沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第36回


沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 
 今回の報告は、かつて無い全県的な枠組みの「オール沖縄会議」の発足について。

 三上さんは、この会を、「決意と尊厳に満ちた集会」と紹介し、「私も歴史的な瞬間に立ち会えた感動を体験した。全国のみなさんには、もはやジリ貧の沖縄でなぜこんなに明るいの?と不思議に思われるかも知れない。だからこそこの大会の空気を動画で伝えたい。
 この日壇上に上がった人たちはみな、『よくここまで来たものだ』とこれまでの歴史を口にした。普天間基地の移設先が辺野古とされてからの18年間のことだ。
 県民の抵抗は1997年初頭に結成された『命を守る会』に始まる。中心となったのは辺野古のお年寄りのみなさん。『戦争中も、海のものを食べて生き延びた。宝の海を残したい』『いざとなれば、海に入ってでも止めます』と毅然とした態度で鉢巻きを締め、どこへでも出かけていった熱血のおばあたち。今、その多くが鬼籍に入られた。」、と報告する。
 また、「沖縄全県の闘いになり、県外からの応援も増えているが、基地の主であるアメリカ軍を退役した元軍人たちが先週から阻止行動に加わっているのも、かつて無かったことだ。」、と。

 もう一つは、アメリカでの退役軍人の団体、「ベテランズ・フォー・ピース」の報告。
 彼らについて、三上さんは、「元軍人が軍という巨大な組織に刃向かうのは相当な勇気がいることだろう。でも元軍人だからこそ、米国国内では平和についての発言に説得力があるのだという。今回は辺野古だけでなく髙江、普天間基地の抗議にも参加し、記者会見にシンポジウムにどん欲に動き回った彼らは、行く先々で沖縄県民の絶大な歓迎を受けた。こんなに頼もしい仲間がアメリカにいる。強力な助っ人が彗星の如く現れた喜びを嚙み締められるのも、18年の粘りが引き出した奇跡だ。」、と。

 そして、「オール沖縄は日本政府の横暴と闘う。しかし『辺野古白紙撤回』はどこからもたらされるか解らない。ベテランズ・フォー・ピース。今後の彼らの発信がアメリカの世論が動くきっかけになれば。そう願わずには居られない。」、と報告を結ぶ。


 以下、三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記第36回の引用。







第36回「オール沖縄会議」結成と反戦退役軍人たち



 「1960年の、祖国復帰協議会設立以来の歴史的な日になる」。ヒロジさんは高揚した表情でそう言った。

 12月14日、辺野古の基地建設に反対するあらゆる市民団体、政党、企業、議員らを網羅した、かつて無い全県的な枠組みの「オール沖縄会議」が発足した。島ぐるみ会議もそこに包含される。ボーリング調査も終盤で年内に埋立ても迫り、日に日に基地建設を阻止する現場の状況は厳しくなっているが、支援体制を強化し国との裁判を闘っていくための強力な母体が誕生した。宜野湾市コンベンションセンターの会場は1300人の県民で埋め尽くされ、この逆境のなかにあっても不思議なほどの拍手と歓声と笑顔、舞台の熱弁を受けて「やさ!(そうだ!)」など会場からのかけ声も絶えず、エネルギーがみなぎっていた。
 決意と尊厳に満ちた集会。ヒロジさんの名演説も炸裂した。私も歴史的な瞬間に立ち会えた感動を体験した。全国のみなさんには、もはやジリ貧の沖縄でなぜこんなに明るいの?と不思議に思われるかも知れない。だからこそこの大会の空気を動画で伝えたい。

 この日壇上に上がった人たちはみな、「よくここまで来たものだ」とこれまでの歴史を口にした。普天間基地の移設先が辺野古とされてからの18年間のことだ。
 県民の抵抗は1997年初頭に結成された「命を守る会」に始まる。中心となったのは辺野古のお年寄りのみなさん。「戦争中も、海のものを食べて生き延びた。宝の海を残したい」「いざとなれば、海に入ってでも止めます」と毅然とした態度で鉢巻きを締め、どこへでも出かけていった熱血のおばあたち。今、その多くが鬼籍に入られた。18年はあまりに長い。しかしそのバトンを受け取った人々が、今の辺野古を支えている。

 そして闘いの原点になったのは、1997年の12月21日に行われた名護市民投票だった。街を二分した激しい票の争奪戦の末に「移設反対」を勝ち取った。この時の名護市民の民意が、今に至るまで礎として横たわっている。その直後に比嘉名護市長が受け入れ表明するという裏切りがあり、ここから事態は迷走してゆく。それでも、あの市民投票でもしも、受け入れの票が上回っていたら、絶対にきょうここまでの闘いを維持できなかっただろう。名護市民の「ノー」があって、それを踏みにじられたところから県民の怒りは正当性を帯びた。名護市民である安次富浩ヘリ基地反対協共同代表も「あの住民投票で名護市民が勝ち取った民意。あの日があるからきょうがある」と結成大会で誇らしげに話した。稲嶺市長になってから、移設の成果と連動する政府の交付金が途絶え、兵糧攻めにあっても、名護市民は稲嶺市政を支えた。たとえ踏みにじられても、市民投票で意志を示したこと、あの日に勝ち取った確かな感触までは奪われない。市民投票は大事な一里塚だった。

