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沖縄-「4.28」の意味を考える。

 1952年4月28日に発行した対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)について、改めて考える必要がある。
 例えばそれは、沖縄にとっては、「72年の日本復帰まで県民には日本国憲法が適用されず、米国民政府の布令・布告が県民生活を統治した。米軍基地が本土から沖縄に集中するきっかけとなった日」(沖縄タイムス)、という位置づけられている日のことである。
このことについて考える。


 当然ではあるが、沖縄タイムスと琉球新報は2016年4月28日付けで、社説を掲載した。
 沖縄タイムスは、「今、問うべきは、講和発効から64年たってもなお、米軍基地の集中によって沖縄の『自治・自立』が大きな制約を受けていることである。」、と主張する。 また、日弁連の「地位協定改定を求める提言」から「米軍基地や米軍をわが国の法のコントロール(規制)の下に置くことは、市民の生活や人権を守る上でも、また、地域の自然や生活環境を守り、地方自治体の行政を円滑・効果的に行う上で、大変重要なことなのです」を引き、「この当たり前に向かって日本全体が進むことが重要だ。」、と指摘する。
 琉球新報は、この「4.28」を、「この日を境に日本本土が独立を回復する一方で、沖縄は米国の施政権下に置かれた。米軍は基本的人権を無視し『銃剣とブルドーザー』によって農地を奪い、東アジア最大の軍事基地を建設した。まさに沖縄にとって『屈辱の日』である。同時に自己決定権の回復に向けて県民が行動を本格化するきっかけになった日でもある。『屈辱』の記憶を次代に伝えつつ、沖縄の将来は沖縄県民が決めるということを誓う日としたい。」、と位置づける。
 その上で、「在日米軍施設の73・8%が沖縄に集中し、米軍絡みの事件事故による人権侵害が続く。この理不尽な状態を解消するためにどうすればいいのか。64年たった4・28の日に考えたい。」、と日本人全体に訴える。


 この事実を、渡辺豪は「日本はなぜ米軍をもてなすのか」のなかで、「このときの『不平等条約』に相当するのは、ポツダム宣言に基づく占領体制」、と規定し、「戦後の日本と国際社会の関係は、ポツダム宣言に由来しているとも言えます。」、と規定する。
あわせて、「しかし結果的には、一九五二年四月の講和条約発効とともに本来徹底するはずの占領軍は『駐留軍』と名を変え、日本の『独立』後も居座ることになります。講和条約と同時にアメリカと結んだ安保条約とその細則を定めた日米行政協定は『不平等』そのものでした。行政協定で与えられた在日米軍基地と米軍人関係者の特権は、日米地位協定に引き継がれ、とくに米軍基地が集中する沖縄県でさまざまな軌轢を生んでいます。」
、と指摘している。


 日本政府は、「4.28」が日本にとって「屈辱の日」の面を持つにもかかわらず、「日本が主権を回復した日」と位置付けてはばからない。
 つもり、沖縄の構造的差別の発症の基であるということ。
 ただそれだけに留まらず、「4.28」には、沖縄と「日本」の間に、「認識の乖離(かいり)」が、国策として深く横たわらされてきた歴史的事実がある。
 あたかもそれは、植民地主義をどのように克服するのかという歴史的事実として。


 以下、沖縄タイムス及び琉球新報の引用。







沖縄タイムス-沖縄が切り離された日「4・28」 講和条約発効で基地集中-2016年4月28日 04:58


 沖縄を日本の施政権から切り離した1952年のサンフランシスコ講和条約発効から、28日で64年を迎えた。72年の日本復帰まで県民には日本国憲法が適用されず、米国民政府の布令・布告が県民生活を統治した。米軍基地が本土から沖縄に集中するきっかけとなった日でもある。

 那覇市の県庁前広場では、午後6時15分から「4・28県民屈辱の日 軍事支配を忘れない県民集会」(主催・沖縄平和運動センター)が開かれる。

 講和条約の発効をきっかけに憲法の適用除外となった沖縄には、50年代から山梨、岐阜などに駐留していた米海兵隊が移駐を開始。県民の土地を強制的に接収し、米軍基地を建設した。

 「4・28」は沖縄では「屈辱の日」とも呼ばれるが、安倍晋三政権は2013年に「日本が主権を回復した日」と位置付ける政府主催の式典を開催。県民との認識の乖離(かいり)が浮き彫りになった。


沖縄タイムス社説-[講和発効64年]切実さ増す「自治・自立」-2016年4月28日



 1952年4月28日、対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効した。講和条約の発効から、きょう28日で64年になる。

 多くの国民が、占領から解放され独立を回復したことを祝った。東京の学校の中には、校長先生が全校生徒を集め、万歳を三唱したところもあったという。

 沖縄は、住民の意向を聞くこともなく講和条約第3条によって本土から切り離された。米国に統治権がゆだねられたのである。沖縄の人々と本土の住民は「4・28」という歴史的な日の記憶を共有していない。

