沖縄から-新聞から、辺野古代執行訴訟を考える。

 代執行訴訟が始まった。
これまでも、多くの地方紙や中央紙は、国の暴挙を戒める記事を掲載してきた。新聞の世論は、多くが、沖縄県の、一地方自治体の自己決定権の尊重を掲げてきた。
 でも、安倍晋三政権の暴力的な独走をとめることはできなかった。
 しかし、あきらめることは、未来を否定することになる。
 あらためて、各紙の社説等から、今回の代執行訴訟を考える。


 2015年12月3日付けの各紙の社説等の標題は次のものであった。

①デ-リ東北時評-辺野古代執行訴訟 冷静になって対話再開を
②茨城新聞論説-辺野古代執行訴訟 基地問題解決が遠のく
③福井新聞論説-辺野古代執行訴訟 ここにも異論排除の論理
④琉球新報社説-知事の意見陳述 基地めぐる虚構暴いた 司法は理非曲直見据えよ
⑤沖縄タイムス社説-[翁長知事意見陳述]裁かれるのは国の方だ
⑥朝日新聞社説-政府と沖縄県 地方自治は存在するか
⑦毎日新聞社説-辺野古訴訟 沖縄のあり方問う場に
⑧読売新聞社説-辺野古移設訴訟 「公益」を考慮した司法判断を

 ここでは、新聞各紙の主張は少なくとも、「冷静になって対話再開」であるし「基地問題解決が遠のく」という論調である。むしろ、読売新聞だけが「『公益』を考慮した司法判断を」と、あまりにも一方的に突出している。福井新聞の「ここにも異論排除の論理」
と比べると、読売の異様さが際立つ。

 各紙の社説等を要約すると次のようになる。

(1)主張
①デ-リ東北時評
・双方が法廷で争うだけでは、問題は解決しない。このままでは沖縄の政治不信を増幅させるだけだ。特に「辺野古が唯一の選択肢」としてゴリ押しする政府の強権的姿勢には目に余るものがある。
・政府と沖縄県は冷静になって対話を再開する必要がある。変動する安全保障環境を踏まえて、沖縄と米軍基地をどう位置付けるのか。辺野古以外に選択肢は本当にないのか。これまでの経緯を検証しつつ、議論すべきではないか。
②茨城新聞論説
・翁長氏は「歴史的にも、現在においても沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」とした上で「この裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない」と訴えた。裁判所には、取り消し処分の適否判断にとどまらず、普天間問題の背景にまで踏み込んだ審理を望みたい。
③福井新聞論説
・国と県側の訴えを聞くともう打開の余地はなく泥沼の様相だ。国家権力が小さな島に強いる米軍基地。果たして「本土の盾」として必要不可欠なのか、県外、国外移設がなぜできないのか。国民はいま一度「沖縄」に向き合う必要がある。
・沖縄基地問題の本質を見失ってはいけない。「裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない」という翁長氏の言葉を国民はどう聞くかだ。
④琉球新報社説
・知事が陳述書で述べた通り、自国民の人権、平等、民主主義を守れない国が世界と普遍的価値を共有できるのか。この訴訟で問われるのはまさにそのことだ。
⑤沖縄タイムス社説
・「この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではありません」「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのでしょうか」・・・冒頭に引用した翁長知事の言葉は、戦後沖縄の基地形成をめぐる歴史を踏まえ、米軍基地の過重負担、日本の民主主義を問う発言だ。
・意見陳述で翁長知事が「今の状況は、国内外から日本の真の独立は神話であると思われているのではないでしょうか」と指摘する通りだ。
・翁長知事は意見陳述の最後に裁判所に「沖縄、そして日本の未来を切り拓(ひら)く判断をしてほしい」と要望した。県側は稲嶺進名護市長や環境、安全保障の専門家ら8人を証人申請している。民主主義、地方自治、環境、抑止論など論点は多岐にわたる。福岡高裁那覇支部は形式的な審理にとどまらず、これらの論点にも踏み込み、実質的な審理をしてもらいたい。
⑥朝日新聞社説
・国と地方に意見の対立があれば、話し合いで打開するのが本来の姿だ。それを法廷に持ち込んで押し切ろうとする政府の姿勢は、対話による解決を放棄した政治の貧困を物語る。
・裁判の主な争点は、前知事による埋め立て承認や、翁長知事の承認取り消しが適法だったか、といった行政手続きの可否になるだろう。だが、この裁判が、真の意味で問うものはそれにとどまらない。憲法がうたう地方自治の内実が問われている。
・この訴訟は、ひとり沖縄だけの問題ではない。考えの対立する自治体を政府が高圧的に扱えるとすれば、全国の自治体にとっても切実な問題ではないか。辺野古移設が問うているのは日本の地方自治、民主主義そのものである。単なる行政手続きの可否を超えた、踏み込んだ判断を司法に求めたい。
⑦毎日新聞社説
・辺野古の問題は法廷で決着がつくものではない。だが、裁判になってしまった以上、過重な基地負担を抱える沖縄のあり方を真正面から問う場となるよう期待したい。
・翁長氏の言葉は国への反論の形をとっているが、国民への問いかけでもある。日米安保体制の恩恵を受ける国民も、この裁判を通して沖縄のあり方を考えたい。
・裁判所は、埋め立て承認取り消しの是非だけでなく、背景にある問題にも目を向けた審理をしてほしい。
⑧読売新聞社説
・辺野古移設に伴う不利益は、自然環境への影響や騒音被害などが想定される。だが、普天間飛行場の現状が大幅に改善される利益と比べれば、極めて限定的だ。政府の主張には十分根拠があろう。
・そもそも翁長氏が、仲井真弘多前知事が厳密な審査を経て行った埋め立て承認について、「法的瑕疵かしがある」として取り消したことに無理があると言えよう。


