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ハンセン病-隔離された「特別法廷」を、岡山弁護士会会長声明と社説・論説で考える。

 「『憲法の番人』たる最高裁が違憲性を問われる異例の事態」(京都新聞)であるハンセン病患者の裁判がかつて隔離された「特別法廷」で開かれていた問題について、岡山弁護士会会長声明(以下、声明とする)及び各紙の社説・論説を基に考える。
 まず、この声明の中で、経過と隔離された「特別法廷」が日本国憲法違反であることを確認する。
 続いて、3月末から4月当初の各新聞社の社説・論説を拾い出してみて、要約する。

 
 声明は、隔離された「特別法廷」の経過を、最高裁判所が開催した「ハンセン病を理由とする開廷場所指定の調査に関する有識者委員会」の資料から、次のように説明している。

「1948(昭和23)年から1972(昭和47)年までの間に、ハンセン病を理由とする特別法廷の上申は96件であり、そのうち95件が認可され(刑事事件94件、民事事件1件)、1件が撤回され、却下事例がなかった(認可率99%)。
 これに対し、1948(昭和23)年から1990(平成2)年までの間の、ハンセン病以外の病気及び老衰を理由とする開廷場所指定の上申は61件であり、そのうち9件が認可され、25件が撤回され、27件が却下された(認可率15%)。
 これらの統計からすれば、最高裁判所は、特別法廷の指定について、事件ごとに個別具体的な判断をすることなく、被告人がいわゆる「ハンセン病患者」であるという一事をもって、判断していたと推察される。」

 次に、声明は、次の二点の理由により、「こうしたハンセン病患者に対する差別・偏見に満ちた取扱いは、到底、公平な裁判所による裁判が確保されていたとはいえず、憲法第37条1項に違反する。」、と断定する。
 

(1)憲法は、裁判の公正を確保する趣旨から、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う」と規定し(第82条1項)、とりわけ刑事被告人に対しては、重ねて「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定し、公開裁判を受ける権利を保障している(第37条1項)。
 ここに「公開」とは、訴訟関係人に審理に立ち会う権利と機会を与えるといういわゆる当事者公開をいうのではなく、国民に公開されるという一般公開、具体的には国民一般の傍聴を許すこと(傍聴の自由)を意味する。
 特別法廷は、いずれも「らい予防法」施行下における隔離施設としてのハンセン病療養所、拘禁施設としての医療刑務支所・拘置所などで開廷されたものであって、いずれも一般人が立ち入ることのできない場所で実施されたものであるから、その「対審及び判決」には、国民一般の傍聴の自由が確保されていたとは認められず、憲法第37条1項、第82条1項に違反する。
(2)上記菊池事件の特別法廷においては、法曹三者がいずれも予防衣と呼ばれる白衣を着用し、長靴を履き、記録や証拠物等をゴム手袋をしたうえで火箸等で扱っていたことが判明している。


 続けて、3月末から4月当初にかけてのこの問題に関しての社説・論説を採り上げてみた。
 その見出しは、次のようになっている。

(1)朝日新聞社説-ハンセン病 違憲性を直視してこそ
(2)毎日新聞社説-ハンセン病法廷 最高裁は誠実に謝罪を
(3)京都新聞社説-ハンセン病法廷  最高裁は真摯に謝罪を
(4)南日本新社説-[ハンセン病法廷] 最高裁は十分な検証を
(5)新潟日報者越-ハンセン病法廷 差別や偏見のない社会を
(6)日本経済新聞社説-「特別法廷」最高裁が謝罪へ ハンセン病、手続き不適切
(7)琉球新報社説-ハンセン病謝罪 言葉だけでなく再審認めよ
(8)沖縄タイムス社説-[ハンセン病訴訟]家族の苦しみ直視せよ
(9)産経新聞主張-最高裁が謝罪へ 過ち認めるに躊躇するな-

 
 こうした主張を見た時、ハンセン病にかかる特別法廷の問題が、最高裁判所に責任があることは、一致している
ただ、「今まで腰が重かった経緯を考えれば、最高裁がどこまで問題を直視するかは見通せない。当時の手続きの違法性は認めても、違憲性にまで踏み込むかどうかは不透明だ。」(朝日新聞)という問題が、つまり、今回、最高裁判所が、憲法違反という領域まで踏み込んで判断できるかどうかが問題として残されている。
 私たちは、声明の指摘する次の主張を肝に命じるべきなのである。


「特別法廷の問題につき、弁護士の立場からその実施や実施方法に何ら異論を挟むことなく黙認してきたことにつき、痛切に反省の意を表明する。
 そのうえで、当会は、最高裁判所に対し、特別法廷の実態が明らかになるよう事実関係を詳細に公表し、特別法廷の指定行為が憲法に違反するものであることを真摯に受け止め、ハンセン病問題によって被害に遭われた方々の更なる名誉回復に努めることを求める。」


