ハンセン病-家族集団提訴を考える。

 毎日新聞は、2016年2月16日、家族集団訴訟について、「患者本人同様、深刻な差別を受け続けたことを知ってほしい−−。ハンセン病元患者の家族59人が15日、初の集団国家賠償訴訟を起こした。元患者への賠償を命じた熊本地裁判決(2001年確定)の後も顧みられることがなかった家族の被害。損害賠償請求期限の20年を目前にして、ようやく重い口を開き、尊厳の回復に向けて立ち上がった。」、と報じた。
 実名を公表した原告・原田信子さんの「ずっと小さくなって生きてきたが、これからは隠れず生きていきたい」という次の声を伝えた。まさに、この声がこの訴訟の意味なのである。


「『幸せだと思ったことはあまりなかった。泣いていることが多かったから』。72年間の人生を振り返る。あえて実名を出して臨んだ提訴後の記者会見。涙ぐみながらも、こう訴えた。『裁判を通じて小さい頃から差別と偏見を受けてきたことを知ってほしい。ずっと小さくなって生きてきたが、これからは隠れず生きていきたい』」


 また、毎日新聞は、提訴後の原告・弁護団の記者会見での弁護団の徳田靖之共同代表の訴えを次のように伝えた。


「被告は国だが、問われるべきは誰なのかを皆さんと一緒に考えたい」
「01年の熊本地裁判決で国は断罪されたが、裁かれていないのは私たちの社会。それは法律家、医学界、マスコミ、教育界、そして地域の人たち。この裁判で裁かれるべきは私たち一人一人ではないか」


 徳田弁護士は、「『産んでくれた親を憎んだり、疎ましいと思うほど深刻な被害はない。そういう被害を明らかにすることで家族が被害から解放され、乗り越えていけるように多くの方に裁判へ参加してほしい』と呼びかけた。」。

 この集団訴訟について、各地方紙が社説で取りあげた。
 その見出しは、次のものである。
1.南日本新聞社説-[ハンセン病訴訟] 社会の差別も問われる-
2.西日本新聞社説-ハンセン病救済 国の幕引きは許されない-
3.京都新聞社説-ハンセン病提訴  家族にも被害、救済急げ-
4.信濃毎日新聞社説-ハンセン病訴訟 家族の苦しみに向き合う-