(2)問題点等
①デ-リ東北時評
・米政府は現在、グアムを海兵隊の拠点にし、オーストラリア、ハワイ、日本などに分散配置する再編を進めている。しかも沖縄の海兵隊はアジア各地をローテーションで移動し、沖縄に常駐しているわけではない。さらに航続距離の長い新型輸送機オスプレイの配備なども考慮すると、辺野古にこだわる必要性は政府が強調するほど高いとはいえない。
・現在、国土面積の0・6%を占める沖縄県に、全国の米軍専用施設の73・8%が集中している。辺野古に基地が移設され、嘉手納以南の5基地が返還されても、県内移設がほとんどのため、米軍施設の比率は0・7%しか減らないという。「沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常か。国民に問いたい」という翁長氏の言葉を、重く受け止めなければならない。
・政府は最近、条件付きで移設受け入れを表明している辺野古周辺地区に、市長が反対派の名護市の頭越しに補助金を直接交付する仕組みを創設した。こんな沖縄を分断するやり方を続けていては、地元の理解を期待することは到底できないだろう。
②茨城新聞論説
・裁判所が国側の主張を認め、埋め立て承認取り消し処分の撤回を命じる判決を出すと、国土交通相が知事に代わり処分を撤回する「代執行」が可能になる。言ってみれば、説得して駄目なら知事の権限を取り上げてしまうという地方自治法に基づく例外的な措置で、国は県がどんなに反対しても、移設を進めることができるというわけだ。政府は「この訴訟で負けることはない」と自信を持っている。だが対話に見切りを付け、強硬手段によって移設という目的を遂げることができたとしても、県との対立は根深いものになり、基地問題の解決がさらに遠のくことになるだろう。
・沖縄の声に耳を傾けようとしない政府の姿勢の根底には、この「そもそも論」があり、法廷で国側が言わんとするところも、その一点に尽きるといってもいいだろう。
・法律上の権限という観点からは正しいとしても、だからといって、知事選や名護市長選、衆院選の沖縄4小選挙区全てで示された住民たちの移設反対の意思を無視していいことにはならない。
③福井新聞論説
・しかし、その後の知事選や名護市長選、衆院選で明確に示された移設反対の民意を無視してもよいのか。米兵の少女暴行や大学敷地へのヘリ墜落など、基地集中による重い負担と忍従の歴史をみれば、「寄り添う」と言いながら無視し続ける国の対応は民主的といえるだろうか。まさに異論排除の安倍政権を象徴する。
・高裁判決が出るまでに数カ月かかる見込みで、政府には来年6月ごろの沖縄県議選や夏の参院選前には司法判断を得ておきたいとの思惑がある。「埋め立て承認に法的瑕疵(かし)はない」と強気一辺倒の政府は、一方で辺野古周辺の3地区に自治体抜きで地域振興費を直接支出する露骨な「分断」と「懐柔」を進める。
④琉球新報社説
・いや、状況はむしろ悪化している。かつては沖縄の苦難の歴史に思いを致す空気が日本社会に濃厚だったが、今や沖縄側が政府に何か物申せば「生意気だ」という非難が陰に陽に示される。つい先日も新基地建設反対運動に参加した市民を「けとばせばいい」と、「選良」たる兵庫県洲本市の市議が書いたばかりだ。れっきとした岐阜県の県庁職員も「馬鹿な沖縄県民は黙ってろ。我々は粛々と辺野古移設を進める」と書く始末である。
・沖縄振興予算という特別な予算を沖縄は3千億円も他県より余分にもらっている」という認識も「完全な誤り」だと論証した。海兵隊が沖縄になければ機能しないという誤解も、過去現在の防衛相の言葉を引いて見事に論破している。これら「基地経済」「財政的恩恵」「抑止力」という思い込みが「神話」にすぎないのは、県内では周知の事実だ。だが全国ではいまだに広く信じられている。知事は代執行訴訟という国民注視の場で訴えることにより、それらの虚構性を全国に発信したのである。
⑤沖縄タイムス社説
・戦後、沖縄は本土とは全く違う道を歩んできた。県民が収容所に入れられている間に米軍に強制的に土地を接収され、「銃剣とブルドーザー」によって土地を奪われた。1952年にサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、沖縄は米軍施政権下に置かれた。日本国憲法の適用もなかった。米軍基地の過重負担は、戦後70年たったいまも、国土面積の0・6%しかない沖縄県に73・8%の米軍専用施設が集中している現状が物語る。沖縄と本土の極端な不均衡は何も改善されていない。それなのに今度は政府が新基地建設を強行しようとしているのである。こんな理不尽なことはない。翁長知事が言うように「米軍施政権下と何ら変わりない」のである。
・選挙は民主主義の根幹を成すとともに、民意の表出である。昨年の名護市長選、知事選、衆院選と相次いだ選挙は辺野古新基地に反対する候補がすべて勝利した。一連の選挙の争点は前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。知事選で10万票の差で翁長知事が誕生し県民の明確な意思が示されたにもかかわらず、新基地を押し付けてくるのは民主主義国家といえない。
・米軍基地関連収入が県経済に占める割合は約5%にすぎず「今や沖縄経済発展の最大の阻害要因」と言い切り、米軍返還跡地の飛躍的な経済効果を具体的なデータを挙げて示した。翁長知事は「都道府県で国に甘えているとか甘えていないとかと、いわれる場所があるでしょうか」と疑問を投げかけた。
⑥朝日新聞社説
・国と地方が対等となった今、国が県の権限を制限する代執行は極めて限定的であるべきだろう。その意味でも、十分な対話がないままの政府の提訴は地方自治のあるべき姿とは程遠い。
・政府は、辺野古移設が実現できなければ米国との信頼関係が崩壊しかねないという。ならばなぜ、米国に理解を求めようとしないのか。外交・防衛は国の役割だとしても、県の意思が無視されていいはずがない。
⑦毎日新聞社説
・沖縄は、先の大戦で凄惨(せいさん)な地上戦の場となり、戦後は本土から切り離されて米軍の施政権下に置かれ、本土に復帰した後も突出して重い基地負担を背負わされ続けてきた。そして戦後70年たって、今また、移設反対の民意が選挙で明確に示されたにもかかわらず、国は移設を強行し、対話による解決を放棄して裁判に訴えた。これは健全な民主主義、地方自治、日米安保体制の姿なのだろうか。大いに疑問だ。
⑧読売新聞社説
・だが、96年の最高裁判決は、米軍用地の使用に関して、政府の幅広い「政策的、技術的な裁量」を認めている。翁長氏が県民の「人権」を強調するなら、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民にも配慮すべきではないか。
・疑問なのは、県側が米軍基地建設について、根拠となる国内法がないことを理由に「憲法違反だ」などと主張したことだ。日本の安全保障にとって極めて重要な日米同盟を否定している、とも受け取れる内容である。


