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近藤誠氏追悼集会に参加しました。

 2015年12月20日、愛媛県八幡浜市の八幡浜センユチュリ-ホテルイト-で開催された近藤誠氏の追悼集会に、大分から参加しました。
近藤さんは、2015年10月15日に亡くなりになりました。
 実は、亡くなる4日前の10月11日のゲ-ト前伊方集会に病をおして参加し、次のようなスピ-チを遺していてくれました。
 私自身は、生前に一度しか話を聞くことができなかったのですが、近藤誠さんをよく表現されているのではないかと思っています。
 ここで、そのスピ-チを掲載します。なお、その声は、ユ-チュ-ブでも聞くことができます。


 本日は皆さん各地から駆けつけていただきまして本当にありがとうございます。ありがとうございますと言いましても、皆さんとは同じ立場でございます。

 本日、四国電力の皆さんに、先ほどからずっと参加者の多くの皆さんから伊方原発の危険性と地域の安全を何とか守りたい、そのような思いがずっと連綿と語られたと思います。それはまさに私たち地域の住民の同じ願いそのものであります。
 四国電力の皆さんは、いまは残炎ながら、なんとしてでも利益を確保しようと、あらゆるものを無視して邁進しておられますけれども、しかしやはり皆さんの中には、原発の推進に大きな疑問を持った方も私はたくさんおられると、そのように信じております。そのような皆さんとともに、今後、やはり原発なしに暮らしていける、そのような地域、社会づくりをともにぜひ進めていただくことを、地域の住民として述べたいと思います。

 それからもう一言、いま30キロ圏内に四国電力の皆さんが、いわゆる新規性基準に合格したと称する説明書を配っておられる、あるいは郵送しておられます。それを一応私どもも読ませていただきましたけれども、そこには残念ながら、まったく福島事故の再発を防ぐそのような手立てはまったくありません。
 具体的に申し上げれば、耐震設計、地震についても大きなごまかし、トリックを行うことによって、地震、活断層の耐震設計を小さく見せる。このようなことをまったく変えていない。1号路、2号路の安全宣言の大きな誤りを認めることなく、そのままにして、さらに3号路をあなた方は建設した。しかし、現実にそのパンフレットの中にこう書いてあります。基準値震動はあらゆる要素を見て、最大の地震動である。そうちゃんと注釈までついている。しかしその最大の地震動というものをあなた方は、1号路では200ガル、そしてその後、3号路では473ガル、さらに570ガル、そして650ガルと、次々とそのような数字が変わっていきました。それはいかにあなた方が設定していた最大の基準値震動といわれるものが、いかに科学的の根拠のないでたらめなものであった、恣意的なものであるかということを具体的に実証しています。誰が見ても、それは明らかなことです。それにも関わらずあなた方は、それをあたかもですね、科学的なものであるかのようにいまだに装っている。
 残念ながら、あなた方だけが悪いわけでじゃない。それに対する専門委員会、原子力姿勢委員会、すべてがそれを認めている。こういう皆さん一体となった国民騙し、住民騙しのトリックによって、あなた方は強引に手続を進めようとしている。

 さらに具体的にいえば、いちばん最後に誰もがいちばんいま問題としている住民の避難。いざ事故が起きた場合、あなた方はメトルダウンをすると平然と言って、それに対する対策をつくるんだと、つくっていると言っていますが、肝心要のいざそれが起こった場合に住民はどうする。住民はどこに逃げたらいい、どうすれないいい。避難の「避」の字も、今回のあなた方の3号路の説明書のなかには、まったくない。
 つまり、避難については、すべてあなた方は責任を持たない。県も責任を持たない。四国電力は責任を持たない。そして政府は、安倍首相が「国が責任を取る」と言っているが、あの安倍首相の言った言葉は、たんにこれまでの原子力防災計画のなかで、すでに定められた文書の中の言葉を言い換えているだけに過ぎません。
 実際に、先程来から指摘されてきたように、いざ事故になったときに、あなた方はどのように責任を持つことができるのか。安倍やあなた方社員が、いったいどうやって、この膨大な人々が逃げ惑うその状態、そしてその結果について、あなた方はどのような責任を実際自分で取るというのか。それはまったく取れない。誰も取ることはできない。にもかかわらず、それがあたかも取れるかのように、あなた方はいま装い、それを強引に進めようとしている。
 私たちはですね。ぜったいこのようなあなた方のトリックやごまかし、その中でこれかららの生活を営んでいくことは、とてもできません。私たちはなんとしても再稼働を阻止して、そして原発のない社会づくりを私たちは進めていく。また電力会社の皆さんとともに進めていく。それしか、今私たちは、自分たちの子どもを守り、自分たちの子孫を守っていく方法はないと私たちは確信しています。四国電力の皆さんも含めて、私たちは原発をなくす社会づくりをしたいと思います。

 そして安倍政権、これをなんとしても打ち倒す。まったく新たな政権によって、あなた方がこれまでつくってきた、いわゆる安保法、戦争にむかうあらゆる体制をひっくり返していく。私たちはそのことを、それぞれみんなが手を結んで、手を繋いでそれを進めていく。そのことを私たちは皆さんに、はっきりと断言し、宣言したいと思います。以上です。



 追悼集会に配布された文書には、次のように書かれていました。


 反原発運動の先頭で私たちを導いてくださった近藤さんは、10月11日の伊方集会へ、体力と気力を振り絞ってゲ-ト前に来てくださり、素晴らしいメッセ-ジを下さいました。あのあたたかい笑顔にもうお会いすることができないと思うと悲しくて、無念でなりません。40年以上に亘る、途切れることにない反原発の過酷な戦いのご生涯を想い、感謝の思いでいっぱいです。近藤さんのご不在に、途方に暮れ、混乱していますが、近藤さんの思いを繋ぐことに力を尽くしたいと想います。



 大分の佐賀関港から三崎港にむかうフェリ-の中の「近藤さんの話は、そのまま文章になるよな。大分で言えば、松下竜一さんがそうだったよな。」、という話を思い出しながら、追悼集会で献花をしてきました。

 最後に、斎間淳子さんの追悼集会での挨拶は、一瞬にして会場を緊張感で包み込みました。それは、近藤さんの存在の大きさを知って欲しいという斎間さんの声でもあったような気がしました。


 「あなたがたは、近藤さんの意志を継ぐと言うが、本当にそれができるの」


 この言葉に応えて行くには、やはり、「近藤誠さんの意志を継いで」という次の追悼集会での次の宣言を、一人一人が噛み締めていくしかない。


 伊方の地で最期まで反原発を訴え続けた近藤さんは「声をあげ続けないいかんよ。やめたらいかん。」と、ことばを遺されました。伊方原発がつくられるまえから半世紀近くにわたって続く、圧倒的大多数の地域住民の声、願いはひとつです。伊方原発を動かさないで下さい。もうこれ以上、核の被害で苦しめないでください。国や県が原発廃炉を決断するまで、私たちは声を上げ続けます。いま声を上げことができないこれから10万年後に生まれてくる子々孫々のぶんもあわせて何度でも訴え続けます。そしてかならず伊方を止め、廃炉にすることをここに宣言いたします。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-21 12:21 | 連帯を通して-市民運動の場で | Comments(0)

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