 声明の補足分として、各社の社説・論説の要約を載せる。


Ⅰ.問題点や指摘事項
①「人権の砦(とりで)」「憲法の番人」であるべき最高裁にとって、あまりに遅い対応だった。
②患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年。すでに政府は01年、熊本地裁での国家賠償訴訟で敗れたのを機に隔離政策の過ちを謝罪した。その直後に国会も、全会一致で責任を認める決議をしている。特別法廷については05年、厚生労働省の第三者機関が「不当な対応だった」と指摘した。それでも最高裁は動かなかった。「裁判官の独立」に抵触する可能性があるとして、自ら調査に乗り出すことをタブー視していた背景があったようだ。
③95件の中には、ハンセン病患者とされた熊本県の男性が殺人罪に問われ、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」もあった。事件の再審を求める弁護士や元患者らが「憲法の公開原則に反した裁判だった」と訴えたことが、最高裁が検証に動き出すきっかけになった
④ハンセン病患者に対する差別に司法も加担した責任を直視するなら、特別法廷の違憲性にもはっきり向き合うべきだ。
⑤いまなお、差別や偏見への恐怖心から解放されずにいる元患者は多い。その家族が受けた差別被害の裁判も始まる。
⑥元患者や家族が今後の人生を有意義に過ごすため、今回の検証を役立てなくてはならない。最高裁はその責任を担う覚悟を、ぜひ謝罪に込めてほしい。
(朝日新聞)
⑦世界保健機関(WHO)がハンセン病患者の隔離を否定する見解を示したのが60年だ。だが日本で、強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは96年だった。
⑧ハンセン病をめぐっては、療養所に隔離された入所者らが「人権侵害を受けた」と起こした国家賠償訴訟で、熊本地裁が2001年、「60年には隔離の必要性が失われていた」と認定し、違憲の訴えを認めた。
⑨どういった判断で、一律の運用がなされたのか。社会に広がっていた差別が、なぜ裁判の場にまで持ち込まれてしまったのか。公表する検証では、その背景を掘り下げ、経緯をつまびらかにしてほしい。また、公正であるべき審理に与えた影響についても、最高裁には突き詰めた検証を求めたい。
⑩国内の新規患者はほとんどおらず、完治する病気になったにもかかわらず、ハンセン病に対する偏見は根強い。毎日新聞が療養所の入所者と退所者を対象に行ったアンケートでは、全体の77%が「病気への差別や偏見がいまだにある」と回答した。
 差別や偏見を受けたとして患者の家族らが今年、新たに集団で国賠訴訟を起こしてもいる。最高裁の検証にとどまらず、ハンセン病に対する差別や偏見の解消は、私たちの社会が向き合うべき課題である。
(毎日新聞)
⑪最高裁の対応の鈍さは非難されてしかるべきだ。熊本地裁は2001年、ハンセン病の強制隔離政策は、世界保健機関から廃止提言を受けていたことなどから少なくとも1960年以降は不当だったと国敗訴の違憲判決を出した。政府は元患者に謝罪、国会も責任を認めた。2005年に厚生労働省の第三者機関は特別法廷の「不当な対応」を問題視したが最高裁は動かず、元患者の要請で14年にようやく調査を始めた。「裁判判官の独立」に抵触する懸念があったというが不誠実に過ぎる。
⑫最高裁は、個別の裁判手続きの是非には踏み込まないとみられる。だが、重大な問題を放置してきたことが、関係者の高齢化などで検証を難しくしたことは否定できまい。特別法廷の問題点はもちろん、その後の不適切な対応も報告書に記録したうえで、真摯(しんし)に謝罪しなければならない。
(京都新聞)
⑬元患者らが特別法廷の検証を重視するのは、菊池事件の再審に関わるからだ。殺人罪に問われた元患者は無実を訴えたが、国選弁護人は検察側が請求したすべての証拠に同意し、特別法廷で死刑を宣告された。1962年に刑が執行されている。
 当時の書記官によると、療養施設の一室に設けられた特別法廷に傍聴者はなく、白衣を着た裁判官がゴム手袋をして調書をめくり、火箸で証拠品をつまみ上げたという。すべての特別法廷がこのように異様だったわけではないにしろ、当時の偏見や差別のすさまじさを物語るのは間違いない。
⑭患者の強制隔離を定めたらい予防法が廃止されてから20年になる。全国13の国立療養所で暮らす入所者の平均年齢は83歳を超え、介護が必要な人も増えている。
 埋め合わせようのない深刻な人権侵害の被害者に対して、最高裁は踏み込んだ検証結果を示し、真摯(しんし)に謝罪する必要がある。
(南日本新聞)
⑮政府と国会が隔離政策の過ちを認めてから15年近く過ぎている。最高裁が検証を始めたのは当事者側の要請がきっかけだった。「人権のとりで」としての意識が希薄だったと言わざるを得ない。
⑯国は判決を待つのではなく、救済に動くべきではないか。
(新潟日報)
⑰外部有識者委員会が「法の下の平等や裁判の公開を定めた憲法に違反する疑いがある」との意見を最高裁に伝えている。憲法の番人が憲法違反の疑いを指摘された。最高裁は深刻に受け止めるべきだ。
⑱今回も最高裁は元患者側の要請を受けて調査を開始しており、自発的ではない。隔離政策を続けた行政だけでなく、司法にまで不当な扱いを受けた元患者らの不信感は安易な謝罪の言葉だけでは拭えない。再審請求を認めるなど、個別の裁判手続きの是非にも踏み込むべきだ。
(琉球新報)
⑲特別法廷は非公開で、憲法が保障する「裁判の公開の原則」に反する。無実を訴えながら死刑判決が言い渡され、執行された被告がいる。人権の砦(とりで)の司法も差別と偏見に縛られ、公正な審理だったか、重大な疑問が生じている。
 療養所で暮らす元患者の平均年齢は83歳を超え、約4分の1が認知症であるとの調査がある。家族への賠償問題など積み残した課題は多い。
(沖縄タイムス)
⑳最高裁が謝罪に踏み切れば、三権の全てが責任を認めることになる。元患者らは、行政、立法、司法によっても醸成された社会の差別意識に苦しめられてきた。
 いや、報道がこれを助長することはなかったか。その反省と検証も欠かせない。
 ハンセン病はかつて「らい病」の名で呼ばれたが、差別感情を呼ぶなどとして、現在は新聞でも基本的に使わない。「業病」としてこれを扱う小説や映画もあったが、全くの誤りである。
 ハンセン病は、感染力が極めて弱く、治療法も確立している。この機に改めて、その認識の周知を徹底したい。
(産経新聞)


