貧困問題-子どもの貧困-沖縄タイムスから20160101
2016年 01月 02日
2016年1月1日の沖縄タイムスの1面は、辺野古新基地建設ではなく、「ここにいるよ 沖縄子どもの貧困」でした。
実は、貧困問題の解決、特に、子どもの貧困の解消は、日本だけでなく、世界の緊急課題となっています。
本来は、安倍晋三政権が最も集中させなくてはならない政治課題のはずなのです。
しかし、安倍晋三政権の「成長戦略」の中では、いつの間にか片隅に置かれてしまう危険性が高い「課題」になってしまっています。
この間、朝日新聞や毎日新聞も 子どもの貧困を取りあげてきました。
沖縄タイムスが子どもの貧困を、「国内の6人に1人は貧困の子どもたち。働く貧困層が多い県内は、さらに割合が高いと見込まれ、『子どもの貧困』はより身近な問題だ。家庭の事情などで経済的に困窮し、孤立し、夢や可能性を奪われている子どもたちがいる。子どもの実態や背景にある家庭や社会の問題を追い、必要な支援を考える。」として取りあげることは非常に意味のあることです。
さて、「プロロ-グ」と題された第1回目の特集は、次のような子どもの貧困の実態を報告します。
「『千円ちょうだい。お父さんがお金なくて、かわいそうなんだ』。本島中部に住む小学校低学年のタカトは大人に金銭をねだる癖がある。断られると『何だよ、けち』と悪態をつく。
病気がちで働けない父親とアパートで生活保護を受けて暮らす。地域との関わりはほとんどなく、親子2人で過ごすことが多い。」
「子どもの居場所になっている施設に時々、一人で現れる。初めて来た日、空腹のはずなのに、出された食事を半分残した。『お父さんに持って帰ってもいい?』。スタッフが『全部食べて。お父さんのは別に用意するから』と声を掛けると、うれしそうに完食した。幼い心の中に、自身の境遇へのいら立ちと家族への愛情が同居している。」
「イルミネーションが華やかに街を彩る北谷町美浜。午後11時を回ろうというのに中学2年のユウカは家に帰ろうとする気配がない。『帰っても誰もいない。友達と遊んでいたほうが楽しいから』
ユウカが小学3年の時に両親が離婚した。公営団地に母娘2人住まい。母親はユウカの学校が終わる午後5時ごろ、居酒屋の仕事に出て朝方まで戻らない。
ユウカが学校に行く時間には寝ているので、会話はあまりない。たまに話をするときも、母親は何かにいら立っている。
『いつも疲れている。話すと私もいらいらする。私のために働いてくれているのは分かるけど…』」
「返済予定額780万円。大学3年の奨学金説明会で、手渡された明細書を前に、県内の大学に通うユウスケ(23)は頭を抱えた。」
「卒業までの借入額は500万円。これに280万円の利子が付く。」
「返済のため、教師の夢は諦め、県内企業への就職を決めた。入社半年後から毎月3万3千円の支払いが20年間続くことになる。『終わらないマラソンを走るような気分。人並みに結婚して家族をつくれるのかな』。暗い表情でつぶやいた。」
「キョウコ(39)は15歳の時、ホームレスになった。継父の暴力から逃れるために家を飛び出し、約1年を公園で過ごした。キョウコの子どものころの記憶には、飢えや痛み、孤独が刻み込まれている。」
「耐えきれずに家を飛び出し、公園で生活を始めたのは高校1年の夏。食事は友人がたまに差し入れてくれるコンビニ弁当か、スーパーで万引した総菜。何も食べられない日もあり、60キロ近くあった体重は40キロ台まで減った。」
「25歳で結婚したが、夫のDVで離婚。今、障がいのある3人の子どもと生活保護を受けながら暮らす。7年前に統合失調症と診断された。学校の成績は悪くなかった。家を出る前、高校の英語の試験で100点を取ったり、数学の特別クラスに選ばれたりした。18歳のころには、高校か専門学校で学び直したいと母親に相談したが『経済的支援はできない』と言われ、諦めた。向上心はいつも厳しい現実を前にしおれていった。
