沖縄-日米特別行動委員会(SACO)の中間報告から、15日で丸20年。全面返還が実現したのは4施設で沖縄に集中する構図は変わらない。

 2016年4月15日、SACO中間報告から20年が立ったが、その沖縄の状況について、沖縄タイムスは2016年4月15日、「在沖縄米軍基地の整理縮小・統合と日米同盟の強化を目的とした日米特別行動委員会(SACO)の中間報告から、15日で丸20年となった。返還が明記された11施設のうち、全面返還が実現したのは4施設。大半が県内移設を返還の条件としており、普天間飛行場などは停滞している。全て実施されても、在日米軍専用施設面積の約7割が残る。沖縄に集中する構図は変わらない。」、と報じた。
 この間の経過について、次のように伝えている。


①「中間報告では、普天間飛行場について、5~7年以内に十分な代替施設が完成した後、全面返還するとされた。最終報告では海上案が最善と明記され移設先を『沖縄本島東海岸』と絞り込んだ。10年後の2006年、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てV字形滑走路を備える飛行場を造る現行計画に、日米両政府が合意。政府は環境影響評価の手続きを経て、仲井真弘多知事の承認を13年に得た。
②「14年12月に移設反対の翁長雄志知事が誕生し、15年10月に埋め立て承認を取り消した。ことし3月に、国と県の争っていた裁判で和解したことから工事は止まっている。
③「北部訓練場は、約7500ヘクタールのうち、海への出入りを確保した上で約4千ヘクタールを返還すると発表された。最終報告では返還時期は02年度末をめどとされたが、返還されない部分に六つのヘリパッドを移設することが条件。反対住民による抗議行動などで二つしか完成していない。2年近く工事が止まっている。政府は過半を返還できることから、基地負担の軽減に取り組む姿勢をアピールできるとみており、抗議している住民への行政指導を求めるなど県に揺さぶりをかけている。
④「日米両政府は15年に、普天間飛行場の東側の土地4ヘクタールと、国道58号に隣接する牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の土地3ヘクタールを、それぞれ17年度中の返還を目指すことで合意した。
 また、15年に約51ヘクタールが返還された西普天間住宅地区の利便性向上のため、幹線道路の国道58号とを結ぶ目的で、キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドーの一部を日米で共同使用することを決めた。」
⑤③「政府は『先行返還』と負担軽減をアピールするが、いずれも20年近く前に返還が合意されている。」

 沖縄タイムスは、SACO最終報告について次のように指摘する。


①「1996年のSACO最終報告は、普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還に合意した。だが、現在までに全面返還が実現したのは、わずか4施設にとどまる。政府が事実上の『条件』として、県内移設を押しつけ続けているためだ。沖縄の負担軽減に取り組む姿勢を強調する安倍政権だが、和解協議中も新基地建設には強行的な姿勢で、県内の基地返還は遅々として進まない。
②「96年のSACO最終報告では、返還する土地・施設の大半に『県内移設』の条件が付いた。普天間も『本島東海岸へのヘリポート建設』が付されたが、普天間の移設と他の施設・区域の返還は切り離された計画だった。だが、県内移設への県民の反対は根強く、移設作業は難航、返還はなかなか進まなかった。2006年、さらに基地の返還が困難となる事態を迎える。日米両政府が再編ロードマップ(行程表)で辺野古新基地建設とグアム移転、嘉手納より南の基地返還を『パッケージ(一体)』としたためだ。辺野古に新基地ができない限り負担軽減は進まないと、普天間を“人質”にするかのような手法に県内から強い反発が上がった。
③「民主党政権に変わり、いったんこのパッケージは見直された。野田佳彦首相(当時)が辺野古新基地への理解を得るためには「先行的な負担軽減の実現が重要」と判断したためだ。」
④「辺野古への新基地建設に強硬姿勢を示す安倍晋三首相が政権に返り咲くと、再び事態は膠着(こうちゃく)。負担軽減に関し「できることは全てやる」としながら「地元の協力も得なければならない」(菅義偉官房長官)と新基地建設が前提との認識を示している。⑤必要な施設を県内に移設しなければ、沖縄の基地は返還できない-。20年前と変わらない沖縄の民意に反する政府の強行策が、負担軽減を足止めしている。


