出た。そして「公害の原点」とされる水俣病が公式に確認された。今年でちょうど60年になる。

 毎年、水俣ではこの日、犠牲者の慰霊式が催されるが、今年は熊本地震の余震の影響で実行委員会が式の延期を決めた。

 3月末に水俣で開催されたシンポジウムで、母親の胎内で病となった胎児性患者の女性が「まだたくさんの問題がある。水俣病は終わらない」と訴えた。

 なぜ、水俣病の問題は解決しないのか。根本的な原因は被害の全容が明らかになっていないことにある。

 法的な責任は明白だ。チッソの加害責任、損害賠償義務は確定し、最高裁判所は元社長と元工場長の有罪判決を出した。さらに国と熊本県が被害を拡大させた責任を認め、2013年には患者の認定基準を緩和し幅広く救済するよう命じた。

 しかし、いったいどれぐらいの人が発症しているのかは今も分からない。これまで何度も政治決着が図られてきたが、国は今も被害調査に及び腰だ。そして幕引きばかりを急ぎ、場当たり的な対応で被害者を翻弄(ほんろう)してきた。国の責任は大きい。

 症状が出ても原因が分からず被害に苦しんでいる人や、さまざまな事情で名乗り出ていない人がいる。被害者団体は不知火海(しらぬいかい)沿岸の住民健康調査を求めている。国は今こそ、その要求に応えるべきだ。

 国や熊本県、チッソに賠償を求める訴訟も続いている。認定の審査をめぐっては、最高裁の判決後も基準を変えようとしない環境省の姿勢に反発が広がる。加えて高齢化する被害者や胎児性、小児性患者の介護の問題など、被害は形を変えて人々を苦しめている。

 社会全体で水俣病の問題は「終わらない」と受け止める必要がある。

 患者の早期救済を訴え続け、4年前に亡くなった原田正純(まさずみ)医師は「水俣病は鏡である」との言葉を残した。そして「水俣病を起こした真の原因は人を人と思わない差別であり、それが被害を拡大させ、救済を怠らせている」と語った。

 「水俣病は鏡である」。社会のしくみや政治のありようを映す鏡に、どんな姿が映し出されているのか。被害者は問うている。


(7)熊本日日新聞社説- 水俣病60年 実態見据え“真の救済”を- 2016年05月01日


毎年開かれる「水俣病犠牲者慰霊式」は熊本地震の影響で延期となったが、水俣病はきょう、公式確認から60年を迎える。

 熊本、鹿児島両県が認定した患者数は2千人を超える。だが、今なお多くの人が救済を求めて行政に認定を申請し、訴訟も相次いでいる。全面解決には程遠い。

 水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らが手足の感覚障害や視野狭窄[しやきょうさく]などを発症。チッソ付属病院の故細川一院長が、水俣保健所に「原因不明の疾患が発生」と届け出たのが1956年5月1日だった。

 「日本人は豊かになったと言われるが、私たちはなぜこんな目に遭うのだろう。悪いことは何もしていないのに」。公式確認のきっかけとなった水俣市の患者田中実子さん(62)の姉下田綾子さん(72)はそう話す。言葉を発することのできない妹の介護を続け、自身も未認定患者救済策の対象者だ。被害者すべてが抱くであろうこのやり切れない思いは、年月が過ぎるほど一層深くなっている。

 国はその思いに誠実に応えてきただろうか。感覚障害に運動失調や視野狭窄など複数症状の組み合わせを求める認定基準は、大量の棄却処分を生んだ。被害を矮小[わいしょう]化しようとする姿勢は司法から何度も指摘されたが、変わることはなく、混乱を拡大させるという状況が繰り返されている。

 2013年に最高裁は感覚障害だけの水俣病を認定、幅広く患者を救済する判断を示した。環境省は翌年、認定基準の運用に関する新通知を示した。単一症状でも総合的な検討で認定するが、汚染魚多食の裏付けを求めるなど申請者に負担を強いる内容だ。最高裁判断とは裏腹に、かえって救済の門を狭めたと言わざるを得ない。

 県は昨年7月、水俣病認定審査会を2年4カ月ぶりに開いた。従来の認定基準の大枠は維持したままで、これまで74人の審査で認定は2人、65人は棄却、7人の処分を保留した。認定者の症状や検討内容などは非公表。棄却が相次ぐ状況も変わらず、最高裁判断をどう生かして被害者を救済するのか、県の姿勢が見えてこない。認定審査を待つ申請者は、鹿児島も合わせると2千人を超える。その現実を直視すべきだ。

 水俣病問題に幕を引きたい国は09年、水俣病特別措置法を施行し未認定患者救済で政治決着を図った。一定の感覚障害が認められれば一時金210万円を支給、約3万6千人が対象となった。

 しかしそのことによって、あらためて被害が広範囲にわたっている現実が浮き彫りになった。患者側は不知火海沿岸の広い地域での住民健康調査を求めているが、行政は応じていない。これでは患者の切り捨てにつながりかねない。行政は幕引きを急ぐことなく、真摯[しんし]に実態を見据えてほしい。

 被害者の高齢化が進む中、救済は待ったなしである。国も県もこの60年の歩みから学び、“真の救済”の道へ踏み出すべきだ。


by asyagi-df-2014 | 2016-05-02 05:53 | 水俣から | Comments(0)

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