『親もそうだし、近所の人、学校の先生、私には関わってくれる人がいなかった』と振り返って思う。」
「今、社会の無関心がさらに広がっているように感じる。子どもたちの未来を考えると不安が募る。塾や部活動など、子どもにいろいろな体験をさせてあげたいが金銭的にできないことへの歯がゆさもある。
『子どもには、親以外にも関わってくれる人や居場所が必要』と力を込めた。」
このプロロ-グのまとめとして、濱里正史県就職・生活支援パ-ソナルサセンタ-サポ-ト南部センタ-所長の意見を掲載した。これを要約する。
【子どもの貧困についての考え方 】
①子どもの貧困には「経済的な貧困」と社会的に孤立する「関係性の貧困」がある。何らかの要因で、その子がもともと持っている可能性や潜在力を発揮できない状況ともいえる。
②貧困が世代間で連鎖している場合、本人の力だけで抜け出すのは至難の業だ。自己責任論では解決しない。
③医療分野では早期発見・治療が常識。就学前など、早い段階での予防的支援が重要になる。一人一人の状況に合わせたサポートが大切。父母を支援しながら、子どもの置かれた環境をトータルで援護していくことが必要だ。
④たとえ家庭に問題があっても、社会やほかの大人に助けられた経験があれば、人を信じ、SOSが出せるようになる。
【沖縄社会の現状】
①貧困がすぐ隣にあるのが、沖縄社会だ。平均賃金は全国の7割で物価は9割。賃金に比べ生活にかかる費用が高く、暮らしにくい。長時間労働やダブルワークで生活をぎりぎり維持している層が多いので、病気やけが、離婚などのきっかけで、すぐ貧困に陥る。
②戦後復興の在り方、産業構造に問題がある。多様な地場産業が育たず、第三次産業に偏っていて単調だ。
③沖縄の中南部は114万人が住む「都市社会」。沖縄戦でもともとの地域コミュニティーも破壊された。ユイマールがあるから何とかなる、という甘い状況にはない。
社会にはさまざまな適性をもった人がいるので本来、いろいろな仕事がある方がいいが、選択肢が少ない。子どもの貧困支援の先には、多様な人材を受け入れる社会をつくるという最終目標がある。
【何が必要なのか】
①社会にはさまざまな適性をもった人がいるので本来、いろいろな仕事がある方がいいが、選択肢が少ない。子どもの貧困支援の先には、多様な人材を受け入れる社会をつくるという最終目標がある。
②人工的、意識的に、新しい相互扶助の仕組みをつくらないと、貧困の問題は解決しない。子ども食堂など、問題に気付いた人たちが少しずつ動いてきているが、もっと広い層に問題を意識してもらう必要がある。
③行政として、子どもの教育や福祉に金をかけることは沖縄社会をより良くするための先行投資になる。10年、20年後に活躍する人が増えれば、税収が上がり、全般的に人材が底上げされ、企業にも力が出る。
知事が先頭に立ち、子どもの貧困問題を県民運動にしてほしい。
以下、沖縄タイムスの引用。
沖縄タイムス-【ここにいるよ 沖縄 子どもの貧困】「千円ちょうだい」 働けぬ病の父、気遣う男児-2016年1月1日 05:01
「千円ちょうだい。お父さんがお金なくて、かわいそうなんだ」。本島中部に住む小学校低学年のタカトは大人に金銭をねだる癖がある。断られると「何だよ、けち」と悪態をつく。
病気がちで働けない父親とアパートで生活保護を受けて暮らす。地域との関わりはほとんどなく、親子2人で過ごすことが多い。母親が夜働いて生計を支えていたが、4歳のとき両親が別居し、父に引き取られた。母や父親違いの兄とは長く会っていないが、「別に寂しくない」と強がってみせる。
運動会は弁当を作ってもらえず、午前中で早退した。保育園時代も弁当の日は登園しなかった。学校は休みがちで、徐々に学習についていけなくなっている。
