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本からのもの-「国民なき経済成長-脱・アホノミクスのすすめ-」

著書名;国民なき経済成長-脱・アホノミクスのすすめ-
著作者;浜 矩子
出版社;角川新書


 安倍晋三政権の「成長戦略」や「アベノミクス」については、それなりに一定の考え方をまとめてきたが、もう一つきちっとした分析が必要だなと思ってきた。
 先月のTPPの学習会に出かけたのも、このことに対する自分なりの要求があったためだった。
 浜矩子(以下、浜とする)さんの「国民なき経済成長-脱・アホノミクスのすすめ-」は、平易な言葉でこのことを明確に説明してくれる。


 浜は、「経済活動が人権を踏みにじるようなことは、かりそめにも、あってはならない。人権の礎であってこそ、経済活動なのである。」、と「経済」の基本を示す。
また、「経済活動というものの形は三角形だと考えて来た。経済活動の三角形の三辺を構成するのが、成長と競争と分配という三つの要素だ。」、と浜は、定義づける。
 だから、これに反するアベノミクスに対しては、脱・アベノミクスなのだ、と。

 というのも、安倍晋三政権の政策をこのように描ききるから。


 「取り戻したがり」病に侵された人々が展開する経済政策は、その随分昔に日本を照れ戻そうとうる。
 成長することで全ての問題の解決をもたらす。それが「取り戻したがり」病がもたらす思い込みだ。
やってはいけないことをやっている人々の所作をみつめることを通じて、やらなけれないけないことが何であるかを発見する。

 あわせて、アベノミクスの実態を次のように説明する。

 端的にいって、アベノミクスは何ノミクスにもあらずだ。今や、そのように考えるに至っている。なぜなら、安倍政権の経済政策は、人間に目が向いていない。労働者をみるべきところに、労働力をみている。生産者をみるべきところに、生産力をみている。技術者をみるべきところに技術力をみている。学生をみるべきところに学力をみている。国民をみるべきところに、国力をみている。


 そして、浜は、「安倍政権の経済政策が貫徹されて行くと、行き着く先は、そのような究極的破壊行為だ。」、と見通す。
 また、浜は、「人々が現状に不安を抱き、過去に思いを馳せ、誰かに何とかして欲しいと思う時、そうした時代の空気を吸い込んで、それを毒ガスに変えるのが大衆扇動を企てる妖怪たちの狙い所だ。獏が人々の夢を喰う生き物なら、大衆扇動型妖怪たちは、人々の憤懣を喰って大きくなる化け物である。」、とその化け物の姿を暴く。まさに、安倍晋三政権の実像である。

 安倍晋三政権の「成長戦略」についても、「巨大化は死に至る病」だと、次のように批判する。


 成長経済と成熟経済はどう違うのか。答えはシンプルだ。経済経済に必要なのは発育することだ。成熟経済に必要なのは均衡を保つことである。
 成長経済とは、すなわち伸び盛りの経済だ。・・・何はともあれ、経済活動の拡大と発展が必要だった。だが、成熟経済の場合には、状況が違う。バランスに気をつけなければならない。・・・賢く生きる時代に入った経済が、威勢よく発育する経済だった時代に後戻りしようとしてはいけない。成熟経済を無理やりに成長経済に仕立て直そうとしてはいけない。それは危険行為だ。その無謀な試みによって、成熟経済の均衡が崩れてしまえば、それを復元することは相当に難しい。
 

 このように、浜は、「成長戦略」も「アベノミクス」も明確に否定する。


 さて、「安倍晋三政権の「成長戦略」や「アベノミクス」についてのちっとした分析」という私自身の主旨から、ここでは、第3章以降を中心に、みてみる。

 浜は、安倍晋三政権の「取り戻したがり」病について、①2014年1月21日、②2014年1月24日、③2014年6月24日の資料を詳細に分析する。
まず、浜は、①について、「取り戻したがり」病の登場場面を書き出す。
1 しかし、「強い日本」を取り戻す戦いは、始まったばかり。
2 「強い経済」を取り戻すべく、引き続き、全力で取り組んで参ります。
3 「誇りある日本」をとりもどすことができる。
 このことについて、浜は、「つまり、焦点は強さだ。よき日本でも、優しき日本でも、賢き日本でも、品位ある日本でも、開かれた日本でも、平和な日本でもない、ひたすら強くなりたい。強さを誇示できる日本が欲しい。それを可能にするための強い経済を手に入れる。」、と「取り戻したがり」病のやまいたるゆえんを喝破する。
 ③について、浜は、「『取り戻す』は『稼ぐ力』という新たなキ-ワ-ドと結びついて登場する。」、とし、これについては、「日本企業を強力な稼ぐ力集団に変貌させて、『強い経済』と『強い日本』を取り戻すというわけだ。」、と指摘する。
 結局、浜は、このような安倍晋三政権の「取り戻したがり」病を次のように指摘する。ちょっと長くなる。