 この集団訴訟について、この社説で考える。
(1)集団提訴の意味
1.南日本新聞社説
 国のハンセン病強制隔離政策によって患者本人だけでなく、家族も深刻な偏見や差別を受けたとして、鹿児島県などに住む元患者の家族59人が、国に謝罪と損害賠償を求め熊本地裁に提訴した。家族の集団訴訟は初めてである。
2.西日本新聞社説
①ハンセン病の隔離政策はまさに「誤った国策」だった。にもかかわらず、その救済はいまだ不十分と言わざるを得ない。積み残された重い課題に社会全体が向き合うことを求める提訴でもある。
②元患者の家族らが国に謝罪と損害賠償を求める初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。隔離政策による差別や偏見の被害は患者本人だけでなく、子どもやきょうだい、配偶者にも及んだ-との主張だ。
③ハンセン病関連の被害は「人権を根こそぎ奪う」という言葉で表現されることがある。患者は強制的に療養所へ収容され、家族も日常生活に加えて教育、就職、結婚など人生のあらゆる場面で過酷な差別にさらされたからだ。
④さらに悲劇的なのは、患者となった肉親を憎んだり、恨んだりして家族そのものが崩壊に至ったケースも少なくないとされる点だ。基本的に元患者本人を補償対象としている現行制度は、被害の全面的な救済につながらないことは明らかだといえるだろう。
3.京都新聞社説                                
①国によるハンセン病強制隔離政策のため、患者本人だけでなく家族も深刻な偏見や差別を受けたとして、元患者の家族59人が国に謝罪と損害賠償を求める訴訟を熊本地裁に起こした。家族の被害をめぐる集団訴訟は初めてという。
②これまでの補償金はあくまで患者本人に対するもので、遺族に相続権はあるが、家族自身の被害に対するものではない。今回の提訴で、原告は隔離政策で助長された偏見、差別を受け、結婚や就職などの際、患者の家族であることを隠して生きざるをえなかったなどと訴えている。
4.信濃毎日新聞社説
①家族の被害をめぐっての集団訴訟は初めてである。弁護団が全国から原告を募り、今回の熊本地裁への提訴には59人が加わった。3月に予定する第2陣を含め原告は100人を超す見込みだ。
②戦前に始まった強制隔離政策は戦後も維持され、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで続いた。元患者への賠償を国に命じる熊本地裁判決が2001年に確定し、元患者と遺族には一時金が支給されている。09年に施行されたハンセン病問題基本法は、元患者の生活保障や名誉回復措置を国に義務づけた。ただどちらも、家族の被害は救済の対象になっていない。
(2)主張
1.南日本新聞社説
①悲劇の背景にあったのが国の強制隔離政策である。
②原告59人は国に約3億5000万円の賠償を求めた。その大半は匿名で裁判に臨まなければならなかった。国は差別を恐れる現実に目を向け、救済を急ぐべきだ。
③問われているのは国だけではない。過酷な政策を許し、差別に加担してきた私たちの社会そのものでもあろう。
④国の政策とはいえ、強制隔離に関わった保健所を所管する都道府県や、警察などもあらためて反省する機会としたい。
⑤鹿児島県内では、星塚敬愛園と奄美和光園に計190人の元患者が暮らす。全国では計1622人で、平均年齢は84.3歳という。子どもやきょうだいらが救済されるのか。静かに見守っている。
2.西日本新聞社説
①今回の原告は37~92歳の59人で来月には第2陣が提訴し、全国から参加する原告総数は100人を超える見通しという。それでも事実を隠し、声を潜めて生きる人々の一部にすぎない。それだけ根の深い偏見が依然、この社会に残っていることを直視すべきだ。
②原告たちがこの時期に提訴へ踏み切った理由は何か。それは隔離政策の根拠だった「らい予防法」廃止から3月末で20年となり、民法の規定で損害賠償請求権が消滅するためだ。このままでは国にハンセン病問題の幕引きを許してしまいかねないとの危機感がある。
③厚生労働省は補償金を受け取れる元患者が期限内に手続きを行えるよう都道府県に周知徹底を要請した。元患者すらまだ受給していない人が多数いるという。とても幕引きなどできる状態ではない。
④国は今回の提訴による司法判断を待つまでもなく、ハンセン病被害救済を総合的に見直すべきだ。名乗り出ることすらできない被害者に救いの手が届くよう、社会全体の問題として考えていきたい。
3.京都新聞社説                                
①国の誤った政策が被害を拡大させた結果といえよう。早急に救済策を検討しなければならない。
②「らい予防法」廃止から今年3月末で20年となり、民法の規定で損害賠償請求権が消滅することから、厚生労働省は期限内に請求手続きをとるよう、対象者に呼びかけている。しかし、療養所への非入所者を中心にまだ請求していない人が多数いるとみられ、偏見や差別の根深さをうかがわせる。
③家族が、患者と同様に受けてきた長い苦しみを考えれば、国は補償に踏み切るべきだ。
④ハンセン病をめぐる人権問題は過去のものではない。今なお続く重い課題であることを、あらためて確認しておきたい。
4.信濃毎日新聞社説
①ハンセン病の元患者の家族たちが国に賠償と謝罪を求める訴訟を起こした。長年にわたる強制隔離政策などによって、患者本人だけでなく家族もまた、根深い差別や偏見にさらされてきた。その苦しみに正面から向き合う司法判断を求めたい。
②結婚、就職をはじめさまざまな面で、家族は理不尽な仕打ちを受けてきた。周囲の目を恐れて、今も名乗り出ることをためらう人は多い。原告になった人も、大半が名前や顔を出せずにいる。その現実を重く受け止めたい。
③予防法の廃止から20年になる。弁護団などの支援で声を上げることができた人たちの背後に、なお表に出られない多くの家族の存在がある。原告に限らず、家族の被害回復に向け、国は施策や制度の整備に踏み出すべきだ。
④国の責任とともに忘れてはならないことがある。かつて患者を療養所に送り込んだ「無らい県運動」は住民の協力なしには進まなかった。隔離政策が戦後も50年以上にわたって続いたのは、社会の大多数の人々の無関心や暗黙の了解があったからにほかならない。
⑤それをどう克服していくか。つらい体験を語る声に向き合い、社会全体で考える必要がある。それぞれが自らの問題と受け止め、少数者を排除しない地域、社会をつくるための行動につなげたい。


 この裁判の目的は、患者家族が、「産んでくれた親を憎んだり、疎ましいと思うほど深刻な被害はない。そういう被害を明らかにすることで家族が被害から解放され、乗り越えていける」ためであることを、まず最初に理解しなければならない。
 そして、このことを本当に意味で達成させるためには、「01年の熊本地裁判決で国は断罪されたが、裁かれていないのは私たちの社会。それは法律家、医学界、マスコミ、教育界、そして地域の人たち。この裁判で裁かれるべきは私たち一人一人ではないか」(徳田弁護士)、ということを私たち自身に、刻み込まなければならない。