 茨城新聞は、「裁判所には、取り消し処分の適否判断にとどまらず、普天間問題の背景にまで踏み込んだ審理を望みたい。」、とその主張を結んでいる。
 福井新聞は、「沖縄基地問題の本質を見失ってはいけない。『裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない』という翁長氏の言葉を国民はどう聞くかだ。」、とこの訴訟の本質を見据える。
 まさに、この代執行訴訟の意味は、沖縄基地問題の本質を見極めるということにかかっている。
 ただ単に、「政府は『訴訟で負けることはない』と自信を持っている。」、というレベルでの訴訟手続論だけにこの訴訟を終わらせてはいけない。
 司法という場の真の役割を期待する。
琉球新報の「『人権の砦(とりで)』たるこの国の司法の公正性を、われわれに信じさせてもらいたい。」との絞り出した声は、私の声でもある。


 一人の知事に、「今の状況は、国内外から日本の真の独立は神話であると思われているのではないでしょうか」(沖縄タイムス)とまで言わせる国のあり方は、間違っている。


 以下、各新聞の引用。







デ-リ東北時評-辺野古代執行訴訟 冷静になって対話再開を-2015年12月3日


 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に向け、翁長雄志知事による埋め立て承認取り消しを撤回するよう国が求めた「代執行訴訟」が始まった。

