沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第45回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 
 今回の報告は、「キャンプ・シュワブの兵士レイプ事件の激震」、について。
三上さんは、この事件について、こう訴えている。


 敗戦国に生き、そのまま占領された島に住んで、嫌でも屈辱を味わってきた沖縄の人々には構造的な差別、システムとしての日米同盟のいびつさははっきり見えている。

 たまたま犯人が米兵だっただけでしょう?
 女性の落ち度もあったのでしょう?

 そう言いたい人たちがどういう心理で、なにと向き合いたくないのか、それも見えている。安易にセカンドレイプまがいのバッシングで溜飲を下げ、問題をすり替え、本当に立ち向かうべきものから逃げようとしていること、そんな人間の弱さも含めて知っているからこそ、悲しい。被害に遭う本人も、助けられなかった周りも、向き合いきれない人の方多いと知っているからこそ、この事件が起きるたびにとてもじゃないがやりきれないのだ。


 沖縄に「0.6%で73.8%」がもたらしている事実は、このことが続くかぎり、人にとって悲嘆でしかないということを、日本人に知ってもらわなければならない現実こそ、確かに「悲劇」である。
 しかし、三上さんは、やりきれなさの中で、このように報告する。


(1)キャンプ・シュワブの兵士レイプ事件

今度の犠牲者は観光客の女性だった。今月13日、那覇市内のホテルが恐怖の事件現場となった。彼女は沖縄旅行を楽しみ、友人と部屋で楽しく飲食をしていたのだろう。追加の飲み物を買いに出たところ、戻ると友人が眠ってしまったようで部屋に入れない。こんな風に眠ってしまった家族にオートロックの部屋を閉め出された経験は私にもある。あなたならどうするか。ドアを激しく叩くのも迷惑だし、フロントの人を呼ぶのも気が引ける。私なら、寒くなければ廊下で気長に膝を抱えて待つだろう。やがて被害女性は廊下で眠ってしまう。そこに見知らぬ米国海軍の兵士が現れ、彼女を部屋に連れ込んで暴行に及んだ。
 その兵士は辺野古のキャンプ・シュワブの兵士だったので、翌日からゲート前は荒れた。基地がある限り、兵士の暴力によって女性の人権がズタズタになるこの手の性犯罪が止まない。70年続いている屈辱的な痛みや苦しみから解放されない。だからいつもの「新基地建設反対」に加えて「米軍は出て行け!」という抗議の声一色になったのは当然だった。

(2)沖縄からの抗議

 その兵士は辺野古のキャンプ・シュワブの兵士だったので、翌日からゲート前は荒れた。基地がある限り、兵士の暴力によって女性の人権がズタズタになるこの手の性犯罪が止まない。70年続いている屈辱的な痛みや苦しみから解放されない。だからいつもの「新基地建設反対」に加えて「米軍は出て行け!」という抗議の声一色になったのは当然だった。
 そんな蛮行などはたらかない立派な兵士もたくさんいるだろう。毎日の業務でゲートを通る度に「Go Home!」と書かれたプラカードを突きつけられたらいい気はしない。自分たちはそんな人間じゃない、と悔しい思いもするだろう。かといって、これだけ犠牲者が出ているのに「悪いのは一部の人よね。だからあなたには抗議しないわ」という態度をとっていたら、沖縄県民の怒りは伝わるだろうか。米軍が本気で再発防止策を打つだろうか。沖縄県民が大声を出さなければアメリカ軍もだが、他府県の人だってこの痛みに気付いてくれないではないか。

(3)もう一つの「事件」

 15日、同じキャンプ・シュワブに所属する兵士たちにレイプ事件の抗議をしていたところ、ある兵士が車から中指を立てて挑発した。このポーズが意味するところは、書くまでもないだろう。自分たちの仲間が日本女性にしたことを少しでも悪いと思っているならできる仕草ではない。また相手を最大限に侮辱するこのサインを見て怒らない人間はいないだろう。
 辺野古の反対運動に熱心でみんなに頼られているヤスさんと呼ばれる男性が、この米兵の態度に激怒して抗議し、ボンネット側に回ろうとしたとき黄色い線を越えたということで軍警察に拘束された。ゲート前のリーダー、ヒロジさんの右腕とも言われるヤスさんの逮捕にヒロジさんの怒りも炸裂した。