 以下、岡山県弁護士会会長声明及び各新聞社の社説・論説の引用。







ハンセン病を理由とした最高裁判所の「特別法廷」指定に関する会長声明2016.03.09
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ハンセン病を理由とした最高裁判所の「特別法廷」指定に関する会長声明

1 いわゆる「特別法廷」の指定
 1948(昭和23)年から1972(昭和47)年までの間に、隔離施設であるハンセン病療養所や拘禁施設である医療刑務支所・拘置所などに、ハンセン病患者に対する特殊の法廷(以下「特別法廷」という。)が設けられ、多数の裁判が実施された。
 これは、法廷は裁判所又は支部で開廷するとの原則に対する例外として、最高裁判所の指定に基づき実施されたものである(裁判所法第69条2項)。
2 最高裁判所による調査の実施
 1950年代に起きた菊池事件(ハンセン病とされる男性が殺人罪などに問われ、無実を訴えながら死刑が確定し、執行された事件)の裁判の再審を求める動きの中で、2013(平成25)年11月、全国ハンセン病療養所入所者協議会などが最高裁判所に対し、特別法廷の正当性について検証するよう申し入れたことを契機として、2014(平成26)年5月、最高裁判所は、「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査委員会」(以下「調査委員会」という。)を設置し、資料の収集や関係者に対するヒアリングなどの調査を始めた。また、最高裁判所は、2015(平成27)年7月、調査委員会が行っている調査について、有識者の意見を参考とするため、「ハンセン病を理由とする開廷場所指定の調査に関する有識者委員会」を開催することとし、同年9月以降、検証が進められている。今後、同有識者委員会からの指摘を待って、調査委員会の調査の公表がなされる予定である。
3 特別法廷の実施状況
 調査委員会の調査で、すでに判明している資料によると、1948(昭和23)年から1972(昭和47)年までの間に、ハンセン病を理由とする特別法廷の上申は96件であり、そのうち95件が認可され(刑事事件94件、民事事件1件)、1件が撤回され、却下事例がなかった(認可率99%)。
 これに対し、1948(昭和23)年から1990(平成2)年までの間の、ハンセン病以外の病気及び老衰を理由とする開廷場所指定の上申は61件であり、そのうち9件が認可され、25件が撤回され、27件が却下された(認可率15%)。
 これらの統計からすれば、最高裁判所は、特別法廷の指定について、事件ごとに個別具体的な判断をすることなく、被告人がいわゆる「ハンセン病患者」であるという一事をもって、判断していたと推察される。
4 憲法上の問題点
 最高裁判所による特別法廷の指定行為は、以下のとおり、憲法に違反する。
 そもそも、憲法は、裁判の公正を確保する趣旨から、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う」と規定し(第82条1項)、とりわけ刑事被告人に対しては、重ねて「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定し、公開裁判を受ける権利を保障している(第37条1項)。
 ここに「公開」とは、訴訟関係人に審理に立ち会う権利と機会を与えるといういわゆる当事者公開をいうのではなく、国民に公開されるという一般公開、具体的には国民一般の傍聴を許すこと(傍聴の自由)を意味する。
 特別法廷は、いずれも「らい予防法」施行下における隔離施設としてのハンセン病療養所、拘禁施設としての医療刑務支所・拘置所などで開廷されたものであって、いずれも一般人が立ち入ることのできない場所で実施されたものであるから、その「対審及び判決」には、国民一般の傍聴の自由が確保されていたとは認められず、憲法第37条1項、第82条1項に違反する。
 更に、上記菊池事件の特別法廷においては、法曹三者がいずれも予防衣と呼ばれる白衣を着用し、長靴を履き、記録や証拠物等をゴム手袋をしたうえで火箸等で扱っていたことが判明している。
 こうしたハンセン病患者に対する差別・偏見に満ちた取扱いは、到底、公平な裁判所による裁判が確保されていたとはいえず、憲法第37条1項に違反する。
5 更なる名誉回復に向けて
 以上のとおり、最高裁判所による特別法廷の指定行為は、憲法に違反するものであったと評価せざるを得ない。
 基本的人権の擁護と社会正義の実現をその使命とする我々弁護士としても、そのような憲法に違反する最高裁判所の指定行為に対して、何らの異論を挟むことなく黙認してきた責任を改めて自覚する必要がある。特に、県内に長島愛生園と邑久光明園というハンセン病療養所が設けられている岡山県で活動している当会及び当会所属の弁護士において、その責任はなおさらである。
 当会は、特別法廷の問題につき、弁護士の立場からその実施や実施方法に何ら異論を挟むことなく黙認してきたことにつき、痛切に反省の意を表明する。
 そのうえで、当会は、最高裁判所に対し、特別法廷の実態が明らかになるよう事実関係を詳細に公表し、特別法廷の指定行為が憲法に違反するものであることを真摯に受け止め、ハンセン病問題によって被害に遭われた方々の更なる名誉回復に努めることを求める。