 翁長氏は意見陳述で「裁判で問われるのは承認取り消しの是非だけではない。日本に地方自治や民主主義はあるのか」と述べ、民意を無視して移設を進めようとする政府を批判し、全面的に争う姿勢を鮮明にした。

 政府と県の対立は先鋭化し、今や泥沼化の様相を見せている。翁長氏による取り消しに対し、国は代執行とは別の行政手続きによりその執行停止を決定し、埋め立ての本体工事に着手した。

 これに反発した沖縄県は第三者機関の「国地方係争処理委員会」に審査を申し立てたのに続き、執行停止決定は無効として近く提訴する構えだ。

 だが双方が法廷で争うだけでは、問題は解決しない。このままでは沖縄の政治不信を増幅させるだけだ。特に「辺野古が唯一の選択肢」としてゴリ押しする政府の強権的姿勢には目に余るものがある。

 政府と沖縄県は冷静になって対話を再開する必要がある。変動する安全保障環境を踏まえて、沖縄と米軍基地をどう位置付けるのか。辺野古以外に選択肢は本当にないのか。これまでの経緯を検証しつつ、議論すべきではないか。

 米政府は現在、グアムを海兵隊の拠点にし、オーストラリア、ハワイ、日本などに分散配置する再編を進めている。しかも沖縄の海兵隊はアジア各地をローテーションで移動し、沖縄に常駐しているわけではない。

 さらに航続距離の長い新型輸送機オスプレイの配備なども考慮すると、辺野古にこだわる必要性は政府が強調するほど高いとはいえない。

 現在、国土面積の0・6%を占める沖縄県に、全国の米軍専用施設の73・8%が集中している。辺野古に基地が移設され、嘉手納以南の5基地が返還されても、県内移設がほとんどのため、米軍施設の比率は0・7%しか減らないという。「沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常か。国民に問いたい」という翁長氏の言葉を、重く受け止めなければならない。

 政府は最近、条件付きで移設受け入れを表明している辺野古周辺地区に、市長が反対派の名護市の頭越しに補助金を直接交付する仕組みを創設した。こんな沖縄を分断するやり方を続けていては、地元の理解を期待することは到底できないだろう。


茨城新聞論説-辺野古代執行訴訟 基地問題解決が遠のく-2015年12月3日

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、埋め立て承認を取り消した翁長雄志(おながたけし)知事の処分を撤回するよう国が求めた訴訟の第1回口頭弁論が福岡高裁那覇支部で開かれた。訴状で国側は「取り消しを認めれば普天間の危険性は除去されず、日米関係に亀裂を生じさせ、公益を著しく害する」と主張している。

これに対し、県側は「民意に反する移設強行は自治権を侵害し、違憲」と一歩も譲らない構えだ。弁論で意見陳述に立った翁長氏は、米軍の「銃剣とブルドーザー」で強制的に土地を収用された沖縄の戦後をたどり「地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常といえるか、問いかけたい」と述べた。

裁判所が国側の主張を認め、埋め立て承認取り消し処分の撤回を命じる判決を出すと、国土交通相が知事に代わり処分を撤回する「代執行」が可能になる。言ってみれば、説得して駄目なら知事の権限を取り上げてしまうという地方自治法に基づく例外的な措置で、国は県がどんなに反対しても、移設を進めることができるというわけだ。政府は「この訴訟で負けることはない」と自信を持っている。だが対話に見切りを付け、強硬手段によって移設という目的を遂げることができたとしても、県との対立は根深いものになり、基地問題の解決がさらに遠のくことになるだろう。

1カ月に及んだ政府との集中協議が物別れに終わり、翁長氏は10月中旬に「法的な瑕疵(かし)がある」として、前知事の埋め立て承認の取り消しを表明した。これに対抗して防衛省沖縄防衛局は行政不服審査法に基づいて国交相に審査請求と取り消し処分の効力停止を申し立て、効力停止はすぐに認められ、辺野古沿岸部で本体工事に着手した。

そして、下旬には安倍晋三首相と菅義偉官房長官が訴訟提起を最終的に決断したといわれる。高裁判決が出るまでに数カ月かかるとみられ、来年6月ごろの沖縄県議選や夏の参院選の前には司法判断を得ておきたいとの思惑が働いたようだ。

国側は訴状で「埋め立て承認に法的瑕疵はない。仮に瑕疵があっても、承認取り消しができるのは極めて例外的とする最高裁判例がある」と主張。さらに「そもそも、法定受託事務により一定の権限を与えられたにすぎない県知事が国防や外交に関する重大事項について、その適否を判断する権限はない」とする。

