沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第34回


 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 
 今回の報告は、特に、締め付けられる。
 三上さんは、こう綴った。


 だから私は、これらの動きと一緒になってこの日を節目にするようなリポートは一切出したくなかった。しかし、今回は違う。県民が身体を張って政府の圧力に抗している辺野古の現場に、警視庁の機動隊が投入されたのだ。11月4日、まだ暗いうちからキャンプシュワブのゲート前に練馬・品川・多摩ナンバーの警察車両が続々やってきた。のっぺりした表情の見慣れない警官がぞろぞろと降りてくる。「いよいよ平成の琉球処分か!?」という怒号があちこちから上がった。


 そして、こう私たちに語りかける。


 86歳になる島袋文子さんのことは何度もこのページに書いてきたが、私は彼女や島のお年寄りが抱えてきた癒えない悲しみと重い荷物を少しでも楽にすべく、辺野古の計画の白紙撤回を勝ち取るためにテレビや映画のドキュメンタリーに取り組んできた。ところが計画の白紙撤回どころか状況は悪化、毎日彼女が般若のような形相で機動隊にくってかかる場面を現場や報道で見て、胸が張り裂ける思いだ。
 そして悪性リンパ腫という大病から生還し、まだまだリハビリ途中の山城博治さん。治療器具を埋め込んだその身体でどれだけみんなを守るために無理をしてしまうのか、しかし警視庁の機動隊の姿を見た彼を誰も止められるわけがない。命を削って現場を指揮する彼の姿を、今回の動画は少々長いがちゃんと見て欲しい。後半に、文子おばあと平良悦美さんという、辺野古の闘いを象徴する二人の80代の女性を守るために博治さんが彼女たちを抱きしめる場面がある。なんて壮絶な愛情だろう。
 無機質な表情で命令のままに黙々と人間を排除していく機動隊に対し、こちらが持つ武器は人間を慈しみ、尊厳を守り、心の底に横たわる正義に照らして判断をする行動力だけだ。だがそれは思いのほかもろくはない。身体を鍛えてなくても、若くもなく体力がなくても、抵抗している県民の側が持っている強さは彼らを圧倒していく。


 さらに、「現場はまた一つ大きな感動を共有し、また一つ強くなった。」、と。


 翁長知事夫人の樹子さんはゲート前で「万策尽きたら最後は夫婦で座り込みます」と覚悟を語った。そして「まだ万策尽きてはいない。日本中から、世界中から支援がある。これからも諦めず心を一つにしていきましょう」と続けた。


 私たちは、この報告から、何を受け取ることができるのか。


 以下、三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記第34回の引用。






 警視庁機動隊VS沖縄県民の闘い


 「辺野古 本体工事着工」「埋立て着手」。こんな見出しで報道合戦が展開された。
 先月29日、大手メディアは朝から一斉にヘリを出し、中継も交えて大々的に沖縄県の「負け」を伝えた。こういう政府発表のXデーにしか姿を見せない中央メディアもこぞって辺野古に押し寄せた。
 ところでこの報道だが、政府発表の「本日午前8時、公有水面の埋め立てに掛かる工事に着手した」という文章をなぞったもので、工事の進捗状況を各社がどこまで取材した結果なのか疑わしい。少なくとも海にはまだ何も投下されていない。陸上部分の工事はかねてからずっと続いてきた。なのに、いつも現場にいない中央の記者たちに今日のフェンスの中の作業が「本体」か「埋め立てにかかる」工事なのか本当に解るのだろうか。新基地の工事なら兵舎の移設も含めて7、8年前からずっとやっているというのに。  

 去年7月1日もそうだった。「いよいよ本体工事に着手」と各社こぞって、さも一大事のように伝えたが、ショベルカーの動きは前日までの工事とさして変わらなかった。今さら「本体」といわれても、今までやってきた工事は新基地「本体」でなければなんだったのか。さらに11月の知事選勝利の後も、衆院選勝利の後の年明けも、作業初日だけメディアは「本格工事再開」と騒いだ。
 この1年余りの間だけでも、こういう政府発表のタイミングで沖縄が「やられる」姿を何度も全国ニュースにされてきたが、この手法はもうやめにしたらどうだろう。こんな儀式めいた報道の胡散臭さに、国民もとうに気付いているのではないだろうか。少なくとも抵抗運動で連日座り込んでいる現場は鼻白む空気だ。中継車とヘリと見慣れない記者達が通過したあとは、昨日までのように、そして今日からも、地道な抵抗が日々続いていく。

 政府の魂胆はわかりやすい。翁長知事が埋立て承認を取り消そうが何しようが、どんな手を使ってでも工事を進める環境を作る。やるときはやる。政府の力を見せつけ「ついに埋め立てまで行ったか。」「国に歯向かっても無駄だ。」と県民を、国民を無力感に誘いたいのであろう。しかし沖縄県民はもう、こんなメディアを使った露骨な手法に騙されない。
 「19年止められ続けた普天間代替施設の本体工事に、ようやく着手しました!」等と嬉々としてリポートしていたテレビ局に至っては、権力側の視点に立って権力側の出す広報文に踊らされ、現場にいて現場にいない官製ジャーナリズムの悲しさをも感じた。だから私は、これらの動きと一緒になってこの日を節目にするようなリポートは一切出したくなかった。