2016(平成28)年3月9日
                         岡山弁護士会     
                          会長 吉 岡 康 祐


(1)朝日新聞社説-ハンセン病 違憲性を直視してこそ-2016年4月3日


 「人権の砦(とりで)」「憲法の番人」であるべき最高裁にとって、あまりに遅い対応だった。

 ハンセン病患者の裁判がかつて、隔離された「特別法廷」で開かれていた問題である。

 当時の司法手続きを検証している最高裁は、今月中に公表する報告書の中で、元患者らへの謝罪を検討しているという。

 患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年。すでに政府は01年、熊本地裁での国家賠償訴訟で敗れたのを機に隔離政策の過ちを謝罪した。その直後に国会も、全会一致で責任を認める決議をしている。

 特別法廷については05年、厚生労働省の第三者機関が「不当な対応だった」と指摘した。それでも最高裁は動かなかった。「裁判官の独立」に抵触する可能性があるとして、自ら調査に乗り出すことをタブー視していた背景があったようだ。

 裁判は原則として裁判所の公開法廷で開くことは、憲法と裁判所法で決まっている。最高裁が必要と認めれば裁判所の外に特別法廷をつくれるが、災害時など例外的な措置だ。

 ところが、ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後は特効薬で治る病気だったのに、伝染の恐れを理由にして一律に特別法廷としていたとみられる。

 ハンセン病患者の出廷を理由にした特別法廷は、1948~72年に95件開かれた。申し出があったほとんどすべてを最高裁の事務総局の判断で許可していたという。熊本地裁判決が隔離政策は不要だったと認めた60年以降も、27件開かれていた。

 95件の中には、ハンセン病患者とされた熊本県の男性が殺人罪に問われ、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」もあった。事件の再審を求める弁護士や元患者らが「憲法の公開原則に反した裁判だった」と訴えたことが、最高裁が検証に動き出すきっかけになった。

 だが、今まで腰が重かった経緯を考えれば、最高裁がどこまで問題を直視するかは見通せない。当時の手続きの違法性は認めても、違憲性にまで踏み込むかどうかは不透明だ。

 ハンセン病患者に対する差別に司法も加担した責任を直視するなら、特別法廷の違憲性にもはっきり向き合うべきだ。

 いまなお、差別や偏見への恐怖心から解放されずにいる元患者は多い。その家族が受けた差別被害の裁判も始まる。

 元患者や家族が今後の人生を有意義に過ごすため、今回の検証を役立てなくてはならない。最高裁はその責任を担う覚悟を、ぜひ謝罪に込めてほしい。


(2)毎日新聞社説-ハンセン病法廷 最高裁は誠実に謝罪を-毎日新聞2016年4月5日 


 最高裁が第三者の意見を取り入れるために設けた有識者委員会は「特別法廷は、憲法が保障する法の下の平等や裁判の公開原則に反する疑いがある」との見解を大筋で示す見通しになった。

 最高裁は、委員会の報告に誠実に向き合うべきだ。検証結果の公表の際は過ちについて丁寧に説明し、誠実に謝罪することが、国民の人権を守るとりでとしての責務だろう。

 1948年から72年まで、ハンセン病患者の刑事被告人らの裁判計95件が、特別法廷で実施された。

 世界保健機関(WHO)がハンセン病患者の隔離を否定する見解を示したのが60年だ。だが日本で、強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは96年だった。

