朝日新聞が、TBSの報道番組「NEWS23」のアンカーを務める岸井成格氏への批判について触れたこと。

 読売新聞と産経新聞の紙面に11月中旬、「私達は、違法な報道を見逃しません。」とする大型の意見広告が掲載された件については、非常に気になっていたが、これまではどこの新聞もあまり採り上げてこなかった気がする。
朝日新聞は2015年12月2日、「報道・出版への『偏ってる』批判の背景は 識者に聞いた」として、「読売新聞と産経新聞の紙面に11月中旬、『私達は、違法な報道を見逃しません。』とする大型の意見広告が掲載された。広告を出したのは『放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会』。安保法案の参院採決直前の9月、TBSの報道番組『NEWS23』のアンカーを務める岸井成格(しげただ)氏が『メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ』などと発言したことを、一方的だと批判した。
 『視聴者の会』は11月に発足したばかり。呼びかけ人の作曲家、すぎやまこういちさんや、文芸評論家の小川榮太郎さんらは11月26日に都内で記者会見し、小川さんは『安保関連法に関するテレビ番組があまりに極端化していると感じた』と発足の趣旨を説明。安保法制を報じた各局の報道番組の賛成論と反対論の放送時間の比率を独自調査した結果を示し、一部の民放を『洗脳や政治宣伝のレベルに達している』と批判した。今後も報道番組の『監視』を続けるという。」、と報じた。

 このことについて、特にマスコミのあり方に関わることとして、京都大・佐藤卓己教授の「異論つなぐ姿勢が必要」との記事を掲載し、朝日新聞としての姿勢を示す。それは次のものである。


 いろんな場面で「偏り」が指摘されるようになった背景には、電子メディアの普及がある。SNSでは、自分と同じ意見には「いいね」で応え、異なる意見の発信者は即ブロックする状況が生まれている。自分中心の快適な情報空間ができあがり、その延長で、自分とは違う意見に「偏り」というラベルを貼っている。
 それは「場所感覚の喪失」とも言える。政治的に右寄りか左寄りか、自分の立ち位置が誰もよくわからない、という状況だ。
 ネット空間には中立性も客観性もない。目の前にいる人には口にしないことを、反射的に書いてしまう危うさもある。多くは匿名で、実像が見えないため、対話はできない。議論が中抜きにされてしまう。
 私は同時期に東京新聞や産経新聞で論壇時評や紙面批評を連載していたが、心がけたのは「喜ばれないかもしれないが、考えてほしい意見」を書くこと。「他者性」を強く意識した。
 ネット言論が盛んになる中で、全国紙やテレビ局に求められるのは「中間性」だ。お互い背中を向けているような、単なる両論併記ではなく、異なる二つの意見をつなぐ媒介として、その間に立とうとする姿勢のことだ。
 コアな支持者だけに一方的に語りかける「モノローグ」(一人語り)ではなく、違う考えの他者を意識した「ダイアローグ」(対話)を模索すること。マスメディアがそれをやめてしまえば、言論の多様性はますます危うくなる


 ここで朝日新聞が取りあげた、「コアな支持者だけに一方的に語りかける『モノローグ』(一人語り)ではなく、違う考えの他者を意識した『ダイアローグ』(対話)を模索すること。マスメディアがそれをやめてしまえば、言論の多様性はますます危うくなる」、との主張は、当たり前すぎるものである。
 今回の岸井成格さんへの読売新聞と産経新聞を利用した批判は、もはや「攻撃」である。
 その攻撃は、権力を握るものからの明確な方針のもとになされるものである。
 この間、沖縄タイムスと琉球新報が受けた「攻撃」は、逆に、沖縄県で両社が果たしてきた役割や今実際に行っている報道姿勢が、マスコミ自身が何が一番大事なのかを感じ取り、それを掲載し続ける営為こそ、マスコミにとっての生命線であることを、実感させてきた。
 この国の状況は、「攻撃」にいかに対応しなければならないかというところまで来ているのではないか。
 今回の岸井成格さんへの「攻撃:」は、本来のマスコミのあり方に対するしかけそのものである。


 朝日新聞の「意見を表明しようと思ったら、無傷ではいられない。出版や報道に関わるとき、その覚悟は不可欠だと思う。」、との主張は、決意の一端として受け取った。


 以下、朝日新聞の引用。






朝日新聞-報道・出版への「偏ってる」批判の背景は 識者に聞いた-2015年12月2日05時06分

 報道や出版などの表現の「偏り」を批判したり、「公平」「中立」を求めたりする事例が相次いでいる。大手書店は「選書が偏っている」との批判を受けて、民主主義を考えるフェアを一時中止。テレビ番組の政治報道を「偏っているから違法だ」と主張する市民団体も発足した。背景や是非について識者に聞いた。

 「記事が偏っているという批判が寄せられる。それには、『ええ、偏っています』と答えるほかない」

 10月15日付の神奈川新聞に、安保法制への抗議行動などを取り上げる同紙の連載「時代の正体」への批判に答えた記事が掲載された。ツイッターやフェイスブックで1万回以上転載、言及されるなど、大きな反響を呼んだ。

