安倍首相靖國参拝訴訟、原告388人が大阪高裁に控訴。

 安倍首相靖國参拝総称で訴えを棄却された原告は、2016年2月9日、大阪高裁に控訴した。
 このことについて、朝日新聞は2016年2月9日、「安倍晋三首相の靖国神社参拝(2013年12月)は憲法の政教分離原則に反すると訴え、国内外の765人が首相と国、神社に1人1万円の慰謝料と参拝差し止めを求めた訴訟で、うち388人が9日、憲法判断に踏み込まず請求を全面的に棄却した1月28日の大阪地裁判決を不服として大阪高裁に控訴した。」、と報じた。

 実は、朝日新聞は2016年1月28日、このことに関連して次のような声と記事を伝えていた。


「靖国参拝が平和を祈念するものと評価した判決。怒りを覚える」

「冗談じゃない」。父の命は国に奪われたに等しい。だれかの幸せも奪ったかもしれない。「何が神だ」

「国民の命を預かる一国の代表者が、周辺国との摩擦を承知で参拝するなんて」

「歴史学は実生活に還元させないと意味がない」

ただ、自分の思いを口にすることも、最近はためらうようになった。実名で提訴後の会見に出た同世代の友人は、ネットに「こういうことするのは朝鮮人」と書かれた。法廷には「朝鮮人」と叫ぶ集団も現れたと弁護団から聞いた。非難が激しくなると他の若者も口をつぐむと恐れ、法廷での意見陳述は控えた。

判決は憲法判断を避けた。「司法は空っぽだと言っているに等しい」と失望した。「でも訴訟は通過点。これからも考え、しゃべることはやめない」(

「憲法判断から逃げている姿勢が見られる」と批判。そのうえで「靖国参拝が合憲にもなり得ると含みを入れている。(過去に違憲と判断した判決から)後退している」

「今回の判決は後退どころか裁判所の存在理由を終わらせるでたらめなもの。せめて司法の意地はしめしてほしい。落胆している」


 判決で、「時代で判断が変わる」、と裁判所が言ってしまった。
 だが、あたりまえに、諦めるわけにはいかない闘いは続く。


 以下、朝日新聞の引用。







朝日新聞-首相の靖国参拝訴訟、原告側が控訴 大阪高裁に-2016年2月9日13時23分

 安倍晋三首相の靖国神社参拝(2013年12月)は憲法の政教分離原則に反すると訴え、国内外の765人が首相と国、神社に1人1万円の慰謝料と参拝差し止めを求めた訴訟で、うち388人が9日、憲法判断に踏み込まず請求を全面的に棄却した1月28日の大阪地裁判決を不服として大阪高裁に控訴した。

 地裁判決は、小泉純一郎元首相の参拝をめぐる最高裁判決(06年)と同様、「人の参拝で不快感を抱いても法的利益の侵害として直ちに損害賠償を求めることはできない」などと指摘し、原告の訴えを退けた。


朝日新聞-首相靖国参拝、問い続ける 原告ら「司法、判断逃げた」-2016年1月28日17時15分

 戦後、歴代首相が近隣国の批判や「違憲」の司法判断もある中で続けてきた靖国神社参拝。安倍晋三首相の参拝について、28日の大阪地裁判決は憲法判断をせず、訴えをすべて退けた。原告の戦没者遺族や若者らは憤る。何のための司法なのか――。
■戦没者遺族「何が神だ」
 判決は、安倍首相が参拝後に「過去への痛切な反省」を強調して不戦を誓ったことから、戦没者の死を美化していないとも述べた。

 「靖国参拝が平和を祈念するものと評価した判決。怒りを覚える」。2014年4月、若者からお年寄りまで多くの市民が起こした訴訟に加わった元中学社会科教諭の松岡勲さん(71)=大阪府茨木市=は判決後の会見で語った。

 13年12月26日。安倍首相の突然の参拝をテレビのニュースで見て「ショックだった」。戦死して靖国に合祀(ごうし)された父を思った瞬間、母と2人で生きた幼いころの記憶がよみがえった。

 父・徳一(とくいち)さんは終戦7カ月前の1945年1月、中国戦線で亡くなった。当時35歳。松岡さんはまだ1歳未満。夫を失った母・春枝さんは米や麦を作り、行商をして松岡さんを育てた。

