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ハンセン病-「らい予防法」廃止から3月末で20年。今なお家族やふるさとから分断され、尊厳の回復が困難な実態が浮かびあがる。

 「らい予防法」廃止から3月末で20年がたった今、今なお尊厳の回復が困難な実態について、朝日新聞は2016年3月28日。「ハンセン病患者の強制隔離を定めた『らい予防法』廃止から3月末で20年。朝日新聞が全国の国立ハンセン病療養所の入所者でつくる自治会にアンケートしたところ、現在も本名を伏せて園名(偽名・仮名)で日常生活を送る人が全入所者の38%に上ることがわかった。今なお家族やふるさとから分断され、尊厳の回復が困難な実態が浮かぶ。」、と報じた。
 朝日新聞は、「この20年、ハンセン病だった人たちは名誉回復を果たせたのか。入所者が用いる名前と遺骨の行方は、ハンセン病への偏見と差別をはかるバロメーターと考え、全国の療養所にアンケートした。全入所者の4割弱が本名を明かさず、物故者の過半数が分骨さえされていない現実は重い。」と、 このアンケートについて、次のように伝えた。


「アンケートは今月、全国13の全療養所に実施。在籍者1597人のうち620人が園名を使っていた。園名は患者が療養所に入所する際、差別が家族に及ばないよう園の職員や他の入所者の指示で、本名に代えて用いられた。園名の使用は各園によって差があり、本名で通してきた入所者もいる。
 名誉回復が図られてきた今も本名を使わない理由について、各自治会長は『差別を避けようと名前を変え、世の中に存在しない人間のように生きた。簡単には本名に戻せない』『親族への影響を考えると躊躇(ちゅうちょ)する』『何十年も偽名を使い定着してしまった』などと答えた。
 アンケートでは予防法廃止後の20年間に療養所で亡くなった人の納骨先も尋ねた。この間、3507人が亡くなり、国の強制隔離の違憲性を認めた2001年の熊本地裁判決を契機に、遺族の遺骨の引き取りが増えた。しかし今も55%の1940人の遺骨が分骨もされないまま園内の納骨堂に納められている。
 全国ハンセン病療養所入所者協議会の森和男会長は『家族内で入所者の存在が秘密にされたか、代替わりが進み存在が忘れられてしまったと考えられる』と言う。」


 まずは、次の「声」をじっくり心に刻みたい。


「差別を避けようと名前を変え、世の中に存在しない人間のように生きた。簡単には本名に戻せない」
「親族への影響を考えると躊躇(ちゅうちょ)する」
「何十年も偽名を使い定着してしまった」
「家族内で入所者の存在が秘密にされたか、代替わりが進み存在が忘れられてしまったと考えられる」
「自分は長くない。通帳を妹に送ってほしい。それで死んだとわかる」
「ここでのことは、絶対に子どもたちに言えない」
「あまりに名前を変えた人生が長すぎた。本名だけでなく、自分のルーツやふるさとを失った心境です」
「差別に巻き込みたくない、背負わせたくない一心だったと思うのです」
「あまりに名前を変えた人生が長すぎた。本名だけでなく、自分のルーツやふるさとを失った心境です」
「地域社会には古い価値観が染みついている。本名を名乗るのは難しい」
「偽名であっても、恥じる人生を送っていない。偽名で生きる決断も、自分でしたこと」


 この上で、朝日新聞の「90年に及ぶ隔離政策を許した背景には、私たちの無関心がある。入所者の高齢化が進むなか、ある入所者は『せめて教訓とならなければ、私たちの生きた意味がない』と言った。証言ビデオや資料館の整備などが各療養所で進む。彼らの痛みを想像し、共感し、後世に伝えていけるか。問われているのは、私たちだ。」、との出張を、私たち日本人一人一人が、受け取る必要がある。


 以下、朝日新聞の引用。







朝日新聞-入所者の38%、仮名のまま ハンセン病療養所の入所者-2016年3月28日10時11分

 ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」廃止から3月末で20年。朝日新聞が全国の国立ハンセン病療養所の入所者でつくる自治会にアンケートしたところ、現在も本名を伏せて園名(偽名・仮名)で日常生活を送る人が全入所者の38%に上ることがわかった。今なお家族やふるさとから分断され、尊厳の回復が困難な実態が浮かぶ。

 アンケートは今月、全国13の全療養所に実施。在籍者1597人のうち620人が園名を使っていた。園名は患者が療養所に入所する際、差別が家族に及ばないよう園の職員や他の入所者の指示で、本名に代えて用いられた。園名の使用は各園によって差があり、本名で通してきた入所者もいる。

 名誉回復が図られてきた今も本名を使わない理由について、各自治会長は「差別を避けようと名前を変え、世の中に存在しない人間のように生きた。簡単には本名に戻せない」「親族への影響を考えると躊躇(ちゅうちょ)する」「何十年も偽名を使い定着してしまった」などと答えた。

 アンケートでは予防法廃止後の20年間に療養所で亡くなった人の納骨先も尋ねた。この間、3507人が亡くなり、国の強制隔離の違憲性を認めた2001年の熊本地裁判決を契機に、遺族の遺骨の引き取りが増えた。しかし今も55%の1940人の遺骨が分骨もされないまま園内の納骨堂に納められている。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会の森和男会長は「家族内で入所者の存在が秘密にされたか、代替わりが進み存在が忘れられてしまったと考えられる」と言う。