 しかし、今回は違う。県民が身体を張って政府の圧力に抗している辺野古の現場に、警視庁の機動隊が投入されたのだ。11月4日、まだ暗いうちからキャンプシュワブのゲート前に練馬・品川・多摩ナンバーの警察車両が続々やってきた。のっぺりした表情の見慣れない警官がぞろぞろと降りてくる。「いよいよ平成の琉球処分か!?」という怒号があちこちから上がった。

 なぜ、東京から機動隊を呼ぶのだろうか。沖縄県知事が基地の工事に必要な「埋め立ての許可」を取り消したのだ。沖縄県警は今まで、合法な工事を邪魔する人々を排除してきたのだろうが、大前提である許可が無くなり工事の権限が失われた。今後は違法な工事をごり押しする防衛局やその業者を取り締まるべきだろう。政府が知事の「取り消しカード」を無効にする捏造ジョーカーを出してきたり、ゲームのルールそのものを後出しで変えてきても、我々沖縄県の海を埋めないと言ったのは我々の知事だ。その下で、沖縄の警察官はこれまで以上に苦しむだろう。それでも政府が国策として強権的にやるなら、恨まれ役はもうたくさんだ、県警ではなしに、政府の傭兵でも送り込んだらどうだと言う気持ちにもなるかも知れない。

 しかし、身体を鍛え上げた機動隊の若者達の何割が、沖縄の戦後史に興味を持ってくれているのだろうか。ある調査では日本の大学生の半分以上が、戦後27年も沖縄がアメリカ軍の統治下にあった事実を知らないという。沖縄の苦難の歴史、辛抱強い県民がどうして今回はここまで怒っているのか、警視庁の若い隊員が全く理解していないとすれば、沖縄県警とは対応に雲泥の差が生じるだろう。菅長官が言うように、70年前の話をされても困るという都合のいいスタンスで2年前の前知事の埋立て承認がすべてだと教育されてきたら、座り込んでいる人々はただの不平分子で治安上、鎮圧されて当然としか思えないだろう。そういう血も涙も情けも乏しい若者によって沖縄の大先輩達が機能的に排除されていく姿はとても正視できない。

 86歳になる島袋文子さんのことは何度もこのページに書いてきたが、私は彼女や島のお年寄りが抱えてきた癒えない悲しみと重い荷物を少しでも楽にすべく、辺野古の計画の白紙撤回を勝ち取るためにテレビや映画のドキュメンタリーに取り組んできた。ところが計画の白紙撤回どころか状況は悪化、毎日彼女が般若のような形相で機動隊にくってかかる場面を現場や報道で見て、胸が張り裂ける思いだ。
 そして悪性リンパ腫という大病から生還し、まだまだリハビリ途中の山城博治さん。治療器具を埋め込んだその身体でどれだけみんなを守るために無理をしてしまうのか、しかし警視庁の機動隊の姿を見た彼を誰も止められるわけがない。命を削って現場を指揮する彼の姿を、今回の動画は少々長いがちゃんと見て欲しい。後半に、文子おばあと平良悦美さんという、辺野古の闘いを象徴する二人の80代の女性を守るために博治さんが彼女たちを抱きしめる場面がある。なんて壮絶な愛情だろう。
 無機質な表情で命令のままに黙々と人間を排除していく機動隊に対し、こちらが持つ武器は人間を慈しみ、尊厳を守り、心の底に横たわる正義に照らして判断をする行動力だけだ。だがそれは思いのほかもろくはない。身体を鍛えてなくても、若くもなく体力がなくても、抵抗している県民の側が持っている強さは彼らを圧倒していく。

 力づくで基地のゲートを破ろうとする人は逮捕できても、踊ったり笑ったり歌ったりしている人を逮捕するのは難しい。どんなに強権的に人々を押さえつけようと思っても、沖縄の民衆の手には70年間の間に着々と揃えてきた、目には見えない何種類もの非暴力の武器があり、諦めないしへこまない知恵がある。
 翁長知事夫人の樹子さんはゲート前で「万策尽きたら最後は夫婦で座り込みます」と覚悟を語った。そして「まだ万策尽きてはいない。日本中から、世界中から支援がある。これからも諦めず心を一つにしていきましょう」と続けた。現場はまた一つ大きな感動を共有し、また一つ強くなった。

 きょう11日は早朝から完全封鎖の呼びかけがある。まだまだ、万策は尽きていないのだ。

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。これまで300回を超える自主上映活動が続いている。現在、次回作の準備を進めている。


by asyagi-df-2014 | 2015-11-12 11:27 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