 ハンセン病をめぐっては、療養所に隔離された入所者らが「人権侵害を受けた」と起こした国家賠償訴訟で、熊本地裁が2001年、「60年には隔離の必要性が失われていた」と認定し、違憲の訴えを認めた。

 判決は確定し、政府は謝罪し元患者らの救済を図った。衆参両院も反省と謝罪の国会決議を採択した。司法だけが長年、過ちと向き合うことを避けてきたが、重い腰を上げた。

 憲法は裁判の公正さを担保するため、公開の法廷で開く原則を定める。特別法廷による裁判は例外的な措置だが、ハンセン病患者の裁判は、伝染の恐れを理由に一律に特別法廷で開く運用がされていたという。

 有識者委員会は「患者の裁判を一律に特別法廷で開いてきた最高裁の手続きは差別的な措置だった」と指摘するとみられている。

 どういった判断で、一律の運用がなされたのか。社会に広がっていた差別が、なぜ裁判の場にまで持ち込まれてしまったのか。公表する検証では、その背景を掘り下げ、経緯をつまびらかにしてほしい。

 また、公正であるべき審理に与えた影響についても、最高裁には突き詰めた検証を求めたい。

 国内の新規患者はほとんどおらず、完治する病気になったにもかかわらず、ハンセン病に対する偏見は根強い。毎日新聞が療養所の入所者と退所者を対象に行ったアンケートでは、全体の77%が「病気への差別や偏見がいまだにある」と回答した。

 差別や偏見を受けたとして患者の家族らが今年、新たに集団で国賠訴訟を起こしてもいる。最高裁の検証にとどまらず、ハンセン病に対する差別や偏見の解消は、私たちの社会が向き合うべき課題である。


(3)京都新聞社説-ハンセン病法廷  最高裁は真摯に謝罪を-2016年4月6日


 「憲法の番人」たる最高裁が違憲性を問われる異例の事態だ。
 ハンセン病患者の裁判を、隔離先の療養所などに設けた「特別法廷」で開いていた問題で、最高裁の外部有識者委員会が「法の下の平等や裁判の公開などを定めた憲法に違反する疑いがある」との意見をまとめた。
 最高裁は元患者への謝罪を検討しているという。当然の対応だが「人権のとりで」としては遅きに失したと言わざるをえない。ただ、今月中にも公表する報告書では有識者委の指摘を併記しつつも、違憲判断は困難と結論付ける見通しだ。指摘を十分検討し、丁寧な説明が必要だ。
 裁判は公開の法廷で行うのが憲法の原則だ。裁判所法は、最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開くことができると定めるが、災害などを想定した例外措置である。
 ハンセン病で特別法廷を設ける場合、病状や感染の恐れの有無を精査する必要がある。ところが、当時の最高裁事務総局は地裁や高裁の申請を慎重に検討していなかったことが調査で判明した。患者への偏見に基づく差別意識から審査が形式的になったとみられる。
 ハンセン病患者の特別法廷は1948~72年に95件開かれ、申請取り下げの1件を除きすべて許可したのに対し、結核などのケースでは48~90年に61件中9件しか認めていないことからも明らかだ。
 特別法廷は事実上非公開で、有識者委は違憲の可能性を指摘したが、開廷を示す「告示」が療養所に張り出され、当時の資料も少ないことから、最高裁は違憲とまではいえないと判断するようだ。
 だが、最高裁の対応の鈍さは非難されてしかるべきだ。熊本地裁は2001年、ハンセン病の強制隔離政策は、世界保健機関から廃止提言を受けていたことなどから少なくとも1960年以降は不当だったと国敗訴の違憲判決を出した。政府は元患者に謝罪、国会も責任を認めた。2005年に厚生労働省の第三者機関は特別法廷の「不当な対応」を問題視したが最高裁は動かず、元患者の要請で14年にようやく調査を始めた。「裁判判官の独立」に抵触する懸念があったというが不誠実に過ぎる。
 最高裁は、個別の裁判手続きの是非には踏み込まないとみられる。だが、重大な問題を放置してきたことが、関係者の高齢化などで検証を難しくしたことは否定できまい。特別法廷の問題点はもちろん、その後の不適切な対応も報告書に記録したうえで、真摯(しんし)に謝罪しなければならない。


(4)南日本新社説-[ハンセン病法廷] 最高裁は十分な検証を-2016年4月6日


 ハンセン病患者の裁判が、療養所内などの「特別法廷」で開かれていた問題を検証している最高裁が、設置手続きに不適切な点があったと認め、元患者への謝罪を検討していることが分かった。

 最高裁によると、ハンセン病患者の特別法廷は、1948~72年に95件開かれたという。当時療養所は隔離施設であり、事実上、非公開の審理だったことになる。憲法の定める「裁判の公開」に反する疑いは濃厚で、元患者への謝罪は当然である。

 ハンセン病をめぐっては、医学的根拠のないままに07年に始まった患者の隔離が、96年にらい予防法が廃止されるまで続いた。2001年に熊本地裁が強制隔離政策を違憲と判断した後、政府と国会は政策の過ちを認めて謝罪した。