 以下、毎日新聞、南日本新聞、西日本新聞、京都新聞、信濃毎日新聞の引用。








毎日新聞-家族集団提訴 隠れず生きたい-2016年2月16日


 患者本人同様、深刻な差別を受け続けたことを知ってほしい−−。ハンセン病元患者の家族59人が15日、初の集団国家賠償訴訟を起こした。元患者への賠償を命じた熊本地裁判決(2001年確定)の後も顧みられることがなかった家族の被害。損害賠償請求期限の20年を目前にして、ようやく重い口を開き、尊厳の回復に向けて立ち上がった。

 原告・弁護団は15日午後3時前、原告団長で元九州産業大教授の林力さん(91)ら原告3人を先頭に緊張した面持ちで列を作って熊本地裁に入った。

 「被告は国だが、問われるべきは誰なのかを皆さんと一緒に考えたい」。提訴後の原告・弁護団の記者会見で弁護団の徳田靖之共同代表は、そう切り出した。「01年の熊本地裁判決で国は断罪されたが、裁かれていないのは私たちの社会。それは法律家、医学界、マスコミ、教育界、そして地域の人たち。この裁判で裁かれるべきは私たち一人一人ではないか」と問いかけた。

 「産んでくれた親を憎んだり、疎ましいと思うほど深刻な被害はない。そういう被害を明らかにすることで家族が被害から解放され、乗り越えていけるように多くの方に裁判へ参加してほしい」と呼びかけた。

 林さんは国の不当な隔離政策を批判し、ハンセン病に対する正しい知識が共有されるよう「訴訟を通じてハンセン病の歴史や現状、課題を明らかにしてほしい」と訴えた。【井川加菜美、柿崎誠】

「幸せと思ったことなかった」

実名を公表し記者会見 原告・原田信子さん(72)

 父親がハンセン病患者だった原告の原田信子さん(72)=岡山市=は、8歳の時に見た消毒剤の白さが目に焼き付いている。当時住んでいた北海道の港町の自宅に保健所の職員が押し掛け、近所の人が見守る中、家は消毒剤だらけにされた。父親はそのまま青森県の国立ハンセン病療養所へ。父親の布団などは山で燃やされた。

 その日から周囲の目は一変した。近所付き合いは一切なくなり、母親は水産加工場を解雇された。行商を始めたものの、その日の食べ物にも困り、畑でジャガイモを拾うなどして飢えをしのいだ。学校では同級生が「寄るな」「腐る」とののしった。掃除でバケツに雑巾を浸せば「(ハンセン病が)うつる」と水を捨てられた。

 中学卒業後、飲食店で働き知り合った男性と結婚したが、穏やかな日々はつかの間だった。夫は酒に酔うたびに父親を引き合いに出して暴力をふるった。「お前の父親の病気が会社に知られたら出世できない」。殴られ、歯が折れたことも。長男が成人するのを待って離婚した。

 父親は2001年2月、亡くなった。「あんたの病気のせいで私がいじめられる」。療養所を訪ね、そう言ってつらく当たったことを後悔した。帰宅した遺骨を、他界していた母親と同じ墓に納めた。「結婚生活も短かったからこれから2人離れないで」

 熊本地裁が元患者への賠償を国に命じたのは、その年の5月。何かが変わったような気がして、友人に父親がハンセン病患者だったことを打ち明けた。だが連絡は途絶えた。「やっぱり話しては駄目なんだ」。友達をつくることをあきらめた。

 「幸せだと思ったことはあまりなかった。泣いていることが多かったから」。72年間の人生を振り返る。あえて実名を出して臨んだ提訴後の記者会見。涙ぐみながらも、こう訴えた。「裁判を通じて小さい頃から差別と偏見を受けてきたことを知ってほしい。ずっと小さくなって生きてきたが、これからは隠れず生きていきたい」【井川加菜美】


南日本新聞社説-[ハンセン病訴訟] 社会の差別も問われる-2016年2月17日


 国のハンセン病強制隔離政策によって患者本人だけでなく、家族も深刻な偏見や差別を受けたとして、鹿児島県などに住む元患者の家族59人が、国に謝罪と損害賠償を求め熊本地裁に提訴した。家族の集団訴訟は初めてである。