 かくして、挙国一致の稼ぐマシ-んが、総力を挙げて強い経済と強い日本の「再興」を目指す。その勢いが衰えることなく、「国民一人一人が」目標に向かってまい進するよう、政策と政治が尻を叩きまくる。これでもかという具合に、「世界に誇れるビジネス環境」を整え上げて、否も応もなく、強い日本を取り戻す方向に突っ走っていく。
 この姿こそ、妖怪シナリオのライタ-たちの妄念の鏡が映し出す日本の虚構だ、その姿は、第2章で見た日本の真像とはあまりにもかけ離れている。
 今日的な日本の真の姿が求めているのは、「稼ぐ力」を取り戻すことではない。「分かち合う力」を養うことだ。長年にわたって稼ぐ力を発揮して来た結果、今の日本は分かち合うべき大いなる豊かさを手に入れるに至っている。ところが、その豊かさを上手く分かち合うことが出来ていない。豊かさを上手く分かち合えない経済社会は、結局のところ停滞し、創造性を失い、弱体化する。なぜなら、一部の「稼ぐ力」がある者たちばかりに負担がかかり過ぎるからだ。・・・。
 いかにして全員参加状態をつくりだすか。それが豊かな成熟経済を上手く回して行く上での勘所だ。だが、「稼ぐ力」を取り戻すことに固執する妖怪シナリオは、ひたすら、強い者をより強くすることはばかりを考える。奮励努力の呼び声に呼応出来ない者たちのことは、どうも眼中にないようだ。もっとも、前出の通り「国民一人一人」に奮励努力を呼びかけているのであるから、正確にいえば、この呼び声に呼応しないことは許さない、といっているわけだ。


 後は、浜独自のリズム感が、安倍晋三政権に向けて炸裂する。


(1)英国首相チャ-チルの「バトル・オブ・ブリテン」になぞって、「およそ人間たちの経済活動において、かくも少数が、かくも多数を振り落としながら、かくも多くの狂いをもたらしたことはなかった。」

(2)日本の近江商人の「三方良し」に沿って、「売り手良し、買い手良し、世間良し。そのどれか一つかけても商売は成り立たない。世間を無視して、売り手と買い手だけの二者間『ウイン・ウイン』関係に酔いしれる者たちには、世間の鉄槌が下る。いわんや、売り手だけの稼ぎを追い求める者に世間は存続を許さない。実に真っ当な発想だ。」。

(3)「要は金持ちに恩恵を施せば、その果実がアメリカ経済全体に及ぶ」という「トリクルダウン」を日本の経済人が大好きなレ-ガノミックスの中では、サプライサイド理論とあえて、呼んだ。トリクルダウン型の政策は、そもそも、それを提唱する人々に取ってさえ、あまり説得力のあるものではないようだ。

(4)ジョン・ケネス・ガルブレイスの「昔の人々は現代人ほどお上品ではなかった。だから、トリクルダウン政策ではなくて、馬とスズメ政策という言い方をした」。


 浜は、トリクルダウンについて、こう結論づける。


 「要するに、今日でいうトリクルダウンの考え方には、元来、差別的な精神性が潜んであるということだ。」、と。
 また、『内部留保などという臓器が発達してきたから、口から入ったものが、かっての勢いで下方に出て行かなくなった。恩恵を施すスズメを、えり好みする傾向も強まっている。即戦力対応可能なスズメばかりが、優遇される。底上げどころではない。底抜けが進むばかりだ。」、と。


 浜は、第4章で、安倍晋三政権について、2015年の年頭所感を基に、次のように最後のまとめをする。


(1)焦点は、やはり、あくまでも、国家にある。国民ではない。国民が今、国家からどのような公共サ-ビスの提供を必要としているか。それを模索する視点がない。国民を唯一最大の顧客とするサ-ビス事業者の立場にある存在として、今、最も求められているものは何なのか。それを探り当てようとする者の気配がおよそ感じられない。

(2)取り戻したがり病は、その患者たちに大別して二つの症状をもたらす。第一に、みえるはずのことがみえなくなる。そして第二に、考えてはいけないことを考えるようになる。この二つだ。

(3)どんな考えてはいけないことを彼らは考えているのか。それは、国民国家における国民と国家の関係の逆転構想だ。この構想が、「日本の稼ぐ力を取り戻す」ための努力への国民に対する誘いだ。このような呼びかけをする彼らは、国民から国家を取り戻そうとしている。そのようにさえ思えてくる。


 浜は、このような日本の状況をどのように克服していこうとするのか。
 このことについて、浜は、「二つの関係修復と二つの関係構築。これらが掛け合わさることによって、我々は現状を越えてそのむこうがわにいくことができる。」、とする。
 それは、浜は、次のことであると指摘する。


(1)関係修復その一:人間と経済

 稼ぐ力を取り戻し、強い経済を取り戻すなかで、経済が人間をいじめる関係が形成されてしまう。人間と経済の修復が必要だ。
(2)関係修復その二:国民と国家
 日本の稼ぐ力を取り戻すために、日本国民が奮励努力を強いられるということがあってはならない。国民のために国家が奮励努力する。それが正しい関係だ。国というサ-ビス事業者は、あくまでも、大切な顧客である国民のために奉仕する。それが仕事だ。常に高い顧客満足度を達成すべく、まさにあくなき努力を重ね続ける義務がある。
(3)関係構築その一:多様性と包摂生
 多様性と包摂生が出会う場所。そこがグロ-バル時代の到着すべき場所だ。
(4)関係構築その二:あっち側とこっち側
 こちら側にいる我々と、あちら側にいるあいつら。その二つの世界に世の中が二分されている時、こちら側にいる半分の我らが、あちら側にいるもう半分のあいつらについて、「あっち側では、どんな生活をしているだろう」とあれこれ思いを巡らす、こと。


 安倍晋三政権の「成長戦略」や「アベノミクス」に対して、浜によって、明確な答えが出されている。
 特に、ジョン・ケネス・ガルブレイスの「昔の人々は現代人ほどお上品ではなかった。だから、トリクルダウン政策ではなくて、馬とスズメ政策という言い方をした」は、トリクルダウンについて、私にとっては、一つの結着である。


by asyagi-df-2014 | 2015-11-27 05:43 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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