 ところが、基本的人権の尊重をうたう憲法の番人であるはずの最高裁は自ら検証に動こうとはしなかった。元患者らの団体の要請で調査を開始したのは14年5月になってからだ。今回の謝罪検討にも、元患者が「遅きに失した」と憤るのは十分理解できる。

 裁判所法には、最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開くことができるとの規定がある。ハンセン病を理由とする申請は、96件中95件が認められた。同じ期間に結核などハンセン病以外の病気を理由とした設置申請は61件で、認められたのは9件だけだ。

 病状や感染の恐れを精査したのか。ハンセン病患者への差別意識で審査が形式的になっていたのではないか。最高裁は特別法廷を認めた経緯の詳細を徹底的に検証して、見解を示してほしい。

 元患者らが特別法廷の検証を重視するのは、菊池事件の再審に関わるからだ。殺人罪に問われた元患者は無実を訴えたが、国選弁護人は検察側が請求したすべての証拠に同意し、特別法廷で死刑を宣告された。1962年に刑が執行されている。

 当時の書記官によると、療養施設の一室に設けられた特別法廷に傍聴者はなく、白衣を着た裁判官がゴム手袋をして調書をめくり、火箸で証拠品をつまみ上げたという。すべての特別法廷がこのように異様だったわけではないにしろ、当時の偏見や差別のすさまじさを物語るのは間違いない。

 患者の強制隔離を定めたらい予防法が廃止されてから20年になる。全国13の国立療養所で暮らす入所者の平均年齢は83歳を超え、介護が必要な人も増えている。

 埋め合わせようのない深刻な人権侵害の被害者に対して、最高裁は踏み込んだ検証結果を示し、真摯(しんし)に謝罪する必要がある。


(5)新潟日報社説-ハンセン病法廷 差別や偏見のない社会を-2016年4月1日


 ハンセン病患者の被告の裁判を「特別法廷」で開いていたことに関し、最高裁が元患者に謝罪する方向であることが分かった。

 きょう1日には、障害者に対する差別的取り扱いを禁止し、公的機関に必要な配慮を義務付ける障害者差別解消法が施行された。

 あらゆる差別や偏見のない社会に向け取り組みを加速させたい。

 ハンセン病患者の特別法廷は1948~72年、患者が隔離入所させられていた国立療養所などで95件が開かれた。

 この特別法廷の設置について検証している最高裁が、事務的な手続きに誤りがあったと認め、謝罪するのである。

 憲法は「裁判の公開」を定めるが、最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開くことができる。

 ところがハンセン病の特別法廷は、病状や感染の可能性などについて十分に審査していないのに偏見に基づく形で許可されていた。

 裁判官らが予防服を着て、証拠物を火箸で扱うケースもあったという。差別意識から開廷審査が形式的になっていたのは明らかだ。

 ハンセン病は、「らい菌」による感染症で感染力は極めて弱い。1940年代以降は特効薬が開発され、治癒可能となっている。

 日本では医学的な根拠がないまま31年に旧「らい予防法」が成立し、96年の法律廃止まで国立療養所での隔離政策が続いていた。

 最高裁が事務手続きの誤りを認めて謝罪するのは極めて異例だ。一定の評価はできるだろう。

 だが政府と国会が隔離政策の過ちを認めてから15年近く過ぎている。最高裁が検証を始めたのは当事者側の要請がきっかけだった。「人権のとりで」としての意識が希薄だったと言わざるを得ない。

 この問題を検証している外部有識者委員会は「憲法違反の疑いがある」との意見をまとめている。

 最高裁は近く報告書を公表する。十分に検証し、元患者や国民にしっかりと謝罪してほしい。

 ハンセン病患者らは強制隔離政策で社会から断絶され、さまざまな差別や人権侵害を受けてきた。

 それは家族らも同様だ。ことし2、3月には元患者の家族合わせて約570人が、国に謝罪と損害賠償を求めて提訴している。

 国は判決を待つのではなく、救済に動くべきではないか。

 ハンセン病に限らず、被差別部落や障害者、性的少数者、外国人らに対する差別や偏見は根強い。

 きょう施行された障害者差別解消法は、障害を理由としたサービス提供の拒否や制限を禁ずる。

 国や自治体には、車いす利用者の移動の手助け、視覚障害者への読み上げ・筆談といった「合理的配慮」を義務付けている。

 民間事業者は努力義務にとどまるが、改善できない場合は国から指導や勧告を受けることもある。

 法は2013年6月に成立し、周知に時間をかけるため今月からの施行となったが、認知度は高いとはいえない。

 誰もが安心して暮らせ、共生できる社会を築かなくてはならない。年度の初めにあたり、私たち一人一人が考え、行動に移したい。


(6)日本経済新聞社説-「特別法廷」最高裁が謝罪へ ハンセン病、手続き不適切-2016年4月1日


 ハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などに設置した「特別法廷」で開いていた問題について、最高裁が元患者に謝罪する方向で検討していることが31日、関係者への取材で分かった。検証の結果、設置手続きに不適切な点があったと認める。最高裁が事務手続きの誤りを認めて謝罪するのは極めて異例だ。