沖縄の声に耳を傾けようとしない政府の姿勢の根底には、この「そもそも論」があり、法廷で国側が言わんとするところも、その一点に尽きるといってもいいだろう。

法律上の権限という観点からは正しいとしても、だからといって、知事選や名護市長選、衆院選の沖縄4小選挙区全てで示された住民たちの移設反対の意思を無視していいことにはならない。

翁長氏は「歴史的にも、現在においても沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」とした上で「この裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない」と訴えた。裁判所には、取り消し処分の適否判断にとどまらず、普天間問題の背景にまで踏み込んだ審理を望みたい。


福井新聞論説-辺野古代執行訴訟 ここにも異論排除の論理-2015年12月3日

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を翁長雄志知事が取り消したのは違法として、国が撤回を求めた代執行訴訟の第1回口頭弁論が福岡高裁那覇支部で開かれた。

 国と県側の訴えを聞くともう打開の余地はなく泥沼の様相だ。国家権力が小さな島に強いる米軍基地。果たして「本土の盾」として必要不可欠なのか、県外、国外移設がなぜできないのか。国民はいま一度「沖縄」に向き合う必要がある。

 弁論で意見陳述に立った翁長氏は、住民を巻き込んだ沖縄戦や、米軍の「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収された沖縄の戦後70年間続く基地負担の実情を強調。「政府は辺野古移設反対の民意にもかかわらず移設を強行している。米軍施政権下と何ら変わらない」と主張した。

 それ以上に「地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常か、国民に問いたい」という言葉の重さをかみしめたい。「民意に反する移設強行は自治権を侵害し、違憲」と真っ向戦う構えだ。

 これに対し、国側は「取り消しを認めれば普天間の危険性は除去されず、日米関係に亀裂を生じさせ、公益を著しく害する」と主張する。国の論理は「そもそも、法定受託事務により一定の権限を与えられたにすぎない県知事が国防や外交に関する重大事項について、その適否を判断する権限はない」のであり、自治体が国に従うのは当然、ということなのだ。

 1996年4月に日米が普天間返還で合意し、99年12月に移転先を辺野古に閣議決定。2013年12月には仲井真弘多前知事が埋め立てを承認した。こうした流れをみれば国の主張は筋が通っているように映る。

 しかし、その後の知事選や名護市長選、衆院選で明確に示された移設反対の民意を無視してもよいのか。米兵の少女暴行や大学敷地へのヘリ墜落など、基地集中による重い負担と忍従の歴史をみれば、「寄り添う」と言いながら無視し続ける国の対応は民主的といえるだろうか。まさに異論排除の安倍政権を象徴する。

 訴訟で裁判所が国側の主張を認めると、国土交通相が知事に代わり処分を撤回する「代執行」が可能になる。つまり知事の権限を取り上げる地方自治法に基づく例外的な措置だ。おかしな法理論だが、政府は「訴訟で負けることはない」と自信を持っている。

 高裁判決が出るまでに数カ月かかる見込みで、政府には来年6月ごろの沖縄県議選や夏の参院選前には司法判断を得ておきたいとの思惑がある。「埋め立て承認に法的瑕疵(かし)はない」と強気一辺倒の政府は、一方で辺野古周辺の3地区に自治体抜きで地域振興費を直接支出する露骨な「分断」と「懐柔」を進める。

 沖縄基地問題の本質を見失ってはいけない。「裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない」という翁長氏の言葉を国民はどう聞くかだ。

