本からのもの-無意識の植民地主義民者へ-日本人の米軍基地と沖縄人

著書名;無意識の植民地主義-日本人の米軍基地と沖縄人
著作者:野村 浩也
出版社;お茶の水書房


 野村浩也さん(以下、野村とする)は、自らのスタンスを次のように規定する。

「わたしは、まずは日本人に対する批判を優先することにしている。沖縄人が直接闘うべき相手は、沖縄人アンクル・トムという被植民者ではなく、日本人という植民者なのだから。ただし、その理由は、日本人が植民地主義を行使することによって一方的に沖縄人にに敵対していることにある。そもそも沖縄人は、だれとも敵対してはいないのだから。」


 この本における野村の主立った論旨は、すでに、「植民者へ」の感想のなかで、触れている。
 もちろん、私が考えなければならいことは、植民者としての自覚はあるのかどうなのか、ということである。
 ただ、その前に、野村の主張する「沖縄人に米軍基地が押しつけられた理由」、「日本人の植民地主義」、については押さえておく必要がある。
 最初に、「沖縄人に米軍基地が押しつけられた理由」について、野村は、新崎盛暉を引用する。


 「アメリカは、沖縄を日本から分離し、自らの施政権の下に置いた。それは、沖縄の米軍基地が、日本本土の米軍基地とは異なる役割を担わされていたからである。/その役割とは、核兵器の持ち込みや戦闘作戦行動の自由を保障し、日本、韓国、フィリピン、台湾などの米軍基地の一体化した機能を確保するというものであった。旧安保条約下では、日本の基地でも、そうしたことができなかったわけではない。しかし、それは当然国民の反発を買う。国民の反発を抑えて、日本政府がアメリカの軍事政策に同調すれば、政権交代を招く可能性もある。そうなれば、日米安保条約の維持そのものがむずかしくなる。しかし、アメリカが支配権を握っている沖縄ならば、住民の抵抗を弾圧しながらでも、基地は自由に使用できるというわけである。」


 このことを、野村は、「米軍基地を日本に置いておくと、政権を維持することができないがゆえに、日米安保条約を維持することもできなかったというわけだ。政権を維持することによる日米安保保障条約の維持のために、日本の米軍基地を沖縄人に押しつけたというわけだ。そのために、日本の米軍基地は、沖縄へとつぎつぎに移されていったのである。ほとんどの日本人は、沖縄人への基地の押しつけであれば何らの罪悪感もいだくことがなかったのであり、沖縄人に米軍基地を押しつけているかぎりにおいて、安保条約は安泰だったというわけだ。」、と「沖縄人に米軍基地が押しつけられた理由」について指摘する。
 続けて、新崎盛暉を引く。


 「その後も、日本の米軍基地が減りつづける一方で、沖縄の米軍基地はといえば、強化されることはあってもほとんど減ることはなかった。『七二年沖縄返還をはさむ数年間で、日本本土の米軍基地は約三分の一に減少したが、沖縄の米軍基地は数パ-セントしか減らなかった。すなわち、旧安保条約の改定過程におけると同様、沖縄返還に際しても、沖縄に基地を集中させるかたちで、日本全体の米軍基地の整理統合が行われたのである』」


 このことを、野村は、「いいかえれば、日米安保は、日本の米軍基地を沖縄に移転・集中させ、沖縄人に押しつけることによって維持されてきたのである。逆にいえば、米軍基地を日本に置いたままであったなら、日本人は、政権交代はおろか安保廃棄を選択していたかもしれないのである。」、と言い当てる。
 そして、野村は、「米軍基地の日本への移転が現実味を帯びたとき、日本人は、日米安保の是非についてはじめて真剣に考えはじめることであろう。それもまた、日本人が沖縄人との連帯を実現していくためのひとつの方法である、.同時に、日本人が植民地主義をやめるためのひとつの方法であり、植民者でなくなるための方法のひとつである。」、と。
 この本の刊行の二〇〇五年から十一年経過した今、この野村の指摘は、より大きな意味と可能性をもつ。