 また最高裁の外部有識者委員会(座長・井上英夫金沢大名誉教授)が、「特別法廷は差別的な措置で、法の下の平等や裁判の公開を定めた憲法に違反する疑いがある」との意見を最高裁に伝えていることも判明した。

 謝罪の方針は15人の裁判官全員で構成する裁判官会議で近く決定し、早ければ4月中に公表する報告書に盛り込む。有識者委の意見も併記するが、最高裁は違憲と判断するだけの根拠がないと結論付ける見通し。個別の裁判手続きの是非にも踏み込まないとみられる。

 最高裁によると、ハンセン病患者の特別法廷は1948~72年に療養所や刑務所、拘置所などで95件開かれた。

 最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開くことができるという裁判所法の規定が設置の根拠だったが、元患者からは(1)事実上非公開で、憲法が定める「裁判の公開」に反する(2)普通の裁判を受けられなかったのは法の下の平等に抵触する――と指摘があった。

 最高裁の調査では、地裁や高裁から設置申請があった際、本来は病状や感染の恐れなどを精査すべきだったが、十分に審査せず許可していた。ハンセン病患者への差別意識から、審査が形式的になっていたとみられる。

 ただ、非公開だったかどうかは、療養所の門に裁判が開かれていることを示す「告示」が張り出されたケースもあり、最高裁は違憲とまではいえないとみている。

 ハンセン病を理由とした設置申請はほぼ全て許可されたが、結核などハンセン病以外のケースは48~90年に61件中9件しか認められていない。

 最高裁は2014年5月、元患者らの団体の要請で調査を開始。過去の資料の分析や元患者らの聞き取りを続けてきた。内部調査だけでは不十分との指摘を受け、昨年9月以降は有識者委と議論をしながら報告書の作成を進めている。〔共同〕


(7)琉球新報社説-ハンセン病謝罪 言葉だけでなく再審認めよ-2016年4月3日


 ハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などに設置した「特別法廷」で開いていたことについて、最高裁が設置手続きに不適切な点があったことを認め、元患者に謝罪することを検討している。政府と国会が隔離政策の過ちを認めてから15年近くが経過しており、遅きに失したと言わざるを得ない。三権の一翼を担う「人権のとりで」としての意識が希薄だったと考えるほかない。


 外部有識者委員会が「法の下の平等や裁判の公開を定めた憲法に違反する疑いがある」との意見を最高裁に伝えている。憲法の番人が憲法違反の疑いを指摘された。最高裁は深刻に受け止めるべきだ。
 ハンセン病患者の特別法廷は1948~72年に療養所や刑務所、拘置所などで95件開かれ、申請が取り下げられた1件を除き全てが許可されていた。一方で結核などハンセン病以外の事例では48~90年の申請61件中9件しか認められていない。本来は病状や感染の恐れの有無などを精査すべきなのに、ハンセン病では十分に審査せずに開廷を許可していた。最高裁に差別意識があったとしか思えない。
 療養施設の一室に設けられた特別法廷には消毒液がまかれ、白衣を着てゴムの長靴を履いた裁判官や書記官、検察官、弁護人が並び、傍聴人はいなかった。裁判官はゴム手袋をして調書をめくり、火箸や割り箸で証拠品をつまみ上げたという。元書記官が明かした法廷の様子だ。人権侵害も甚だしい。感染を恐れた裁判官らが事件を十分に審理できたのかも疑わしい。
 全国ハンセン病療養所入所者協議会などが問題にしているのが「菊池事件」と呼ばれる殺人事件の裁判だ。被告は無罪を主張したが、一審判決で死刑が言い渡され、上告棄却で確定した。被告は第3次の再審請求をしたが、棄却された翌日に刑を執行されている。厚生労働省は2005年、この裁判について「憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえない」とする報告書をまとめた。しかし最高裁は動かなかった。
 今回も最高裁は元患者側の要請を受けて調査を開始しており、自発的ではない。隔離政策を続けた行政だけでなく、司法にまで不当な扱いを受けた元患者らの不信感は安易な謝罪の言葉だけでは拭えない。再審請求を認めるなど、個別の裁判手続きの是非にも踏み込むべきだ。


(8)沖縄タイムス社説-[ハンセン病訴訟]家族の苦しみ直視せよ-2016年3月31日


 国が間違って取り続けたハンセン病患者の強制隔離政策によって差別や偏見を受けたとして、家族509人が29日、国家賠償法に基づき、謝罪と損害賠償を求め熊本地裁に提訴した。