 ハンセン病は感染力の弱い感染症だが、かつて「天刑病」などと恐れられた。ひとたび家族に患者が出ると、一家が社会から厳しい仕打ちを受けた。

 発病を隠しても、やがて学校や職場に知られ、進学や結婚を断念した人も多い。苦しみのあまり、親など患者を恨んだ人もいた。

 そうした悲劇の背景にあったのが国の強制隔離政策である。

 原告59人は国に約3億5000万円の賠償を求めた。その大半は匿名で裁判に臨まなければならなかった。国は差別を恐れる現実に目を向け、救済を急ぐべきだ。

 問われているのは国だけではない。過酷な政策を許し、差別に加担してきた私たちの社会そのものでもあろう。

 戦前、特効薬が開発されたのに、強制隔離の根拠の「らい予防法」が廃止されたのは1996年だった。元患者らが、国に賠償を求めた2001年の熊本地裁判決は隔離政策を違憲と断じた。

 その後、国から遺族にも一時金が支払われたものの、元患者の被害を償うもので、遺族自身の被害は対象外だった。

 「私は幼少時に両親から引き離され、ひとりぼっちになってしまった。(今の枠組みでは)私自身は(隔離政策の)被害を受けていないことになっているが、そんな理屈が成り立つのか」

 原告団副団長で尼崎市の60歳の男性が訴えている。国も社会も真摯(しんし)に耳を傾けたい。

 72歳の女性原告は北海道で、ハンセン病の父親が隔離された65年前の様子を覚えている。

 「保健所の職員が、家の中を雪が降ったかのように真っ白になるまで消毒した。父の布団や着物も裏山で燃やされた」

 1930~50年代に、全国で進められた強制隔離政策「無らい県運動」の一こまである。

 家の徹底消毒や衣類などの焼却が、ハンセン病への恐怖と差別を助長したことは間違いない。

 国の政策とはいえ、強制隔離に関わった保健所を所管する都道府県や、警察などもあらためて反省する機会としたい。

 鹿児島県内では、星塚敬愛園と奄美和光園に計190人の元患者が暮らす。全国では計1622人で、平均年齢は84.3歳という。子どもやきょうだいらが救済されるのか。静かに見守っている。


西日本新聞社説-ハンセン病救済 国の幕引きは許されない-2016年02月17日


 ハンセン病の隔離政策はまさに「誤った国策」だった。にもかかわらず、その救済はいまだ不十分と言わざるを得ない。積み残された重い課題に社会全体が向き合うことを求める提訴でもある。

 元患者の家族らが国に謝罪と損害賠償を求める初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。隔離政策による差別や偏見の被害は患者本人だけでなく、子どもやきょうだい、配偶者にも及んだ-との主張だ。

 ハンセン病関連の被害は「人権を根こそぎ奪う」という言葉で表現されることがある。患者は強制的に療養所へ収容され、家族も日常生活に加えて教育、就職、結婚など人生のあらゆる場面で過酷な差別にさらされたからだ。

 さらに悲劇的なのは、患者となった肉親を憎んだり、恨んだりして家族そのものが崩壊に至ったケースも少なくないとされる点だ。基本的に元患者本人を補償対象としている現行制度は、被害の全面的な救済につながらないことは明らかだといえるだろう。

 今回の原告は37~92歳の59人で来月には第2陣が提訴し、全国から参加する原告総数は100人を超える見通しという。それでも事実を隠し、声を潜めて生きる人々の一部にすぎない。それだけ根の深い偏見が依然、この社会に残っていることを直視すべきだ。

 原告たちがこの時期に提訴へ踏み切った理由は何か。それは隔離政策の根拠だった「らい予防法」廃止から3月末で20年となり、民法の規定で損害賠償請求権が消滅するためだ。このままでは国にハンセン病問題の幕引きを許してしまいかねないとの危機感がある。

 厚生労働省は補償金を受け取れる元患者が期限内に手続きを行えるよう都道府県に周知徹底を要請した。元患者すらまだ受給していない人が多数いるという。とても幕引きなどできる状態ではない。

 国は今回の提訴による司法判断を待つまでもなく、ハンセン病被害救済を総合的に見直すべきだ。名乗り出ることすらできない被害者に救いの手が届くよう、社会全体の問題として考えていきたい。