 高校3年の時、父の死をめぐってぶつかった。歴史を学び、日本軍の侵略の事実を知った。もしかしたら、父も家族ある人の命を奪ったのではないか。疑問を口にすると「お父ちゃんは虫も殺さんええ人や!」と話を打ち切られた。

 それからは戦争の話を避けるようになった。毎年8月15日、全国戦没者追悼式がテレビ中継されるたび、正座して見守る母の背中が脳裏に焼き付いている。

 9年前、母は90歳で逝った。遺品を整理中、押し入れから靖国神社の合祀通知が出てきた。「合祀記念 神盃(しんぱい)」と書いた器も。「冗談じゃない」。父の命は国に奪われたに等しい。だれかの幸せも奪ったかもしれない。「何が神だ」

 遺族の思いに反し、戦没者が肯定的に祭られる苦痛。そこに戦争加害国の首相が参り、「ご英霊」と呼ぶ。平和を乱す行為としか思えず、悲しみは逆なでされる。判決後、誓った。「改憲をめざす安倍首相の参拝は戦争の準備行為に見える。裁判所の判断が変わるまで闘い続ける」
■異論許さぬ風潮に危機感
 戦争を知らない若い世代も平和に生きる権利を訴え、原告団に加わった。その一人で京都市に住む女性会社員(28)は参拝をネットのニュースで知った。「国民の命を預かる一国の代表者が、周辺国との摩擦を承知で参拝するなんて」

 曽祖父は戦地で亡くなった。祖母は「立派に死んで靖国にいる」と常々言った。女性は会社勤めをしながら関西の大学院で日本史学を専攻。研究の中で、独善的な政治判断は戦争に行き着くとの思いを強くした。「歴史学は実生活に還元させないと意味がない」という担当教授の口癖も思い出し、行動に移した。

 ただ、自分の思いを口にすることも、最近はためらうようになった。実名で提訴後の会見に出た同世代の友人は、ネットに「こういうことするのは朝鮮人」と書かれた。法廷には「朝鮮人」と叫ぶ集団も現れたと弁護団から聞いた。非難が激しくなると他の若者も口をつぐむと恐れ、法廷での意見陳述は控えた。

 異論を許さない時代の息苦しさ。遺族の多様な思いを顧みない首相の参拝も、どこかでつながっているんじゃないかと思う。いま声を上げないと、いつか来た道をたどるかもしれない。安保法制や立憲主義のことも同僚や友人と語り合い、思考を深めたい。

 判決は憲法判断を避けた。「司法は空っぽだと言っているに等しい」と失望した。「でも訴訟は通過点。これからも考え、しゃべることはやめない」(阿部峻介)
■支援者ら落胆
 「不当判決!」「司法は靖国参拝を戦争準備と認識せず!」。午前10時すぎに判決が言い渡された直後、大阪地裁(大阪市北区)の正門前で原告側がこう書いた紙を掲げた。「絶対に許しません」。詰めかけた約20人の支援者らは肩を落とし、口々に叫んだ。

 2004年の福岡地裁判決、05年の大阪高裁判決は小泉純一郎氏による首相当時の靖国参拝を「違憲」と判断したが、28日の大阪地裁判決はこう言及した。社会や経済情勢の変動、国民の権利意識の変化によって裁判所の判断は変わることもあり得る――。

 判決後、司法記者クラブで記者会見した原告側弁護団の中島光孝弁護士は「憲法判断から逃げている姿勢が見られる」と批判。そのうえで「靖国参拝が合憲にもなり得ると含みを入れている。(過去に違憲と判断した判決から)後退している」と述べた。

 大阪訴訟の原告数は765人。その一人、大学院生の男性(25)は憲法をめぐる状況が悪化していると思い、訴訟に加わった。男性は「時代で判断が変わると裁判所が言った。あり得ない」と言い、僧侶の木村真昭さん(65)=福岡市=は「今回の判決は後退どころか裁判所の存在理由を終わらせるでたらめなもの。せめて司法の意地はしめしてほしい。落胆している」と憤った。(川田惇史、坂本純也)


by asyagi-df-2014 | 2016-02-27 06:00 | 安倍首相靖国参拝違憲訴訟 | Comments(0)

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