 2月に第1陣の家族59人が提訴しており、第2陣と合わせると、原告は計568人になった。今回沖縄から244人が加わり、九州・沖縄地域の4分の3を占める。

 いわれなき差別や偏見は家族にも及んでいるのは明らかである。

 国の誤った隔離政策に原因があることは言うまでもないが、医学的根拠も何もないのに差別や偏見を広げた私たち一人一人も深刻に受け止めなければならない。

 国の隔離政策が「ハンセン病は恐ろしい伝染病で、患者は療養所に隔離し、地域社会から排除すべき存在である」と差別や偏見を助長し、生活を共にする家族にまで及んだ-と原告らは訴える。

 学校で、地域社会で、差別され、一家離散だけでなく、結婚や就職など人生のさまざまな局面で家族であることを隠して生きることを余儀なくされた。家族が受ける被害に対し、国は謝罪や賠償をすることなく放置してきた-などと強く批判している。

 原告は元患者の子のほか、発症時に同居していた兄弟姉妹、配偶者、親、孫、おいやめいら20~90代の男女である。

 名前を変えたり、家族関係を隠したりして生きざるを得なかった原告らは患者と同様、過酷な生を強いられた。
■    ■
 ハンセン病患者の隔離は1907年に始まった。31年の旧「らい予防法」で強制隔離が法制化された。

 実際は感染力や発病力が極めて弱い。40年代以降は特効薬が開発され、治癒できるようになった。にもかかわらず、国は96年まで、らい予防法を廃止することなく、隔離政策を継続した。熊本地裁は2001年、元患者らの訴えに対し、隔離政策の違憲性を認め、賠償を命令。判決は確定した。

 らい予防法の廃止から3月末で20年となる。民法の規定で損害賠償請求権が消滅するため第1陣の提訴に続き、弁護団が原告を募り、今回の第2陣につながった。

 家族はこれで救済されることになるのだろうか。弁護団代表の徳田靖之弁護士は「実際に被害を受けた家族は数千人以上と思われる」と指摘している。原告の数との乖(かい)離(り)を考えると、ハンセン病への差別や偏見がまだまだ残っていると言わざるを得ない。
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 ハンセン病をめぐっては、いまだ解決への道は遠い。

 患者の裁判が1948~72年に、療養所などに設置された「特別法廷」で95件開かれていることがわかっている。

 特別法廷は非公開で、憲法が保障する「裁判の公開の原則」に反する。無実を訴えながら死刑判決が言い渡され、執行された被告がいる。人権の砦(とりで)の司法も差別と偏見に縛られ、公正な審理だったか、重大な疑問が生じている。

 療養所で暮らす元患者の平均年齢は83歳を超え、約4分の1が認知症であるとの調査がある。家族への賠償問題など積み残した課題は多い。


(9)産経新聞主張-最高裁が謝罪へ 過ち認めるに躊躇するな-2016年4月1日


 ハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などに設置した「特別法廷」で開いていた問題で、最高裁が手続きに不適切な点があったとして元患者に謝罪する方向で調整しているという。

 特別法廷は療養所や隣接する刑務所、拘置所などで昭和23年から47年まで、95件も開かれた。病気に対する無知や偏見が根底にあったことは否定できまい。

 わずか44年前まで「隔離法廷」が存在したことに、今更ながら驚く。遅きに失した感はあるが、過ちを認め、元患者らに謝罪すべきは当然である。

 寺田逸郎最高裁長官を含む15人の裁判官全員で構成される裁判官会議で近く決定し、報告書を公表する見込みだ。

 最高裁が設置した外部の有識者委員会も「違法だった可能性がある」との意見を伝えており、最高裁の報告書にはそれぞれの見解が併記される。

 最高裁は真摯(しんし)な謝罪を、いわれなき差別感情の根絶や、偏見の是正に結びつけてほしい。それこそ司法の責務であろう。

 裁判所法は、災害などの緊急時には最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開けると規定している。ハンセン病患者の特別法廷はこの規定を根拠とし、地裁や高裁からの申請を、当時の最高裁事務総局が個別に深く検討することなく許可してきたものとみられる。
ハンセン病問題をめぐっては、平成13年5月に熊本地裁判決が強制隔離政策を違憲と判断し、当時の小泉純一郎首相が「政府として深く反省し率直におわびする」と談話を発表した。衆参両院も同年6月の決議で「隔離政策の継続を許してきた責任」を認めた。

 最高裁が謝罪に踏み切れば、三権の全てが責任を認めることになる。元患者らは、行政、立法、司法によっても醸成された社会の差別意識に苦しめられてきた。

 いや、報道がこれを助長することはなかったか。その反省と検証も欠かせない。

 ハンセン病はかつて「らい病」の名で呼ばれたが、差別感情を呼ぶなどとして、現在は新聞でも基本的に使わない。「業病」としてこれを扱う小説や映画もあったが、全くの誤りである。

 ハンセン病は、感染力が極めて弱く、治療法も確立している。この機に改めて、その認識の周知を徹底したい。


by asyagi-df-2014 | 2016-04-12 06:23 | ハンセン病 | Comments(0)

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