京都新聞社説-ハンセン病提訴  家族にも被害、救済急げ-2016年2月17日

 国によるハンセン病強制隔離政策のため、患者本人だけでなく家族も深刻な偏見や差別を受けたとして、元患者の家族59人が国に謝罪と損害賠償を求める訴訟を熊本地裁に起こした。家族の被害をめぐる集団訴訟は初めてという。
 国の誤った政策が被害を拡大させた結果といえよう。早急に救済策を検討しなければならない。
 隔離政策の根拠になった「らい予防法」は1996年に廃止された。元患者が国を相手に起こした訴訟では、政策の違憲性を認め、損害賠償を命じた熊本地裁判決が2001年に確定した。その後、国は元患者らに謝罪し、ハンセン病補償法や和解合意によって、元患者や遺族には500万~1400万円の補償金が支給された。
 「らい予防法」廃止から今年3月末で20年となり、民法の規定で損害賠償請求権が消滅することから、厚生労働省は期限内に請求手続きをとるよう、対象者に呼びかけている。しかし、療養所への非入所者を中心にまだ請求していない人が多数いるとみられ、偏見や差別の根深さをうかがわせる。
 ただ、これまでの補償金はあくまで患者本人に対するもので、遺族に相続権はあるが、家族自身の被害に対するものではない。
 今回の提訴で、原告は隔離政策で助長された偏見、差別を受け、結婚や就職などの際、患者の家族であることを隠して生きざるをえなかったなどと訴えている。
 家族自身の被害については、母親が患者だった男性遺族1人が鳥取地裁に起こした訴訟がある。
 昨年9月の判決は、原告に対する国の損害賠償は認めなかったものの、一般論として「国は、患者の子どもに対する社会の偏見を排除する必要があったのに、相応の措置を取らなかった点で違法だった」との判断を示している。
 01年の患者本人に対する熊本地裁判決では、当時の小泉純一郎首相が控訴断念を決断し、最終的に国は裁判所の和解勧告を受け入れた経緯がある。
 家族が、患者と同様に受けてきた長い苦しみを考えれば、国は補償に踏み切るべきだ。
 昨年5月に公開された映画「あん」は、元患者の女性が人間としての尊厳を失わずに生きようとする姿を描き、偏見と差別の問題を鋭く指摘した。現在も全国でアンコール上映が続いている。
 ハンセン病をめぐる人権問題は過去のものではない。今なお続く重い課題であることを、あらためて確認しておきたい。


信濃毎日新聞社説-ハンセン病訴訟 家族の苦しみに向き合う-2016年2月17日

 ハンセン病の元患者の家族たちが国に賠償と謝罪を求める訴訟を起こした。長年にわたる強制隔離政策などによって、患者本人だけでなく家族もまた、根深い差別や偏見にさらされてきた。その苦しみに正面から向き合う司法判断を求めたい。

 家族の被害をめぐっての集団訴訟は初めてである。弁護団が全国から原告を募り、今回の熊本地裁への提訴には59人が加わった。3月に予定する第2陣を含め原告は100人を超す見込みだ。

 結婚、就職をはじめさまざまな面で、家族は理不尽な仕打ちを受けてきた。周囲の目を恐れて、今も名乗り出ることをためらう人は多い。原告になった人も、大半が名前や顔を出せずにいる。その現実を重く受け止めたい。

 実名を公表した岡山市の原田信子さん(72)は自らの体験を初めて明かした。父親が隔離されたのは8歳のころ。学校で「汚い」とののしられ、母親は勤め先を辞めさせられた。2人で死のうと何度も言い合ったという。

 「つらい思いを抱えて死にたくなかった。これからは隠れずに生きていきたい」。原田さんの訴えに、ハンセン病をめぐる問題がいまだ解決には遠いことを再認識させられる。

 戦前に始まった強制隔離政策は戦後も維持され、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで続いた。元患者への賠償を国に命じる熊本地裁判決が2001年に確定し、元患者と遺族には一時金が支給されている。

 09年に施行されたハンセン病問題基本法は、元患者の生活保障や名誉回復措置を国に義務づけた。ただどちらも、家族の被害は救済の対象になっていない。

 予防法の廃止から20年になる。弁護団などの支援で声を上げることができた人たちの背後に、なお表に出られない多くの家族の存在がある。原告に限らず、家族の被害回復に向け、国は施策や制度の整備に踏み出すべきだ。

 国の責任とともに忘れてはならないことがある。かつて患者を療養所に送り込んだ「無らい県運動」は住民の協力なしには進まなかった。隔離政策が戦後も50年以上にわたって続いたのは、社会の大多数の人々の無関心や暗黙の了解があったからにほかならない。

 それをどう克服していくか。つらい体験を語る声に向き合い、社会全体で考える必要がある。それぞれが自らの問題と受け止め、少数者を排除しない地域、社会をつくるための行動につなげたい。


by asyagi-df-2014 | 2016-02-24 06:30 | ハンセン病 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