琉球新報社説-知事の意見陳述 基地めぐる虚構暴いた 司法は理非曲直見据えよ-2015年12月3日


 間違いなく沖縄の歴史に刻まれる一幕だ。しかもその言葉の一つ一つが、積年の沖縄の思いを見事に言い当てるものだった。

 辺野古新基地建設に向けた前知事の埋め立て承認を取り消した処分をめぐり、国が翁長雄志知事を訴えた代執行訴訟の第1回口頭弁論に知事が出廷した。知事は取り消しの適法性を主張する一方、沖縄の近現代史を踏まえて新基地建設の非道を正面から訴えた。その勇気と信念に敬意を表したい。
 知事が陳述書で述べた通り、自国民の人権、平等、民主主義を守れない国が世界と普遍的価値を共有できるのか。この訴訟で問われるのはまさにそのことだ。
 繰り返す光景
 翁長知事は「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県のみに負担を強いる今の日米安保体制は正常と言えるのか」と問い掛けた。そして裁判所に「沖縄、そして日本の未来を切り拓(ひら)く判断を」と訴えた。
 その文言に感慨を禁じ得なかった。時代が一巡りし、再び同じ場所に至ったという感慨だ。
 「憲法の理念が生かされず、基地の重圧に苦しむ県民の過去現在を検証し、基本的人権の保障や地方自治の本旨に照らし、若者が夢と希望を抱けるよう、沖縄の未来の可能性を切り開く判断を願う」
 今回の翁長知事の言葉と見まがうこの発言は、1996年7月、大田昌秀沖縄県知事(当時)が最高裁大法廷で述べたものだ。
 嫌がる地主の土地を国が強制的に米軍基地として使おうとする手続きで、地主の代わりに知事が署名せよと求める代理署名訴訟でのことだった。首相が知事を訴えるという前代未聞の構図も今回と酷似する。何より、基本的人権や民主主義、地方自治という民主国家が最低限保障すべきものを、あらためて要望せざるを得ないという沖縄の状況が、何ら変わっていないことを思い知らされる。
 いや、状況はむしろ悪化している。かつては沖縄の苦難の歴史に思いを致す空気が日本社会に濃厚だったが、今や沖縄側が政府に何か物申せば「生意気だ」という非難が陰に陽に示される。
 つい先日も新基地建設反対運動に参加した市民を「けとばせばいい」と、「選良」たる兵庫県洲本市の市議が書いたばかりだ。れっきとした岐阜県の県庁職員も「馬鹿な沖縄県民は黙ってろ。我々は粛々と辺野古移設を進める」と書く始末である。
 国の支離滅裂
 それらを考慮した上でも、翁長知事の弁論は有意義だった。
 こうした書き込みの背景には「沖縄は基地で食べているのだから、少しは我慢しろ」「沖縄は莫大(ばくだい)な予算を政府からもらっているのだから我慢しろ」という認識が潜んでいる。だが知事は、基地が恩恵どころか経済の最大の阻害要因となっている事実を、数字を挙げて証明した。「沖縄振興予算という特別な予算を沖縄は3千億円も他県より余分にもらっている」という認識も「完全な誤り」だと論証した。海兵隊が沖縄になければ機能しないという誤解も、過去現在の防衛相の言葉を引いて見事に論破している。
 これら「基地経済」「財政的恩恵」「抑止力」という思い込みが「神話」にすぎないのは、県内では周知の事実だ。だが全国ではいまだに広く信じられている。知事は代執行訴訟という国民注視の場で訴えることにより、それらの虚構性を全国に発信したのである。
 今回の訴訟で沖縄県が、基地の沖縄集中は軍事合理性の面でも合理性を欠くと主張するのに対し、国は「翁長氏は県知事にすぎない」と主張する。「安全保障上の判断は知事には無理だ」というわけである。一方で行政不服審査では防衛局は「私人」「一事業者」だと主張している。支離滅裂だ。
 福岡高裁那覇支部はこれらの理非曲直を見据えてほしい。「人権の砦(とりで)」たるこの国の司法の公正性を、われわれに信じさせてもらいたい。


沖縄タイムス社説-[翁長知事意見陳述]裁かれるのは国の方だ-2015年12月3日

 「この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではありません」「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのでしょうか」

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認の取り消しを違法として、国が翁長雄志知事を相手に起こした代執行訴訟の第1回口頭弁論が福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)で開かれ、翁長知事が意見陳述した。

 国と県の異例の法廷闘争の始まりである。翁長知事の意見陳述は約10分と短かったが、住民を巻き込んだ沖縄戦や戦後70年続く基地負担に対する県民の大多数の思いを凝縮し分かりやすく伝えた。

 開廷前には近くの公園で翁長知事を後押しする2千人(主催者発表)の集会が開かれ、「県民の思いを胸に、しっかり沖縄の主張をする」と決意表明していた。

 冒頭に引用した翁長知事の言葉は、戦後沖縄の基地形成をめぐる歴史を踏まえ、米軍基地の過重負担、日本の民主主義を問う発言だ。

 戦後、沖縄は本土とは全く違う道を歩んできた。県民が収容所に入れられている間に米軍に強制的に土地を接収され、「銃剣とブルドーザー」によって土地を奪われた。

 1952年にサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、沖縄は米軍施政権下に置かれた。日本国憲法の適用もなかった。

 米軍基地の過重負担は、戦後70年たったいまも、国土面積の0・6%しかない沖縄県に73・8%の米軍専用施設が集中している現状が物語る。沖縄と本土の極端な不均衡は何も改善されていない。