(4)事件のたびに沖縄側に浴びせられる「レイプは悪いけど、どうもそれに対する沖縄の怒りは毎回過度な印象がある」とした意見。

 私も20年以上ここに生活をしてよくわかったことだが、米兵によるレイプの事実があっても、その後に待っている苛酷な運命を考えたとき、警察に行かない選択をする人がどれほど多いか。昔は私も「勇気を出して警察へ」などと思っていたが、身近な被害者の話や目撃談などを聞いていると、自分ならセカンドレイプも覚悟で警察に行けるだろうかと年々否定的になっていく。
 相手が米兵なら、まずはマスコミに追いかけられ、好奇の目で見られ、外も歩けなくなる。仕事を失う可能性も高い。必ず本人の落ち度の話になる。彼氏がいたらギクシャクするだろうし、結婚していたら夫の仕事にさえ影響するかもしれない。息子や夫が、一緒に闘ってくれるか。仮にそうでなかったら、それこそ家族の絆を含めてレイプ前に持っていたものすべてを失ってしまうだろう。一人で抱えることに決めて、心に深い傷を追って沈黙している女性がどれだけいることか、と思う。 

(5)こういう時、必ず出てくる「レイプをするのはアメリカ兵だけではない」という意見。

普通の日本人もやるではないか、と言ってまでおぞましい行為をかばう意味が全く理解できない。軍人と一般人の最も大きな違いは、人を殺す訓練を受けているかどうかということだ。もちろん彼らの正義や大義があって、組織の決定に従ってやるのであって私利私欲のために殺すわけではないのだろう。国を守る、秩序を守る。理由は結構だ。でも、その大きな違いを知って欲しい。普通の精神状態では、人間は人間を殺せないものだ。
 しかし軍人の頭の中には常に「守らなければいけない大事な人間たち」と、「いざとなれば殺されても仕方のない悪い人たち」の2種類が必ずいるのだ。すべての人間に全く同じように人権がある、と信じていたら相手を殺すことはできない。つまり、女性にも自分と同じ人権があると100パーセント思っていたらレイプはできない。人権意識を狂わせ、縮小させ、暴力性、攻撃性を肥大化させる訓練を組織としてやっている軍隊の構成員に、一方で「綱紀粛正と道徳」なんて教えても染みこんでいくはずがない。攻撃と支配にアドレナリンが出るよう訓練された集団と一般の日本国民が一緒であるはずがない。

(6)2016年3月21日に掲載された沖縄タイムスの記事。

 たまたま今日(21日)の沖縄タイムスに、今回の抗議集会に参加する60代の男性の痛ましい話が掲載されていた。彼が幼い頃、姉が米兵にレイプされ、そのあとは家の中の1畳ほどしかない裏座(※民家の裏側に位置する収納部屋などのこと)に引きこもったままになったという。周囲は精神を病んでいると言っていたそうだが、原因がレイプと知ったのはつい最近、10年ほど前だそうだ。当時、父も兄も家に居た。「なぜ止めなかったのか?」と聞くと、母は「止めたら殺された」と言ったという。
 復帰前の植民地同然の沖縄で、腕力も権力も桁違いの米兵に目の前で娘を蹂躙されて何もできないでいる父の気持ちは、想像を絶する。父として、兄として、恋人として大事な女性を守れなかった時の男性の尊厳こそ、ズタズタだろう。憲法もなく、警察権もない、公平な裁判を受ける権利もない、そういう状況を恨み、米兵を憎んだとしても、何一つできない自分を悔やむだろう。責め続けるだろう。そんなやりきれない経験の蓄積がこの地域にはある。
 復帰して人権が憲法上は保障された。とはいえ、捜査権も裁判権も米軍相手だと制限されたままだ。これでは復帰前と何も変わってないじゃないか、という憤怒がこの事件が起きる度に腹の底から沸き上がってくるのは当然である。

(7)「由美子ちゃん事件」。

 今回のビデオ後半にある緊急抗議集会で照屋寛徳議員が言及しているが、沖縄県民にとって忘れようにも忘れられない「由美子ちゃん事件」がある。
 1955年、米兵が幼稚園児の由美子ちゃんを強姦、切り裂いた上、殺害してゴミ捨て場に捨てた。由美子ちゃんは歯を食いしばった表情のままで、幼い手には雑草が握られていたという。こうして書いていても怒りと涙が溢れてくる。弱い者が犠牲になり、周囲もそれを守れなかった苦さを抱いて生きる。それが日本の国とその国民が是とする「米軍の駐留」が作り出す構造的な不平等が温床になっている場合、問題を解決する責任は誰にあるのか。

(8)週に3回辺野古に通うダグラス・ラミスさんの話。

「残念ながら、軍隊は戦争で勝ち取ったものは〈戦利品〉だと思っています。この島も。女性は戦利品に付属する、ご褒美のつもり、ね」。そう言う目はとても哀しい色だった。


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 以下、三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記第45回の引用。