 記事の終盤では「私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権利を守ることになる」と記した。

 執筆した論説委員の石橋学さんは「無難な記事を求める社内外の自粛的な雰囲気と、それを受けて閉塞(へいそく)感を覚えている自分自身に向けて書いた」。反響については「10年前なら『何をいまさら』と言われたことを、わざわざ言わないといけない時代だということの裏返し」と語る。

 ログイン前の続きメディアの役割を「記者一人ひとりが考え抜き、地に足をつけ、公正であろうとする姿勢が大事」と言う一方、「昨今言われる『中立』は思考の停止であり、逃げ道。大事なのは、多様性の中でいかに説得力を持たせるかだ」。

 「偏り宣言」が注目される背景には、大手書店のブックフェアや博物館の展示など様々な場で偏りが批判される現状がある。特にテレビへの風当たりは強く、「政治的に公平であること」を求める放送法4条を根拠に、番組の「違法性」を問う動きも出ていた。

 読売新聞と産経新聞の紙面に11月中旬、「私達は、違法な報道を見逃しません。」とする大型の意見広告が掲載された。広告を出したのは「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」。安保法案の参院採決直前の9月、TBSの報道番組「NEWS23」のアンカーを務める岸井成格(しげただ)氏が「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」などと発言したことを、一方的だと批判した。

 「視聴者の会」は11月に発足したばかり。呼びかけ人の作曲家、すぎやまこういちさんや、文芸評論家の小川榮太郎さんらは11月26日に都内で記者会見し、小川さんは「安保関連法に関するテレビ番組があまりに極端化していると感じた」と発足の趣旨を説明。安保法制を報じた各局の報道番組の賛成論と反対論の放送時間の比率を独自調査した結果を示し、一部の民放を「洗脳や政治宣伝のレベルに達している」と批判した。今後も報道番組の「監視」を続けるという。

■異論つなぐ姿勢が必要 京都大・佐藤卓己教授(メディア論)

 いろんな場面で「偏り」が指摘されるようになった背景には、電子メディアの普及がある。SNSでは、自分と同じ意見には「いいね」で応え、異なる意見の発信者は即ブロックする状況が生まれている。自分中心の快適な情報空間ができあがり、その延長で、自分とは違う意見に「偏り」というラベルを貼っている。

 それは「場所感覚の喪失」とも言える。政治的に右寄りか左寄りか、自分の立ち位置が誰もよくわからない、という状況だ。

 ネット空間には中立性も客観性もない。目の前にいる人には口にしないことを、反射的に書いてしまう危うさもある。多くは匿名で、実像が見えないため、対話はできない。議論が中抜きにされてしまう。

 私は同時期に東京新聞や産経新聞で論壇時評や紙面批評を連載していたが、心がけたのは「喜ばれないかもしれないが、考えてほしい意見」を書くこと。「他者性」を強く意識した。

 ネット言論が盛んになる中で、全国紙やテレビ局に求められるのは「中間性」だ。お互い背中を向けているような、単なる両論併記ではなく、異なる二つの意見をつなぐ媒介として、その間に立とうとする姿勢のことだ。

 コアな支持者だけに一方的に語りかける「モノローグ」(一人語り)ではなく、違う考えの他者を意識した「ダイアローグ」(対話)を模索すること。マスメディアがそれをやめてしまえば、言論の多様性はますます危うくなる。
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 さとう・たくみ 1960年生まれ。専門はメディア史。著書に「輿論と世論―日本的民意の系譜学」など。(聞き手・藤原学思)
■書店は「意見交戦の場」 ジュンク堂書店難波店 福嶋聡店長
 中立とは何か。例えば沖縄の基地問題。「基地をなくそう」の対極に、「必要だ」とする主張があるとする。「真ん中」はどこにあるのか。「私は何も考えません」だろうか。

 二つの意見を並べるだけの両論併記は「中立」とは呼ばない。高みの観客席から眺めているだけだ。民主主義社会の主権者がアリーナに立たないのは不誠実だし、「中立」を正義とする社会は、意見を持つことそのものを攻撃することになってしまう。

 ブックフェアは個々の書店員の表現行為だ。ジュンク堂書店難波店では、5月に「反ヘイト本」の常設を始めた。新刊コーナーにヘイト本ばかりが並ぶのに違和感を感じ、「ヘイトをやめよう」という本も並べてみたいと思ったからだ。「偏っている」と苦情を言いに来る人はいるが、丁寧に説明し、「あなたとは意見が違う」と話している。

 書店は本と本、意見と意見の「交戦の場」だと考えている。作家の高橋源一郎さんは、民主主義を「異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒にやっていくためのシステム」と定義している。書店も新聞も放送も、「一つの場所」だと思う。だからこそ、クレームはひたすら回避されるべきものではない。真正面から向き合い、対話や説明の機会ととらえるべきだろう。

 意見を表明しようと思ったら、無傷ではいられない。出版や報道に関わるとき、その覚悟は不可欠だと思う。

     ◇

 ふくしま・あきら 59年生まれ、82年ジュンク堂書店入社。著書に「希望の書店論」など。(聞き手・市川美亜子)


by asyagi-df-2014 | 2015-12-04 05:45 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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