 次に、「日本人の植民地主義」について、野村は、國政美恵の説明を引用して次のように定義づける。


「1%の沖縄県民に七五%の在日米軍基地、これは沖縄はヤマトの二九七倍の負担を強いられていることになる。私一人で、二九七人分の日本国民の負担を請け負わされていることになる。四人家族(赤ちゃんであっても)なら一二〇〇分。理不尽だと思いませんか」 つまり、日本人は、きわめて理不尽な負担を一方的に強要することによって、沖縄人を差別しているのである。そして、米軍基地の負担を過剰に強要する差別によって沖縄人を搾取し、負担から逃れるという利益を奪取すると同時に日本人だけのわがままな安楽を貪欲にむさぼっているのだ。このような具体的な差別や搾取をはじめとする日本人の行為を示す概念として、植民地主義ほどふさわしい概念はない。」


 また、野村は、運動体に属する側から出される「沖縄との連帯」ということについて、次のように指摘する。


「日本人は沖縄人と連帯しているのではなく、まったく反対に、孤立させているのだから、基地を押しつけることによって沖縄人を孤立させている張本人が、わざわざ沖縄までやって来て、厚顔にも沖縄人に向かって連帯を叫ぶという不条理、彼/彼女らのような日本人は、基地を日本に持ち帰るために沖縄にやって来るのではない。あくまで連帯を叫ぶためにやって来る。連帯を叫んで満足したら基地を残してさっさと日本に帰っていく。・・・このような日本人の行為は、『沖縄人だけ死んでくれ』と言っているようなものではないのか。あるいは、沖縄人だけ死ぬかもしれないということに連帯しているようなものではないのか。以前、わたしは、死を招く米軍基地を沖縄人に押しつけておきながら、『沖縄との連帯』を叫ぶ日本人の行為を、『死の連帯』と名づけた。」


 さらに、國政美恵の文章を、引く。


 「ヤマトに住んでいる人の中にも沖縄のことを一生懸命やってくれる人がいる。その人に対して失礼だと言われることがある。一生懸命何かをしているのかもしれないけれど、六〇年てっても何もよくならないのはどうして?私は思う。ヤマトで一生懸命やっているという人たちに遠慮して、『沖縄にある米軍基地をヤマトにもっていって!』と沖縄側から言えなくなっているのではないだろうか。逆に言うなら、ヤマトにもっていけと言えなくするために(意識があるなしにかかわらず)、ヤマトは沖縄と連帯しているのではないだろうか。」


 確かに、「沖縄にある米軍基地をヤマトにもっていって!」と、この当たり前のことを、沖縄人が言える場を作り上げてきたのかというと、このことを意識の面でも、 運動の面でも、できてはいない。
 私自身に関して言えば、現在の沖縄の状況が、より追い込まれたしまった結果として、少しづつ気づかされてきたのでしかない。


 さて、「沖縄人に米軍基地が押しつけられた理由」と「日本人の植民地主義」の二つを把握したうえで、それでは、 私自身の植民者としての自覚はどうなのか、ということについてである。
野村が、日本人の主張として引用した「け-し風」第一九号(一九九八年)に掲載された西智子さん(以下、西とする)の文章を再掲する。


 「『県外移設』主張に、『痛みを担うべき』がよく出る。誰に対して言っているのかを、主張する側は明確にすべきだ。私たちが闘うべき相手は誰なのか。そして一緒に闘ってきた人たちは誰なのか。違いテ-マの運動でも、(例えば、原発、HIVの薬害感染、廃棄物、先住民族アイヌ、在日韓国朝鮮人、女性差別等)、根っこのところ(敵)は共通している。『県外移設』を打ち出すとき、この人たちとの連帯はどうなるのか。この人たち自身の運動を追い詰めることになるのではないか。ここ(沖縄)もあっち(ヤマト)も状況が変わらないのは、圧倒的な力でそれをねじ伏せているものがあるからだ。/そして矛先は沖縄の運動自体にも向かうだろう。『県外移設』で誰が得をするのか、痛みを知れば、全国的な反基地運動に展開していくだろうか。移設された地域の人たちと、移設を主張した沖縄の人たちはつながれるだろうか。『宜野湾にいらないものは、名護にいらない。沖縄のどこにもいらない』。その先が『県外移設』なら、私たちがやろうと願っているものは、平和運動ではなく基地移設運動でしかなくなる。/沖縄の運動は、『沖縄戦の体験から戦争が平和を作るものではない。戦争につながる基地はいらない』という筋の通った平和への根本的な願いだったはずだ。立場を越えて一貫していたからこそ、大きな力になっていたはずだ。『県外移設』議論は大いにやるべきである。しかし、運動がそこで分裂し、減速して喜ぶのは、日本政府と米国政府だけだ。/『痛みを担う』論で言うのであれば、沖縄も原発も産業廃棄物も公害を垂れ流す工場も担うべきだと言われたらどうするのだろう?逆に言えば、他の問題に取り組むひとびとの痛みを、どれぐらい沖縄の運動、そして社会の根底で共有してきたかということになるだろう。/これまでの運動への深い洞察と反省、そして今後構築したい社会像(平和という地域に限らず)抜きに、『県外移設』を主張することは非現実的対応である。」