子どもの居場所になっている施設に時々、一人で現れる。初めて来た日、空腹のはずなのに、出された食事を半分残した。「お父さんに持って帰ってもいい?」。スタッフが「全部食べて。お父さんのは別に用意するから」と声を掛けると、うれしそうに完食した。幼い心の中に、自身の境遇へのいら立ちと家族への愛情が同居している。
▽夢描けぬ中2の夜
イルミネーションが華やかに街を彩る北谷町美浜。午後11時を回ろうというのに中学2年のユウカは家に帰ろうとする気配がない。「帰っても誰もいない。友達と遊んでいたほうが楽しいから」
ユウカが小学3年の時に両親が離婚した。公営団地に母娘2人住まい。母親はユウカの学校が終わる午後5時ごろ、居酒屋の仕事に出て朝方まで戻らない。
ユウカが学校に行く時間には寝ているので、会話はあまりない。たまに話をするときも、母親は何かにいら立っている。
「いつも疲れている。話すと私もいらいらする。私のために働いてくれているのは分かるけど…」
中学生になったころから、朝食が準備されていることはめったになくなった。給食時間になるころには、気分が悪くなるくらいおなかが空いている。
たまに渡される1週間分の食費は千円のときもあれば2千円のときもある。コンビニでパンやおにぎりを買っておなかを満たす。一度だけ、手持ちのお金がなくなり、18歳以上だと偽ってスナックでアルバイトをしたことがある。
今のところ、高校に進学するつもりはない。「お金ないし、勉強は嫌い。何したら稼げるかな」。学校に通ってまでやりたいことはないという。とりあえず、自分にもできる仕事を探すのだと言った。
▽奨学金返済780万円
返済予定額780万円。大学3年の奨学金説明会で、手渡された明細書を前に、県内の大学に通うユウスケ(23)は頭を抱えた。
高校生のころ両親が離婚し、パートで働く母親と2人暮らし。教師になる夢があったが、家計は苦しく、大学は無理だと諦めかけた。恩師から奨学金制度があることを教えられ、進学の道を選んだ。
入学と同時に、有利子の奨学金を借りた。最大額の月12万円。学費と生活費に充て、それでも足りないので、アルバイトを続けた。
卒業までの借入額は500万円。これに280万円の利子が付く。
返済のため、教師の夢は諦め、県内企業への就職を決めた。入社半年後から毎月3万3千円の支払いが20年間続くことになる。「終わらないマラソンを走るような気分。人並みに結婚して家族をつくれるのかな」。暗い表情でつぶやいた。(文中仮名)(「子どもの貧困」取材班・田嶋正雄、松田麗香、比嘉太一)
◇ ◇
国内の6人に1人は貧困の子どもたち。働く貧困層が多い県内は、さらに割合が高いと見込まれ、「子どもの貧困」はより身近な問題だ。家庭の事情などで経済的に困窮し、孤立し、夢や可能性を奪われている子どもたちがいる。子どもの実態や背景にある家庭や社会の問題を追い、必要な支援を考える。
沖縄タイムス-【ここにいるよ 沖縄 子どもの貧困】刻まれた飢えと孤独 公園で暮らした15歳-2016年1月1日 07:10
キョウコ(39)は15歳の時、ホームレスになった。継父の暴力から逃れるために家を飛び出し、約1年を公園で過ごした。キョウコの子どものころの記憶には、飢えや痛み、孤独が刻み込まれている。
両親が離婚し、幼稚園のころ、父親に引き取られた。自営業の父親は毎日のように外で飲み歩き、夜中まで帰ってこない。同居していた祖母が入院すると、独りぼっちになった。
賭け事が好きな父親には多額の借金があった。夕食代を置いていくことはなく、おなかがすいて「何かちょうだい」と隣近所に食べ物を無心して回った。何度か続くと玄関を開けてもらえなくなった。初めての万引は小学1年生だ。
当時のことを思い出すと暗闇に一人、膝を抱えて座っている自分の姿が浮かぶ。
■ ■
4年生のころ、母親が迎えに来てくれた。喜んだが、母親の再婚相手である継父の暴力が待っていた。