 それなのに今度は政府が新基地建設を強行しようとしているのである。こんな理不尽なことはない。翁長知事が言うように「米軍施政権下と何ら変わりない」のである。

 選挙は民主主義の根幹を成すとともに、民意の表出である。昨年の名護市長選、知事選、衆院選と相次いだ選挙は辺野古新基地に反対する候補がすべて勝利した。

 一連の選挙の争点は前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。知事選で10万票の差で翁長知事が誕生し県民の明確な意思が示されたにもかかわらず、新基地を押し付けてくるのは民主主義国家といえない。
    ■    ■
 翁長知事の問いかけは、本土側の無理解や誤解にも向けられた。基地経済と沖縄振興策に対し「沖縄は基地で食べているんでしょう。だから基地を預かって振興策をもらったらいいですよ」という本土の人や政治家の言葉に反論した。米軍基地関連収入が県経済に占める割合は約5%にすぎず「今や沖縄経済発展の最大の阻害要因」と言い切り、米軍返還跡地の飛躍的な経済効果を具体的なデータを挙げて示した。翁長知事は「都道府県で国に甘えているとか甘えていないとかと、いわれる場所があるでしょうか」と疑問を投げかけた。

 代執行訴訟で県は国に訴えられている形だが、新基地建設をめぐる政府のやり方を翁長知事が厳しく問うているのである。被告席に座っているのはむしろ国である。

 意見陳述で翁長知事が「今の状況は、国内外から日本の真の独立は神話であると思われているのではないでしょうか」と指摘する通りだ。
    ■    ■
 弁論で国側は「取り消しは例外的な場合しかできず違法である。日米関係に大きな不利益が生じる」などと主張している。県側は「民意に反して新基地建設を強行することは自治権を侵害し憲法違反である」「公有水面埋立法は外交や国防といった要素を特別扱いしない」などと正当性を訴えている。

 翁長知事は意見陳述の最後に裁判所に「沖縄、そして日本の未来を切り拓(ひら)く判断をしてほしい」と要望した。

 県側は稲嶺進名護市長や環境、安全保障の専門家ら8人を証人申請している。民主主義、地方自治、環境、抑止論など論点は多岐にわたる。

 福岡高裁那覇支部は形式的な審理にとどまらず、これらの論点にも踏み込み、実質的な審理をしてもらいたい。


朝日新聞社説-政府と沖縄県 地方自治は存在するか-2015年12月3日

 「日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか」――。沖縄県の翁長雄志知事が、福岡高裁那覇支部の法廷から問いかけた言葉を、重く受け止めたい。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、国土交通相が知事に埋め立て承認取り消しの撤回を求めた、代執行訴訟の初回口頭弁論での意見陳述だ。

 国と地方に意見の対立があれば、話し合いで打開するのが本来の姿だ。それを法廷に持ち込んで押し切ろうとする政府の姿勢は、対話による解決を放棄した政治の貧困を物語る。

 裁判の主な争点は、前知事による埋め立て承認や、翁長知事の承認取り消しが適法だったか、といった行政手続きの可否になるだろう。

 だが、この裁判が、真の意味で問うものはそれにとどまらない。憲法がうたう地方自治の内実が問われている。

 自らの地域のことは、自らの判断で考える。地域の自己決定権をできる限り尊重する。それが政府の地方分権推進委員会の議論で打ち出された地方自治の原則である。

 その理念に沿って、1999年、地方自治法は大幅改正された。国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと大きく転換したのである。

 国と地方が対等となった今、国が県の権限を制限する代執行は極めて限定的であるべきだろう。その意味でも、十分な対話がないままの政府の提訴は地方自治のあるべき姿とは程遠い。

 政府は、辺野古移設が実現できなければ米国との信頼関係が崩壊しかねないという。ならばなぜ、米国に理解を求めようとしないのか。外交・防衛は国の役割だとしても、県の意思が無視されていいはずがない。

 県は、米軍基地は自治権を直接侵害していると主張する。米軍兵士らによる犯罪や事故、米軍機による騒音被害を引き起こし、日米地位協定による米軍の特権が行政権を妨げる……。

 だからこそ県は、国土面積の0・6%の沖縄に米軍専用施設の73・8%も集中させていながら、「さらに新たな基地を造ることは自治権の侵害で違憲だ」と主張しているのだろう。

 この訴訟は、ひとり沖縄だけの問題ではない。考えの対立する自治体を政府が高圧的に扱えるとすれば、全国の自治体にとっても切実な問題ではないか。

 辺野古移設が問うているのは日本の地方自治、民主主義そのものである。単なる行政手続きの可否を超えた、踏み込んだ判断を司法に求めたい。


毎日新聞社説-辺野古訴訟 沖縄のあり方問う場に-2015年12月03日


 辺野古の問題は法廷で決着がつくものではない。だが、裁判になってしまった以上、過重な基地負担を抱える沖縄のあり方を真正面から問う場となるよう期待したい。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画をめぐり、国が沖縄県知事を訴えた代執行訴訟の第1回口頭弁論が福岡高裁那覇支部であり、翁長雄志(おなが・たけし)知事が意見陳述した。