 この西の主張に対して、野村は、次のように明確に反論し、あわせて、日本人としてのあるべき姿を明示する。


「平等を求める沖縄人に、『腹を立て』、『自分の身のほどを忘れ』た『不心得者』として『排斥』しようとしているのではないか。」

「『県外移設』の主張とは、在日米軍基地の平等な負担を提案しているに過ぎない。したがって、この提案に反発するということは、沖縄人との平等に反発しているのであり、平等という当然の権利を要求する沖縄人に逆ギレしているのである。」

「換言すれば、沖縄人に基地を押しつけることによって、日本人は、『戦争につながる』行動をとりつづけているのである。」

「日本人が、『戦争につながる基地』の押しつけをやめるための確実な方法こそ、基地を日本に持ち帰ることなのだ。このように基地を日本に持ち帰って平等に負担する責任をはたそうとすることは、日本人が、『戦争につながる』行為をやめていくための不可欠のプロセスなのである。」

「基地の日本への移転という平等化のための行為を、逆に、連帯を破壊する行為としか認識できない場合が多い。平等化への行為を日本人に被害をおよぼす行為としか認識できないがゆえに、たとえば、『移設された地域の人たちと、移設を主張した沖縄の人たちはつながれるだろうか』などと反発してしまうのだ。だが、沖縄人に基地を押しつけることによって、日本人は、沖縄人とのつながりをみずから断ち切ってきたではないか。沖縄人との連帯を破壊しているのはそもそも日本人の方なのに、日本人が沖縄人ととながるためには、このような日本人自身の現実を変革する以外に方法はない。」

「日本への基地移転によって、『痛み』を担ってはじめて日本人は沖縄人とつながることができるといえよう。ここで重要なのは、日本人が、『痛みを担うべき』なのは日本人こそが『痛み』の原因にほかならないからだということである。『痛み』の原因たる日本人には、『痛みを担うべき』責任があるのだ。『痛みを担うべき』なのは、『痛み』をつくりだした責任があるからだ。そして、他者に『痛み』を押しつけた者には、『痛み』を除去する責任がある。日本人には、沖縄人に押しつけた『痛み』を、みずからの手で引き取る責任があるのだ。この責任をはたすことは、日本人が、植民者としてではなく、対等な人間として、沖縄人とつながる方法である。」

 さて、この西の九八年の主張は、二〇〇五年当時の自分自身の考え方に近いものである。むしろ、自分では、これほど理詰めにはまとめきれないだろうと思えるものでる。
 しかし、二〇一六年にいる私にとっては、「一緒に闘ってきた人たちは誰なのか」、
「痛みを知れば、全国的な反基地運動に展開していくだろうか」、「平和運動ではなく基地移設運動でしかなくなる」、といったこの当時の西の表現には、「異論」を考じざるをえない。
 やはり、二〇〇五年以来の十年という年月が、沖縄の現実がより追い込まれれた状況にあるという事実について、野村の指摘がより真実を突いているということが、私にも痛みの真実を気づかせている。


 野村は、この本を通して、すべての日本人に、「他者に『痛み』を押しつけた者には、『痛み』を除去する責任がある。日本人には、沖縄人に押しつけた『痛み』を、みずからの手で引き取る責任があるのだ。この責任をはたすことは、日本人が、植民者としてではなく、対等な人間として、沖縄人とつながる方法である。」、という日本人としてのあるべき姿を自覚することができるかどうかと、問うているのである。
私自身の植民者としての自覚を考えるとき、私にとって、野村の問いは、優れて重要である。


by asyagi-df-2014 | 2016-01-18 05:44 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