第44回キャンプ・シュワブの兵士レイプ事件の激震


 今度の犠牲者は観光客の女性だった。今月13日、那覇市内のホテルが恐怖の事件現場となった。彼女は沖縄旅行を楽しみ、友人と部屋で楽しく飲食をしていたのだろう。追加の飲み物を買いに出たところ、戻ると友人が眠ってしまったようで部屋に入れない。こんな風に眠ってしまった家族にオートロックの部屋を閉め出された経験は私にもある。あなたならどうするか。ドアを激しく叩くのも迷惑だし、フロントの人を呼ぶのも気が引ける。私なら、寒くなければ廊下で気長に膝を抱えて待つだろう。やがて被害女性は廊下で眠ってしまう。そこに見知らぬ米国海軍の兵士が現れ、彼女を部屋に連れ込んで暴行に及んだ。

 その兵士は辺野古のキャンプ・シュワブの兵士だったので、翌日からゲート前は荒れた。基地がある限り、兵士の暴力によって女性の人権がズタズタになるこの手の性犯罪が止まない。70年続いている屈辱的な痛みや苦しみから解放されない。だからいつもの「新基地建設反対」に加えて「米軍は出て行け!」という抗議の声一色になったのは当然だった。

 そんな蛮行などはたらかない立派な兵士もたくさんいるだろう。毎日の業務でゲートを通る度に「Go Home!」と書かれたプラカードを突きつけられたらいい気はしない。自分たちはそんな人間じゃない、と悔しい思いもするだろう。かといって、これだけ犠牲者が出ているのに「悪いのは一部の人よね。だからあなたには抗議しないわ」という態度をとっていたら、沖縄県民の怒りは伝わるだろうか。米軍が本気で再発防止策を打つだろうか。沖縄県民が大声を出さなければアメリカ軍もだが、他府県の人だってこの痛みに気付いてくれないではないか。

 15日、同じキャンプ・シュワブに所属する兵士たちにレイプ事件の抗議をしていたところ、ある兵士が車から中指を立てて挑発した。このポーズが意味するところは、書くまでもないだろう。自分たちの仲間が日本女性にしたことを少しでも悪いと思っているならできる仕草ではない。また相手を最大限に侮辱するこのサインを見て怒らない人間はいないだろう。
 辺野古の反対運動に熱心でみんなに頼られているヤスさんと呼ばれる男性が、この米兵の態度に激怒して抗議し、ボンネット側に回ろうとしたとき黄色い線を越えたということで軍警察に拘束された。ゲート前のリーダー、ヒロジさんの右腕とも言われるヤスさんの逮捕にヒロジさんの怒りも炸裂した。

 「警察はたった1、2メートルラインを越えたからと言って沖縄県民を拘束し、あんな事件を起こした米軍の側に立つのか? 沖縄の人間としての怒りはないのか? 米軍を守るより、沖縄にいる女性をなんで守れないんだ!」

 レイプは悪いけど、どうもそれに対する沖縄の怒りは毎回過度な印象がある、と言う人もいるかも知れない。私も20年以上ここに生活をしてよくわかったことだが、米兵によるレイプの事実があっても、その後に待っている苛酷な運命を考えたとき、警察に行かない選択をする人がどれほど多いか。昔は私も「勇気を出して警察へ」などと思っていたが、身近な被害者の話や目撃談などを聞いていると、自分ならセカンドレイプも覚悟で警察に行けるだろうかと年々否定的になっていく。
 相手が米兵なら、まずはマスコミに追いかけられ、好奇の目で見られ、外も歩けなくなる。仕事を失う可能性も高い。必ず本人の落ち度の話になる。彼氏がいたらギクシャクするだろうし、結婚していたら夫の仕事にさえ影響するかもしれない。息子や夫が、一緒に闘ってくれるか。仮にそうでなかったら、それこそ家族の絆を含めてレイプ前に持っていたものすべてを失ってしまうだろう。一人で抱えることに決めて、心に深い傷を追って沈黙している女性がどれだけいることか、と思う。

 ヤスさんの個人的背景は全く知らないが、この島の男性にとっても母や姉、恋人などの身近な女性に犠牲者がいるケースも多く、レイプ自体も、それ以上に被害者を苦しめるセカンドレイプに対して、男性でも激しい怒りを持つ人が少なくない。
 たまたま今日(21日)の沖縄タイムスに、今回の抗議集会に参加する60代の男性の痛ましい話が掲載されていた。彼が幼い頃、姉が米兵にレイプされ、そのあとは家の中の1畳ほどしかない裏座(※民家の裏側に位置する収納部屋などのこと)に引きこもったままになったという。周囲は精神を病んでいると言っていたそうだが、原因がレイプと知ったのはつい最近、10年ほど前だそうだ。当時、父も兄も家に居た。「なぜ止めなかったのか?」と聞くと、母は「止めたら殺された」と言ったという。