 講和発効直前の52年3月、第1回立法院議員総選挙が行われ、4月1日から第1回議会が開かれた。行政主席(現在の県知事)を公選で選ぶ行政主席選挙法が可決されたが、米国民政府(USCAR)は布告によってこれを事実上無効にした。

 立法院で可決された労働関係調整法、労働組合法などの労働法制に対しても米国民政府は署名を拒否するよう行政主席に要求し、発効に待ったをかけた。

 憲法、地方自治法が適用され、戦後、県知事を選挙で選ぶようになった本土とは大きな違いだ。

 57年1月、沖縄を訪問した東大総長の矢内原忠雄は帰京後、朝日新聞に一文を寄せ、「沖縄は軍事植民地である」と喝破した。

 今、問うべきは、講和発効から64年たってもなお、米軍基地の集中によって沖縄の「自治・自立」が大きな制約を受けていることである。
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 県企画部が2012年10月に実施した県民意識調査によると、米軍専用施設の約74%が集中する状況について差別的かどうかを聞いたところ、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた人があわせて73・9%に達した。

 昨年10~11月に県が実施した意識調査では、沖縄の基地問題は本土の人に理解されていると思うかとの問いに対し、「あまり」と「まったく」を含め、「理解されていない」が82・9%にのぼった。この溝は深刻だ。

 米政府はこれまでに何度か、海兵隊の撤退を検討したことがある。そのたびに引き留めてきたのは、日本政府だった。

 61年に沖縄を訪問したケイセン調査団も、安全保障に寄与し米軍基地を国内に置くことから生じうる政治問題を避けることができるという理由から、日本政府は「沖縄の米軍基地を歓迎している」との見方を示している。
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 いったん成立した条約や日米の関連取り決めは、その運用や解釈が「ほぼ白紙委任的に行政権にゆだねられる」(故本間浩氏)。その結果、何が起きているか。14年10月、日弁連は地位協定改定を求める提言をまとめた。

 「米軍基地や米軍をわが国の法のコントロール(規制)の下に置くことは、市民の生活や人権を守る上でも、また、地域の自然や生活環境を守り、地方自治体の行政を円滑・効果的に行う上で、大変重要なことなのです」

 この当たり前に向かって日本全体が進むことが重要だ。



琉球新報社説-4・28「屈辱の日」 自己決定権回復を誓う日に-2016年4月28日


 奄美を含む南西諸島、小笠原を日本から分離する1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効から64年たった。

 この日を境に日本本土が独立を回復する一方で、沖縄は米国の施政権下に置かれた。米軍は基本的人権を無視し「銃剣とブルドーザー」によって農地を奪い、東アジア最大の軍事基地を建設した。まさに沖縄にとって「屈辱の日」である。
 同時に自己決定権の回復に向けて県民が行動を本格化するきっかけになった日でもある。「屈辱」の記憶を次代に伝えつつ、沖縄の将来は沖縄県民が決めるということを誓う日としたい。
 講和条約が発効する3カ月前の52年1月、当時の琉球政府文教部長の屋良朝苗氏(後の主席、知事)は全島校長会を開催した。沖縄が日本から切り離される前に、沖縄の進むべき方向を示そうと考えたからだ。校長会は全会一致で「復帰要求決議」を採択した。
 以来、屋良氏は全県民的な支持を背景に、粘り強く日米両政府と向き合い、自治権の獲得と施政権返還を求めた。屋良氏は「沖縄問題の解決の可能性は、全国民の沖縄に対する真の理解と好意の度合いがバロメーターになる」(『回想録』)と考えていた。県民の直接行動と全国民の理解、この二つがかみ合ったとき事態は前進するという考えだ。今でも参考になる。
 日米両政府は現在、米軍普天間飛行場返還に伴う辺野古新基地建設計画を沖縄に強要している。沖縄の民意は県外であるにもかかわらず、安倍晋三首相は、辺野古新基地建設が「唯一の解決策」と繰り返し、思考停止したままだ。犠牲を強要するだけの姿勢では、問題は解決しない。
 翁長雄志知事は国際社会に「沖縄の人権、自己決定権がないがしろにされている」と訴えた。先日、デービッド・ケイ国連特別報告者が日本の表現の自由に関する暫定調査結果を発表した。特に沖縄に言及し、名護市辺野古の新基地建設に抵抗する市民に対して政府が「過度な権力を行使している」と指摘した。世界の目が沖縄に注がれていることを政府は知るべきだ。
 在日米軍施設の73・8%が沖縄に集中し、米軍絡みの事件事故による人権侵害が続く。この理不尽な状態を解消するためにどうすればいいのか。64年たった4・28の日に考えたい。


by asyagi-df-2014 | 2016-04-29 05:54 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人