安倍首相靖国参拝違憲訴訟の「訴状」から

 2014年4月11日、大阪地方裁判所に、被告靖国神社・被告安倍・非国国に対して、「安倍首相靖国参拝差止等請求事件」の訴えを起こした裁判も、いよいよ2016年1月28日の午前10時から判決言い渡しが行われます。
 この訴訟は、「原告らは、人格権及び憲法上の基本権に基づき、請求の趣旨記載のとおり、被告安倍が内閣総理大臣として靖國神社に参拝すること及び被告靖國神社がこれお受け入れることの差止めを求めるとともに、被告国に対しては国賠償1条、被告靖國神社及び被告安倍に対しては民法709条に基づき、各自連帯して各原告につき金1万円の慰謝料の支払い及びこれに対する本件参拝の日である2013年12月26日から支払い済みまで年5パ-セントの割合による遅延損害金の支払いを求める次第である。(訴状第7まとめ)」、というものです。
 この訴訟は、「『日本』の歴史認識を問い、戦争のない平和と真の民主主義を築くためのもの」、との位置づけを与えられています。
 今、戦争法案の可決や成長戦略のもとに「1億総活躍社会」実現への政策を見るとき、安倍晋三の「戻りたがり」病の弊害もここまできたかという思いがしています。
 この意味で、この訴訟は、図らずも、新たな意義づけが生まれています。

 「安倍首相の靖国参拝違憲訴訟・関西」による判決の日の参加呼びかけのビラには、次のように書かれています。


司法は意地を見せろ!

首相の靖国神社参拝について違憲判決が出て11年
それにもかかわらず参拝を行った安倍首相
明らかな憲法違反、そして平和を踏みにじる行為
この訴訟は「日本」の歴史認識を問い
戦争のない平和と真の民主主義を築くためのものでもあります
いよいよ判決。この国の司法はどこまでその正常な姿を保てているのか
さあ、見届けましょう。より多くの方々のご注目をお願いいたします。

 
 特に、2008年4月17日名古屋高裁判決を受け、「平和的生存権」について、具体的権利性及び裁判規範性との関連のなかで、どのような判断がもたらされるのかに注目しています。

 この「1.28」を、自分なりに見届けるために、「訴状」から、振り返ってみます。


(1)請求の趣旨
 請求の趣旨は、次のようになっています。


1 被告安倍晋三は、内閣総理大臣として靖國神社に参拝してはならない。
2 被告靖國神社は、被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。3 被告らは、各自連帯して、原告それぞれに対し、金1万円及びこれに対する2013年12 月26日から支払い済みまで年5パ-セントの割合による金員を払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び第3項につき仮執行の宣言を求める。

(2) 請求の原因 第1当事者

 当事者として、原告は、「原告らはいずれも、被告安倍晋三(以下、「被告安倍」という)が内閣総理大臣に任命中である2013年12月26日、被告安倍が内閣総理大臣として靖國神社に参拝した行為(以下「本件参拝」及び被告靖國神社が本件参拝を受け入れた行為(本件参拝受入れ)」という)により後記のとおり権利ないし利益を侵害された者である。」。
 被告は、被告靖國神社、被告安倍、被告安倍。


 特に、靖國神社の特殊性及びその目的について、次のように言及している。


 靖國神社の神となるための条件はただひとつ、「天皇陛下のために戦死」したと認定されることであった。(大江志乃夫『靖國神社』岩波新書)。
 従って、合祀された者の中には、軍人(いわゆる戦争犯罪人を含む)、従軍看護婦・女学生、学徒などの軍属・文官・民間の者、台湾及び朝鮮半島出身者、戦病死を含む一方、内乱で賊軍とされた者や、空襲などによる戦災死者は含まれない。
 こうして明治維新前後の内乱での戦死者からアジア太平洋戦争での戦死者まで、合計246万余命が靖國神社に合祀され、「神」とされている。
 今も、存在の判明した戦死者等の対象者は「霊璽簿」と呼ばれる名簿に記載されて祀られ、「御霊」とされる。
 このように無限に祭神が増え続け、しかも祭神の全部が主神として祀られているところに、靖國神社の特殊性がある。