 ハンセン病問題に詳しい神戸学院大の内田博文教授は「長年にわたり差別されてきた入所者の心理的なトラウマは容易に消えない。園名を使い続けるのはその表れだ。遺骨の引き取りが増えたとはいえ、お骨になっても帰ることができない事情は変わっていない。回復不可能な被害で、予防法廃止が遅すぎた。残り少ない人生を有意義に過ごすため、園内だけでなく外部の専門家を交えて知恵を出し、家族の再生など希望にそえるような支援が必要だ」と語る。
■骨つぼにも「園名」
 岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「邑久(おく)光明園」で1月、86歳の男性が、がんで亡くなった。生前、園のソーシャルワーカーの坂手悦子さん(45)に遺言を残していた。

 「自分は長くない。通帳を妹に送ってほしい。それで死んだとわかる」

 男性は44歳で入所した。病は治癒したが退所できなかった。予防法廃止時は66歳。帰る場所がなかった。死の4日前、園の計らいで男性が希望する鰻(うなぎ)料理を専門店で食べた。

 坂手さんは遺品を送るため男性の妹に電話した。妹は兄がどこでどう暮らしているのか知らなかった。電話は常に兄からの一方通行。居所を聞いても言わなかった。岡山に来て初めて兄の病歴を知った。

 療養所の納骨堂で手を合わせた。骨つぼに記された名は園名。本名にない「幸」の文字があった。「ここでのことは、絶対に子どもたちに言えない」。妹は言った。

 最期まで居所や病歴を明かさなかった男性の胸中を、坂手さんは推し量る。「差別に巻き込みたくない、背負わせたくない一心だったと思うのです」
■「名前を変えた人生長すぎた」
 太田明さん(72)は1952年春、熊本県合志市「菊池恵楓(けいふう)園」に8歳で収容された。園内の大人から本名に代わる園名をつくるよう促された。

 なぜ名を変えなければいけないのか、わからなかった。本名やふるさとに由来する漢字一文字を使う習わしで、新聞を広げて本名にある「大」に似た「太」と「田」「明」を拾った。「小学生でもわかる漢字を選んだ記憶があります」

 患者を出した家と知られては差別を受ける。成長するにつれ、ふるさとの家族を守るためだと知った。

 もう本名に戻すことにこだわるまいと思う。「あまりに名前を変えた人生が長すぎた。本名だけでなく、自分のルーツやふるさとを失った心境です」

 群馬県草津町「栗生(くりう)楽泉園」の藤田三四郎さん(90)は45年夏、19歳で隔離され、夏目漱石の小説「三四郎」から園名をつけた。

 96年にらい予防法が廃止された時、2001年に国家賠償訴訟の熊本地裁判決が出た時、「本名に戻したい」と妹に伝えたが、「兄(あん)ちゃん、そのままでいってくれ」と拒まれた。自分の存在を知らない親族がいるという。「地域社会には古い価値観が染みついている。本名を名乗るのは難しい」

 納骨堂には強制堕胎され「胎児標本」にされた1柱を含む1185柱が納められている。園名のまま永眠する人も少なくない。

 「療友みんなの本名を刻んだプレートをつくれないか」と思案している。「本名はいのちの証しをとりもどすことだから」
■名誉回復へ継承課題
 らい予防法が廃止された96年、国立の13療養所には約5400人が暮らしていた。20年後のいま、入所者は約1600人に減った。平均年齢は83・9歳。

 入所者は堕胎や断種の手術を強要され、本名を伏せ園名を使わされた。国家政策に伴う人権侵害の歴史をどう後世に伝えていくか。入所者の高齢化が進むなか差し迫った課題となっている。自らの体験を伝える語り部は80代を中心に全国60人ほどに減った。

 「ハンセン病を病んだ人たちの存在や歩んだ道が消え去るようなことは、耐えられない」。14歳で岡山県瀬戸内市「長島愛生園」に隔離された中尾伸治さん(81)は言う。2013年、人権侵害の現場である療養所を世界遺産に登録する運動を始めた。

 東京都東村山市「多磨全生園」では豊かな緑地や園舎を拠点にした「人権の森構想」がある。沖縄県名護市「沖縄愛楽園」や「菊池恵楓園」ではボランティアの育成や証言映像の制作に取り組んでいる。
■隔離許した無関心
 「偽名であっても、恥じる人生を送っていない。偽名で生きる決断も、自分でしたこと」。らい予防法廃止20年を前に、療養所の入所者は心境を明かした。

 この20年、ハンセン病だった人たちは名誉回復を果たせたのか。入所者が用いる名前と遺骨の行方は、ハンセン病への偏見と差別をはかるバロメーターと考え、全国の療養所にアンケートした。全入所者の4割弱が本名を明かさず、物故者の過半数が分骨さえされていない現実は重い。

 90年に及ぶ隔離政策を許した背景には、私たちの無関心がある。入所者の高齢化が進むなか、ある入所者は「せめて教訓とならなければ、私たちの生きた意味がない」と言った。証言ビデオや資料館の整備などが各療養所で進む。彼らの痛みを想像し、共感し、後世に伝えていけるか。問われているのは、私たちだ。(編集委員・高木智子)
     ◇
 〈ハンセン病と隔離政策〉 らい菌によって神経が侵されるハンセン病は、顔や手足が変形する後遺症が出ることから偏見や差別の対象になった。日本では1907年に国が患者の隔離を始め、特効薬が開発され治癒するようになったあとも含め、らい予防法廃止の96年まで約90年に及ぶ隔離政策が続いた。療養所に隔離された入所者は園名(偽名・仮名)の使用や断種、堕胎の手術を強いられたり、家族とのつながりが失われたりした。予防法廃止から20年で損害賠償を請求できる「除斥期間」が終わるため、元患者の家族が国家賠償を求め集団訴訟を起こしている。


by asyagi-df-2014 | 2016-03-30 12:35 | ハンセン病 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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