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2016年を迎えて

 病を得て、命と向き合うことになりました。
 生きるということに、もういいかげん曝す時ではあると。
 生き抜くために、ゆっくり、じっくり、しら真剣に。
 そんな自分の生の一年という区切りの始まりである。


 朝日が差し込んできます。
 不思議な気もします。
 なぜかほのかなぬくもりが感じられると。
 この思いを少しだけ
 向こうに向けて
 歩いて行こうかなと。


 池田浩士さんは、「ヴァイマル憲法とヒトラ--戦後民主主義からファシズムへ-」の中で、「ファシズムが私たちを拘束し縛るとき、それらがとらえ緊縛するのは、私たちの肉体であるとと同時に感性であり情緒であり、その呪縛と魅惑によって奪い去られ抹殺されるのは、私たちの身体的自由だけでなく思考力と批判精神と目覚めた感覚なのです。」と、ファシズムを語りました。
 私自身は、「ファシズムについて知り、ファシズムについて考えるということは、そのような呪縛と魅惑に対する抵抗力と対抗力を私たち自身がともに育てること、しかも思考の中にだけでなくとりわけ感性の基底にそれを育てることにほかならない。」と、その時の読後感を記しました。

 時代というものを考える時、ファシズムについて鋭い洞察力が必要になっていると感じます。
 病は、どうやら、限定的な身体的自由をもたらしてくれました。 
 後は、思考力と批判精神と目覚めた感覚を自分自身の感性の基底部に、問いかける営みを曝し続けることができるかということになります。
 
 向こうにある
 自分ができることへ



by asyagi-df-2014 | 2016-01-01 08:23 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人