 被告靖國神社は、「『国事に殉ぜられた人々』を祀るための神社として、戦前からその目的を承継している。」、という成り立ちを持つものなのである。


(3)「第2 内閣総理大臣としての被告安倍の参拝及び被告靖國神社によるその積極的受入れ」は、省略。


(4)第3 本件参拝による原告らの権利利益の侵害

 このことについては、「被告安倍による本件参拝及び被告靖國神社による本件参拝受入れは、原告らの内申を自由に形成し変更する権利(「内心の自由形成の権利」ともいう)特定の宗教を信仰したり、あるいは宗教を信仰しないという信教の自由を維持し確保する権利(「信教の自由確保の権利」ともいう)、及び戦没者をどのように回顧し祭祀するかしないかに関して、自ら決定しこれを行う権利(「回顧・祭司に関する自己決定権」ともいう)並びに平和的生存権を違法に侵害するものである。」としている。

 特に、平和的生存権に関して、次のように主張する。
 平和的生存権の憲法上の根拠について、「当該平和的生存権を、憲法9条が定める戦争放棄と戦力不保持を単なる伽勘的な制度でなく国民の樹幹的権利として保障したものと捉えた上で、「戦争放棄および戦力不保持の原則を堅持した日本に生存する権利」として位置づけ、主張するものである(以下、この意味での権利を「平和的生存権」という)。そして「戦争放棄および戦力不保持の原則を堅持した日本に生存する権利」(平和的生存権)は、憲法13条が定める基幹的人格的自立権の基盤をなす権利といえるので、平和的生存権は、憲法前文、憲法9条、憲法13条を総合的に根拠として発生するものと解される。」。

 また、平和的生存権が具体的権利性を有していることについては、「現代社会においては、平和なしにはいかなる国民の権利も実現することができない。表現の自由、集会結社の自由、信教の自由、経済的自由もまた、平和な社会でなければ国民がこれを享受することができない。その意味で、平和な国に存在する権利こそ、あらゆる国民の権利を基礎づける究極的な権利であるということができる。この意味で、平和的生存権は、単なる抽象的な理念ではなく、具体的権利性および裁判規範性を有する権利であるといえる。」、とした。
 このことに、平成20年4月17日の名古屋高裁判決を加えて、平和的生存権に関する具体的権利性および裁判規範性については、「『戦争放棄および戦力不保持の原則を堅持した日本に生存する権利』として平和的生存権を指定したが、名古屋高裁判決は、『戦争や武力行使をしない日本に生存する権利』、『戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利』、『他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利』、『信仰に基づいて平和を希求し、すべての人の幸福を希求し、そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利』、『戦争放棄および戦力不保持の原則を堅持した日本に生存する権利』についても、当然に具体的権利性が付与されることになる」、とする。
 したがって、平成16年4月7日の福岡地裁判決は、この名古屋高裁判決によって乗り越えられたものとしている。


 次に、「内心の自由形成の侵害、信教の自由確保の権利及び回顧・祭祀に関する自己決定権に対する違法な侵害」については、①「本件参拝及び本件参拝受入れによる原告らの内心の自由形成の権利、信教の自由確保の権利または回顧・祭祀に関する自己決定権の侵害、②本社参拝の違法性(ア.本件参拝は、原告らの内心の重刑生の権利、信教の自由確保の権利又は回顧・祭祀に関する自己決定権を侵害するものである、イ.また、本社参拝の行為はそれ自体が違法なものである)、③本件参拝受入れの違法性、④本家参拝及び本件参拝受入れが原告らの平和的生存権を侵害、があるとし、「被告安倍による本件参拝および被告靖國神社による本件参拝受入れは、原告らの平和手生存権を違法に侵害するものである。」、とした。

 また、「本件参拝及び本件参拝受入れが原告らの平和的生存権を侵害すること」については、名古屋高裁判決の「例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。」との解釈を受け、「少なくとも、名古屋高裁が例示した『戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合』においては平和的生存権が侵害されたと評価できるという立場のもと、本件参拝および本件参拝受入れは『戦争準備行為等』に該当し、それにより原告らの『生命、自由』が『侵害の危機にさらされ』たことを立証し、もって平和的生存権が侵害されたことを主張する。」、とした。