 国は、辺野古埋め立て承認を取り消した知事の処分を違法と主張し、知事に代わって取り消しを撤回する代執行ができるよう求めている。

 翁長氏は、意見陳述で「裁判で問われているのは、承認取り消しの是非だけでない。日本には、地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい。沖縄、日本の未来を切り開く判断をお願いする」と訴えた。

 裁判の直接の争点である承認取り消しの是非は、司法の判断に委ねるしかない。だが、背景にある翁長氏の思いはよくわかる。

 沖縄は、先の大戦で凄惨(せいさん)な地上戦の場となり、戦後は本土から切り離されて米軍の施政権下に置かれ、本土に復帰した後も突出して重い基地負担を背負わされ続けてきた。

 そして戦後70年たって、今また、移設反対の民意が選挙で明確に示されたにもかかわらず、国は移設を強行し、対話による解決を放棄して裁判に訴えた。

 これは健全な民主主義、地方自治、日米安保体制の姿なのだろうか。大いに疑問だ。

 菅義偉官房長官はきのうの記者会見で「前知事の埋め立て承認に瑕疵(かし)はない」「わが国は法治国家だ」「民主国家として手続きはしっかり踏んだ」と従来の主張を繰り返した。

 翁長氏の言葉は国への反論の形をとっているが、国民への問いかけでもある。日米安保体制の恩恵を受ける国民も、この裁判を通して沖縄のあり方を考えたい。

 米軍基地問題で国と地方が裁判で争うのは、1995年に米軍用地の強制使用に必要な代理署名を拒否した当時の大田昌秀知事を首相が訴えた代理署名訴訟以来、20年ぶりのことだ。

 このときは、提訴から約3カ月半後に1審の高裁判決が出され、国が勝訴した。当時、国と地方自治体は「上下・主従」の関係と位置づけられ、国の権限が制度上、極めて強かったため、判決は形式的審査にとどまった感があった。

 だが、2000年の地方分権一括法施行により、国と地方は「対等・協力」の関係に変わった。

 裁判所は、埋め立て承認取り消しの是非だけでなく、背景にある問題にも目を向けた審理をしてほしい。


読売新聞社説-辺野古移設訴訟 「公益」を考慮した司法判断を-2015年12月03日


 米軍普天間飛行場の辺野古移設について、公正で現実的な司法判断が出ることを期待したい。

 政府が、沖縄県による埋め立て承認取り消し処分の撤回を求めた「代執行訴訟」の第1回口頭弁論が、福岡高裁那覇支部で開かれた。

 法務省の定塚誠訟務局長は「埋め立て承認による不利益は、取り消しによる膨大な不利益を上回るとは到底考えられない」と述べ、県の処分の違法性を指摘した。

 取り消しによる不利益として、日米関係の悪化や、普天間飛行場の危険性除去の白紙化、跡地利用計画の頓挫などを挙げた。

 この主張は、1968年の最高裁判決が示した行政機関の処分取り消し基準に基づいている。

 「取り消す不利益と取り消さない不利益を比較考量」したうえ、「公共の福祉に照らして著しく不当」な場合に限って取り消しができる。これが基準である。

 辺野古移設に伴う不利益は、自然環境への影響や騒音被害などが想定される。だが、普天間飛行場の現状が大幅に改善される利益と比べれば、極めて限定的だ。政府の主張には十分根拠があろう。

 公共事業の環境保全に関して、2012年に東京高裁は「常に最高水準を講じるべきだとする絶対的基準があるわけではない」との判断を示している。政府は、この判決に基づいて、適正な環境対策を実施したとの立場である。

 沖縄県側は、政府の提訴を「代執行手続きの申し立て権の乱用で違法だ」とし、却下を求めた。

 翁長雄志知事は、「県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」と訴えた。「沖縄県に米軍専用施設を集中させ、今また22世紀まで利用可能な基地建設が強行されようとしている」などと政府を批判した。

 だが、96年の最高裁判決は、米軍用地の使用に関して、政府の幅広い「政策的、技術的な裁量」を認めている。翁長氏が県民の「人権」を強調するなら、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民にも配慮すべきではないか。

 疑問なのは、県側が米軍基地建設について、根拠となる国内法がないことを理由に「憲法違反だ」などと主張したことだ。

 日本の安全保障にとって極めて重要な日米同盟を否定している、とも受け取れる内容である。

 そもそも翁長氏が、仲井真弘多前知事が厳密な審査を経て行った埋め立て承認について、「法的瑕疵かしがある」として取り消したことに無理があると言えよう。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-04 17:19 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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