写真家、福島菊次郎さんの遺言を。

 朝日新聞は、2015年11月18日、「『反権力』の立場で戦後を記録し、9月に94歳で亡くなった報道写真家、福島菊次郎さんの生涯が脚光を浴びている。福島さんを追ったドキュメンタリー映画の追悼上映が盛況で、若者にも共感が広がっている。東京・渋谷の映画館『アップリンク』。福島さんを追った『ニッポンの噓(うそ)』の追悼上映が10月末から始まり、週末は満席が続く。」、と報じた。
この朝日の記事は、「脚光」という言葉に戸惑いながらも、やはり歓迎すべきものであると思う。
 実は、「DAYS JAPAN」の11月号は、福島菊次郎追悼特集-証言と遺言-だった。
 この時は、あまりの事実の重さにじっとするしかなかった。


今あらためて一人では考えている。
「DAYS JAPAN」の長谷川三郎さんの「問題自体が法を犯した時には、カメラマンも法を犯してもかまわない」、那須圭子さんの「なっさん、僕の遺言だと思って聞いて。独りになることを恐れないで。集団の中にいると大切なものが見えなくなる」、という福島菊次郎さんのからの言葉を、本当の意味で受け取ることができるかと。


 以下、朝日新聞の引用。






朝日新聞-原爆や原発…反骨の写真家、再び脚光 追悼上映や写真集-2015年11月18日

 「反権力」の立場で戦後を記録し、9月に94歳で亡くなった報道写真家、福島菊次郎さんの生涯が脚光を浴びている。福島さんを追ったドキュメンタリー映画の追悼上映が盛況で、若者にも共感が広がっている。

 東京・渋谷の映画館「アップリンク」。福島さんを追った「ニッポンの噓(うそ)」の追悼上映が10月末から始まり、週末は満席が続く。

 映画は2011年秋、当時90歳の福島さんが、東京の反原発運動にカメラを向けるところから始まる。広島の被爆者や成田空港建設に反対する三里塚闘争など、戦後に撮影した写真を交えながら、福島さんが当時の記憶を語る。

 ログイン前の続き福島さんは山口県下松市出身。戦時中、広島の部隊に所属したが、原爆投下直前に本土決戦に向けて移った宮崎で終戦を迎えた。その後、下松市で時計店を営みながら、広島の被爆者を約10年かけて撮影。1961年に初の写真集「ピカドン ある原爆被災者の記録」を出版した後、子ども3人を連れて上京、報道写真家としての道を選んだ。

 自衛隊をPRするような撮影を装って兵器の製造現場に肉薄、撮影が許されない場所も隠し撮りした。暴漢に襲われ、自宅が不審火で焼けたこともあったが、「反権力」の立場は揺るがなかった。映画の中で福島さんは語る。「表に出ないものを引っ張り出して、たたきつけてやりたい」

 配給元によると、3年前の公開当初は50代前後が中心だったが、最近は20~30代が増えてきたという。

 福島さんが、原発事故後の福島を巡った様子を収めた写真集「My Private Fukushima」(みずのわ出版)の売れ行きも好調だ。弟子のフォトジャーナリスト那須圭子さん(55)=山口県光市=が撮影し、13年に出版した。福島さんの作品を集めた写真展の開催も、東京などで検討されている。

 没後も広がる反響について、同映画のプロデューサー橋本佳子さんは言う。「特定秘密保護法や安保法制など、3年前と比べて状況が変わった。若い人のアンテナも変わってきているのではないか」

 追悼上映は、大阪や名古屋などで順次開催。渋谷での上映は13日までの予定だったが、好評のため20日まで延長する。KBCシネマ(福岡市)は予定を1週間早め、14日から上映を始めた。27日までの予定。(小川裕介)


by asyagi-df-2014 | 2015-11-19 05:55 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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