(5)第4 損害
 本件参拝等による原告らの被害について、①原告らは、被告安倍の本件参拝及び被告靖國神社の本件参拝受入れによって、内心の自由の自由形成の権利、信教の自由確保の権利、回顧・祭祀に関する自己決定権を侵害された、②本件参拝等によって原告らの平和的生存権が侵害された、とした。
 この場合、①については、「その侵害は名誉毀損、プライバシ-侵害の場合と同様非財産的侵害である。これらの損害の程度は、名誉侵害やプライバシ-侵害の場合と同等以上ではあっても、劣ることはない。」。
 また、②については、「その侵害もまた非財産的損害であるが、現代社会においては、平和なしにはいかなる個人の権利も実現することができない、表現の自由、集会結社の自由、信教の自由、経済的自由もまた、平和な社会でなければ個人がこれを享受することができない。したがって、平和的生存権に関する侵害によって生ずる損害は、人格的生存の根幹に関わるものであり、損害の程度は名誉毀損等の場合や内心の自由形成に対する侵害の場合と同等以上であり、これらに劣ることはない。」。

 さらに、「内閣総理大臣の靖国参拝に対する損害賠償請求訴訟において、これまで、その損害は、原告らの憲法解釈に反して敢行されたことに対する不快感に過ぎないとか、焦燥感に過ぎないなどとして、原告ら主張の損害は法律上慰謝料をもって救済すべき損害に当たらないとする見解がこれまで行われてきた。」、という状況がこれまであったが、「しかしながら、原告らは本件訴訟においては、もはや単に違憲審査を求めているのではない。この間の小泉純一郎総理大臣の公式参拝(2001年8月13日)をめぐっては、明確に違憲と判断した判決が言い渡されただけでなく、憲法判断を行った判決のすべてが違憲であると認めており、合憲と判断した判決は皆無であることから明らかなとおり、護憲と解する余地はないこととなった。憲法判断を回避した判決においては、憲法判断に先立って原告らの求める慰謝料の基礎となる法的権利につき、法的保護に値しないものとする論法がとられた。しかし、違憲としか判断しようのない首相による靖國神社公式参拝が原告に与えた損害は、単なる公憤や焦燥感にすぎないといった次元のものとは到底いえない。」、とする。
 この上で、「憲法が現在及び将来の国民に信託した基本的人権は、また原告らにも信託されているものである。行政府の長として憲法を尊重し擁護すべき義務を負っている内閣総理大臣が、基本的人権を侵すなどということはあってはならず、憲法の上記義務に違反してなされた本件参拝によって被った原告らの損害が、単なる公憤、単なる不快感、単なる焦燥感で片づけられるものでなない。」、とまとめている。

 こうした中で、「被告安倍の靖國神社参拝及び被告靖國神社の本件受入れによって原告らが被った精神的被害は、到底金銭に換算できるものではないが、本訴訟においては、損害の一部として、各原告につき金1万円を請求することとする。」、とした。


(6)第5 責任原因
 被告安倍及び被告靖國神社は民法709条に基づき、また被告国は国家賠償法1条に基づき、原告らがこうむった前期損害を賠償すべき責任がある。



(7)差止め
 差止めの必要性については、「自民党員である内閣総理大臣による靖国参拝は、これまでも根強い反対世論や、本訴同様の訴訟提起(しかも下級審においては違憲との判断もある)にもかかわらずくり返されてきた事実がある。被告安倍は、内閣総理大臣となったからには靖國神社参拝は当然に行うべきである、との信念を明確視している。いかなる批判や反対を押し切ってこれを断行する強い意志を有していることが明らかである。靖國神社も、歴代の内閣総理大臣による参拝を強く求めてきたことは公知の事実である。したがって、今後も被告安倍が内閣総理大臣として靖國神社に参拝する恐れは決めて強い。」、と分析した上で、「原告らは、人格権並びに内心の自由、信教の自由及び平和的生存権などの憲法上の基本権に基づき、繰り返されるおそれのある被告安倍の靖國神社参拝及び被告靖國神社の参拝受入れにたいする差止請求権を有する。」、とした。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-14 06:10 | 安倍首相靖国参拝違憲訴訟 | Comments(0)

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