 しかしそのあと10年余り、名護市長も容認派に代わり、県知事も軍民共用を条件に受け入れる立場を取り、知事も市長も容認という厳しい年月が流れる。その間に海にやぐらを建ててボーリング調査をする国と、やぐらの上に座り込む人々との1年半に及ぶ壮絶な攻防があった。今思えば、名護市長も県知事も味方してくれない中で、よくも杭の一本も打たせない闘いを貫徹できたものだと思う。今ほど現場の状況を報道してくれる社もなかった。私が所属していた局だけが通い詰めていて「沖縄のアルジャジーラ」の称号を現場から頂いたのもこの時期だった。辺野古が全く全国ニュースにならない、苦しい時期だった。

 そんな中で当初から毎日現場に張り付き、身体を張ってこの海を、島の未来を守ってきた金城祐治さん、当山栄さん、大西照雄さん、土田武信さん、佐久間務さん、久坊さんこと島袋利久さん、そして去年の染谷正國さん・・・。力も人望もあって闘いをリードしてきた方々が、闘い半ばでどんなに無念な思いで旅立たれたか。辺野古闘争の中でずいぶん多くの人を見送ってきたと思う。そのたびに、残されたものたちは遺影を前に涙を拭って「遺志を受け継ぎます」と誓い、歯を食いしばって歩いてきた年月だった。

 そうやって現場から姿を消した人も多いが、今は当時の何倍もの人々が辺野古に関わってくれるようになった。隔世の感がある。去年のオール沖縄の選挙の成功で辺野古反対の翁長知事が誕生。8割の県民の反対を背景に政府と対峙。それを現場で支えようと毎日バスが何台も辺野古来る島ぐるみの闘いに発展した。名護市長も、知事も、本気で反対してくれて、選挙区から選出した国会議員が全員辺野古反対なのだ。よくぞ、ここまで来た。もう百人力だ。あの逆境の日々を乗り越えてきたのだ。この陣容で超えられないわけがない。
 名実共にオール沖縄の運動を構築して迎えた結成大会の日、この18年を俯瞰して感動と自信が溢れてくるのは、山あり谷ありの闘いの日々を共有してきた者同士だから。お互いに健闘をたたえあい、さらに強固になった絆と膨らむ勢いを確認しあう節目となった。

 沖縄全県の闘いになり、県外からの応援も増えているが、基地の主であるアメリカ軍を退役した元軍人たちが先週から阻止行動に加わっているのも、かつて無かったことだ。  
 アメリカでは退役軍人の団体は政治を動かす一大勢力だが、今回来沖した「ベテランズ・フォー・ピース」のピースがつく方の団体は、それとは違う。軍の内部にいた経験を持つ元兵士らが、米国の軍隊や戦争がもたらす不幸を終わらせるために活動する、強力な平和団体だ。結成大会で挨拶をしたアン・ライトさんは元陸軍大佐で、その後外交官になるものの、ブッシュ大統領の始めた戦争に反対して解職になった女性だという。平均年齢60歳を超えるメンバー達だが、さすが元兵士、筋金入りの体力で精力的に動き回った。

 彼らは滞在中3度も辺野古の座りこみに参加。当初は彼らが高齢であることや、拘束されて帰国できない状況は避けるべきという受け入れ側の配慮で、そばで見ていることになっていたのだが、いざゲート前にいくやガチで座りこみ、機動隊も困惑の表情。やがて、「元米兵も運べ!」の指示があったのだろう。一斉に黄色いジャンパーの退役軍人たちを排除し始めた。

 その中のお一人は、かつてこのキャンプシュワブに勤務した経験を持つという。島袋文子おばあがハウスメイドとして働いていた頃だ。それが今、二人そろってゲート前に座りこみ、基地建設を止めようとしている。なんというドラマだろう。
 1945年、アメリカ軍の兵士が火炎放射器で15歳の少女だったおばあの半身を焼いた。しかし10年後、生計を立てるために、おばあは憎いアメリカ兵の洗濯や掃除を歯を食いしばってやった。ベトナム戦争時代の兵士は、ここで何を見て、その後どういう人生を送ったのか。今はアメリカの軍事戦略が、海外の基地が、どれほど他国を傷つけているかを自覚し、勇気を持って抗議している。そのことで、やっとおばあと同じ方向を見て、共に沖縄で手を繫ぎ合う瞬間が来たのだ。こんな日が来るのだ、と感嘆せずには居られない。

 元軍人が軍という巨大な組織に刃向かうのは相当な勇気がいることだろう。でも元軍人だからこそ、米国国内では平和についての発言に説得力があるのだという。今回は辺野古だけでなく髙江、普天間基地の抗議にも参加し、記者会見にシンポジウムにどん欲に動き回った彼らは、行く先々で沖縄県民の絶大な歓迎を受けた。こんなに頼もしい仲間がアメリカにいる。強力な助っ人が彗星の如く現れた喜びを嚙み締められるのも、18年の粘りが引き出した奇跡だ。

 オール沖縄は日本政府の横暴と闘う。しかし「辺野古白紙撤回」はどこからもたらされるか解らない。ベテランズ・フォー・ピース。今後の彼らの発信がアメリカの世論が動くきっかけになれば。そう願わずには居られない。


三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。これまで300回を超える自主上映活動が続いている。現在、次回作の準備を進めている。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-17 06:11 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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