 以下、沖縄タイムスの引用。








沖縄タイムス-米軍、全面返還は4施設 SACO中間報告から20年-2016年4月15日 08:00


 【東京】在沖縄米軍基地の整理縮小・統合と日米同盟の強化を目的とした日米特別行動委員会(SACO)の中間報告から、15日で丸20年となった。返還が明記された11施設のうち、全面返還が実現したのは4施設。大半が県内移設を返還の条件としており、普天間飛行場などは停滞している。全て実施されても、在日米軍専用施設面積の約7割が残る。沖縄に集中する構図は変わらない。

 中間報告では、普天間飛行場について、5~7年以内に十分な代替施設が完成した後、全面返還するとされた。最終報告では海上案が最善と明記され移設先を「沖縄本島東海岸」と絞り込んだ。10年後の2006年、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てV字形滑走路を備える飛行場を造る現行計画に、日米両政府が合意。政府は環境影響評価の手続きを経て、仲井真弘多知事の承認を13年に得た。

 14年12月に移設反対の翁長雄志知事が誕生し、15年10月に埋め立て承認を取り消した。ことし3月に、国と県の争っていた裁判で和解したことから工事は止まっている。

 北部訓練場は、約7500ヘクタールのうち、海への出入りを確保した上で約4千ヘクタールを返還すると発表された。最終報告では返還時期は02年度末をめどとされたが、返還されない部分に六つのヘリパッドを移設することが条件。反対住民による抗議行動などで二つしか完成していない。2年近く工事が止まっている。政府は過半を返還できることから、基地負担の軽減に取り組む姿勢をアピールできるとみており、抗議している住民への行政指導を求めるなど県に揺さぶりをかけている。

 日米両政府は15年に、普天間飛行場の東側の土地4ヘクタールと、国道58号に隣接する牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の土地3ヘクタールを、それぞれ17年度中の返還を目指すことで合意した。

 また、15年に約51ヘクタールが返還された西普天間住宅地区の利便性向上のため、幹線道路の国道58号とを結ぶ目的で、キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドーの一部を日米で共同使用することを決めた。

 政府は「先行返還」と負担軽減をアピールするが、いずれも20年近く前に返還が合意されている。
■国の強行策 県民反発 返還一体化 さらに困難に
 1996年のSACO最終報告は、普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還に合意した。だが、現在までに全面返還が実現したのは、わずか4施設にとどまる。政府が事実上の「条件」として、県内移設を押しつけ続けているためだ。沖縄の負担軽減に取り組む姿勢を強調する安倍政権だが、和解協議中も新基地建設には強行的な姿勢で、県内の基地返還は遅々として進まない。

 96年のSACO最終報告では、返還する土地・施設の大半に「県内移設」の条件が付いた。普天間も「本島東海岸へのヘリポート建設」が付されたが、普天間の移設と他の施設・区域の返還は切り離された計画だった。だが、県内移設への県民の反対は根強く、移設作業は難航、返還はなかなか進まなかった。2006年、さらに基地の返還が困難となる事態を迎える。日米両政府が再編ロードマップ(行程表)で辺野古新基地建設とグアム移転、嘉手納より南の基地返還を「パッケージ(一体)」としたためだ。辺野古に新基地ができない限り負担軽減は進まないと、普天間を“人質”にするかのような手法に県内から強い反発が上がった。

 民主党政権に変わり、いったんこのパッケージは見直された。野田佳彦首相(当時)が辺野古新基地への理解を得るためには「先行的な負担軽減の実現が重要」と判断したためだ。

 しかし、辺野古への新基地建設に強硬姿勢を示す安倍晋三首相が政権に返り咲くと、再び事態は膠着(こうちゃく)。負担軽減に関し「できることは全てやる」としながら「地元の協力も得なければならない」(菅義偉官房長官)と新基地建設が前提との認識を示している。

 必要な施設を県内に移設しなければ、沖縄の基地は返還できない-。20年前と変わらない沖縄の民意に反する政府の強行策が、負担軽減を足止めしている。


by asyagi-df-2014 | 2016-04-17 10:47 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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