 復帰前の植民地同然の沖縄で、腕力も権力も桁違いの米兵に目の前で娘を蹂躙されて何もできないでいる父の気持ちは、想像を絶する。父として、兄として、恋人として大事な女性を守れなかった時の男性の尊厳こそ、ズタズタだろう。憲法もなく、警察権もない、公平な裁判を受ける権利もない、そういう状況を恨み、米兵を憎んだとしても、何一つできない自分を悔やむだろう。責め続けるだろう。そんなやりきれない経験の蓄積がこの地域にはある。

 復帰して人権が憲法上は保障された。とはいえ、捜査権も裁判権も米軍相手だと制限されたままだ。これでは復帰前と何も変わってないじゃないか、という憤怒がこの事件が起きる度に腹の底から沸き上がってくるのは当然である。
 今回のビデオ後半にある緊急抗議集会で照屋寛徳議員が言及しているが、沖縄県民にとって忘れようにも忘れられない「由美子ちゃん事件」がある。
 1955年、米兵が幼稚園児の由美子ちゃんを強姦、切り裂いた上、殺害してゴミ捨て場に捨てた。由美子ちゃんは歯を食いしばった表情のままで、幼い手には雑草が握られていたという。こうして書いていても怒りと涙が溢れてくる。弱い者が犠牲になり、周囲もそれを守れなかった苦さを抱いて生きる。それが日本の国とその国民が是とする「米軍の駐留」が作り出す構造的な不平等が温床になっている場合、問題を解決する責任は誰にあるのか。

 こういう話をすると必ず「レイプをするのはアメリカ兵だけではない」という意見が出てくる。普通の日本人もやるではないか、と言ってまでおぞましい行為をかばう意味が全く理解できない。軍人と一般人の最も大きな違いは、人を殺す訓練を受けているかどうかということだ。もちろん彼らの正義や大義があって、組織の決定に従ってやるのであって私利私欲のために殺すわけではないのだろう。国を守る、秩序を守る。理由は結構だ。でも、その大きな違いを知って欲しい。普通の精神状態では、人間は人間を殺せないものだ。
 しかし軍人の頭の中には常に「守らなければいけない大事な人間たち」と、「いざとなれば殺されても仕方のない悪い人たち」の2種類が必ずいるのだ。すべての人間に全く同じように人権がある、と信じていたら相手を殺すことはできない。つまり、女性にも自分と同じ人権があると100パーセント思っていたらレイプはできない。人権意識を狂わせ、縮小させ、暴力性、攻撃性を肥大化させる訓練を組織としてやっている軍隊の構成員に、一方で「綱紀粛正と道徳」なんて教えても染みこんでいくはずがない。攻撃と支配にアドレナリンが出るよう訓練された集団と一般の日本国民が一緒であるはずがない。

 動画のラストに登場するダグラス・ラミスさんは沖縄在住の政治学者だが、元海兵隊員でもある。2500人が集まったレイプ事件への抗議集会の後、矢も盾もたまらないといった様子でマイクを握り米兵に直接英語で訴え始めた。沖縄の抵抗運動をイデオロギーだ、動員だと矮小化しているかも知れないが、今日見たままの沖縄の怒りを、ぜひ上司に、アメリカ議会に、ペンタゴンに伝えて欲しいと叫んだ。そして私たちのインタビューに答えて衝撃的な指摘をして下さった。

 「残念ながら、軍隊は戦争で勝ち取ったものは〈戦利品〉だと思っています。この島も。女性は戦利品に付属する、ご褒美のつもり、ね」。そう言う目はとても哀しい色だった。
 週に3回辺野古に通うラミスさんは「何千、何万の沖縄の人がカッターを持って基地を囲みフェンスを切断し始めたら、外国軍隊であるあなたたちはどうするのですか?」と英語で書かれたビラを持っていた。

 敗戦国に生き、そのまま占領された島に住んで、嫌でも屈辱を味わってきた沖縄の人々には構造的な差別、システムとしての日米同盟のいびつさははっきり見えている。

 たまたま犯人が米兵だっただけでしょう?
 女性の落ち度もあったのでしょう?

 そう言いたい人たちがどういう心理で、なにと向き合いたくないのか、それも見えている。安易にセカンドレイプまがいのバッシングで溜飲を下げ、問題をすり替え、本当に立ち向かうべきものから逃げようとしていること、そんな人間の弱さも含めて知っているからこそ、悲しい。被害に遭う本人も、助けられなかった周りも、向き合いきれない人の方多いと知っているからこそ、この事件が起きるたびにとてもじゃないがやりきれないのだ。


三上智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)


by asyagi-df-2014 | 2016-03-27 05:51 | 沖縄から | Comments(0)

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