沖縄-沖縄タイムス特集【誤解だらけの沖縄基地】を読む(12)。

 沖縄タイムスの特集、「誤解だらけの沖縄基地」(12)を考える。
 第12回目は、「普天間飛行場はいつから「世界一危険」に?」、ということについて。
 沖縄タイムスは、次のように報告する。


 
(1)普天間の経過
①普天間飛行場は1945年の沖縄戦で米軍が占領、接収し、陸軍工兵隊が本土決戦に備え、滑走路を建設したことに始まる。
②施設管理権は57年4月に陸軍から空軍、60年5月に空軍から海兵隊へ移った。59年7月には海兵隊のヘリコプター中隊が先行して、普天間に移駐されたという新聞記事が残る。
③61年から普天間飛行場で物資補給係として働いていた崎浜秀松さん(79)は、幾つかの部隊が混在し、4、5カ所の格納庫にヘリコプターや固定翼機が入っていたことを覚えている。一方、周辺の高校生が基地内で部活動の練習に励むなど「軍事施設とは思えない牧歌的な感じがあった」と懐かしむ。60年代は、今よりもはるかに飛行が少なかったと記憶する。
④当時の米国内での普天間の位置付けについて、近畿大学講師の川名晋史さん(36)が公文書を入手し、明らかにした。68年12月の段階で、米国防総省が閉鎖を検討していたというのだ。川名さんによると、69年の普天間所属機はヘリ4機、固定翼16機。海兵隊航空機は朝鮮半島有事の際、到着までに時間がかかり、同省は「決定的な役割を果たせない」と分析していた。
⑤ところが69年9月、首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリを普天間に移設する計画に修正。普天間閉鎖は日の目を見ずに消えた。逆に69年11月から、第1海兵航空団第36海兵航空群の拠点施設となり、70年以降、ヘリ80機、固定翼26機に増強されたという。
⑥2003年11月に上空から視察した当時のラムズフェルド米国防長官が「世界一危険な米軍施設」と指摘した。
⑦その後、嘉手納の補助飛行場として滑走路が整備され、航空機誘導用レーダーや格納庫が新設されるなど機能強化が進んだ。
(2)普天間の位置づけ
①68年6月に福岡県板付所属のF4戦闘機が九州大学構内に墜落するなど、本土の反基地感情が高まっていたことが背景に重なる。川名さんは70年安保を前に「首都圏から基地を遠ざけるために沖縄の基地が収容場所になった」と考える。
②宜野湾市の基地政策部長を務めた山内繁雄さん(64)は、政治的な事情で普天間に機能を押し付け、重要性が増すうちに返還できず、固定化したと憤る。
 「海兵隊の一体運用は後付けの都合のいい解釈ではないか。辺野古新基地は普天間より機能が強化されるので、米軍は簡単に手放さず、固定化されかねない」


 普天間基地の課題・問題は、辺野古新基地建設がもたらす問題を、より大きくして浮かび上がらせる。


 以下、沖縄タイムスの引用。








沖縄タイムス-【誤解だらけの沖縄基地】(12)普天間飛行場はいつから「世界一危険」に?-2016年2月8日 10:35


 米軍普天間飛行場の危険性の除去は、誰もが認める喫緊の課題だ。

 2003年11月に上空から視察した当時のラムズフェルド米国防長官が「世界一危険な米軍施設」と指摘した、その原型はいつごろ出来上がったのだろうか。

 普天間飛行場は1945年の沖縄戦で米軍が占領、接収し、陸軍工兵隊が本土決戦に備え、滑走路を建設したことに始まる。

 施設管理権は57年4月に陸軍から空軍、60年5月に空軍から海兵隊へ移った。59年7月には海兵隊のヘリコプター中隊が先行して、普天間に移駐されたという新聞記事が残る。

 61年から普天間飛行場で物資補給係として働いていた崎浜秀松さん(79)は、幾つかの部隊が混在し、4、5カ所の格納庫にヘリコプターや固定翼機が入っていたことを覚えている。

 一方、周辺の高校生が基地内で部活動の練習に励むなど「軍事施設とは思えない牧歌的な感じがあった」と懐かしむ。60年代は、今よりもはるかに飛行が少なかったと記憶する。

 当時の米国内での普天間の位置付けについて、近畿大学講師の川名晋史さん(36)が公文書を入手し、明らかにした。68年12月の段階で、米国防総省が閉鎖を検討していたというのだ。

 川名さんによると、69年の普天間所属機はヘリ4機、固定翼16機。海兵隊航空機は朝鮮半島有事の際、到着までに時間がかかり、同省は「決定的な役割を果たせない」と分析していた。

 ところが69年9月、首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリを普天間に移設する計画に修正。普天間閉鎖は日の目を見ずに消えた。逆に69年11月から、第1海兵航空団第36海兵航空群の拠点施設となり、70年以降、ヘリ80機、固定翼26機に増強されたという。

 68年6月に福岡県板付所属のF4戦闘機が九州大学構内に墜落するなど、本土の反基地感情が高まっていたことが背景に重なる。川名さんは70年安保を前に「首都圏から基地を遠ざけるために沖縄の基地が収容場所になった」と考える。

 その後、嘉手納の補助飛行場として滑走路が整備され、航空機誘導用レーダーや格納庫が新設されるなど機能強化が進んだ。

 宜野湾市の基地政策部長を務めた山内繁雄さん(64)は、政治的な事情で普天間に機能を押し付け、重要性が増すうちに返還できず、固定化したと憤る。

 「海兵隊の一体運用は後付けの都合のいい解釈ではないか。辺野古新基地は普天間より機能が強化されるので、米軍は簡単に手放さず、固定化されかねない」(「沖縄基地」取材班)


by asyagi-df-2014 | 2016-02-11 05:50 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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