継父は、勤めていた会社が倒産してから職を転々とした。家計を支えるため、母親が夜間働いている間に暴力を振るった。
神経質な性格で、お風呂が長い、置物の位置を動かしたなどささいな事で怒り、こぶしが飛んできた。
泣き声や怒鳴り声は近所に聞こえていたはずだが、助けてくれる人はいなかった。
耐えきれずに家を飛び出し、公園で生活を始めたのは高校1年の夏。食事は友人がたまに差し入れてくれるコンビニ弁当か、スーパーで万引した総菜。何も食べられない日もあり、60キロ近くあった体重は40キロ台まで減った。
公園には何かしら家庭に問題のある友人がよく集まった。1年を過ごしたが、近所の人から声を掛けられることはなかった。学校の先生が訪れたこともない。
高校は自主退学となり、16歳で社会に出た。年齢を偽ってスナックで働いたり、季節工や事務員など非正規の仕事を転々とした。
■ ■
25歳で結婚したが、夫のDVで離婚。今、障がいのある3人の子どもと生活保護を受けながら暮らす。7年前に統合失調症と診断された。
学校の成績は悪くなかった。家を出る前、高校の英語の試験で100点を取ったり、数学の特別クラスに選ばれたりした。18歳のころには、高校か専門学校で学び直したいと母親に相談したが「経済的支援はできない」と言われ、諦めた。
向上心はいつも厳しい現実を前にしおれていった。
「親もそうだし、近所の人、学校の先生、私には関わってくれる人がいなかった」と振り返って思う。
今、社会の無関心がさらに広がっているように感じる。子どもたちの未来を考えると不安が募る。塾や部活動など、子どもにいろいろな体験をさせてあげたいが金銭的にできないことへの歯がゆさもある。
「子どもには、親以外にも関わってくれる人や居場所が必要」と力を込めた。
(文中仮名)
(「子どもの貧困」取材班・高崎園子)
沖縄タイムス- 通じない「ユイマール」 子どもの貧困、新たな相互扶助を-2016年1月1日 09:20
子どもの貧困には「経済的な貧困」と社会的に孤立する「関係性の貧困」がある。何らかの要因で、その子がもともと持っている可能性や潜在力を発揮できない状況ともいえる。
貧困が世代間で連鎖している場合、本人の力だけで抜け出すのは至難の業だ。自己責任論では解決しない。
医療分野では早期発見・治療が常識。就学前など、早い段階での予防的支援が重要になる。一人一人の状況に合わせたサポートが大切。父母を支援しながら、子どもの置かれた環境をトータルで援護していくことが必要だ。
たとえ家庭に問題があっても、社会やほかの大人に助けられた経験があれば、人を信じ、SOSが出せるようになる。
貧困がすぐ隣にあるのが、沖縄社会だ。平均賃金は全国の7割で物価は9割。賃金に比べ生活にかかる費用が高く、暮らしにくい。
長時間労働やダブルワークで生活をぎりぎり維持している層が多いので、病気やけが、離婚などのきっかけで、すぐ貧困に陥る。
戦後復興の在り方、産業構造に問題がある。多様な地場産業が育たず、第三次産業に偏っていて単調だ。
社会にはさまざまな適性をもった人がいるので本来、いろいろな仕事がある方がいいが、選択肢が少ない。子どもの貧困支援の先には、多様な人材を受け入れる社会をつくるという最終目標がある。
沖縄の中南部は114万人が住む「都市社会」。沖縄戦でもともとの地域コミュニティーも破壊された。ユイマールがあるから何とかなる、という甘い状況にはない。
人工的、意識的に、新しい相互扶助の仕組みをつくらないと、貧困の問題は解決しない。子ども食堂など、問題に気付いた人たちが少しずつ動いてきているが、もっと広い層に問題を意識してもらう必要がある。
行政として、子どもの教育や福祉に金をかけることは沖縄社会をより良くするための先行投資になる。10年、20年後に活躍する人が増えれば、税収が上がり、全般的に人材が底上げされ、企業にも力が出る。
知事が先頭に立ち、子どもの貧困問題を県民運動にしてほしい。